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2011年1月12日 (水)

今は昔

Though I've come to give you peace ...

 いよいよ今日から講義が再開。もっとも今日が12回目だったので、後3回で終わってしまう。前回に引き続き今日は「死」について話した。もとより死がどういうものかはわからないが、死がどんなものであっても、そのこととは関係なく生きていく術がないか考えてみた。
 10日は娘の成人式だった。誕生日がまだなので実際には20歳になってないのだが、20年は決して短くはない。あずかってもらえず娘を学校に連れて行き、講義の間待たせたというようなこともあった。もうかなり昔のことのように思える。

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コメント

死は誰もがおぼろげにも想像できない世界です。
死の向こうに何があるのでしょうか?
13年も続けて自殺者が3万人も出るこの国はどこに行き着くのか不安になることがあります。
娘が6歳です。いずれ成人し、嫁いで行くのでしょうね。その当たり前のことが幸せなのだと感じています。

投稿: 536 | 2011年1月13日 (木) 19時39分

 死が何なのか、本当のところは誰にもわかりません。だからこそ、死についてわかったと思い込むのではなく、問い続ける必要があると思います。死が何かわかっていると思い、それはすべての終わりであるとか、ただこの世からあの世へ移行するだけのことだと簡単にわりきるには死が人間に見せる姿はシンプルなものではありません。それにもかかわらず、死をまだ先のことだということもできず、生の直下にいつも見えるので不安にもなり怖れもするのですから、死に目をつぶって生き続けることもできません。死をタブー視せず、しっかりと直面してほしいと看護学生には講義の中でいつも話しています。
 当たり前のことが幸せなのだと僕も思います。いつまでも僕は病気のことばかり話していますが、朝目が覚めることが当たり前ではなくなることがあることを知った時は、どんな当たり前のことも大切に思えます。

投稿: 岸見一郎 | 2011年1月13日 (木) 20時20分

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