« 2011年1月 | トップページ | 2011年3月 »

2011年2月の記事

2011年2月28日 (月)

子どもにもできないこと

A sign of spring

 また少し肌寒く感じられる日になったが、また花の写真を撮れるようにうれしい。写真は節分草。節分の頃に咲くということからこの名前がついているが、そんなに早くは咲かない。
 確定申告を終え安堵。一日、仕事を諦めるくらいの気持ちになればすぐにできるのだが、もっと他にしなければならない仕事があると思っていつまでも取りかかれなかった。
 去年の今頃は4月に出版する本を書くためにもっと忙しかったはずである。それに父の家にも毎日通っていた。それを思えば今はこんなにも自分で自由にできる時間があって、その時間を仮に何もしなくても仕事が滞るはずはないのだが。今進めている仕事が二つあって、そのうち一つは少しゴールが見えてきた。
 週末父のところへ行ってきた。久しぶりと声をかけられる。何しにきたといわれたよ、と妻がいう。お父さんに会いにきたのですよ、と返せるところは見習わなければ。僕は久しぶりではないと返したくなる。退屈だと父は必ずいうのだが、ごく限られた人としか接していなかった頃を思えば、いろいろなことがわかるようになってきた。何もわからないほうがいいように思ったこともあるが、回復するということがたとえ自分が置かれている現実を知ることであり、そのことで苦しむことになっても、それこそが生きるということなのではないか、そしてその苦しみを引き受けることになってもそれは父の課題であって、つまり父が解決しなければならないことであって子どもが代わるわけにはいかないということを『介護のための心理学入門』の中で書いた。もちろん親が混乱し(たびたびあったことだが)苦しむのを傍観するつもりはないが、子どもにもできないことがあることを知ることは必要で介護の出発点だろうと考えている(したがって、到達点ではない)。

| | コメント (2)

2011年2月25日 (金)

毎日続ける

Enjoy your stay here

 池の端を歩いていたらジョウビタキが木から木へと飛んでは止まりまた飛んでいった。鳥に気づかない小学生たちが大きな声ではしゃいでいたからだが、あまり警戒心がないのかわりあい近くから撮ることができた。
 今日は天気がよかったのに娘が出かけるのを待っているうちに雲が広がり肌寒くなった。近くの植物園に行ったが、福寿草は気温が下がったので花を閉じてしまっていた。
 毎日、どれだけ時間があっても足りない気がする。少しずつコツコツ仕事を進めるのが苦手。大学院の時の指導教官が毎日原稿用紙に二枚しか書き進めないといっていた。でも、二枚しかでもずっと毎日書き続けることに驚嘆したことを覚えている。

| | コメント (0)

2011年2月24日 (木)

福寿草

Blooming in perfect happiness

 福寿草が咲いていないか何度も足を運んだ。日曜に今年初めて見つけた。火曜日にはさらにいくつも咲いていた。先週末受診したらまだ無罪放免にならなかったが、身体の具合はよくなってきている実感はあって嬉しい。

| | コメント (0)

2011年2月23日 (水)

雪を割る花

Tint earth with pale pink

 大学の試験の採点を終え、成績を返送した。暖かい日だったので、そのまままず父の家に行って花に水をやり、その後、近くの植物園に行った。雪割草や節分草が咲き出した。小さな花でまだ咲いている花も少なく注意して探さなければならなかった。この雪割草を見ると宮沢和史の歌にある雪を割る咲く花が島を染めるという情景をいつも想像する。

| | コメント (4)

2011年2月20日 (日)

白鷺

Dancing egret

 白鷺が水面に舞い降りる瞬間を撮った。羽を広げているので常に見る白鷺よりも大きく見えた。
 昼から近くの植物園に行った。重なった落ち葉の間から黄色が見えたので葉をのけたら福寿草が咲いていた。春の訪れが待ち遠しい。
 試験の採点中。一通り読み終えた。採点などしないで全員合格したいところ。講義で伝えたかったことは伝わっているようでよかった。

| | コメント (2)

2011年2月17日 (木)

娘、試験、Facebook、梅

Snowy flower

 娘が月曜から韓国へ出かけていたが、今日帰ってきた。この間、一度も連絡がなかったので心配だったが、知らせがないのはよき知らせというわけで心配するのは止めようと思った。僕がパスポートを取得し海外に出たのは40代になってからだった。早くから解こう経験があるとその後の人生が変わるきっかけになるのかもしれない。娘の場合、これが初めてではない。
 今日は僕が講義をした生命倫理の試験があって、昨夜から落ち着かなかった。学生たちからは頑張る、期待に添えるように頑張るというメッセージが届いた。僕はこんなふうにいえなかったと思った。明日、答案が届く。全員が通りますように。
 登録してもう長いFacebookをまた再開しようと思って、いくつかメッセージを書き込んだり写真を載せたりしてみた。
http://www.facebook.com/ichiro.kishimi
 英語は得意ではないのだが、ユーザー数5億人といっても日本語だけでは多くの人にメッセージが届かないので英語で書くことが多い。僕の友人にはアラビア語、インドネシア語圏の人が多いが、英語での書き込みもある。実名制であることがネックになって入らない人が多いかもしれない。
 写真は先の写真と同じ日に撮った。ギリシアの人から梅の花がかわいそうというコメントをもらったが、梅は雪をものともしない。強い生命力を感じる。

| | コメント (3)

2011年2月15日 (火)

雪の華

snowy flower

 夜来の雪が止んだ。ふと白梅のことを思った。この雪をかぶっているに違いない、と。雪道を常よりも時間をかけて歩いた。傘を持ってきてよかった。頭上の木から雪が雨のように降ってきた。白梅が雪の中で寒さに震えていたが、日が射すと春の匂いがした。
 今日は、会議のために大学へ。大切な会議であることはわかっているが、3時間かけて行っても講義をしないと物足りない。

| | コメント (0)

2011年2月13日 (日)

健闘を祈る

 先週の講演の後、体調のすぐれない日が続き、写真も撮ることもなく、休み休み仕事をしてきたが、昨日から回復の兆しが見えてきた。受診できたはずの日に怖くて行けなくて、その後休診日、出講日が続き、治療が遅れたのがいけなかった。考えられる限りの最悪の事態を予想したからだが、たとえそうであったら受診の遅れは命取りになりかねないし、他方、何事もなければ(少なくともそれほど重篤でないことがわかれば)それでいいわけなのに(結果的には幸い後者だった)、振り返り自分の行動の不可解さを反省。
 近大姫路大学の講義は先週終えた。後は試験のみ。採点もさることながら、試験問題を考えるのに毎年時間がかかる。熱心に受講した学生が不利にならないような試験を作ろうと思うからだが、そのような学生は単位を取るためだけに受講したわけではない(と思いたい)ので、試験のことで不満をいうとは思わないのだが。
 看護師の国家試験まで一週間。僕が教えた学生たちも試験に臨む。健闘を祈っている。

| | コメント (2)

2011年2月 6日 (日)

講演終わる

winter flower

 金曜、土曜と講演が続いた。話は短く、質疑応答に時間をかけようと思っていたのに話したいことは多くなってしまった。その後、次々に質問があって瞬く間に時間が過ぎた。聴講してくださった方もそう思ってくださっていたらいいのだが。
 保育所での講演は子どもとよい関係を築くにはどうすればいいかという話、鈴鹿での講演は去年出版した本のタイトルと同じく「困った時のアドラー心理学」で質問の内容は多岐にわたった。介護について話したのは初めてだったかもしれない。
 ようやく風邪の具合がよくなってきた。
 父のところへ行く。「いつになったらここから出られるのだろう」というので困惑。「どっかめし食べに行こうか」というのにも驚く。外に食べに行ったら夕食抜きになると答えたのだが、前に父のところへ行ったり父がきた時に外食したことを思い出したのかもしれない。
 暖かい日が続く。蝋梅が咲いていた。花弁が蝋のような色であること、臘月(ろうげつ、旧暦12月)に咲くので蝋梅ということを知った。

| | コメント (9)

2011年2月 2日 (水)

三重で講演します

梅一輪

 まだまだ寒く、近くの梅林へ出かけたらやっとこの一輪を見つけることができた。
 また講演を依頼されることが増えてきた。今週は金曜と土曜日に講演をすることになっている。

 そのうち、三重での講演は公開ですのでここに案内を載せます。質疑応答を中心に進めます。

2月5日土曜日、13:15〜16:15
鈴鹿市文化会館 第二研修室にて
演題「困った時のアドラー心理学」
講師 岸見一郎
参加費 2500円
(通信会員2000円)
当日参加可能、10分ほど前にはご到着ください。
当日飛び入りは 直接会場へいらしてください!
申込み等、とりの巣工房
0593745101まで

| | コメント (2)

2011年2月 1日 (火)

十分ではない

 一週間風邪を引きずってしまった。熱は下がったが、力が戻ってこず、仕事を少ししては横になるということを繰り返していた。
 週末、父のところへ行ってきた。めずらしく髭も剃らず、少し思い詰めた表情で、「前はここに住んでもいいかなと思ってたけど、どこも悪くないからもう帰ろうかな、と思ってる。ここでは誰ともしゃべらないし、退屈だ。前は全部一人でやってたわけだから」と話す。たしかに前は一人暮らしをしていた時は父のいうように「全部一人でやってた」のだが、その後、一人では何もできなくなってからのことは記憶から消えてしまっているようだ。
 いつかテレビドラマで、バイパス手術の新しい方法を開発した医師について、患者にとってリスクの大きな手術をする必要はない、これまでのやり方で4,5年生きられればそれで十分ではないか、と語る医師が出てきて驚いたことを思い出した。そのドラマで問題になる術式は今ではごく当たり前になっているわけだが、新しいことを手がけるとそれへの抵抗も大きいのだろう。僕がひっかかったのは「4,5年生きられればそれで十分ではないか」という医師の発言である。僕の場合は心筋梗塞で倒れ、4月で5年、バイパス手術後、4年が経とうとしている。バイパスに使った血管も次第に硬化が進むはずなので10年経てばもう一度手術が必要になる。その時のことを考えて次の手術に使う血管が残してある。それが年齢でいえば61歳の時だとすれば、はたしてその次があるのかと過日この話を講義中にしていた時にふと不安になった。71歳の時には残された血管はないではないか、と。その頃までには冠動脈のバイパスに使える人工血管が開発されているのだろうか。そうでなければもう次はないことになる。もとより、そんな先のことを今考える必要はないのだが、それにそれまで生きられる保証はないのだが、それだけ生きられたら十分ではないか、と医師にいわれたら、いや十分ではないと即答すると思う。今のこの人生への愛着があまりに強いからである。

| | コメント (0)

« 2011年1月 | トップページ | 2011年3月 »