バイパス手術退院後の日々

 2007年の6月に冠動脈バイパス手術を受けました。その時のことはバイパス手術生還記という題で登録してあります。コンピュータのハードディスクにあるファイルを別の用事で探していたら、退院後二ヶ月のことを書いた日記を見つけました。術後11日目、5月25日に退院しました。今読み返してみると、ゆっくり養生するというより、一日も早く復帰したいとあせっているのがよくわかる。
 今に至るまで幸い大きな問題なく過ごせています。心筋梗塞後、冠動脈になお治療できない狭窄箇所を残し、手術が必要であるといわれていた頃の方が精神的には不安定だったように思います。心筋梗塞もバイパス手術も個人差が大きいので、僕のケースは典型ではありえませんが、参考になれば、と思って載せます。

2007年5月26日土曜日
 どうしてしまったのだろう、帰ってから眠れない。横になったら少しうとうとするが、すぐに目が覚めてしまう。昨夜はほとんど一睡もしていない。不眠は今に始まったことではなく、入院中からのことだが、3時間は続けて寝たいものだ。手術の傷の痛みも不眠を促しているだろう。
 昨日から病院にいるときとは比べものにならないほど長距離を歩くようになった。そのこともあって、左足が腫れ上がっている。足の静脈を二本バイパス血管にあてたので(後の一本は内胸動脈)歩く時、血が下がっても、戻る血管がなくなってしまったからである。来週、講義に行く時に、靴が履けなかったらどうしようと思ってしまう。
 ともあれ、遅くまで起きていても、看護師さんを気にすることもなく、安楽に過ごせてはいる。月曜から、昼間一人になった時、どうなるかは気がかりである。

2007年5月27日日曜日
 昨日は眠れないと書いたが、さすがに昨夜はわりあい早い時間に寝て、朝、9時頃まで寝てしまった。横になっていても、まだ痛みがあるので安楽ではないが、痛みよりも睡眠の方が勝つこともあるわけである。ようやく少し力が抜けてきた気がする。明日から昼間は一人で過ごすことになる。去年の心筋梗塞後のことを思い出す。決して、鍵をかけない、というようなことをしていたのである(何かあった時に、救急隊員が部屋に入ってこられない)。
 外に歩けにいけるのはいいのだが、昨日来の黄砂が関係があるのか、左目が腫れてしまって辛い。注意していたつもりだが、不覚だった。免疫力が低下しているのだろう。
 昨日よりも楽に、長い時間歩けるようになった。ただ今日は階段にはチャレンジしなかった。昨日、駅前通りの一筋南側の通りを図書館の方に向けて歩いたら上り坂がきつく、途中三回くらい、引き返そうと思った。あの坂は健康な人でも自転車で登り切るのは困難であると思うのだが、それと同じことが徒歩の僕にも起こっているわけである。
 バストバンドをランニングのシャツの上に着けていたのだが、これから外に出かける機会が増えたときに、これはあまり快適ではないかもしれない。まったくの素肌につけるわけではないが、一部が皮膚に触れ、気持ち悪い。それにずれたり、緩んだりしても、服の下のバンドを外で何とかしようと思ってもできない。人の目を気にしなければ、病院でそうしていたように、一番外側につけるのがいいようだ。
 中島先生に会えずに退院したことを残念に思っている。学会出張で不在だったのだが、もしそうでなくても会えたかどうかはわからない。病棟では誰もが忙しくしているから、病院を後にする際、ナースステーションに声をかけても、振り向いてはもらえても、それ以上のことは何もない。しかし、きっとそんなふうでなければ病院に心を残してしまうようにも思う。
 早く、復帰しなければ。

2007年5月28日月曜日
 今日から昼間一人で過ごす。散歩にも一人で出かけることになる。去年(注:2006年4月に心筋梗塞で入院した)は怖いもの知らずという感じだったが、今年はいろいろなことを知ってしまったので、手術そのものが成功したことはたしかだが、まだ身体が十分回復しておらず、元の自分の身体とは違った反応することがあると不安になってしまう。
 朝、眼科へ。バストバンドを服の上から着けていったこともあって、医師は僕の手術に関心を示し、診察の三分の一は手術のことだったのではないかと思うほどである。「バイパス手術にくらべたら、こんなのはなんということはないので」といわれるが、目の治療と心臓の手術は比べることはできないだろう。まぶたが腫れ上がっているので、外に出ようと思わなくなったとしたら、目の方が冠状動脈よりも患者にとって重要性は優っているといえないこともない。
 昼から、散歩へ。まだ思うように歩けないが、距離はかなり増した。大本の境内に西から入り、春日坂に出て、坂を下り、南郷の池の横を通って帰るというコース。前のようにまだ早く歩けない。つらくならないように慎重に足を運んでいる。夢の中で思慮なく早足で歩いてしまって苦しくなる。夢の中でもちろん苦しくなるはずもないが、こんな夢を見ている時は、心拍数も実際に増しているのかもしれない。
 体重は、入院前より増えた。運動量が少ないから仕方ないともいえる。問題は体脂肪率。8.5などうそみたいな数字である。
 夜、新聞の集金。家にいて困るのは、電話と集金。すぐに動けないことがある。起き上がる時など気をつけないと、ふと手術後であることを忘れてしまうことがある。胸はまだ痛い。咳をすると響く。手術の話になり(バストバンドを見れば誰もが不思議に思う)、バイパス手術であることを知った集金にこられた人が(毎月、もう何年も顔を合わせている)同じ街の人で、大腸ガンの手術を受けたばかりだが、心臓の方もステント治療ができず、バイパス手術をするしかない、ところが大学病院は引き受けてくれないというのである。

2007年5月29日火曜日
 退院して帰った最初の番は一睡もできなくて困ったが、その後少しずつ緊張が解けたのか眠れるようになった。痛みが軽減したからかもしれない。ひどい疲れを何とか癒したい。電話でもあれば起きられたのだろうが、今日は昼間昏々と眠ってしまった。病院の夢をよく見る。
 術前は心臓関係はバイアスピリンだけだったのに、種類も量も増えてしまった。心臓血管外科からはなれて岡田先生に変わった時に減っていくようであればいいのだが。今回、ワーファリンという血液を固まりにくくし、血栓を防ぐ薬が処方されたが、それに伴って、食事の制限が課せられる。ビタミンKがこの薬の効き目を無効にするので、代表的なものとしては納豆が食べられない。納豆を食べられないからといってひどく困るというわけではないのだが。
 歩く距離が増すにつれ、左足の腫れがひどい。金曜日には踏み靴はおろか、靴を履くことを断念しないといけないかもしれない。
 講義だが、さて一体どこまで教えたのか思い出さないといけない。他のことでも、手術前と後では記憶が途切れているような気がしてならない。何度か書いたが、中学生の時に、交通事故にあって、バイクが自転車に乗っていた僕の方につっこんできたところで記憶が途切れている。次に気がついた時には、病院の処置室で、看護師さんたちの手を払いのけようとしていた。ふいに気がつき、置かれている状況がわかってからはおとなしくしたのだが。記憶そのものがなくなっているわけではないが、取り戻すために何かが必要という感じである。多くのことがまだ復旧できていない。今回の手術とは比べられないだろうが、あの時も学校の授業に遅れるのが嫌で骨折したので、長くギブスをはめて通学したが、10日で退院したのだった。一週間ほどしてようやく離床したが(今回は術後3日目に歩いた)、身体がふらついてうまく歩けなかったことを覚えている。それを思うと、今回の離床がどれほど早かったかわかる。
 デジタルカメラのバッテリーを忘れるというミスをした。これが二度目。出かける前に充電していて、それをセットしてから出かけようと思っていたのに、ふいにどこかで違うことを考えてしまったのだろう。退院した日に市役所に行ったが、その時提出する必要のあった証明写真を帰る途中で撮影した。必要な書類をそろえて、いざ役所で机の上に出した途端、写真を持ってこなかったことに気がついた。これを含めたら三度目のミスである。こんな単純なことならわかるが、もっと高度の精神機能に衰えがないよう祈るばかりである。
 一度、引き返して、元の写真を撮りたいと思った場所に戻り、その後、書店まで歩く。

2007年5月30日水曜日
 目の腫れはほぼ引いたのだが、まわりの皮膚が醜くて、こんな顔で金曜にカタリナ高校に講義に行くのか、いやだなあなどと考えていたが、思えば、ついこの間命がけの手術を受けたのにおかしな話ではある。挿管した時に歯が折れていたら、今頃どうしていただろう。しかし、これとて命とは比ぶべくもない。多少外観に問題があるが(この手術痕は外からは見えない)、チューンアップを終え、一月のブランクを経て講義に行くわけである。駅まで歩くのも駅の階段もたぶん問題はないだろう。構内の階段も二階だから大丈夫。後は、一時間半、講義をする間、立ち続けられるかである。
 今日は体調はよく、長い時間歩けたのに、帰り、喘息のような咳が出始めて止まらず苦しかった。もちろん、咳のたびに胸が響く。手術と薬物による侵襲の影響はかなり大きいように思う。毎食後、うんざりするほど多くの薬を飲まなければならない。
 まだ病院にいる夢を見る。

2007年5月31日木曜日
 日に日によくなっていく実感はあるが、疲れているのか、眠っている時間が長い。痛みや息苦しさ(バンドで締め上げていることによる)で目が覚めることはなくなった。今朝は娘が学校に行ったのを知らなかった。起きたら7時前だった。
 相変わらず脈拍が早い。今、測ったら100もあった。まだ貧血(手術時に輸血をしなかったことによる)が改善されていないのかもしれない。血圧は70-100、安定してきた。朝はもっと低く。上が100を切るのだが。
 さて明日は聖カタリナ高校に出講。背広を着るのか着ないのか。靴が履けるのか履けないのか(その後、試していない。腫れはひどい。時に歩くのに難儀する)。バストバンドはどうするのか(バスバンドをするのは動かせないが、どんなふうに)。朝早く起きて考えよう。鞄を持てるのかも考えないといけない。講義ノートは使わないので、手ぶらでもいいわけだが。
 復帰といっても、今月、この高校で7回講義をするだけだから、なんということはない。外での仕事はまだまだ無理なので、原稿書きに専念しようと思う。長くすわっていられるようになった。
 まだできないこと。即時の動き全般。急に動くと心拍数が一気に増す。かがむのがだめ。起き上がるときも横になるときも、骨をかばってゆっくりとしか動けない。

2007年6月1日金曜日
 聖カタリナ高校へは無事出講。靴は何とか履けた。バストバンドはアンダーシャツの上に装着し、外からは見えないようにしたが、暑くてかなわず調整もできないので、次回からはシャツの上につけ、その上からネクタイをすることにしよう。電車はそれほど満員ではなかったが、押されたりしないように気をつけなければならない。駅の階段は(何度も書くが、エレベータもエスカレータもない駅など考えられない)ゆっくり上れば大丈夫だった。登り切ったところで立ち止まって、よいしょという感じなのだが。
 講義は90分。しばらくブランクがあったので、質問紙は少なかったが、講義に活かすことができた。大きな二つのテーマについて話したので、学生にしてみれば、情報過多だったかもしれない。次回(月曜)以降の質疑応答の中で補っていくことにする。
 帰りに眼科による。本当は昨日行こうと思っていたのだが、休診日だった。目の方はよくなったのに、ヘルペスにかかってしまった。軟膏が処方されしばらく様子を見ることになる。飲み薬も当然あるのだが、心臓関係の薬とのバッティングを恐れているのだろう。内科の先生に診察を受けることも必要かもしれないといわれる(この薬のバッティングはなかなかめんどうである。前にも書いたが、納豆がだめだったり、健康食品、ドリンクの類もだめなことがある)。このヘルペス、目下痛みはないが、軟膏を塗ると、ひりひりして不快である。やはり大手術の後、身体の免疫力が相当落ちているということだろうか。かてて加えて、眼科で処方された副腎皮質ホルモン(リンデロン)を使ったこと、二週間ぶりに外に出て強い紫外線を浴びたことも関係があるのだろう。

2007年6月3日日曜日
 今日は家族が一緒だったので、楽をしてしまった。朝もゆっくり寝て、食事の用意も、洗濯も何もしなかった。
 心臓の方は調子がいい。脈拍数も安静時、80少しという数字が出るようになった。まだまだ速いのだが。ヘルペスが憂鬱。またこれで月曜にカタリナに行くのかと思うと余計にそう思う。ドレーンを抜いた後の傷口が少し具合が悪い。なかなか思うようにはならないものだ。

2007年6月3日日曜日
 今日は思いがけず遠出することになった。というのも、昨日書いたように、ドレーンを抜いた後の傷口の一つがよくなくて化膿しているように見え、ヘルペスになるほど免疫力が低下している今、感染でもしようものなら(また入院ということになったら)大変なので、病院に電話をして次回の診察日(8日)を待たず至急受診した方がいいか相談するべくナースステーションに電話をかけてみた。僕は丁寧に、「次回の診察日は決まっているのですが、それに先だって今の病状について相談したいと思って電話をしました」といったら「今ですかあ」と返事。今、相談するのでなくていつ相談するのだ。「医師ではなくて、看護師が答えるんですか」。そんなことは僕はわからない。もしも看護師では答えられないとあなたが判断するなら、医師に繋いでくれたらいいのではないか、といらいらしてしまった。結局、N看護師が電話に出てくださって、今日、井上先生が救急外来に入っているので、連絡を入れてもらい、すぐに病院に行くことになったのである。僕が恐れていたように化膿してはおらず、心配はないが、念のために抗生物質の軟膏を処方してもらった。救急外来にくるほどではないと思われるのではとも恐れたが、明日から三日間、妻が学校の出張で不在なので、この間に何かがあっては困ると思っていたので安堵した。もう買いものも食事も問題なく作れるだろう。
 久しぶりに井上先生に会う。ヘルペスでひどい顔をしているので驚かれた。手術後にヘルペスになる人はあるということだ。診察後、バストバンドをつけるのに手間取っていたら、先生がつけてくださる。この先生は優しい人かもしれないと思った。実際、バストバンドの締め方があまりに緩くて、思わずそんなんでいいのですかといおうと思ったほどだった。看護師さんたちはうんと締め上げたものだが。こんなに緩くていいのならどんなにいつも楽でいられるだろう。

2007年6月4日月曜日
 今日は聖カタリナ高校で講義。昼からの講義だった。帰ってバストバンドを外したら汗でぐっしょりと濡れてしまっていた。
 ヘルペスはよくならない。誰にも会わず、岡田先生がいわれるように「執筆に専念」する生活が送れたら気にならないのだが、高校生の前で話をするとなると気にななってしまう。もう今日は術後の免疫力低下のためヘルペスになったと講義の最初にいったら気が楽になった。
 夕方、近所の内科を受診。循環器科も標榜してあったが、専門は呼吸器のようだ。よく勉強されている、まじめな医師だったが、また行こうとは思わない。今更という気もしないわけではないが、早く直したいので、バルトレックスを5日分処方してもらった。恐ろしく高価な薬で、あっという間に財布の中のお札が消えてしまった。先生が体力をつけなさい、といわれる。どうしたら体力がつくのですか。「毎日、一時間でも二時間でも早く寝なさい」。
 娘と夕食。作ったのは僕だが(カレースープとサラダ、まだこれくらいしかできない、でも買い物にも行けた)、食器は娘が洗ってくれた。

2007年6月5日火曜日
 後で食器を洗うといっていた娘が疲れたのか寝入ってしまったので、さてどうしたものか、と思っているところ。もちろん、結論は一つしかないのだが。手術前は平気でこなしていたのに、今はまだそんなわけにいかなくて悔しい。一つ一つの所作の際、身体、ことにワイヤーで固定してある胸骨をかばわないわけにいかない。冠動脈造影検査の際に撮影された写真を岡田先生に見せてもらったら、ワイヤーが写っていた。それを見たからというわけではないが、胸に鎧のような厚い金属の板が入っているような気がする。
 まだまだ足というか身体が重い。じっとしている分にはわからないのだが。階段も苦しい。上り終えたところで、心拍数が急増するのがわかる。少し休むと元に戻るのだが。
 娘が早く寝てしまったらもう誰とも話せない。仕事しよう。

2007年6月6日水曜日
 一本雑誌原稿の締切が今日であるとわかり(9日だと思いこんでいた)急遽、取りかかる。原稿用紙三枚分なのですぐに書き上げて送ることができた。
 今夜は娘の友人のご両親が経営するイタリアレストランに行った。
 このレストランの主人が、最近まで狭心症で入院されていて、一時は廃業という話も出ていた。ステント治療を受けたことなどを、初めて自分の病気のことを理解できる人に出会えたかのように話し出された。もちろん、僕がバイパス手術を受けたばかりであることに驚かれた。バイパス手術を受けた方がいいといわれているそうである。手術後間もないのに僕が元気にしているのを見て、心を動かされたようだ。

2007年6月8日金曜日
 午前中、カタリナ高校で講義。すぐに一度帰って着替えて第一日赤へ向かう。レントゲン、心電図、採血後、井上先生の診察を受けた。コレステロール値は正常。貧血は改善(鉄剤の服用中止)、ワーファリンは一日2錠だったが、1.5錠に(やがて飲む必要はなくなるだろうとのこと)、肝臓の数値が軒並み高い。胸水がたまっている(自然に吸収されることをねらう。明日から、利尿剤服用、咳がひどいのは、胸水によるようだ)。診察後、3A棟に行く。U看護師と話す。元気そう、と喜んでもらえた。
 夜は、朱雀乳児保育所で講演。術後なのに元気に見える、と驚かれる。

2007年6月9日土曜日
 今日は咳が出なくてありがたい。脈拍が術後安静時もずっと90を超えていたが、今日初めて70代前半まで減った。前は早鐘を打っているようで、心臓に負担がかかっているのがよくわかったが、今日は楽である。術前は50〜60だった。まだ階段がよくない。
 むくれている足に高橋先生の勧めで血管をとったところにサポーターを巻いてみた。甲のところがいよいいよ腫れ上がるが、ずいぶんと楽である。
 去年、心筋梗塞で入院し、退院した直後にどんな具合だったか思い出せない。最初から楽に歩けたとは思わないし、階段も大変だったはずなのだが。
 宮沢和史が僕には歌がある、君には何があるか、とコンサートで問うていた。僕にはもちろん言葉がある。言葉しかない。

2007年6月11日月曜日
 また今朝から静かな時間を過ごしている。朝、なかなか起きられず、7時前にようやく起き上がって、食事。すぐに娘は学校へ行った。一週間後には娘はシンガポールへ行ってしまう。その準備のために、このところテンションが高い。
 今日は暑くなるということなので、早めに(といっても9時になってしまったが)外に歩きに出かけた。きれいに花の手入れをしている家があって、そこに咲いている花の写真を撮っていたら、声をかけられた。「お近くですか」「はい、そこのマンションです」「では、分けてあげるから、待って。すぐに根付くから」そういうわけで水の入ったナイロン袋を丁寧に持って、帰ってきた。
 この頃、知らない人から話しかけられることが多い。

2007年6月13日水曜日
 近所の小さな女の子たちの歓声が聞こえていたが、やがてその声も聞こえなくなり、気がつくと7時を回っていた。朝、必要な本があって(退院したら買おうと思っていた本である)今日こそは買いに行こうと思いながら、何日も経ってしまった。まだ病院より遠くには行けない。金曜日に岡田先生の診察があるのでその時でもいいわけだが。
2007年6月14日木曜日
 朝、南丹病院へ。激動の一月のあとが(手術を受けたのは先月の14日)、身体にしっかりと残されている。心臓そのものはよくなってきている。階段があっても、あまり苦にはならなくなった。よし、行くぞ、という感じで、一気に上っている。
 体力の回復とともに、気力も戻ってきた。まだ疲れやすいのが問題だが、このところ学生の頃のように、勉強している。

2007年6月15日金曜日
 今日は岡田先生の診察。一応、予約制なのだが、長く待たなければならなかった。待っている間、本を読み進めることができた。薬は目下井上先生が処方していて、実のところ今日は先生に診てもらうことはないといっていいくらいだったのだが、会って話をすると安心感がある。「やはり手術のタイミングだったのでしょうねえ」と何度もつぶやかれる
 第一日赤までは、JRの東福寺の駅から緩やかではあるが、ずっと上り坂である。今日で退院後三回目だったのだが、楽に病院まで歩くことができた。そもそも、この東福寺の駅というのがエレベータがなく、階段がむやみに多い駅なのであるが、平気だった。
 自分では今日はこれだけのことなので帰って仕事の続きをしようと思ったのに、疲れてしまって夕方寝てしまった。ふがいない。
 待合室で、明日の研究会で読むヴァイツゼッカーのテキストを開く。

2007年6月17日日曜日
 遅くまで原稿を書いていた。二日ほど涼しい日が続きよくなっていたのに、昨日のような暑い日に外に出て長い時間バストバンドで胸を締め上げていたら、縫合した近辺の皮膚がまたひどいことになってしまった。これからの夏の暑さが思いやられる。

2007年6月19日火曜日
 あまり身体がすっきりしないのだが、頭がぼんやりして何も考えられないというふうには最近は滅多になく嬉しい。ただずっと何かしらを考えているので、眠りが浅い時はあるが、これはしかたない。夜中、考え事をし、しかも何か思いつくことがあるのでそれを忘れないうちにメモしたものか迷っているうちに朝になったりする。大抵忘れてしまう。朝になっても覚えていないような発想はたいしたことがないと思ってみても、惜しくて仕方がないのだが。

2007年6月21日木曜日
 遅くまで起きて原稿を書いたり、考え事をしていたからか、今日は夕方疲れて寝入ってしまった。目が覚めたらまだ日が高くてよかった。先月休ませてもらった分、今月は週に二度講義をしてきたが明日講義をしたら、後は週に一回なので何とか切り抜けられるだろう。7月の半ばで終わる。
 講義に行っている高校の校長が先月心筋梗塞で倒れられたという話を聞いた。看護専攻科の研修の時も同行し、その時、既に不調だったという。心筋梗塞の予兆を見抜くのは難しいということだろう。
 バストバンドを一日外していたら、汗をかかなかったからか、手術の傷口のまわりの皮膚の痒みは消えた。明日、出講すれば、また元に戻るのだろうか。

2007年6月23日土曜日
 今日は聖カタリナ高校で講義。一限の講義だったので昼前には帰ってこられ、途中で、市役所の障害福祉課に行ったけれども、それから今まで原稿を書き続けた。明日、今日書いたところを読み返さないといけない。もう今日は考えられない気もするが、意外にまだ書けたりする。たしかに駅の階段を上るよりはハードである。

2007年6月24日日曜日
 今日は強い雨が降っていてあまり歩けていない。午前中、眠くて仕方がないので、コンピュータを持って近くの喫茶店まで行って原稿を書く。もう長く、非常勤の仕事の他は一定の時間に家を出るという生活をしてこなかったからか、昼夜に関わりなく調子が出てきたらいつまでも仕事をする代わりに、生活が不規則になってしまった。

2007年6月26日火曜日
 このところの天候不順はこたえる。疲れたら休むことにしているが、横になって寝てしまうとなかなか起き上がれない。体調のいい時を見計らって仕事。
 入院する前になぜあんなに手術を受けることを恐れていたのだろう、と夜、考えていた。入院した日に手術室の山口看護師による術前訪問について書いたが、その日の日記には、読み返すと「手術を前にした心境を僕は話すことになった。正直、怖い、と。大丈夫、私がいますから、頑張りましょう、と泣きそうな顔をされる」としか書いていないのだが、もう少し詳しく書くと、僕は「こんなことを一体誰に話していいのかわからないのです」と前置きをし、信頼できる医師に手術を受けるということがわかっていても、万が一のことを考えて不安になるという話をしたのだった。こんなふうに患者がいう時に、ためらわず「大丈夫」といえるような人になりたいと思った。
 今朝も朝から眠くて、コンピュータを持って近くの喫茶店でさっきから原稿を書いていた。少し話をするようになった店の人が体調はどうかたずねてくださる。

2007年6月29日金曜日
 今日は聖カタリナ高校で講義をしてきた。残り少なくなり、本当に残念である。前回、質問紙が缶の中に入ってなくて、めいっぱい講義をしたからか、今日はたくさん質問があった。講義直前に飛び込みで質問紙を入れにきた学生もあって嬉しかった。僕自身は患者として、あるいは、患者の家族としてしか看護師を見たことはないが、この仕事がおそらくは学生が思っているよりもはるかに重要な仕事であるということを伝えたいと考えている。どんな仕事も見た目とは違って大変なことがあるのはもちろんよく知っているつもりだが。今も母が入院していた病院で看護師さんたちと交わした言葉をよく覚えている。ひどい人もいたが、よくしてくださった人のほうがはるかに多かった。
 講義はまだ疲れる。すわって講義をした方がいいだろうか、と思ったりしなくなったので、よくなってきたのはわかるのだが、帰ってからの疲れが甚だしい。一日の仕事が講義だけならいいがこんなことではいけない。目が覚めたら既にあたりは暗く、洗濯物を取り込んでないことに気づいて急いでベランダに出たら、雨が降ったあとがあった。
 胸に鎧を着けているような感覚は左胸に限られるようになった。まだ水がたまっているのだろうか。来週、井上先生の診察があり、その時、レントゲンを撮ることになっている。

2007年6月30日土曜日
 今日は久しぶりの読書会。前回は4月の初めだった。5月はできるだろうと思っていたら(13日予定)、思いがけず早く手術(14日)が決まって開けなかった。

2007年7月5日木曜日
 今日は第一日赤へ。1時半だと思っていたら、1時に予約を入れてもらっていることに気がついて少しあわててしまった。結局、診察は一時間遅れだったのでよかったのだが。採血とレントゲン。肝機能は改善に向かっている(まだ軒並みhigh)。胸水はほぼ引いたが、手術後間もないのでなおしばらく利尿剤は服用することになった。胸の違和感は手術の際に神経も切れたことによるもので、長年の間に改善することもあるというようなことだった。しかし二本ある内胸動脈の一本をバイパスのための血管に使ってしまい、そのため胸板に行く血流が減ったのが原因ではないかとも考える。左の胸にだけ違和感があるのはこれで説明がつくと思うのだが。ともあれ、傷が引きつっているのでも、胸水のためでもないことがわかったのはよかった。バストバンドは三ヶ月着用することといわれた。後、40日。そして、今日で心臓血管外科は卒業。井上先生から離れて、次回から循環器科の岡田先生のところに戻ることになった。「また何年かしたら冠動脈造影をすることになるでしょう」と井上先生はいわれるが、そんな先のことでいいとしたら本当に嬉しい。井上先生は忘れずに本はどうなっているかたずねられる。先生の診察が終わったと思うと寂しい気がする。
 受診後、入院していた病棟のナースステーションに行く。植出さんはおられず残念。

2007年7月6日金曜日
 今日は聖カタリナ高校で講義。昨日、大仕事(受診)をすませたので、もちろん忘れたわけではないのだが、なんかほっとして、そうだった明日、講義だ、と思ったのは本当である。後、二回しか講義がない。留年している学生たちが熱心に話を聞いてくれている。
 講義後、控室に初めて見かける先生がすわってられる。すぐに僕のバストバンドに目をつけられたところを見ると、この人は看護師だろうと思ったらそうだった。看護学概論を教えている先生で、僕がバイパス手術を受けたというとすぐにどちらの病院で受けたかとたずねられるので、京都第一日赤といったところ、そこで長年働いていたということなどを話し出された。
 また岡田先生のところに戻ることを考えていたからか(次は27日に診察)先生の夢を見た。自分で作り上げているイメージに過ぎないのに、夢で誰と話していたかはっきりわかるというのも考えたら不思議ではある。

2007年7月9日月曜日
 昨日から少し呼吸の具合がおかしい。大事に至らないのはわかるのだが、ちょっとしたことが気にかかってしまう。夜、遅くまで仕事。娘は試験中で5時半にもう出かける準備をしていて、物音で目が覚める。もっとも音で目が覚めたというより、考え事ばかりしていたのでよく眠れなかったのだろうが。途中で眠ったら考えていたことが雲散霧消するようで寝るのが惜しくなることがある。退院してからすることがたくさんあるのはありがたい。

2007年7月10日火曜日
 足の腫れが痛くてかなわない。手術後の身体の状態は刻々と変わっていっている。昨日と今日では違う。

2007年7月16日月曜日
 気持ちに余裕なく、約束を破らないように気をつけているが、今日が何日かということもよくわからないままに日が過ぎている。
 新潟、長野で地震。三年前の新潟地震の時は、ちょうど一週間前に新潟に滞在していた。

2007年7月25日水曜日
 日の経つのを忘れて仕事をしている。今週は金曜日に岡田先生の診察が入っていることだけを忘れてはいけないと思ってスタートしたら、もう週半ばになってしまっている。

2007年7月27日金曜日
 ようやくトンネルを抜け出せそうな手応え。たくさん書いたものを整理しないといけない。あまり進まない日もあったが、粘り強く考え続けられるエネルギーが戻ってきているのがわかって嬉しい。
 今日は受診。薬が減った。バイアスピリンとワーファリンだけ(ルプラック、シグマート中止)。ワーファリンは朝、1.5錠だったのが1錠になった。最初、岡田先生はバイアスピリンだけでいいといわれたのだが、僕が難色を示したので、次回受診時に採血をしてみてその結果を見て決めることになった。きっと次回、ワーファリンはもう飲まなくていいということになるだろう。
「これで何かあってもカテーテルで対処すればいい。私はこの病院に長くいますから、責任を持って面倒を見ます」
「それは是非、お願いします。そのためにこちらの病院に移ったのですから」
 バストバンドはもう着けなくていいことになった。井上医師の指示とは違うのだが、「ここの〔心臓外科の〕先生たちはみんな〔手術が〕上手ですから」と。くしゃみを考えなしにすると骨に響くが、痛みはもうほとんどない。
 自立支援医療給付の申請が通った医療費は6,060,000円。支僕の命の代金。もちろん給付がなければ払えなかっただろう。
 さてバストバンドをどうしたものか、と病院で迷った僕は帰るまではつけておこうとこだわってしまった。しかし東福寺まで炎天下を歩くと気が変わり、電車を待っている間に取ってしまおうと思ったのだが、本をたくさん詰め込んだ僕の鞄にはバンドを入れる余地はなかった。
 京都駅で降り、階段を下りたところで、僕に呼びかけ、肩を叩く人があった。考えてもいなかったことなので動転してしまった僕が振り返ったら、U看護師だった。私服なので病院での見た時の雰囲気とは違った。習いたてのインドネシア語で話しかけてしまいそうだった。「バンドでわかりましたよ」と変わらぬ笑顔で話しかけられる。改札を出るまでの数分間、診察のこと、元気になったことなどを話した。貧血が改善したことを話すと、(リハビリの時)階段の上り下りが辛そうだったが、今は大丈夫か問われた。僕が退院してからも相当な数の患者さんを見てこられたであろうによく覚えてられることに驚く。

2007年7月31日火曜日
 時間が経つのが早すぎる。
 今日は午前中は晴れ渡っていたが、気持ちのいい日だった。ところが昼から銀行に用事があって出かけた時にはかなり暑くなっていて、帰った頃には疲れ果ててしまった。暑い時は出かけようと思わずに、おとなしく仕事をするのがいいようだ。