読書

2009年8月13日 (木)

最初の一歩

 新刊の『高校生のための心理学入門』(アルテ)が届く。

 高校生を念頭に置いて書きましたが、この本がもっぱら基づいているアドラー心理学について知っている親が最初に本書を手にするのではないか、と考えています。私は、若い人が正当な主張をするために(正当かどうかは問題になりますが)、自分の身を犠牲にする(例えば、病気になるというようなことです)ことがあるのを見ていて、いつも痛ましいと思ってきました。本書では言葉を使ってきちんと主張するためにどうすればいいかということを、若い人が自分のしていることを意識化することから始めて論じました。
(カバーから)
 若い人が自分で考え、
 自分らしく生きていくためにはどうすればいいのか?
 自分や世界について新しく学ぶための最初の一歩。

 これまでの人生はこれからの人生をどう生きるかには何ら影響を与えない。過去や他者に生きづらさの責任を求めることなく、勇気をもってこの人生を生き抜くための方法を具体的に考察する。

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2009年7月27日 (月)

好機を逸しない

add beauty to the wild flower

 朝、駅から父の家に向かって歩く時にカメラを必ず鞄から取り出していつでも撮れるようにしている。この頃は白鷺や青鷺が間近の空を滑空していることがあって、そんな時にすぐにカメラを向けられないで何度も残念な思いをしてきた。
 アカツメクサにヒメアカタテハがとまっていた。

 来月の半ばに新刊が出ます。
 『高校生のための心理学入門』(アルテ)
 高校生限定というわけではありません。思春期の子どもをお持ちの親にも読んでほしいと思って書きました。主張したいことがあっても若い人はそれを率直に表現することができず、自分だけが不利になるようなことをすることがあります。そのようなことをしばしば見聞きし、残念に思ってきました。

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2009年7月 3日 (金)

天を仰ぐ

fly to the sun ...

 今日は聖カタリナ高校で講義。残りが少なくなってきた。講義を先に進む必要もあるが、質問がたくさんあってそれに答えることを優先している。教科書があるのだから(『アドラー心理学入門』)それを読んでおいてください、と学生にはいっているが読んでくれているかどうか確かめたことはない。
 10月から姫路に教えに行くことになっているが、父のことで慌ただしくしていて講義の日程が決まっていたかわからない。確認して、それに向けて父の看護、介護計画を立てなければならない。その日、デイサービスを利用しなければ父をおいて遠方まで講義には行けない。問題は父が行くことに同意してくれるかということ。もっと介護認定の度合いが上の方も利用されているということなのだが。明らかに僕の都合のために父に無理を強いるようで悩んでしまうのだが。
 過日、講演依頼があったが、父の介護を理由に断らなければならなかった。講演開始時間を変更してまで話を聞きたいと再度の依頼があり、ありがたかった。
 写真はベニシジミ。天を仰いでいるように見えるこの蝶が好きで、何枚も撮ってきた。
 
 ティム・オブライエンの『世界のすべての七月』(村上春樹訳、文春文庫)を半分ほど読む。ベトナム戦争がアメリカに残したものが、30年ぶりに開かれた同窓会に集う男女の人生になお色濃く影を落としている。彼〔女〕らは皆幸福には見えない。しかし、そのことがすべて戦争に責めを帰することができるかというとそうはいえないだろう。
 同じオブライエンの『本当の戦争の話をしよう』(村上春樹訳、文春文庫)を前に読んだ。好戦の話も、反戦の話もないが、夢中になって読み耽った。
「結局のところ、言うまでもないことだが、本当の戦争の話というのは戦争についての話ではない」(p.140)

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2009年6月29日 (月)

止めないし

praying for rain ...

 少し雨が降り、この数日を思うとしのぎやすいが、天気予報がいうように昼から雷雨になるのかどうか。義父が昨日屋根を直しにきてくれた。びわの枝が屋根をこすり、瓦が三枚落ちてしまい、そのため雨漏りがするからである。明日から雨が降るというから、今日のうちに、と義父はいう。僕の父よりずっと年上で、父に「年に負けたらあかん」という元気な人ではあるが、炎天下、屋根に登るというので心配でならなかった。もっともこれが初めてのことではない。父が戻ってきたこの家は長く住んでいなかったが週末毎に義父母がきて風を通し、修理をし、いつでも住めるようにしてもらっていた。
 吉村昭の『死顔』が文庫になったことを知り(新潮文庫)、読んでみた。この作家については何も知らなかったのだが、去年の今頃、肺癌で亡くなった弟について書かれた『冷たい夏、熱い夏』(新潮文庫)をはじめ、何冊か読んでみた。ちょうど僕が心筋梗塞で倒れ退院してしばらくして亡くなった。病院では毎日訃報ばかり読んでいた。何歳でどんな病気でなくなったかということに関心があった。遺作となった『死顔』は、延命を拒んで亡くなった著者の死生観が如実に反映されている。
 昼食後、コーヒーを入れる。お湯を沸かしていることを知らなかった父は寝てくる、というので、残念だな、コーヒーを入れようと思ってたんだが、止めないし、といったら大きな声で笑う。

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2009年6月 7日 (日)

看病の真意

 父は今日も力なく食事をとるとすぐに寝にいってしまう。もう今日は予定はないな、とたずねるので「ない」といったが、義父と義母が訪ねてきた。直前までしんどいといっていたのに、調子いいですよ、とにこにこしていうので驚く。昼から夕方まで妻に代わってもらう。今週も書店に行って、山ほど本を買う。

 正岡子規の『仰臥漫録』(岩波文庫)を読む。これは公刊は意図されてない草紙状に綴じた大判の土佐半紙に書かれいる。結核と脊椎カリエスで仰向けにしかなれず寝返りも打てない状態で、日々の記録(三食の献立など)、随想、歌、絵などが記されている。病者としての子規の語る本音は、目下、父の介護をしている僕に向けられたものであるかのように思える。母親と妹がつきっきりで子規の介護をしていたが、律という妹に対する言葉が厳しく驚く。妹は義務的に病人を介抱するが、同情的に病人を慰めることはない。団子が食べたいといえば、同情がある者ならばすぐに買ってくるだろうが妹はそんなことはしない。同情ということを説いても、同情のない者に同情がわかるはずもない、等々。こんなことをいわれたら、かなわないと思うのだが、次の日には子規はこんなふうに書いている。
 「もし一日にても彼なくば一家の車はその運転をとめると同時に余は殆んど生きて居られざるなり 故に余は自分の病気が如何ように募るとも厭わずただ彼に病なきことを祈れり 彼あり余の病は如何ともすべし もし彼病まんか彼も余も一家もにつちもさつちも行かぬこととなるなり 故に余は常に彼に病あらんよりは余に死あらんことを望めり」(p.63)
 律がいなければ家族はほとんど生きていけない。だから自分の病気がどうなっても律が病気にならないことを祈った、という。妹がいなければ私の病気がどうなるかわからないから妹を大切にしようといっているのではない。自分の病気よりも妹の身を案じているのである。
 しかし、子規の心は揺れる。苦痛がつのると自分の思うとおりにならないので絶えずかんしゃくを起こし、人を叱る。だから、家人が怖れて近づかない、とも書いている。「一人として看病の真意を解する者なし」。病者は孤独である。介護者の立場からは反論してみたくはなる。
 「家人屋外にあるを大声にして呼べど応へず ために癇癪起こりやけ腹になりて牛乳餅菓子などを貪り腹はりて苦し」(p.76)
 家人が屋外で低い声で話す声が病牀に聞こえるのなら、病牀にて大声で呼ぶ声が聞こえぬはずはない、と子規はいうのだが、「やけ腹」になる子規に思わず笑ってしまいそうではあるが、病者としての経験からいうと、理不尽にも聞こえるけれども、不断に痛みに苦しんだ子規の気持ちもわからないわけではない。病気なのだから、仕事のことも何もかもわすれてゆっくり休んだらいいと健康者はいうけれど、苦痛や不安の中にあってはゆっくりもしていられない。

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2009年6月 3日 (水)

忽ち暖かい風が

 右目がひどく充血している。ワーファリンという血管内で血液が固まることを防ぐ薬を服用していることが関係があるのかわからないのだが、二日経っても治る気配がない。仕事を父のところから持ち帰るのだが、夕食がすむと思うように進まない。
 夏目漱石のエッセイを最近読んでいる。修善寺の大患の後に書かれた『思い出す事など』を読む。自分自身の病気の体験を重ねると、病気の前に読んだ時よりも漱石の心持ちがわかるように思う。ことに漱石が吐血した後経験した(それを経験といっていいのか疑問だといっているが)「死」についての記述はよくわかる。胸が苦しくなって枕の上の頭を右に傾けようとした次の瞬間、赤い血を金盥の底に見た。この間の三十分の死は「時間から云っても、空間から云っても経験の記憶として全く余にとって存在しなかった」。
 病気の人のことを知って多くの人が見舞いにやってきた。漱石はいう。
 「世の人は皆自分より親切なものだと思った。住み悪いとのみ観じた世界に忽ち暖かな風が吹いた」
 「余は病に生き還ると共に、心に生き還った。余は病に謝した。又余のためにこれ程の手間と時間と親切とを惜しまざる人々に謝した。そうして願わくば善良な人間になりたいと考えた。そうしてこの幸福な考えをわれに打ち壊す者を、永久の敵とすべく心に誓った」
 同じ思いである。
 堀江敏幸の『本の音』(晶文社)で、『フランス名詩選』(岩波文庫)のことを知って手に入れた。14世紀から20世紀半ばまで60人の詩人の詩が収めてある。しかも、知らなかったのだが、対訳になっていて原文も読める。自分の力を棚に上げて、詩を翻訳で読んでもね、と思い込んでいたのである。アンソロジーなのできままに本を開けて、気に入った詩句を読める。ちょっとした生きる喜び。

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2009年6月 1日 (月)

どんなご縁で

evening poppy field

 朝行くと、父はよく眠れた、と満ち足りて表情でいうので安堵。昨日は朝起きたようで、カーテンが開けてあったり、洗濯物がたたんであった。もっともシャツを二枚たたんだところで、息切れがひどくなったのだろう、後はそのままにして寝てしまったようだ。
 耕治人の『一条の光/天井から降る哀しい音』(講談社文芸文庫)を読む。50年連れ添った妻が認知症になる。失禁した妻の身体を拭く夫を見て妻は呟く。
 「どんなご縁で、あなたにこんなことを」(「どんなご縁で」)
 夜中の三時に妻がご飯の支度ができた、と夫を起こす。テーブルには中味のない皿が一杯あらんでいる。火の不始末で火事を出しそうになったことがあったので火をおこすのは夫の役目になっているのに見れば焜炉の口が真っ赤になっていた。夫は、いきなり妻を殴る。
 「あたし親からも殴れたことはないわ」
妻は顔色を変え、震える声でいう。原稿のために夜更かしをするのを知っていた妻が自分を慰めるためにご馳走をこしらえたに違いないことに思い立った夫は、妻の前に跪きたくなった(「天井から降る哀しい音」)。
 父のことを思い、身につまされる。
 帰り、いつもより早く父に解放してもらった。夕日に照らされたポピーが輝いていた。

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2009年5月26日 (火)

すべてを失うこと

whatever happens ...

 肌寒い日になった。寒暖計の表示する温度は目安になるけれども、体感温度と常に一致するわけではない。昼間も毛布を足に巻いている父は部屋にかけてある寒暖計を見ては驚いている。不順な気候は父だけではなく、僕にも応える。
 父は食事以外は寝てばかりいた。寒いというので、エアコンを入れるから、といっても、もうすぐ看護師さんがこられるからといっても、父が寝に行くのを止めることはできない。3月に退院した頃の状態まで戻ってしまったように見える。
 そうかと思うと、昼過ぎに突如、「ちょっと5分ほど近所を歩いてくる」というので驚く。少し歩くだけで息切れがすることを忘れてしまったようだった。車椅子で外に行ってみようか、というと「それならいい」という。それでも少し歩くことにした。玄関に着くまでに(大きな家だから…)早くも歩くといったことを後悔しているようだった。すぐに帰るといいだす。いやがられても父の安全を最優先し見張ろうと思う。とはいっても基本的に独居なので自ずと限界があるのだが。

 皇帝ハドリアヌス帝に愛されたアンティノウスは、自分が皇帝にあまり愛されていないことを知っていた。彼は皇帝のために自らを犠牲にした。ハドリアヌス帝はこういう。
 「すべてを失うことを不安に思った少年は、永遠にわたしを彼にむすびつけるこの手段を見つけたのだ。もし彼がこの犠牲によってわたしを守ろうと望んだのならば、最高の不幸は彼を失うことだということを感じなかったわけだから、彼は自分があまり愛されていないと信じていたに違いない」(マルグリット・ユルスナール『ハドリアヌス帝の回想』白水社、p.216)
 精緻な心理描写は、この作品が歴史小説と呼ばれることを拒む(cf. Susan Sontag, At the Same Time, Penguine Books, p.55)。

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2009年5月10日 (日)

本が集まってくる

 朝行くと父はしんどいから起きたくないというので驚く。よく眠れなかったのだろう、夜中に長く起きていた形跡があった。
 昼前に妻の両親が来訪。いずれも八十歳を三人の人生の先輩を一人で迎えるのは容易ではない。
 明日は僕の受診日。父を一人にして行くことが心配でならないが、行かないわけに行かない。この頃は父に病院に行くといっても、なぜ行くのかたずねてくれない。

 息抜きはどんなふうにしているか、とたずねる人があって考えてみたが、病気をしてからは写真を撮ることが息抜きといえるが、やはり本を読むことかもしれないと思った。もちろん、仕事関係の本ではなく、可能な限り、仕事から遠いところにある本を読むのが息抜きになる。
 この頃は昼間家にいないので、土曜か、日曜でないとamazonで本を注文しても受け取れないので、Marguerite YourcenarのSouvenirs pieux(『恭しき記憶』)を今日届くように手配していたところ、8時頃になってようやく届いた時は嬉しかった。妻がその様子を見て、それは仕事か、趣味かとたずねるので、仕事ではないとは思ったのだが、そうともいいきれない予感がないわけではない。これは、ユルスナールの自伝である。
 去年の秋、朝、大学に出講する時に京都駅構内にある書店で堀江敏幸の本を何の予備知識を持たずに手に入れた。その後、この作家の書いたものを立て続けに15冊読んだ。堀江が卒業論文にユルスナールを扱ったことを知った時はまだすぐには須賀敦子の『ユルスナールの靴』と結びつかなかったのだが、堀江の「書かれる手—マルグリット・ユルスナール論」と「幻視された横道—須賀敦子論『ユルスナールの靴』をめぐって」(いずれも『書かれる手』平凡社所収)を読み始め、須賀敦子も通り越して、とうとうユルスナールにまで到達してしまった。
 もう一つのきっかけは、父が入院していた時に手に入れた雑誌『考える人』(新潮社)をまだあまり読んでなかったのだが(特集、書かれなかった須賀敦子の本)、何気なくページをめくったら、堀江敏幸が寄稿しているのを見つけたことである(「空飛ぶスコットランド男」)。この雑誌を買った頃はまだ堀江の作品を集中的に読んでいなかったので知らなかった。僕としてはあまり強い印象が残っていなかった須賀敦子の『ユルスナールの靴』を再読し、ユルスナールの『ハドリアヌス帝の回想』(白水社)を読み始めたら、ユルスナールの自伝を読みたくなったのである。こんなふうに読む本が次々と集まってくるという感覚が好きだ。

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2009年4月20日 (月)

自分自身の死に方で死ぬ

orange gem ...

 月曜と木曜は訪問看護の日だが、今日、初めてこられた看護師さんとふと病気になって三年という話をした。後で思い返したら、どうやら父が心筋梗塞で入院したと解されたようだ。「それで今も循環器内科の診察を?」「はい」この後、この看護師さんは父の記録とその中にあった血液のデータを見直されていたからである。年齢的にいえば、誤解されてもしかたがないとは思った。もしも三年前に死んでいたら、父はどうなっていたのだろう、と思うことがある。僕が介護できてよかった、というべきなのだろう。
 家の前にある建物の内装工事に犬を連れてくる人があるようで、昼間ずっと鳴いていてかなわない。父は自分からは僕に話しかけることはほとんどないが、犬の鳴き声は気になるようだ。「さっきから犬の鳴き声がするのだが、お前も聞こえるか」とたずねる。
 人は生きてきたように死ぬ…『死の海を泳いで スーザン・ソンタグ最期の日々』(デイヴィッド・リーフ、岩波書店)を読む。強い生への意志。二度の癌を克服したソンタグ。しかし、ソンタグはいう。「今回だけは自分が特別だとは感じられない」。
 ソンタグ自身の闘病の様子もさることながら、息子のリーフがもらす罪悪感についての記述は、四十九歳で逝った母を看取った時のことを思い出させ、読後打ちのめされたような気持ちになった。
 リーフはいう。
 「理にかなった考え方をすれば、死んだ人に対してやってやれなかったことに罪の意識を抱くことは避けられない感情である」(p.93)
 その感情なしに生きていくには、「その人の望むことすべてに文字通り従うしかないだろう」(p.93)。たしかにそうかもしれない。そうすれば、私は本人の意向とは違って、こうすべきだと思っていたということも可能だろう。
 母が脳梗塞で倒れた時には、父と二人で最初救急車で入院した病院から、別の病院に移ることを決めた。その時は母の意識はしっかりしていたのだから、なぜその時、母の考えを聞かなかったのか、と今も思う。転院後は急激に悪化し、結局、最期の二ヶ月意識が戻ることはなかった。その間に医師から提案された手術を受けるか受けないかという決断は、もはや母に相談するわけにはいかなかった。本人の考えを聞かなかったら、どんなことでも、その決断の責任がふりかかってくるのである。
 「母には、自分自身の死に方で死ぬ権利があったのである」(p.96)。
 自分で選べたのであれば…今、父の近くにいて、同じ思いである。すべてのことを父に代わって判断しなければならない。最善の判断ができるという自信はない。

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