心筋梗塞生還記(3)

心筋梗塞生還記(2)から続く。

2006年5月5日金曜日
 今日は見舞いにこられた人たちをエレベータのところまで送っていったり、一人で歩いたり、長い距離を踏破した。大げさな表現だが、今の僕には必ずしも誇張ではない。来週の月曜には9ステージに挑戦することになっていることを看護師さんに夕方教えてもらった。9ステージでは一階分の階段を上り下りすることになっている。これができるためには、部屋にこもってばかりいないで足腰を鍛えることも必要である。部屋に帰っても、ひどく疲れた、というふうには感じなくなってよかった。
 今夜は看護師さんが二人もおやすみなさい、といいにこられた。
 今日たずねてきた友人に同期の友人の消息をたずねたら、彼はルクレティウス(ローマの詩人)を毎日一行ずつ訳しているらしい。君とは大違いだ、と友人は笑ったが、そんなスローライフであれば心筋梗塞にはならないのだろう。僕は翻訳となるとノルマを決めて、がりかり訳したりしていたが。

2006年5月6日土曜日
 11時に寝て、6時半に起きる。vitalを計りに杉山さんが。血圧は110/70。脈拍は60。「帰ってから眠れた?」とたずねたら「昨日は早く帰れてそれからお風呂はいって、4時間くらい寝たし、身体はわりと楽」と。「ノートが〔ベッドから〕落ちてたので拾っといたよ」。もぞもぞ動いたり、足でテーブルを蹴ったりしているようだ。寝る時は左側だけ柵をしている。レンドルミンを飲むと、深く眠れるが、抑制がきかないところがあるようなので。
 朝、清拭。足湯はなかった。背中を拭いて、薬を塗ってもらっただけで後は全部自分で。もちろんできるからそれでいいのだけれど、この看護師さんとは話をすることもなかった。清拭についていうと、人によってちょっとした配慮の仕方が違っていて、僕としては、裸になるわけだから、部屋のカーテンを閉めてほしいし、おしも(って何ともいえない響きでしょう? みんなこういういい方をする)を拭く時は、看護師さんに部屋の中にあるカーテンの向こうに行ってほしい。すぐすむのだから。次のステージになれば、シャワーを使えるようになるから、気を遣わなくてすむのだが、そこに至るまでの日数の方が長いので、こんな配慮してもらえるとずいぶんと気が楽になる。絶対安静の頃はおむつを外されて、洗われていた。恥ずかしいと思うような余裕もなかったが、清拭の際、導尿の管に乱暴に触られると(触れるということだろうが)と、痛くてかなわなかった。vitalは「また後で」といって出ていった看護師さんはこられない。とうとう食事の時間になり、お膳を運んでこられた市川看護師にたずねたら「vitalは日勤の間に一回でいいことになってるんです。でも、『後』が長いですねえ」と。これまで一度もvitalが午後であったことはなかったし(そうでもないか)、日勤の間に一回というようなことは僕は知らなかったのである。
 午後から妻と義父母。高齢の義父は時々不整脈が出るという話をするが心配。もうずいぶん前だが、近くの川に遊びに行ってその時泳いでいた義父が一瞬意識を失って倒れたことがあった。その時、義母は動転して大きな声を出していたことを思い出した。今回、救急車を呼んだ時の妻の対応は冷静だった。僕の意識がはっきりしていたこともあるが。セリーグの審判が43歳で心筋梗塞で亡くなったというニュースを読む。前はこんな記事を読んでもあまり気に留めなかったが今はそうではない。
 3時半に丸橋君が。病院を教えるメールを出したら、すぐに返事がきて、善は急げ、ときてくれた。多忙な彼には昨日しかもう日がなかったのだ。妻も加わって三人で話す。彼は歳を重ねても少しも変わらない。二十年前にタイムスリップしたようにも感じた僕は時の経つのも忘れて研究室を離れて以来のあまたのことを話した。彼が大学の看護学部の教授になったことで、思いもかけぬ接点ができたように思った。去年、博士号をとったという話は、今の僕にはあまりに現実的ではない野心をかき立てた。「入院して間もない頃、夢を見た。藤澤先生と、M君の…」。そこまで話したところで、感極まって僕は泣いてしまった。夜、彼がもってきてくれた(「不吉なんていわないで」と笑って)シューベルトのピアノ・ソナタ第19番、20番、21番(ピアノはヴァレリー・アファナシエフ)を少し聴いてみた。

2006年5月7日日曜日
 強い雨が降っている。こちらにきてからこんなに本格的に雨が降ったのは初めてではないだろうか。でも、最初の頃がどうだったのかはあまりよくわからない。「朝、くる時、道が濡れてたから夜中に降ってたんでしょうけど」という会話を看護師さんと交わしたのは覚えている。救急病棟にいた時に朝11時に掃除にこられた人は元気にされているだろうか。いつも天気の話をしていた。今日はいい天気ですよ、とか、昨日は黄砂が出てねえ、とか。
 寝る前にゲリラ的に足が突然かゆくなり、寝つきがよくなかったが、11時には寝たと思う。朝、7時過ぎにお茶をかえにこられたのは覚えているがvitalは取りにこられなかったので8時過ぎまで寝てしまった。
 病院の食事は量のことを除けば減塩食ではあるがおおむね満足している。まれに濃い味付けのものがあると大丈夫なんだろうか、と思ってしまう。5日の昼に出た柏餅がおいしかった。こちらでは間食は一切なく、甘いものは初めてではなかったか。
 夕方、日勤の看護師さんが「〔心電図のモニター〕外れてるっぽいなんですけど」とこられる。見たところ、異常がないのでモニター本体を見たらOFFになっていた。このスイッチは触ったくらいではOFFになりようがない構造なので、朝、清拭の際、一度外した時にONにするのを忘れたとかしか思えない。黙って帰っていかれたが、昼間ナースステーションのモニターを見てなかったのか、と思ってしまう。準夜勤の看護師さんとこの件について話したら、「大丈夫よ、こんなに元気だったら」と一笑に付されたが、たまたま問題にならなかっただけなので、真摯に受け止めてほしい。
 臨死体験者は死を恐れなくなり、その後人生が変わるというが、心筋梗塞からの生還者はただただ死を恐れるようになるのではないか。常に爆弾を抱えているような気は確かにするが、心気的になることは多いように思う。合理的ではないのだが、昨日、きてくれた妻にいくつかあるパジャマの一着を持って帰ってもらった。これは僕が発作を起した日の朝にきていたもので、このパジャマのまま救急車で病院に運ばれたのである。一度、病室できてみたのだが、入院した日のことがフラッシュバックしてしまう。
 昨日、ふと気づいたことがあった。入院する前、もうこれはかなり長くあったことなのだが、ある種の言葉がうまく発音できなかったのである。例えば(あまり思い出さないのだが)「再三再四」。講義やカウンセリングの時にこの言葉を発そうと思ったら、意識してゆっくりでないとできなかった。他にもいくつかあったと思う。今は何も問題なく話せる。僕が講義、講演、カウンセリングでエピソードをたくさん話すことを知っている人は多いと思うが(理論を語っても記憶できないが、エピソードは記憶にいわば付箋紙をつけるようなものだから、後々まで覚えていることができる)、『アラビアンナイト』ほどではないにしても、あるエピソードを話すと、またその関連で別の話をし、また…と次々に話すのだが、いずれもあることを伝えるために話すわけである。「で、話を戻すと」と元の話の流れに戻らないといけないのに、何のためにこの話をしたか忘れてしまい、元に戻れなかったことが再三再四あった。こんなことも病気と関係があったのだろうか。たまたま冠状動脈がつまったのであって、脳梗塞で倒れたかもしれないということだろうか。今は見舞いにこられた人たちと話していてもこんなことは一度もない。
 iTunesを入院して初めて聴いた日付が残っている。入院前最後に聴いたのは、06/04/16 23:32.もしもあのまま死んでいたら、更新されなかったのだろうな、と思った。音楽を聴くことを許されて最初に聴いたのは、THE BOOMの「そこが僕がふるさと」時間は、06/04/22/14:59。
 平井堅の「瞳を閉じて」がiTunesから今流れてきたので歌ってみた。看護師さんに聞かれないように。
「あの日 見せた泣き顔 涙照らす夕陽 肩のぬくもり
消し去ろうと願う度に 心が 体が 君を覚えている」
 僕は今この世界に生まれきたばかりの赤ちゃんのようなものだから、目にするもの、聞くもの、見るもの、読むもの、何もかも新鮮である。
 友人に借りた『悪童日記』(アゴタ・クリストフ、早川書房)をおとついの夜に読んでいたら、前だったら軽く読み飛ばせたのに、実際、何ということもない記述に心臓がどきどきしてしまった。美しい人に会って心がときめいても不整脈が出たりはしないだろうが、今は、こんなことにも動揺してしまう。
 今日は杉山看護師が担当。カーテンの間から顔だけ出して「おはよう」と9時頃に。「今日は10時くらいに清拭にくるね。また足湯する?」申し訳ないくらい時間をかけて清拭してくださる。
「私はおじいちゃん子なんです。中学生の時、そのおじいちゃんが入院したことがあって、見舞いに行きました。そうしたら、髪の毛も梳かしてもらえず、髭も伸び放題だったんです。看護師さんはそこまでしてくれなかった。それで私は毎日通って身体を拭いたりしました」
「それが看護師になろうとしたことの動機になってます?」
「ええ、〔患者が〕人間らしくあるにはどうすればいいか、考えました。身体を悪くしろという意味ではないけど、看護師も入院してみないと見えないことがたくさんあるように思います」
 自身の入院経験の話も聞いた。
「おじいちゃんは心筋梗塞で亡くなったのです。救急車の中でひどく苦しんだ、とおばあちゃんがいってました。前の日、たまたま母に用事があって電話したらおじいちゃんが〔電話に〕出たのです。長く話しました。それが最後でした」

2006年5月8日月曜日
 目が覚めたら7時半。朝、お茶を換えにきてもらっているのに今日はないのだろうか、と思いながら寝ていた。何度か目が覚めたが、目が覚めたのではなく、まだ実は夢の中ということを何回か繰り返した。お茶の件を後で、今日の担当の中西看護師にたたずねたらランプが消えていた、と。もう自分でお茶をくみにいける段階になっているというのである。そんなの知らないし。今日からこれはしません、といってもらったらすむことなのに。14日に退院になる夢。もちろん、まだ無理だろう。昨日、残っている薬を数えていたら7日分しかないと思っていた。その記憶を夢まで引きずったのかもしれない。
 朝、10時前、いつものようにノックなしにふらりと岡田医師。9ステージに進むということ、近く(医師からのムンテラを受けることになっている木曜日?)心臓カテーテル検査を受け、梗塞していたところがどうなっているか調べるという。「安静にしてるから心筋は回復してきている。でも、リハビリも進めないといけないので、今日は9ステージに進みます」と。
 今度のカテーテル検査は、もし治療しなければ三時間で安静は解かれる、と後で清拭の時に中西さんに教えてもらった。今回は導尿はないようだ。「尿瓶でできる?」「もちろん」。昨日、杉山さんからも導尿がないことを聞かされていたのでかなり安心した。何度も書くがあの痛みはたまらない。「もし治療したら?」「一日。でも、今9ステージだからその場合でも安静が解かれたら9ステージに戻れる」。
 最初の頃は見舞いを断っていた。花を贈りたいといってくださっていた方にも断っていた。申し訳ない。今以上に感覚(特に臭覚)に鋭敏だったので。
 昨日は歩いてもあまり疲れなかった。その前日はとても階段なんか無理だろう、と思っていたのだが。今日も清拭の後、病棟を一周したが大丈夫そうだ。
 昨日のことをもう少し。朝、血圧が100少しでやや低めだったこともあって、昼から杉山看護師がもう一度こられた。その頃には120くらいになっていたが、ちょうどノックがある直前、気分がよくて歌を歌っていた。「聞いた?」「聞いてへん。歌って、歌って?」もちろん、歌わなかったけど。
 倒れるまでてらのうち診療所でカウンセリングをしていた、僕の亡くなった母と同い歳のXさんはどうされているだろう、と思った。若い僕が偉そうにいつも「人生を先送りにしてはいけません」といっていたのである。
 息子は「〔倒れたのが〕君でよかったよ」といつのながらの口調で笑っていっていたが、本当に逆だったら僕にどこまでのことができるのだろうと思う。平日は娘が夕食を作ってくれている。
 朝、部屋を変わってもらえるのですか、という打診があった。隣の隣の部屋ですから、ここよりは少しは眺めがよくなりますが、と。僕は断った。次は退院あるのみ。

2006年5月9日火曜日
 昨夜はうまく寝つけなかった。抗アレルギー剤を飲む時間をもう少し後にずらしてみようか。一番治りの遅い足が久しぶりに夜かゆくなってよく眠れなかった。何度も準夜の杉山さんが見にこられた。「大丈夫?」「まだ…薬(レンドルミン)はもう飲んだんだけど」。深夜に懐中電灯で離れたところから僕の顔を照らした人がいるのは覚えている。実際にはよく眠れていると思うのだが、寝にくいと思った時間のことだけが記憶に残っている。朝は、6時半頃に田口さんが薬を持ってこられる。朝から元気いっぱいでテンションが高い田口さんの声を聞くともうそのまま眠れなかった。昨日、緩下剤をお願いしたのだが、要らないかもしれない。固いと血圧が上がり、心臓に負担がかかるので、こんなことにも注意しないといけない。
 昨日は、9ステージをクリア。中西さんがつきそってくださったので不安になることはないのに、久しぶりに階段を上り下りすることに緊張してしまった。足腰の筋肉がすっかり衰えている。「平地歩行」(岡田先生)の時とは明らかに違う筋肉を使う。部屋に戻ったらちょっとした運動をした後のような気分だった。10日に10ステージに挑戦、昨日も書いたが、15日に心臓カテーテルによる検査がある。先の見通しがあるのはありがたい。検査は退院前の一つの大きな山である。
 昨日は、中井久夫の『治療文化論−精神医学的再構築の試み』(岩波現代文庫)をずっと読んでいた。博覧強記という言葉を前に日記の中で使ったが、この精神科医はいろんなことを知っていて驚いてしまう。何も知らなかった(いいすぎだけど)本を読まない昔勤務していた医院の院長のことを思い出した。一年間、本を読むのをやめなさい、ときつい口調でいわれたこともあった。今頃どうされてるだろう。中井の本を読んで、また臨床に戻れたらいいのに、と少し思った。
 昼から手と腕を見ていたら、静脈が浮いてきた。これなら(前の病棟の)久保田君も先輩に任せなくても採血できるだろう。
 今(10:30)、部屋を掃除してもらっていたら、部屋の戸を開け放してあったものだから、いつも日記に書いている煙草を要求する大きな声の患者さんが、ふとはいってこられた。「こんにちは!」と挨拶したら「こんにちは!」と。部屋を少し移動されたので「移らはった?」とたずねたら「移ってへんで」といわれる。同じ並びの病室で、入院もずいぶん長く、今日は昼からオペだと。
 こちら側の世界に僕を引き留めた未練の一つである、『アドラーを読む』の再校を、昨日、休み休み、少しずつ作業をしてやり遂げた。再校には編集者の修正案が付せられていて、それに全部目を通して必要なものは改めた。50くらいしかなかった。『アドラーの生涯』の時は、数千ヶ所チェックが入っていたから、何ということは内。僕は予定していたのより原稿を送るのが二週間遅れたが(それで3月出版は無理になったが)、今度は出版社の都合でこんなに遅くなってしまった。入院して以来連絡していなかったのでどうなったのか気になって仕方がなかった。脱字とか表記方法の不統一など細かいところまで読んでもらっているのがわかった。もっと早い時期だとこんなことはできなかったが、これは僕だけのリハビリのステージである。
 朝食前に階段上りに挑戦。三回まで行って、この病棟と前にいた病棟を繋ぐ通路のところまで行って見た。見晴らしがよくて気持ちがよかった。部屋に戻っても昨日のように疲れることはなかった。昨日、リハビリにつきそってくださった中西看護師が今日の僕の担当なので、この話をすると「なんでやろう」と不思議がられる。「一度できたら自信がつくのです。昨日は緊張してたし。あさっての10ステージは緊張しないでしょう」。「あさっても私やし…」
 こちらはいい天気。もう今日は何もないので本のカバー折り返しに入れるコピーを考えることにしよう。
 病室の写真を撮ってみた。ソファに座るか、ベッドを起して本を読んだり、日記を書いたりしている。