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2010年6月の記事

2010年6月27日 (日)

かわいい子がいてな、と

comme deux gouttes d'eau

 週末忙しくしていて、日記を書けなかった。25日、金曜は朝、聖カタリナ高校での講義、夜は鏡山保育所で保護者向けと職員研修。前は仕事を受けるとしても、父をどうするかを考えなければならず、前回、同じ保育所で研修した時は、夕方ヘルパーさんにきてもらうことにしたが、僕が出かけてから数時間誰もいないので心配でならなかったことを思い出した。この日は父のことを考えなくてよくてありがたかった。また病気になる前のように、講演をする機会が増えたら、と思った。
 今日は夕方、父のところへ行った。父の部屋に、近くの保育園の子どもたちのプレゼントである首からかけるメダルが置いてあった。父に「保育園の子どもたちがきたの覚えてる?」とたずねたら「おお、覚えてるとも。かわいい子がいてな。でも名前を聞くのを忘れたんだ」という。父は今日も退屈だというのだが、家にいた時と違って、たくさんの人と接する機会があるからか安定しているようで嬉しい。もっとも家にいた時のように長く一緒にいるとこんなふうにいえないのかもしれない。僕と妻の顔を見たら嬉しそうな表情を見せてくれてよかった。
 校正の仕事が二つ重なってしまった。それと10月刊行を予定していた本が一月早く出版されることになった。もとよりまだ原稿ができているわけではない。

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2010年6月24日 (木)

自分の一部が

 病気で倒れる前、何年も毎月一度、尼崎で保育士さんたちが参加する研修会に行っていた。バイパス手術後、自然休会の形になっていて、その後、父の介護のために出かけられなくなっていた。この会を世話をしてくださっていた先生が亡くなられた。長く闘病されていたことを知らなかった。2008年のクリスマスの日に会ったのが最後だった。所長をされていた保育所での研修に招かれたのだった。どの人も自分のどこかでつながっていて、自分を形作っているように思う。そんな自分の中の一部が失われた気がする。
 父のところへ行ってきた。痛みは治まってきているようで、明日から痛み止めの薬が中止になる。退屈だ、と何度もいう。色鉛筆を今度持って行こう。
 明日は、朝、講義、夜、講演。

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2010年6月23日 (水)

Jasmine

purple of beauty

 昨晩も遅くまで原稿を書いていた。久しぶりにFM放送を聞いた。キース・ジャレットとチャーリー・ヘイデンが、31年ぶりに協演したアルバムJasmineからの曲が流れていたので、すぐにiTunes Storeからダウンロード。聞きながらいつのまにか寝てしまったようだ。
 同じような毎日を繰り返して生きられることをありがたいと思う。

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2010年6月22日 (火)

心を開ける

purple gem in nature

 昨日は久しぶりに写真を撮りに出かけた。遠くにではなく、近所をぐるりと回っただけなのだが。ムラサキシジミを見つけた。越冬する蝶なのだが、長く見ることはなかった。羽を開かないと地味な蝶だが、羽を開くとこの通り。鳥でいえば、翡翠を見た時のような驚きがある。蓮の葉が大きくなってきた。7月には花が咲くだろう。梅雨なのに、梅雨だから心が晴れた。

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2010年6月21日 (月)

父の日に

 金曜日来体調がよくなかった。学生はたぶん気づかなかっただろうが、講義はつらく、帰ってから出かける予定をしていたが止めることにした。止めてよかった。この頃は大抵体調がいいので、油断してしまうようだ。ようやく日曜の夜、遅く回復。
 どうすれば親との関係を改善できるかということについて父とのことを書いていた。父が過去の記憶を大方失ってしまったこともあるが、これまでのあれやこれやのいろいろなことがあっても、父との関係を再建するためには、父ではなく僕が変わるしかないということを痛感している。父と二人きりになることを極度に怖れていたのはそんなに昔の話ではない。
 父は僕が病気になった時、元気になった。こちらに帰ってからも、不満があり、時にひどく怒ることがあったが、その時の方が今よりも元気だった。
 日曜、夕方土砂降りの中、父のところへ行くと、車椅子にすわってテレビを観ていた。僕を見ると、手を挙げた。退屈だと頻りにいうのだが、前はそうではなかったようないい方なのでおかしい。
 帰ろうとしたら数人の職員の声。見れば父が椅子から立って、歩いていた。まだ骨折後コルセットをつけているので、一人で歩かないようにいわれているはずなのだが、もう痛みがないように見えた。

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2010年6月17日 (木)

早く家に帰りたい

hydrangea in full bloom

 暑くなると長い時間歩くのが辛く、昨日、今日と自転車に乗った。父の家にある花に水をやりに行くのだが、お弁当を持って、仕事にいく毎日。父のところには、何もないので仕事をするしかないのがいい。冷蔵庫には何も入っていない。近くに店もない。何よりもいいのは電話がないこと(携帯電話は持ち歩いているが)。セールスの電話がかかってくと、考えが途切れてしまうので。今更ながら、昼間父と過ごしていた時はよく仕事ができたものだと思う。できてなかったのかもしれないのだが。
 昨日老健に行くと、父は車椅子にすわって、テレビを観ていた。コルセットはしていたが、もうあまり痛みがないようで、退屈だ、早く家に帰りたい、と頻りにいうので困った。「家に帰りたいわ。家だったら自由で気楽だ」。たしかにそうなのだろうが、父が自由でいるために、僕は不自由を強いられるとことが問題である。「他の人と話せないし、私もあまり人付き合いは好きな方ではない。退屈だ」と僕が帰るまでに何度も繰り返した。
 父が今いる老健の前に咲いていた紫陽花を撮ってみた。

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2010年6月15日 (火)

七変化

七変化 hydrangea

 遅くまで原稿を書く癖がついてしまい、朝は早く起きるのがつらくなってきた。勇気を奮い起こして(大げさ)、父のところへ行くと落ち着くきてよかったと思うのだが。
 若い人の夢を聞いていると、僕にもまだまだしたいことがあるのに、それを実現するためには、時間が限られているので優先順位をつけないといけないと思ってしまう。しかし、計画を立てるということをしたことがなく、仕事であればその時々にめぐってくるチャンスをふいにしないように大抵の仕事を引き受けてきたが(だから断る時にはエネルギーがいる)、この先、こんなことが可能なのか、とふと思う。
 批判よりは自説を建設的に主張することに専念すること。
 父の家の紫陽花が咲いた。雨よりも紫陽花を見ることで、梅雨を実感できる。

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2010年6月13日 (日)

日曜は休み

year-to-year: kikyo

 梅雨入りしたらしい。昨日までの暑い日が嘘のようで、身体はどうしたらいいのだと抗議する。そんなこと僕も知らない、といいたい。父の家のエアコン管理をしなくてよくなった。父は自分で温度調整ができなくなってしまっていた。とんでもない設定にしてしまうので、帰る時に温度を設定し、父はコントローラーに触れないようにしたのが、これが裏目に出てコンセントをプラグを抜いてしまうということがあった。夏も冬も風邪を引かないように注意するのが大変だった。
 昨日の朝、父のところへ行く。部屋に置いてある車椅子に自分で乗ってホールまで出てきたことがあったということだった。家にいた時に借りていた車椅子は自走用のものではなかったから父は一度も自分で車椅子を動かしたことがなかった。父にそのことをいったら、そんなことしてない、と強い調子で否定したのだが。
 日曜はこの頃は休みというふうに思ってしまうのか、長い時間寝てしまう。他の日と違うのは父の家で仕事をしないからだろう。
 父の家の桔梗が咲いた。今年は父は見ることができない。

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2010年6月10日 (木)

涼を求めて—青鷺

Seeking cool air

 長く写真を撮らなかった。忙しかったこともあるが、それだけではない。梅雨には入る前の晴れの日々。外に長くいるとさすがに暑いが、屋内は快適。近くの川で青鷺を見かけた。涼しそうですか?

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お前がいるから

 夜中にあれこれ考えが頭に浮かび、横になったままiPhoneのエディタを使って書き留めた。これなら起き上がってコンピュータを使ったらよかったと思うくらい。朝になって忘れるようなアイディアはたいしたものではないという人もあるが、一度逃したら二度と現れないものもたしかにある。以前はこんな時、紙に書きつけていた。朝になって自分の書いたものなのに読めなくて残念な思いがしたが、今はその心配はない。
 父に会いに行ってもいつも寝ていて、起こす勇気もなく(勇気ではないか)帰ることが続いた。行っても覚えてないから、と思ってもみるが、そして実際僕がきたことを父は覚えていないかもしれないが、会うのと会わないのでは違うだろう。いつか、家にいた頃、食事の時間以外は寝ているので、僕がきても意味がないといったら、そんなことはない、お前がいるから安心して寝られるんだ、といわれ驚いたことがあった。
 三年前にバイパス手術を受けることになった時、父が電話をしてきていった。退院の日、車を出すから、と。車で僕の家まで送る、というのである。結果的には父の助けを借りずに、電車で帰ってしまい、退院したことを帰ってから伝えたところ、ひどく落胆した様子が電話の向こうから伝わってきた。父は僕の病気のことを今では覚えていないが、僕が弱っていた時父は力が漲っていた。しっかりしなければ、と思ったのかもしれない。
 毎日、父のところにきて仕事をしている。梅雨入り前の快適な日々。

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2010年6月 7日 (月)

いっそ過去のことは

(公私共々少し忙しくしていて、返事など遅れています。すいません)
 去年教えていた学生が今日から実習に行く。去年は訪問看護実習に父のところへ学生が何人もきて、学生との再会できて嬉しかった(僕は、ということだが)。講義の時、よほどのことがなければ、来年実習の時に父のところに実習にくる学生がいるという話をしたのだが、そのよほどのことが起こってしまったことになる。もっとも老健に入るというようなことはその時はまったく予想もしていなかったのだが。
 前の日記を読み直していて、「父が忘れてしまったことは仕方がない。もういっそ過去のことはすべて忘れて、一からやり直したい」といったことを思い出した。どうしたらこんなふうに思えるよう援助できるだろう。今が満たされていれば、過去の思い出にとらわれる必要はないだろう。しかし、それではどうすれば今が満たされていると思えるかは難しい。そのように思える援助はできても、それ以上のことはできないだろう。畢竟するに、このようなことは本来的には父の課題だからである。できることは、今の父をそのまま受け入れること。前の父と違うというふうに見るのは、親が子どもを理想から減点してみることに等しい。

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2010年6月 5日 (土)

また会えなかった

In order to survive...

 金曜。午前中、講義。毎回、質問紙に質問をかいてもらっている。紙は缶の中に入れてあって、講義の前に中から出すのだが、昨日はことのほか多かった。予定していた講義はできなかったが、学生が聞きたいと思う話をするのがいいだろうし、質問へ答えるうちに話すつもりだった講義内容も答えを通して話すことができる。後は教科書をはしからきちんと学習しないと勉強したという気になれないという真面目な学生にこんな講義もあることを納得してもらうだけである。
 講義の前に父の家によって花に水をやり、出かけるまで原稿を書いていたが、暑い日になった。父を老健にたずねる日だったが、あまりに暑く出かける時間を一時間遅らせた。今回も父は寝ていて、起こさずにスタッフに様子をたずねて帰った。散髪をしてもらって髪が短くなったのはわかった(予約を入れておくのである)。前回も父と話せなかったので一週間会ってないことになる。父がこちらに帰ってからこんなことは一度もなかった。今度行った時、覚えてくれますように。

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2010年6月 3日 (木)

今なら少しわかる

 午前中、受診。一度父の家によってゴミを出してからだったので遅くなったが、病院に行くと、木曜は10時から診察開始、とあって脱力。まだ30分もあった。診察が始まってからもなお1時間待った。こんなことならコンピュータを持ってくれば、原稿を書けたのに、と後悔したがしかたがない。前のように父を一人で家に待たせて病院にいると気がかりで仕方なかったが、心配することなくただ待てばよかった。
 この頃、青空文庫に入っている本をKindleで読んでいる。歩きながらでも読める。夏目漱石の小説を再読しながら思った。学生の頃はわかってなかっただろう、と。もちろん、当時間違って読んでいたという意味ではないが、冬の寒さを真夏に想像するような無理があっただろう。今日は『こころ』を読んでいた。
 昨日から介護の本を書いている。父がこちらに戻ってきてから細かく記録をしてきている。父しか知らないので書くのは容易ではないのは本当だが、子どもを100人育てた経験がないと子育ての本を書けないわけではないのと同じだろうと思う。

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2010年6月 1日 (火)

完了/画面に触れてしまう

Purify yourself

 昨夜は遅くまで、なかなか思うように進めることができなかった『人生の意味の心理学 下』の巻末に載せる解説原稿を書き終えた。5月中に完成しようと思ったが、日が変わっていた。それでも書き終えたので、今日は解放感がある。早くも次の仕事のことで頭がいっぱいなのだが。
 これから父のところへ行こうと思うのだが、雲行きが妖しくなってきたので行こうかどうか迷ってしまう。
 初めてiPadに触った。画面が大きいので、いつもと同じように(ソフト)キーボードで入力しようと思ったが、ホームポジションに指を置くということができず、少しでも画面に触れると、その文字が入力されてしまい、とてもこれでは短い文ですら入力できないと思ってしまった。指一本でぽつぽつ入力するのなら問題ないのだろうが。Kindleにもキーボードがついているがほとんど使ったことがない。本を読むことに徹しているからだが、Kindleで例えばtwitterをしようと思えば(もちろん、できる)この指一本(右と左の人差し指を使うなら2本)でしかキーボードは打てない。

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