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2011年2月 1日 (火)

十分ではない

 一週間風邪を引きずってしまった。熱は下がったが、力が戻ってこず、仕事を少ししては横になるということを繰り返していた。
 週末、父のところへ行ってきた。めずらしく髭も剃らず、少し思い詰めた表情で、「前はここに住んでもいいかなと思ってたけど、どこも悪くないからもう帰ろうかな、と思ってる。ここでは誰ともしゃべらないし、退屈だ。前は全部一人でやってたわけだから」と話す。たしかに前は一人暮らしをしていた時は父のいうように「全部一人でやってた」のだが、その後、一人では何もできなくなってからのことは記憶から消えてしまっているようだ。
 いつかテレビドラマで、バイパス手術の新しい方法を開発した医師について、患者にとってリスクの大きな手術をする必要はない、これまでのやり方で4,5年生きられればそれで十分ではないか、と語る医師が出てきて驚いたことを思い出した。そのドラマで問題になる術式は今ではごく当たり前になっているわけだが、新しいことを手がけるとそれへの抵抗も大きいのだろう。僕がひっかかったのは「4,5年生きられればそれで十分ではないか」という医師の発言である。僕の場合は心筋梗塞で倒れ、4月で5年、バイパス手術後、4年が経とうとしている。バイパスに使った血管も次第に硬化が進むはずなので10年経てばもう一度手術が必要になる。その時のことを考えて次の手術に使う血管が残してある。それが年齢でいえば61歳の時だとすれば、はたしてその次があるのかと過日この話を講義中にしていた時にふと不安になった。71歳の時には残された血管はないではないか、と。その頃までには冠動脈のバイパスに使える人工血管が開発されているのだろうか。そうでなければもう次はないことになる。もとより、そんな先のことを今考える必要はないのだが、それにそれまで生きられる保証はないのだが、それだけ生きられたら十分ではないか、と医師にいわれたら、いや十分ではないと即答すると思う。今のこの人生への愛着があまりに強いからである。

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