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2010年9月の記事

2010年9月29日 (水)

新しい学期

When bulbuls sing

 ベランダにあるソライロアサガオheavenly blueが咲き始めた。これまでも咲いていたが、初めて大きな花を咲かせた。ようやくこの夏行った上高地の涼しさを感じている。
 コスモスも咲き始めた。気候がよくなったので、行こうと思えば昼間でも写真を撮りに行けるのだが、このところずっと忙しく行けないでいる。介護の本を最後まで書いた。読み返さないといけないが、書きたいことは書けた。父のことをいつも考えながら書くというのは、思いがけず辛かった。
 9月の初めに京都聖カタリナ高校の講義を終了。試験を残すのみ。来週から近大姫路大学へ出講。今年は出講のたびにたくさんの人に助けてもらう必要がなく講義に集中できてありがたい。

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2010年9月24日 (金)

落柿舎で講演します

 一夏エアコンの中で過ごしたが、外が涼しいと身体の調子が明らかに違う気がする。

 今年は、後二回講演をします。近年は講演をほとんどしなくなりました。10月25日の講演は京都嵯峨野落柿舎で。マイクを使わず、膝を突き合わせての対話になるかと思います。人生について、すべてを語ると案内には書いてあります。案内はこちらです。よろしければ。定員20名。

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2010年9月23日 (木)

誰かと思ったら

 一気に涼しくなった。今日は毎月一回の読書会。今回から、田中美知太郎の『生きることの意味』。ここに入っている論文の一つを高校生の時、宗教の教科書で読んだ。この頃はまだギリシア哲学を学ぼうとは思っていなかったが、強い影響を受けたようだ。そして、その影響は今も受け続けている。この頃、考え始めたことを今も考え続けているということである。
 父のところへ行くと、ちょうど部屋から車椅子でホールに出てきたところだった。「誰かと思ったら」とにこやかに迎えてくれた。父の笑顔を見るのはうれしい。「それでな…」と語り始めた父は、前にあった時からずっと昔の記憶を取り戻そうとしていた。
 誰かの借り物でない文体で語り、自分自身の思想を作りたい。

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2010年9月19日 (日)

若い人の味方だが

When dusk is deepening.

 涼しい日が続き、ようやくこの夏はつらかったことに気づく。
 コスモスが咲き始めた。久しぶりに写真を撮りに出かけた。この夏は出かけることも少なかった。
 『困った時のアドラー心理学』では、親子関係を扱った章(7章)が長くなった。実の親との関係は最後まで残りむずかしいからである。親は子どもの、子どもは親の悩みを知ることができる。自分自身のこと(1章)、恋愛(5章)、友人関係(3章)で扱った質問は、講義でもよく問われたものである。毎年同じ(ような)質問が出る。全体として(いつもそうなのだが)若い人の肩を持ったような印象があるかもしれないが、若い人にとっても耳の痛い言葉は多々あって、「人生相談」を読んでも結局どうすればいいのかよくわからないというような内容にはなってない。反発、抵抗は必至だろう。

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2010年9月18日 (土)

執着するものがあるからこそ

Absorbed in sucking nectar

 二晩続けて中途覚醒なく朝まで寝ることができた。
 脳梗塞の後遺症のため声を失った多田富雄はトーキングマシーンを使って会話をしていた。左手で入力し、合成音がそれを読み上げるのだが、会話には時間がかかった。
 告別式の時、息子さんが「父の意志なのですが」と出席者全員にあることを頼んだ。トーキングエイドから機械音の呼びかけが聞こえた。
「もう、いいかい。もう、いいかい」
 多田の呼びかけに、全員で返事を唱和した。
「もう、いいよ」
(上田真理子『脳梗塞からの”再生”免疫学者多田富雄の闘い』)
 自分だったらどうか、と考えてしまうのだが、もう、いいかい、とはいえない。誰か、そのように問う人があっても、もう、いいよ、とはとてもいえない。
 『アドラー心理学 シンプルな幸福論』のあとがきに書いたように、医師から心筋梗塞と告げられた時、ムイシュキン公爵のように「それにしても、こんなに突然じゃ参るじゃないか」と思った。早朝の処置室での情景を何度も何度も思い出す。
 原稿を書いたまま校正刷りを目にしていなかった本のことを思い出した。本の形になったところを見たかった、と思った。
「執着するものがあるから死にきれないということは、執着するものがあるからこそ死ねるということである」(三木清『人生論ノート』)
 父が問うた。
「お前は結婚しているのか」
「しているけど、どうしてそんなことたずねるの?」
「してなかっかたら死ねないと思ってたから」

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2010年9月16日 (木)

できることから始める

The sky cheers you up

 月曜に受診。結果はよかった。血圧が高いことを指摘されたのは気にかかる。この頃、夜に何度も中途覚醒し、この日もよく眠れないままに病院に行ったからかもしれない。コレステロールなどはうまく調整されている。ワーファリンが増量になりこれもよく効いているのだが、出血すると止まりにくいことがある。肝臓が改善したのはありがたい。結果論だが、後一月も父の介護を続けていたら倒れていたかもしれない。負担がないように工夫していたつもりだが、身体はごまかせないということか。今、書いている介護の本で考えてみようと思う。
 父は若い頃の話は詳細にしてくれるが、最近のことはよくわからないという。風呂に入りたいんだが、入ってないというようなことをいう。週に二回入っているのだが。
 季節がようやく巡り、父の家のハイビスカスが咲かなくなった。
 今度出した『困った時のアドラー心理学』では、全部で37の質問を取り上げ、それに答える形で、対人関係をめぐる諸問題をどんなふうに解いていけばいいか考えてみた。その際、次の指針にしたがった。
「今ここに(right here and right now)生きよう。するべきことやしたいことがあっても、できることから始めよう」というシンプルな指針。
 今、できることから始めるしかありません。回り道に見えても、もっと即効性のある解決を望んでみても、今問題になっている関係をよくしなければ一歩も前に進めない。また今問題があっても、問題が解決するまで人生は待ってくれない。

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2010年9月12日 (日)

『困った時のアドラー心理学』

 気の張る日々がようやく終わり、今日は久しぶりに時間を気にせずに眠ることができた。明日の受診でいい結果が出ればいいのだが。

 10日に中央公論新社から
『困った時のアドラー心理学』
を刊行しました(中公新書ラクレ)。

はじめに—「何とかなる」と思えるための手引きとして
第一章 アドラー心理学の基本
◎悩んでも始まらない
◎なぜ悩むのだろう
◎過去を問題にしない
◎「悪いあなた、かわいそうな私」をやめる
◎今、何ができるか
◎変われるのは自分だけ
第二章 自分自身のことで困った
第三章 友人との関係で困った
第四章 職場の人間関係で困った
第五章 恋愛関係で困った
第六章 夫婦、パートナーとの関係で困った
第七章 親子関係で困った

 質問を取り上げ答えるという形で書きました。
例えば、
「子どもが小さい頃と違って、夫との会話の話題がありません。どうしたらいいでしょうか」
というふうにです。

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2010年9月 8日 (水)

新学期始動

Show me everything

 台風。久しぶりの雨になった。何度も雨の様子をうかがったが、夜が明けてから父の家の近くにある川を写すライブカメラの映像をiPhoneで見たところ浸水はしていないのでよかった。
 月曜、委員会出席のため近大姫路大学へ。やはり遠かった。来月から毎週出講する。三年目の生命倫理の講義。カタリナ高校は今週最終講義。
 『困った時のアドラー心理学』の見本刷が今日届くことになっている。

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2010年9月 5日 (日)

退院したい、と父

Afterglow of the sunset

 9月になっても猛暑が続く。こんな時間にと思われそうな時にも休んでいることがあって、不在着信がたくさんある。もっとも暑さを回避して夜中に仕事をしているからなのだが。
 3日はカタリナ高校で講義。12回目。残すところ後一回になった。
 4日、父のところへ行ってきた。痛くも痒くもない、退院したい、という。元気な証拠なのだが、「退院」しても行くところがない。あるやろう、姉小路の家、と父はいうがこれは父が結婚するまでいた家で、今はない。その後のことは思い出せない。「そうだ、横浜に行った」。僕が生まれ育った家、父が結婚した母と過ごした家のことは覚えていない。今は父と週に二度ほど会うだけだが、ずっと介護の本を書いているので、父のことが意識から離れず、よく夢も見る。

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2010年9月 2日 (木)

父に似ている

Hidden entrance to the other world

 8月も終わり、明日からまた講義も再開するというのに体調がいまひとつすぐれない。夜に思うように眠れないのがいけない。父のところへ行こうと思っていたが、今日はやめにした。着替えは足りると思う。
 父が結婚するまで住んでいた「前の家」(今の施設に入る「前」の家)に石灯籠があったという。その話を聞いた後でふと石灯籠の横に立っている子どもの頃の僕の写真を見たことを思い出した。父とどこかへ出かけた折に撮ったと思っていたが、そうではなかったかもしれない。
 父のアルバムにスナップ写真ではない、風景などを撮った写真がたくさんあった。父は若い時、写真を撮っていたようなのだ。この何年か写真を撮り始めた。父の影響があったとは少しも思わないが、知らない間に影響を受けていた可能性がないとはいえない。年老いた父を見ていて、自分の中に父と似たところがあるのを知り、複雑な思いにとらわれる。

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2010年9月 1日 (水)

9月

My sunflower field

 今日から9月。講義が再開したり、先月より予定が多い。10日刊行の本があるのが楽しみ。目下書いている介護の本の原稿は難航。当然のことながら父のことを考えずに一行も欠けないからである。昨夜は父親の介護のことを書いた佐江衆一の『長きこの夜』(新潮文庫)を読む。

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