« 2010年2月 | トップページ | 2010年4月 »

2010年3月の記事

2010年3月31日 (水)

乗り切った

 3月を乗り切ることはできないのではないか、と何度も思ったが、なんとか新しい月を迎えることができそうだ。タイマーをあわせずに、心ゆくまで眠りたいくらいだが、そういうわけにもいかない。いくつもの締切に追われたが、迷惑をかけずに責任を果たすことができてよかった。
 次は10日までに5月に出版する翻訳の校正を終えなければならない。
 仕事があるというのは嬉しい。
 Twitterで野口聡一さんをfollowしたのがきっかけになり、宇宙関連の本やコミックが思いがけず集まってきた。『宇宙兄弟』(小山宙哉、講談社)を読み始めた。

| | コメント (0)

2010年3月29日 (月)

震える月

Shivering in the contraseasonal cold

 その後、外は吹雪になった。そうかと思うと晴れる。猫の目のように変わる天気といえばいいのか。父の家を後にして帰る時、月が東の空から昇ってきた。

| | コメント (2)

父のヒヨドリ

 寒い日になった。ヒヨドリがみかんを食べにやってきた。父はその様子を見て歓声を上げる。
 まだ今月中にやりとげないといけない仕事が二つ残っているのだが、今朝、なお残っている原稿の訂正を編集者に送ったところで、少し気が緩んでしまった。本を少し読んでは、原稿に向かい、数行書いて疲れるとまた原稿に向かうという繰り返し。朝から訪問看護。もうすぐ主治医の往診。

| | コメント (5)

あの自信はどこから

 父の調子が悪く、夕食はやめたほうがいいかもしれないと思って、父にそのことをいうと、夕食止めておこうか、というので本当によくないのかもしれないと思って驚いた。食事をとらないことはもちろん残すこともほとんどなかった父がそんなことをいうからである。でも「おかゆ炊いたから」といったら、ぱっと顔が輝いた。
 息子が帰ってきた。今回は30日には帰ってしまう。僕は昼間父のところへ行っているのと、まだ後二つ今月末締切の仕事があるので、ゆっくり話す時間はないかもしれない。
 昨夜は遅くまで校正をしていた。編集者からのファックスを送ったというメールが一時に届く。結局、寝たのは三時半になった。昼にもファックスが届き、自宅と父の家を三往復したら、一万六千歩も歩くことになった。一度に50枚ほどのファックスなど自宅の機械では受けられない。近くのコンビニで受信できることがわかり、今回は何度も利用した。速くて鮮明に印刷される。難点は1枚50円すること。最初、店に行った時、ファックスの受信ができるか確認したところ、若い店員さんは「できません」と即答。あの自信はどこからくるのだろう、と思った。インターネットで調べてできることは知っていたが、店によってはできないこともあるかもしれないと思ってたずねたわけだが。自分が知らないこともあるかもしれないといつも思っていたいし、自分が間違っているかもしれないといつも思っていたい。
 ここまで書いたところで、息子と話し込んでしまった。小学生だった息子が宿題をするとなりで、仕事をしていた頃のことをふと思い出した。

| | コメント (0)

2010年3月25日 (木)

今のほうが

 この数日忙しくやっと一息つくことができた。(コメントにも返事ができておらずいただいているメールへの返信もできずにいます。少し、お時間をいただけたらありがたいです)。
 なんとか二つの仕事の目処が立ちそうだが、なお今月中締切の仕事が二つを残している。四月になると五月刊行の翻訳の校正を終えないといけない。こういうのを自転車操業というのだろうが、若い人には通じる言葉なのだろうか。こぐのをやめれば倒れてしまう。
 そうはいっても、今のような生活を送れることは病後の僕の余生としてはこれ以上望みえないことなのである。病気の前よりも体力があるといってもまちがいではない。あの頃は、冠動脈が閉塞寸前だったのだから。頭への血の巡りもよくなったからきっと頭もよくなった気がするといって家人のひんしゅくを買っている。それはともかく、前のように徹夜や夜更かしをすることがめっきり減り、その分、仕事の時間は減ったが、身体の調子はよくなった。父のところへ毎日通うことも仕事のことだけを考えると時間も体力も失うことになるが、朝早く起きること、毎日、前とは違って1万歩は歩くようになったことは身体のことを考えるとよかった。しかし、父のところに行くことで、父の世話をする時以外は仕事をするしかないというのはいいのかどうかわからない。父が帰ってから3冊本を書き、近くまた新しい本も出せるのは父のおかげというべきか。
 この間訪問看護にこられた看護師さんと話していたら、「それはお父さんが縁をつくってくださったのですよ」といわれ、たしかにそのとおりだと納得したことがあった。介護のことで近く対談をする機会が持てるのである。父が帰ってこなかったら介護について考えることはなかったし、さもなければ会うことがなかった人たちとも会え、これからも会えることは嬉しい。
 昨日、近くの写真館で写真を撮った。4月の終わりに刊行される本の著者略歴に写真がいるからで、そのためには自分でカメラをにらんで撮ってもよかったのかもしれないのだが、カメラマンの指示に従ってあれこれポーズをとるのは初めてのことで緊張したが、楽しいひとときだった。

| | コメント (2)

2010年3月19日 (金)

ありがとう

 54歳の誕生日。無事一日が終わろうとしている。心筋梗塞で倒れてからもうすぐ4年が経つ。僕が倒れたのは四月だったが、その頃も、春が間近とはいえ肌寒い最近の気候に似ていた。その年、カタリナ高校に初めて出講した日、駅でタクシーを待ちながら、こんな日にはコートがいると思ったことを覚えている。一回講義をしただけで入院することになり落胆していたところ、どんな形でも復帰してください、といわれて本当に嬉しかった。
 翌年、バイパス手術を受けることになり、仕事をかなり制限することを余儀なくされ、身体の具合がよくなった矢先、父が帰ってきて、それから一年半近く介護の日々を送っている。仕事はほとんどが父の家や自宅でできることしかできなくなった。それでも、外に一歩も出ることができずずっと家の中で療養することになるのではないかと当初悲観的な思いにとらわれていたことを思うと、これだけ回復したのだから、何を不満に思っているのか、とも思う。時折、講演に行き、本を書くことだけが今僕にできることだが、こんな形でも、この世界に僕を引き止めてくださった方たちに恩を返せたらいいのだが。
 ありがとうございます。

| | コメント (6)

少し気が晴れた

waiting for spring

Doesn't she look lovelier?

 仕事が苦しくて、カメラを持って散歩したら、少し気が晴れた。ジョウビタキの雄と雌(間違ってなければ)。

| | コメント (1)

2010年3月15日 (月)

あきらめずに続けられるか

powerful flight


Under the radiant sun

 父の家の木瓜が咲き出した。Flickrに載せ、twitterからリンクしたら、アメリカの人たちに人気があった。
 この鳥の名前はわからない。白鷺や青鷺とは違って、小さな鳥が飛んでいる写真は僕のカメラと技術ではとても撮れない。飛び立つ時に、一声啼いたのかもしれない。
 twitterといえば、野口聡一さんをフォローしている。『オンリーワン ずっと宇宙に行きたかった』(新潮文庫)にこんなことが書いてあった。宇宙に行った人と行けなかった人の間には越えられない壁がある。その差は何か。
「あきらめずに続けられるか。ぼくはそれだと思います。あとは運。宇宙飛行士に選ばれるのも、良いミッションにめぐり合えるのもそうだと思う。長い間がんばってしっかり能力を高めて、あきらめずに食らいついて、あとは運を信じる。書いてしまうとあっけないことですが、それだけのことです」(p.90)
 頑張ろうと思った。

| | コメント (4)

2010年3月14日 (日)

行きたいなあ、と

Spring has come

 暖かい日になったのに、仕事のために父の家で缶詰状態。今日は、オオイヌノフグリ。Needs new flower nameというコメントをtwitterでもらった。
 父は時刻表を持っていくと、熱心に眺めていた。父の確定申告を出しに郵便局に行かなければならなかったので、いつまでも横にならないことに困惑したが、夢中になれることがあってよかった。窓から電車が発着するのが見えるのである。ヘルパーさんによると、いつか電車を見て、昔、江原まで(当時は)汽車に乗ってスキーに行った話をしたという。
 山登りに出かける人たちを見て、行きたいなあ、という。「でも、外を歩いたらいかんのだろ」と今日は先回りしていわれてしまった。ぼんやりしていることが多いのだが、時折、冴えていることがあって驚く。父とゆっくり話せる余裕が僕にあればいいのだが。

| | コメント (2)

2010年3月13日 (土)

仏の座

Buddha's seat

 忙しい日が続く。時間が経つのが早い。
 父の家までの道に春の花が咲き始めた。
 自分の原稿は何度も書き直し、何度も読んでいるので、はたして初めて読む人にはどんなふうに読まれるかわからない。
 複線電化が完成し、今日からダイヤが変わる。父にその話をしたら「誰かが(誰かは不明)今日から、13日だな? 複線になるといっていた」と話し出すのに驚く。デイサービスから帰ってきた父が夕食後、ふいに「駅の中を通って帰るのか」とたずねる。「悪いけど、時刻表をもらってきてほしいんだ」「それはいいけど、何するの?」「電車が通った時、何時の電車かわかるだろう」明日、渡しても覚えていないかもしれないが、忘れないように、時刻表に鞄の中に入れた。今日は頭がクリアなのでデイサービスに行ったことも覚えているだろうか、と思って、今日は何をしたかとたずねたら「寝たり、起きたり、いろいろ!」という答えが返ってきた。一瞬の輝きだったのかもしれないが、父の心が躍ったのは嬉しい。

| | コメント (2)

2010年3月10日 (水)

取材

Glad you are back

 朝日新聞の取材を受けた。4月に掲載される。有能なインタビュアーに助けられ、仕事であることを忘れて話し続けた。
 インタビューは、父のダイニングで。父は今日はデイサービスなので不在だった。初めて会う人に話すのはいつも緊張するが、そんな必要がなかったことにすぐに気づいた。照明を当てての撮影もあってどぎまぎしたのだが。
 昨日は、雪が降って、ヒヨドリの姿を見かけなくて心配したが、またやってきた。僕は話に夢中で気づかなかったが、取材中もきていたかもしれない。

| | コメント (3)

2010年3月 9日 (火)

雪の中のメジロ

White-eye playing in the snow

 朝、みぞれ。やがて、父のところへ向かううちにみぞれが雪に変わった。
 父のところから帰る時に思い立って、梅林に立ち寄る。雪が積もった梅を接写していたら、メジロの大群が飛来。しばらくあちらこちらの木にとまった後、飛び去っていった。

| | コメント (4)

2010年3月 8日 (月)

父とゆっくりした時間

Great healer

 今日は朝から父のところで昨晩ほぼ書き上げた原稿の仕上げにかかった。もっとも今日は訪問看護の日で、実際に仕事に取りかかれたのは、10時半だったのだが。1時半に原稿を送った後は、久しぶりに差し迫った締切がなくなった。今日限りのことだが。
 今日もヒヨドリがやってくる。父はぼんやりして過ごしているが、窓越しにヒヨドリを見ると、ほほえみ、鳥がきた、と教えてくれる。うまく写真が撮れた時には父に見せる。今、撮ったのか、ほぉ、と父。
 父とゆっくりした時間を共有できてよかった。

| | コメント (0)

2010年3月 7日 (日)

春になれば

Feel a breath of spring in the cold winter air

Cold again here in Kyoto. Father appeared to be very tired today and spent many hours in bed. He told me that he no longer knew what day of the week it was. He doesn't notice that he was reading the same newspaper he had read the day before. I wish I could go out with him when it gets warmer as we did last year.

 また寒い日になった。父は今日は久しぶりに家にいられる日で、疲れたのか、寝ている時間が長かった。
 今日は、トイレの場所がわからなくなって(ポータブルトイレを使っている)「この家は、トイレは階段を下りないといかんかったな」と二度もいうので、驚く。去年、この時期、二ヶ月の入院後、退院して以来、階段は使っていない。
 母が亡くなって以来、料理は少しはできるようになったが、それ以外の家事は思うようにできない。ヘルパーさんにきてもらってなかったら、父の家はすぐにひどいことになったのではないかと思う。
 少しずつ本ができていく。この頃、ずっと眠い。
 増水した川で見かけたキセキレイ。飛び立っては、何度もブーメランのように同じ石に戻ってきた。

| | コメント (3)

2010年3月 6日 (土)

前世の記憶のように/虹

unexpected encounter with the rainbow

 水曜のデイケアから始めて、父は今日は四日目の外出。初めてのことなので心配だったが、朝、行くと、「よく寝た」といい、抵抗なくデイケアに行ってくれた。今日こそは、昨日も行ったではないか、というのではないか、と思っていたが、前日の記憶はすっかりリセットされていた。
 夕方、帰ってきた父は、疲れたともいわず、新聞を読み始めた。常も夕食は早いのだが、さすがに4時過ぎに夕食にするわけにはいかず、時間が過ぎるのを待った。父が新聞を読めているのかは、実のところ、定かではないのだが、父があるページを熱心に読んでいた。見ると、脳梗塞の治療についての記事だった。今は、カテーテルを使って治療できることが書いてある。父はなぜそのページに心ひかれるのかわからなかったかもしれない。四半世紀前に、妻、つまり僕の母を脳梗塞で亡くしているのであり、脳梗塞という言葉は父にとって特別の意味を持っているのかもしれない。しかし、今となっては、その時のことを何も覚えていない。それにもかかわらず、脳梗塞という文字が父の記憶を刺激したのかもしれない。
 忘れていた前世の記憶が今生になってふいに蘇るとしたら、こんな感じなのだろうか、と思った。
 写真の虹は3日に撮った。風の冷たい日で、川には鳥の気配がなかった。寒いので帰ろうと思って空を見上げたら、虹が見えた。

| | コメント (3)

2010年3月 5日 (金)

大阪で講演

attracted by tsubaki

 昨日は大阪で講演(REC会)。少し早めに出かけ、梅田近辺を歩いたが、日頃、父と静かに過ごしているので、人の多さに圧倒される。1時間の講演の後、懇親会に参加。実りある対話ができて、強い刺激を受けた。講演で聴いたことは、実は既にパートナーが以前から生活の中で実践していたことに気づいたという感想を何人かの人から聞いた。社会の新しい動きに取り残されないように。
 昨日の写真は、メジロ。一心不乱に蜜を吸うが、花から花へとめまぐるしく飛んでいくので、思うようには撮れなかった。しかも、雀よりも小さい。
 今日のは、ヒヨドリ。嘴が黄色いのは花粉。窓越しだが、父の家のダイニングから撮った。

| | コメント (9)

2010年3月 4日 (木)

今日は出かけるのか、と

sucking honeydew

 朝から深夜まで、途中、父の介護と、家に帰って夕食の準備のための時間を除いてはずっと仕事をするという日がもう長く続いている。生活がかかっているので、一つの仕事だけにかかりになれない。昨夜、脱稿した仕事があって、大きな荷を一つ下ろせて安堵。目下、満身創痍となって編集者から返ってきた原稿に手を入れている。
 今日は夜、大阪で講演。久しぶりの講演の仕事のために、父を、昨日のデイケアに続いて、今日から一泊二日のショートステイに送り出さなければならなかった。朝、ひげ剃りを手渡すと、今日は行く日か、とたずねる。昨日のことは覚えてなかった。昨日、行ったばかりではないか、といわれたらどう説明しようか、と考えていたので、助かったのだが、悲しい。迎えの車がくるまでに時間があったので、父は「寝てくる」と立ち上がる。その時には、もう出かけることをすっかり忘れてしまっていた。「お前、今日は出かけるのか」とたずねる。父は出かけずに寝ていたかったようだ。今夜は泊まりであることを父にまたいえなかった。夕方、帰れずに、また困らせることになるだろう。ショートステイのスタッフの方々には申し訳ないが、キャンセルできない仕事なのである。仕事に行きたいので、協力してほしいという話は過日父としたのだが。

| | コメント (2)

2010年3月 1日 (月)

一つの時代が終わる

 今日は第一日赤受診。病院に行ってくると父にいうと「行ってらっしゃい」という。9時半の訪問看護まで少しの間誰もいない時間があるので、その間、寝室に行ってほしかったので、行ってらっしゃいでは困るのである。説得して、部屋に戻らせ、出かけた。病院に行くといっても、心配してくれない。もちろん、心配させる必要はないわけだが。
 今日は11時の予約だったが、12時前になって看護師さんが、あと一時間ほどかかるといわれる。大丈夫ですか、といわれるが、大丈夫ではないといっても順番を変えてもらえたとは思わない。昼食を先にすませる。採血、レントゲンは問題はなかった。それはよかったが、突然、主治医(循環器科)から別病院に異動になることを聞かされた。前回は、先生の異動先病院についてきたのだが、今度の病院は心臓血管外科がないということで、今の病院に留まり、同門の先生に次回から診てもらうことになった。突然のことで、4年も力になってもらったのに、十分お礼をいえなかった。心筋梗塞で倒れた日、先生が当直でなかったらどうなっていたかと今も思う。本は書きなさい、残るから、ともいわれた。家から一歩も出られなくても、本を書きたい、といって先生を(たぶん)あきれさせたが、退院後、8冊の本を出版した。僕の中では一つの時代が終わる気がする。

| | コメント (0)

« 2010年2月 | トップページ | 2010年4月 »