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2011年6月の記事

2011年6月27日 (月)

いよいよ、よく生きる

A welcome rain

 父がいつもいる席にいないので部屋を見渡したら手を上げて合図してくれた。いつか僕のことがわからない日がくるのではないか、と怖れていたこともあったが、この頃は入所した頃よりも調子がいいくらいで、もう今はない「家」へ帰るというようなこともいわなくなった。「今日は外は暑いのか」とたずねる。中はエアコンがよく効いていた。冬と変わず何枚も服を重ねて着ていたので驚く。
 週末、父のところに会いに行くたびにゆっくり話そうと思うのに、いざ顔を合わせると話すことが思いつかず、思っていたほど話せず帰ってしまう。
 プラトンは「大切なことはただ生きることではなく、よく生きることだ」と対話篇の中でソクラテスに語らせている。よく生きるどころか、生きることそれ自体が困難になってきた今こそ、余計によく生きることがどういうことか真剣に考えなければならなくなった。

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『個人心理学の技術I』

 しばらく間が空きましたが、新刊がでました。今回はアドラーの翻訳でタイトルは、『個人心理学の技術I』(アルテ)。強迫神経症のウィーン女性の伝記をアドラーが少しずつ読み上げながら解釈していくというものです。『個人心理学の技術II』も追って出版予定です。

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2011年6月22日 (水)

までいライフ

2011年6月22日水曜日
Rain or shine

 飯舘村の基本理念は「までいライフ」。までいは真手に由来し、丁寧に、じっくりと、手間暇惜しまずにという意味である(『大震災のなかで 私たちは何をすべきか』p.iii)。美しい村を去らなければならない飯舘村の人の無念を思う。
 福島原発が少しも収束の気配もないのに、海江田経産相は「世界に貢献している日本経済に急ブレーキはかけられない」」と原発を再稼働しようとしている。だからといって、一度事故が起これば(地震がなくても事故は起こる)制御不可能な原発の稼働を犯していう理由にはならない。今は、原発事故によって世界に負の貢献をしている。これだけの迷惑をかけた、だから原発は止めるというのであれば筋は通っているが、福島のことはなかったかのように原発推進を表明することが他国から好意的に受け止められているとは思わない。他国はともかく、結局、経済の方が国民の命のほうが大切だと国は考えているのかと思うと、人の苦しみへの共感能力、想像力が貧困な政治家に原発の今後を決めさせることに不安を感じないわけにいかない。

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2011年6月19日 (日)

優先すべきなのは

Soft-landing

 カタリナ高校の講義から帰った時、ふと見たら玄関の戸に蛍がとまっていた。じっと動かない。日が落ち夜になった時、再び見に行くと、ゆっくりとほのかな光を点滅させていた。近くの川に放しに行った。何度か光りながら回転して闇夜の中へ消えていった。

 空も海も大地も国境とは関係なくつながっている。とんでもないことが起こったと覚めない悪夢を見続けている気がする。
 経済の停滞を怖れ安全宣言を出し、原発の再稼働を政府が促すのを見ると、国益というのは国民の命ではなかったのだと思わないわけにいかない。
 「ここにいたら〔外で〕何が起こっているかわからん」と父はいう。天候の話の他に、地震があった、原発の事故があったという話もするのだが。

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2011年6月16日 (木)

5年ぶりの復帰

Angelic heron

 今日から明治東洋医学院専門学校に出講。6年近く勤めていたのだが、5年ぶりに復帰した。というのも、5年前、心筋梗塞で倒れ、職を退いたからである。救急車で入院した前の日、朝早く出たのにその年初めての講義に遅刻してしまった。駅から学校までの道で二度ほど歩けなくなってうずくまなければならなかったのである。その年、教育心理学は1度しか講義できなかった。
 学校に着くと、病気で倒れる前の年に教員養成科で教えた学生が教員になっていて挨拶しにきてくれた。当然のことながら僕のことを知らない学生が教室で待っていた。7人。今年の教員養成課程の学生は異例に少ないということだが、おかげで学生に問いかけたりしながら講義を進められるのは嬉しい。

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2011年6月14日 (火)

沈没しかけた船

To enjoy the cool

 9日に東京で講演をした。今回は息子にも会う時間も取れなくて残念だった。震災以後初めての東京。講演中、地震があれば僕だけが身体がすくんで話せなくなるかと思っていたが、体感できる地震はなかった。
 
『維摩経』というお経に釈尊の弟子である文殊菩薩が病気の維摩を訪ねる場面がある。この病気は何によって起こったのかという問いに維摩は答えた。「一切衆生が病んでいるので、その故に私も病むのです」と。 維摩が、他の人の苦しみをさしおいて、自分だけが幸福になることはできないと考えていることに共感できる。他の人の苦しむことが自分に関係がないと考えるのと考えないのでは大きな違いがあるだろう。「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という宮沢賢治の言葉を思い出す人もあるだろう。

 柳澤桂子の『いのちと放射能』(ちくま文庫)を読んだ。チェルノブイリの原発事故の後に書かれたものだが、新刊として書店に並んでいてもおかしくはないくらいである。科学者として冷静な筆致で書かれている。
 しかし、柳澤の悲痛な思いが強く響いてくる。既に私たちはさまざまな化学物質で地球を汚してきたが、放射能による汚染は比較にならないほど怖ろしい。「人間は原子力に手をだしてはいけません」。
 「一部の人がより大きな利益を上げるために」環境は汚染されている。
 「環境の汚染よりも経済の安定のほうが大切なのでしょうか」
 チェルノブイリのことは当然知っていたのに何もできずに今まできたことを思い後悔頻りだが、これからできることをしていきたい。

 原発を止めるというと必ず代替案を問われる。原発を止めると電力が不足する、必要悪だといわれる。しかし、と小出裕章はいう(『原発のウソ』)。
 唯一の代替案は原発を止めることである、と。

 「代替案がなければ止められない」というのは、沈没しかけた船に乗っているのに「代替案がなければ逃げられない」と言っているようなものです。
 原発は、電気が足りようが、足りなかろうが、即刻全部止めるべきものです」

 福島原発事故調査委員会の畑村洋太郎氏の「「原子力は危険なものだ。安全なものと扱われてきたことが間違いだった」という発言は評価したいが、事故の検証より先にすることはあるのではと思う。「世界が猛烈に注目している」と首相はいい(ひどい日本語だ)、G8でも歴史的教訓から学んでほしいといいながら、他国はたしかにそこから学んだのに、何事もなかったかのように、原発推進の立場を唱えることを首相は恥ずかしいと思わなかったのだろうか。

 イタリアの国民投票の結果を今朝知った。

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2011年6月 6日 (月)

憂うつな日々

Be on the lookout

 長く仕事が立て込んでいて、更新が思うようにできなかった。
 5日は高松で講演。3時間のうち、1時間半子育てをテーマに講演をし、後は休憩を挟んで質疑応答にした。質問は途切れることなくあった。僕が子どもたちと関わったのはもうずいぶん前のことになる。若い人たちを応援したい。
 昨日は仕事で父のところへ行けなかったので、今朝父のところへ行ってきた。中にいたら少しも暑くはないという。落ち着いているようでよかった。家から持っていった人形をベッドにおいている。ノンちゃんという名前をつけた。みんなが見にくるんだ、と嬉しそうにしていた。

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