« 憂うつな日々 | トップページ | 5年ぶりの復帰 »

2011年6月14日 (火)

沈没しかけた船

To enjoy the cool

 9日に東京で講演をした。今回は息子にも会う時間も取れなくて残念だった。震災以後初めての東京。講演中、地震があれば僕だけが身体がすくんで話せなくなるかと思っていたが、体感できる地震はなかった。
 
『維摩経』というお経に釈尊の弟子である文殊菩薩が病気の維摩を訪ねる場面がある。この病気は何によって起こったのかという問いに維摩は答えた。「一切衆生が病んでいるので、その故に私も病むのです」と。 維摩が、他の人の苦しみをさしおいて、自分だけが幸福になることはできないと考えていることに共感できる。他の人の苦しむことが自分に関係がないと考えるのと考えないのでは大きな違いがあるだろう。「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という宮沢賢治の言葉を思い出す人もあるだろう。

 柳澤桂子の『いのちと放射能』(ちくま文庫)を読んだ。チェルノブイリの原発事故の後に書かれたものだが、新刊として書店に並んでいてもおかしくはないくらいである。科学者として冷静な筆致で書かれている。
 しかし、柳澤の悲痛な思いが強く響いてくる。既に私たちはさまざまな化学物質で地球を汚してきたが、放射能による汚染は比較にならないほど怖ろしい。「人間は原子力に手をだしてはいけません」。
 「一部の人がより大きな利益を上げるために」環境は汚染されている。
 「環境の汚染よりも経済の安定のほうが大切なのでしょうか」
 チェルノブイリのことは当然知っていたのに何もできずに今まできたことを思い後悔頻りだが、これからできることをしていきたい。

 原発を止めるというと必ず代替案を問われる。原発を止めると電力が不足する、必要悪だといわれる。しかし、と小出裕章はいう(『原発のウソ』)。
 唯一の代替案は原発を止めることである、と。

 「代替案がなければ止められない」というのは、沈没しかけた船に乗っているのに「代替案がなければ逃げられない」と言っているようなものです。
 原発は、電気が足りようが、足りなかろうが、即刻全部止めるべきものです」

 福島原発事故調査委員会の畑村洋太郎氏の「「原子力は危険なものだ。安全なものと扱われてきたことが間違いだった」という発言は評価したいが、事故の検証より先にすることはあるのではと思う。「世界が猛烈に注目している」と首相はいい(ひどい日本語だ)、G8でも歴史的教訓から学んでほしいといいながら、他国はたしかにそこから学んだのに、何事もなかったかのように、原発推進の立場を唱えることを首相は恥ずかしいと思わなかったのだろうか。

 イタリアの国民投票の結果を今朝知った。

|

« 憂うつな日々 | トップページ | 5年ぶりの復帰 »

Flickr」カテゴリの記事

日記」カテゴリの記事

コメント

こんにちは~
9日の講演に参加したものです。

先生のお話を伺うのは初めてでしたが、終わってみて気づいたのは

自分の内にあった漠然としたものがす~っと水に溶けていくような 
何とも言えない“すっきり感”でした。

「この世界で起きていることに人は責任がある」
「人として、する側よりされる側にたって考えること」
「子供たちのためにこの地球を残したい」

 等々・・・ポンと肩を押される気持ちになりました。

今度また機会がありましたら
是非勉強させて頂きたいと思っております。

ありがとうございました。

投稿: ゆうほ | 2011年6月14日 (火) 21時39分

ゆうほさん
 あれだけ話したのに、いいおとしたこともありますが、どちらの方に向かってどう考えていけばいいかという手がかりを得てくださったら嬉しいです。ありがとうございました。また、東京に行く機会はあると思います。

投稿: 岸見一郎 | 2011年6月14日 (火) 21時48分

ヨーロッパの国で原発をやめた国も電力の自国供給では足りず、
周りの国から輸入していても、
天候や諸事情で電気が入ってこないアクシデントがあると、
大掛かりな停電があり、困っています。
だからといって原発復活とは言わないところはすごいと思いますが、
今回の地震のようにあらゆることが停滞して、
国全体に影響が及ぶことは復興にも影響します。
先に進むためにも事故の検証は大事なことだと思います。
同時進行でいいのではないでしょうか?
「失敗学」のいい意味での「大どんでん返し」的な思考をしないと
原発をやめた後どうエネルギー供給をするかという点で、
説得力を持ったアイデアは出てこないと思えます。
畑村さんの本は一冊しか読んでいませんが、単純な検証ではなく、
人間が犯してしまいがちな誤った考え方に注目する手法は
アドラー心理学が注目する点が一般的な人々と少し違うという意味で、
共通するところがあると思いました。

投稿: ちばちゃん | 2011年6月18日 (土) 23時49分

 目下、ある原発が再稼働できるかは事故原因調査委員会の調査結果で決まると思いますが、経産相はそれを待たずに早々に安全宣言を出してしまいました。安全に再稼働ができるか判断するために調査委員会は必要とは思いますが、航空機などの場合と違って、次はないということもありうることを視野に入れる必要があると考えています。福島の事故によって危惧されていたリスクがすべて現実化してしまった今、脱原発以外が唯一帰結する論理的な結論だと思うのですが、国民の命よりも経済を優先するように見える政府は調査委員会の存在も無視し、あまりに強引すぎます。

投稿: 岸見一郎 | 2011年6月19日 (日) 07時59分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 憂うつな日々 | トップページ | 5年ぶりの復帰 »