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2010年7月の記事

2010年7月29日 (木)

久しぶりの雨

Let's get while the getting's good.

Happy encounter in the morning

 長く昼夜逆転に近い生活をしていたが、昨日、原稿を送ったので、昨夜は久しぶりに朝まで眠ることができた。今朝は朝から銀行にいったり、あれこれ原稿を書くために棚上げにしたことを片付け始めた。仕事に使った本を本棚に戻す。もっともこれから校正の仕事が残っているので、目のつくところに置いておかなければならない。
 今度書いた本で書いたのは、今ここに生きること、今ここでの人との関係をふいにしないこと、人生を先送りにしないで、もし〜ならば、と何かが実現してからの人生だけが重要なのではなく、今しかいきられないということ、さらにできることからしか始められないということである。
 今日は久しぶりの雨。梅雨明け以来猛暑が続き、辛かった。父の家に行くのも日が昇ってからでは大変なので、夜明け前に父のところへ行って、花に水をやり、原稿を書くという日が続いた。今日は自分の部屋で仕事をしている。先月来介護をテーマに書いている仕事の続き。数年来準備している哲学の本も。
 父のところへは今は週に二回のペースで行っている。新聞を読めるようにスタッフにお願いした。父は知らないという。昼間、皆が集うホールで新聞を読み、それをそのまま自分の部屋に持っていくのだが。退屈だといつ行ってもいう。家にいた時も何かをしていたわけではなかったし、昼間もほとんど寝ていたが、僕はいつも近くにいたから今ほどは退屈ではなかったということか。窓からの景色を見て、時折、椿の花のところへやってくるヒヨドリを見て驚き、道を歩く小さな子どもを見て歓声を上げていた。今はそれができない。
 朝、まだ暗い時に河邊を歩いていたら、急に波が立ち、かさかさという音がしたので見たら鴨がどこからともなく現れた。小鴨がいることを親が確認すると皆で泳ぎ始めた。

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2010年7月26日 (月)

『人生の意味の心理学 下』刊行

 連日の猛暑でまいっている。思うように仕事が進まずまだ眠れずにいる。コンピュータが使えるというのはある意味、地獄。編集者に原稿を送る前に、理論的には無限の校正が可能だから。これでよし、送信と思えるところまで行かなかった。
 そうこうするうちに、アドラーの『人生の意味の心理学 下』が刊行。5月末に上巻を出したので、これで完結。巻末に長い解説原稿を書いた。アドラーの書いたものの中では比較的読みやすいので、読んでもらえるとうれしい。時代の制約で今の視点からはどうかと思うこともまったくないわけではないが、それよりも時代はまだアドラーに追いついていないようにも思える。
 仕事ができることがうれしい。

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2010年7月23日 (金)

ラストスパート

Survive heat wave

 締切を目前にラストスパートへ。この二日ほど夜うまく寝られず朝早く目が覚めたので、夜が明けるのを待って父の家に。さすがに5時は涼しい。二時間ほど仕事をして朝食に間に合うように帰る生活を続けた。自分で書いたものは自分ではわかりつくしているからか、読み返す気になれない。校正はその意味でつらいが、書いた本人でない間違いも見つかるから気が抜けない。
 写真は帰り道で見つけた鬼百合。

 『40歳の教科書』(講談社)にインタビュー記事が掲載された。新聞に掲載時の記事に大幅に加筆されている。新聞掲載時は東京本社版だったので、僕の記事が出た日の分しか読んでなかったが、今回初めて通読した。14人目の僕の話がこの本の文脈の中でどんなふうに読まれるか不安ではある。

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2010年7月18日 (日)

余裕なく

 気持ちに余裕なく、日記を書けない日が続く。締切間近で、毎日ずっとコンピュータに向かっている。時折、試験の前の日のように本が読みたくなって困る。
 父は相変わらず退屈だとばかりいう。ちょうどおやつの時間で、部屋で寝ていた父を起こし、ホールに父を連れて行った。他の人は部屋にはいないのに、昼間も食事とおやつ以外の時間はずっと部屋で横になっているようだ。毎日、長い時間、父と過ごしていた時は困ることが多々あったが、父に会いにいってしばらく話をする分には、こちらに父が帰ってくる前と変わらず話ができる。この日は雨が降っていて、電車は遅れていた。
「雨が降っているんだって? 川は大丈夫か」
 話が途切れると何度も父は繰り返してたずねた。「大丈夫だから」と僕は何度も答えなければならなかった。
 今年は近くの池の蓮が少しも大きくなっていない。こんなことは近年なかったことだ。花も期待できないだろう。

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2010年7月15日 (木)

過労だったようだ

 昨日、父の家が心配で見に行ったら、あちらこちら雨漏りがしていて大変なことになっていた。その後も雨が降り続いているので、浸水していないか心配である。父が今はいないのでよかったと思う。去年、一度大きな台風が近づいてきて、常は夜は帰るのだが、その晩は父のところに泊まったことがあった。
 よく父の夢を見る。夢の中では決まって父は若い。
 前の日のことを日記に書いたら、日記は今日のことを書くものだ、と小学生だった頃、先生にいわれたことを今ふと思い出した。
 12日の月曜、受診。前は父を一人にして病院に行っていたので、長く待つことになり帰るのが遅くなると心配だったが、その心配もなく、父のところに寄らずに直接出かけることができるので、9時に予約を入れてもらっていた。前回、肝臓がよくないことが指摘されたが、今回はほぼ改善。ちょうど父が老健に入所した翌週の受診だったので、過労だったのだと思う。ヘルペスもひどかった。
 今は仕事は締切に追われ大変だが、昼間、疲れると横になれる。父のところに通っていた頃はそれができなかったし、父を見張りながらの仕事は、散漫力を養うことができたが、中断した思考を復旧するのは困難だった。勢いがあるが文が荒いという指摘を編集者から受け、悔しい思いをしたものだ。今はじっくり取り組める。仕事に注意が向くと、父のところへ行くのが億劫になってしまう。思い立って行けば、二時間もあれば帰ってこられるのだが、その時間が惜しいと思ってしまう。父は元気で、コルセットをつけずに普通に歩いている。相変わらず、退屈だとばかりいっている。
 昼間どうしても仕事が手につかず、夜中に原稿を書いていたら、夜が明けた。雨は今は止んでいるようだ。

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2010年7月11日 (日)

未知の読み

Born with c mark.

startling shade of white

 気忙しい日々。なんとか乗り切りたい。
 土曜日、研究会。「わかるところまで読めたらうれしい。わからないところを積み残すのは残念だ」と木村敏先生。読んでもすぐにはわからない本を読むことには意味がある。外山滋比古は、既に知っていることを読むアルファー読みと対比して、未知の読みをベーター読みと呼んでいる。いつもわかる文を書く努力をしているが、たとえ言葉がやさしくても、理解がむずかしいことはありうる。既知の尺度では理解できないことはある。アドラーが書いているものはこの例になるだろう。わかりやすく書くと、少しでもわからないと書き手に問題があるとされることはある。
 夕方、雨が上がったので選挙へ。出口調査をしていた。初めて見た。拒否。開票率数パーセントの段階で当確と出るのが嫌だからである。まだ僕が投じた票は開かれてないだろうと思う。僕が投票した候補者が当選した試しはない。死票になるとtwitterに書いたら、結果はともかく死票などないとアメリカの友人にたしなめられた。

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2010年7月 6日 (火)

いくらでも寝られる、と

Encounter after the rain

 父が老健に入って二月。腰椎の圧迫骨折もよくなったようで、コルセットをつけてなかった。家にいた時と同じように歩いているのを見て驚く。「退院」の話をするのではないか、と思ったが、その話は出なかった。昼間に部屋にいる人はあまりいない。夜、寝られないだろうといったら、そんなことはない、昼も夜もいくらでも寝られる、というのだが、いいのか悪いのか。
 最寄りの駅から歩けば30分なのだが、暑い日に炎天下を歩くわけに行かないで、タクシーばかり使っている。朝、早い時間に行けばいいとは思うのだが、仕事を優先してしまう。
 毎日、父のところへ行っている。夏草が生い茂り歩きにくいが、蝶がたくさん舞っている。父がいるのといないのでは大違いで、緊張したり、緊迫しないでいられるので楽なのだが、仕事にとりかかるまで時間がかかる。看護師さんやヘルパーさんがこられることもなく、夕方まで仕事はできるが、つまらない。

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2010年7月 3日 (土)

いい人のところへ

out of reach ...

 父の家に行くと、雨脚が激しくなるたびに天井から雨漏りがした。
 聖カタリナ高校の講義が後三回になってしまった。去年教えた学生は実習中。月曜日からまた新しいクールが始まるということだった。
 カレンダーを見て、このペースだと書き上げられるだろうかということばかり考えてしまうが、その時間があれば書こうと思い直す日々。
 『人生の意味の心理学 下』は今月末に刊行予定。下巻には(長い)解説を書いた。今月は、インタビューをまとめた本(僕はインタビューを受けた14人のうちの一人)が刊行される。こちらは校正は終えている。
 本を出版すると、いい人へところに行けよ、という気持ちになる。

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2010年7月 1日 (木)

忘れ物

 原稿の締切に追われ、父のところへ行くのを一日遅らせた。昨日は暑かったから延ばしてよかったと思ったが、今日の方が暑かったのかもしれない。駅を下りて、タクシーに。何人かの運転手さんたちとはもう顔なじみなので行き先をいわなくても連れていってもらえる。
 父は部屋で寝ていた。夜、眠れなくってなあ。それは無理だろう、昼間、ここで寝てるようでは。おやつの後、部屋で寝ているようだ。家にいた時と同じといえば同じだが。「ああ、向こうの家に郵便物が届いていたら、持っていてくれないか。私が入院していることを誰にも知らせてないから、誰かから届いているかもしれない」という。父宛の郵便物は全部僕のところへ届くように手配してある。「入院」していると思っているのだ。もう骨折の痛みはないようで、そろそろコルセットを外せるだろう。その時、退院のことが話題になるだろう。
 帰りはいつもは歩くのだが、30分この暑さの中歩いて倒れるわけにいかないのでタクシーを呼んだ。駅で降りてすぐに二つある一つの鞄を車内に置き忘れたことを思い出した。幸い、電話をしたらほどなく届けてもらえたのだが、あの鞄がもし二度と出てこなかったら何を失ったのだろう、と考えた。父の服。これは何とかなる。原稿。これは困る。大いに困る。もう一度プリントアウトすればいいようなものだが、ボールペンで書き込んだものは再現できない。本。鞄の中に入れていたのは、『第四人称』外山滋比古、『頼藤和寛の人生応援団』(頼藤和寛)、『死の文化を豊かに』(徳永進)、『先生とわたし』(四方田犬彦)。

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