« 2009年11月 | トップページ | 2010年1月 »

2009年12月の記事

2009年12月31日 (木)

今年最後の日

 常と変わらず、父と今年最後の日を過ごしている。朝、訪問看護。
 この一年は、父の介護で思うように仕事ができなかったが、要介護度が上がり、利用できる介護サービスの枠が増えたので、秋頃から少し自由になれる時間が増えたのはありがたかった。これからどうするか、考えなければならない。
 息子が帰省中で、常は話ができない分、あれこれ話をできて嬉しい。卒論を書いていて、宅急便で必要なたくさんの本が届く。本がないと書けないは、僕の仕事と同じである。僕は目下同時進行で四つの仕事をしている。一つの仕事に疲れると、別の仕事のファイルを開けて書き進めるが、切り替えはそんなにうまくはいかない。
 今日は風が強く、家の中にも風が吹いている。寒いから暖房をあげてくれ、と父が起きてきたが、どうにもならないだろう。20度なので十分暖かいはずだが、体感温度は低い。
 この一年、お世話になりました。

| | コメント (0)

2009年12月29日 (火)

受診

 月曜は僕の受診日。長い時間、待たなければならなかったが、父の診察ではなく、一人だったので、ただ待つだけでよく楽だった。父と一緒だと気を遣ってしまう。
 採血をしたところ、肝臓関係の数値が軒並み悪かった。原因はわからない。心臓の方は問題なかった。
 病院に行っている間、父の介護を妻に代わってもらった。訪問介護にこられた看護師さんが父に「今日はどなたにきてもらってるのですか」とたずねたところ、父は答えられなかった。
 朝に帰ってくるというメールが東京の息子から夜にあったが、父のところにきているので、まだ会えてない。

| | コメント (0)

2009年12月27日 (日)

できることを今のうちに

my passion

 何とか年を越したい。来年は格別に忙しくなりそうである。できることを今のうちにしておこうと思うので、なかなか気が休まらない。明日は受診。いい結果が出ればいいのだが。

| | コメント (0)

2009年12月26日 (土)

彼岸へ

foggy egret

 深い霧の朝。

| | コメント (0)

心配してばかり

flying across the river

 年末なのに、あるいは、年末だから、ひどく忙しい。去年は12月24日に父が入院し、毎日、病院通いをしていたのだった。今年は、病院での年越しは回避できてありがたいが、寒い家で冬を越すのはなかなか大変である。そう僕が思っていても、父が夜か朝かわからないが寒い暖房のない部屋にいた形跡を朝見つけて愕然とすることがある。知らんなあ、と平然としているが、風邪でも引かれたら、と思って心配でならない。
 霧の深い朝、たくさんの白鷺や青鷺がいた。僕の気配を感じて、一斉に向こう岸へ飛んで行った。

| | コメント (0)

2009年12月24日 (木)

仕事なんかしてないでは…

foggy winter morning

 昨日は大学に行かなくてよかったので、夕方まで仕事。その後、思い立って妻と映画を見に出かけた。この一年は絶えず父を見ていなくてはいけなくて、休みの時も、交代でしか動けなかったが、要介護度が上がり、介護サービスを利用できる枠が少し広がり、父から離れられる時間が増えたのはありがたい。一つには父が弱ってきて、前のように行動的でなくなったということもあるが、寝ていると思って買い物などで父を一人にして帰ってくると起きていて、食事をしていないといったりするようなことがあると、いつも拘束されている気がして気が休まらない。昼間、父の前で仕事をしている時も、意識のどころか視野の片隅に父はいて、いつもすぐ動けるように対面しているのもつらい。僕たちが昼間過ごす部屋は明るく、日が射してくると、父は電気を消してしまう。仕事しているから消さないでほしい、といっても、お前は仕事なんかしてないではないか、といわれたら、何も言い返す言葉がない。昨日の日記で引いた男性と同じなのだ。
 昨日見たのは「のだめカンタービレ」。最近、twitterでプロの音楽家たちと話すことが多く、音楽について考えることが多い。コンクールなどがあって、他者との競争という面もあるかもしれないが、根本はそこにあるわけではない。恵まれた環境での音楽もあるが、生活の中からの、あるいは、生活に根ざした音楽というのもあるだろうし、あるべきだと思った。

| | コメント (2)

2009年12月23日 (水)

勤めに…

rest between flights

 10月から近大姫路大学へ出講し、今日が初めての休み。父をデイケアに送り出す。いつもはそれからすぐに出かけ、帰ってくる頃は日がとっぷり暮れているが、今日は時間のプレゼントをもらったように感じる。昨日は手がけていた翻訳を最終ページまで訳し終えることができた。
 昨日の夕刊に認知症の母親を介護している男性の話が載っていた。残業ができないので仕事に就けない。ある日、母親がいった。「勤めに行かねえんか」。男性は声を荒げていった。「誰のおかげで仕事が決まらないと思ってるんだ」。病気がいわせているとはなかなか思えない。これやあれを忘れることはしかたないと思えても、生活の基盤について理解できていないことを知ると、心穏やかでいられないことは、たしかに僕にもあると思った。
 写真はキセキレイ。

| | コメント (0)

2009年12月22日 (火)

霧の朝

foggy morning

 三時頃に父のところにやってくると(今日は昼食などはヘルパーさんにお願いしてある)、おお、誰かと思った、といわれてしまった。久しぶり、といいそうな感じだった。穏やかにしているのだが、暖房をしていない部屋に長くいた形跡が今日もあって、風邪を引かない心配。本人にいっても覚えていないので、どうすることもできないのだが。いろいろなことが気になるが、同居していても、どうすることもできないことはあるだろう。少し根を詰めて仕事をしたので、今週は疲れ気味。来週は僕が診察を受ける日があるので、体調を整えねば。病院に行くから、そうするわけではないが、緊急ではなくても、入院することになったら、父のことはどうするのかという不安はいつもある。
 今朝は池が一部凍っていて、深い霧に覆われていた。

| | コメント (0)

ほめることと勇気づけ

ほめることと勇気づけ

 子どもたちが課題を前にしてそれにどのように取り組むかは、本来子どもの課題であって、親の課題ではない。ある課題、たとえば、勉強をしなくても、そのことによって起こる結末は、子ども自身が引き受けなければならないのであり、また、そのことによる責任も、子どもが引き受けるしかないのである。
 とはいえ、親としては、子どもが難儀していたり、手をこまねいていたりしていれば、なんとか援助したいと思うであろうし、そうすることが必要な場合はある。その親による援助が適切なものであれば、成功するかどうかは措いておくとしても、子どもは課題に取り組む気になるだろう。子どもの課題を肩代わりすることはできないが、子どもが自分の課題を自力で解決しうるという自信を持てるように援助することをアドラー心理学では「勇気づけ」と呼んでいる。
 本稿においては、しばしばこの勇気づけとは取り違えられる「ほめること」と「勇気づけ」がどのように異なるかを明らかにすることを通して、本号全体で考察される子どものやる気が育つ援助について考察したい。

やる気を出さない決心

 そもそも、やる気は「育つ」のかどうかというところから考察を始めなければならない。子どもではなく、自分について考えてみるとわかるのだが、やる気が起こるのを待っていてやる気が出たことがあるだろうか。私はない。なぜなら、他ならぬこの自分が、目下取り組まなければならない課題を前にして、それをしないでおこうと決めているからである。したがって、このしないでおこうという決心を解除しない限り、やる気が出てくることはありえない。子どもについても同じことがいえる。
 それでは、なぜ与えられた課題をしないでおこうと決めるというようなことが起こるのだろうか。いくつか理由が考えられる。一つは、子どもが課題を達成できない、と思っているということがある。しかし、とうていできないようなことでなければ、課題を達成するための努力は当然必要であるが、達成できないわけではない。アドラーは、ローマの詩人、ウェルギリウスの言葉を引いて「できると思うがゆえにできる」といっている(1)。これは精神主義ではない。アドラーは、できないという思い込みが、生涯にわたる固定観念になってしまうことに警鐘を鳴らしているのである。この思い込みを解除する必要がある。アドラーの「誰でも何でもなしとげることができる」という言葉は、このような文脈の中で理解されなければならない(2)。
 次に、与えられた課題をしようとしないのは、それをまったく達成できないわけではないのに、自分が望むようには達成できないと思っているということがある。自分が望むようにというのは、たとえば、試験でいい成績を取りたいというようなことである。いい成績を取ること自体には必ずしも問題があるというわけではない。しかし、他者との競争に勝つために、あるいは、勉強以外の面では勝てないと思っている子どもが自分の劣等感を隠すためにいい成績を取ろうとするのであれば、望む結果を得られないことは明らかであると思う時、初めから試験を受けないでおこうと決めることがある。課題に取り組んで結果が明らかになってはいけない。やればできるという可能性を残し、それを決して現実化しないことの方が、たとえ課題に取り組まないことで非難を受けるとしても、はるかに望ましい、と考えるのである。
 以上のような時に「やる気がでない」ということは、課題に取り組まないことのいわば免罪符になる。ある課題をただ「しない」ということは許されないと思う。何か理由が必要である。もちろん、「やる気がでない」といってみても、そのような理由を他の人は認めないだろうが、少なくとも自分だけは納得できる。アドラーであれば、このような納得の仕方を「人生の嘘」というだろうが、課題を達成しないことを正当化しようと自分を欺いていることに本人は気がつかないし、気づきたくもない。一度もいい成績を取ったことがない子どもは、このようにして課題から逃れようとするだろうが、ある時、思いがけずいい成績を取った子どもも、次の試験でも同じ成績を取れるという自信がなければ、課題に取り組もうとはしない。

叱ること

 このように考えてやる気を出さないでおこうと決めている子どもに働きかける時には、慎重になりすぎることはない。多くの親や教師は子どもが勉強をしなければなんとかしようと思うだろうが、アプローチの方法を間違えば、事態は何も働きかけない時よりも悪くなってしまう。どちらのタイプの子どもも、課題を達成できないと思っているという意味で、勇気をくじかれている。そのような子どもが課題に取り組む援助をしたい。子どもが課題に取り組む援助をするのであって、課題に取り組ませるのではない。
 課題の達成そのものは重要ではないという子どももいる。そのような子どもは、親から何かの課題をするように指示されたというだけで、そのことを拒否する。
 このことは、親が子どもを叱る場合に起こりうる。叱られた結果、恐れをなして課題に取り組む子どももいるが、叱られても反発する子どもがいる。子どもは、親がいうことが正論であることを知っているのである。親は子どもにいう。早く宿題をしないと眠くなるというようなことをである。このようないわれなくてもわかりきったことを親からいわれるほど腹立たしいことはない。そう思った子どもは、課題に取り組むことを放棄しかねない。叱ることでは課題に取り組まないでおこうという決心を翻すことはできない。かりに子どもが大人の叱責によって課題に取り組んだように見えても、自発的に決心したのでなければ、いつでも簡単に元に戻るだろう。

ほめること

 それでは、叱らないでほめればいいかといえば、そうではない。叱られる場合と同じく、ほめられた子どもも自発的に行動するのではないからである。ほめられるために何かに取り組む子どもは、もしもほめる人がいなければ何もしない。たとえ誰も見ていなくても、自分の判断で行動できる子どもになってほしいのである。
 このほめることと勇気づけがどの点でもっとも異なるかといえば、ほめることは上から下という対人関係を前提としているということである。ほめられた子どもは少しもうれしくはない。親のカウンセリングに同行した三歳の女の子が、カウンセリングの間おとなしく待てたら、親は「えらいね」とほめるだろうが、夫のカウンセリングに同行した妻が、カウンセリングが終わった時に、夫から「えらいね」といわれてもうれしくはないだろう。むしろばかにされたと思うだろう。子どもも同じである。子どもは喜ぶと思う人は、子どもを大人と対等とは見ていない。そのような人は子どもをおだてるべきだといってはばからない。もちろん、おだてられて動く子どもは、自発的に行動したことにはならない。

勇気づけ

 それではどうすればいいのだろうか。子どもたちが課題に取り組まないでおこうとするのは、課題そのものが困難であるからというよりは、子どもの自分についての評価に問題がある。それが適切なものであれば、取り組む課題がたとえ最終的に達成できないということがあっても、最初から断念することはないだろう。アドラーは、子どもが課題に取り組まないのは、自分に価値がないと考えているからだ、という(3)。子どもの課題を大人が肩代わりすることはできないが、いわば側面から援助することはできる。子どもが自分に価値があると思えるよう援助するということである。
 子どもはどんな時に自分に価値があると思えるだろうか。そして、大人は子どもがそう思えるために、どんな言葉をかけることができるだろうか。自分に価値があると思えるのは、自分が役立たずではなく、人に役立っている、と感じられる時である。カウンセリングの間おとなしく待った子どもには、「えらいね」とほめるのではなく「ありがとう」といいたい。これは子どもが待つことで他者(この場合は親)に貢献できることを伝えることによって貢献感を持つ援助をするのがねらいであって、決して次回も適切な行動をさせるためではない。貢献感を持てる援助をすることで、自分に価値があると思ってほしいのである。自分が何らかの形で貢献できたことを知った子どもは、自分のことに価値があると思え、自分を好きになることができる。課題に取り組める子どもは、このような子どもだけである。
 このような子どもは、自分が優れていることを他者に示すために行動しない。また、他者から評価されるかどうかも問題にしないし、他者から認められることも求めない。他者から認められることはうれしいことであるが、子どもがそれを求め、期待するようであれば、たとえ貢献に注目してもほめることと変わりはないことになる。もしも優れていることを示したり、評価されること、認容されることが行動の動機であれば、そのようなことが達成できないと思えば、課題に取り組もうとはしないだろう。他者に貢献するためには、それによって他者からどう評価されるかは問題にならないし、たとえ課題を完全になしとげることができなくても、最初から課題に取り組まないよりはるかに望ましい。このように考えることができる子どもの関心は、自分ではなく、他者に向けられているのである。他者への貢献が行動の目的であれば、行動しないという選択肢は最初からない。したがって、やる気があるかどうかも問題にならない。やる気がでないと考える子どもは、自分のことしか考えていない。勇気づけは、子どもが自分から他者へと関心を向け変える援助をするというところからしか始められない。叱ったりほめるような即効性のあるように見える子どもへの働きかけは、結局は、回り道になるだろう。
 
【文献】
(1)アドラー、アルフレッド『子どもの教育』岸見一郎訳、一光社、一九九八年
(2)アドラー、アルフレッド『個人心理学講義―生きることの科学』岸見一郎訳、一光社、一九九六年
(3)Stone, Mark and Drescher, Karen, eds. Adler Speaks: The Lectures of Alfred Adler, iUniverse, Inc., 2004.
(『児童心理』2009年12月号)

| | コメント (0)

2009年12月20日 (日)

読書会

peaceful coexistence

 この頃、昨日は、で始まる日記を書くことが多い。日記はその日のことを書くものだ、と小学校の時にいわれたことがあって、反発したことを覚えている。だからというわけではないが、夏休みの日記にいたっては8月31日にまとめて書いていた。今とは違って、インターネットなどなかったら、天気がわからなくて困った。
 それで、昨日だが、読書会。目下、鷲田清一の『「聴く」ことの力』を読んでいる。読書会後、父も交え、参加者と鍋を囲む。父は久しぶりにビールが出て(実は、ノンアルコールビール)喜ぶ。二杯目はだめといったら、なんでだ、と気色ばんだが、みんながいるので、「ということでだめなんだそうです」と笑う。
 ノルマを決めないとできない仕事もある。今年も年末、年始なく仕事に明け暮れることになりそう。

| | コメント (0)

2009年12月18日 (金)

ほしいなあ、と思って

 昨日は、思いがけず、父が昼間ほとんど寝なかった。もともとあまりに寒いのでゆうがたまでちちのところにいてもいいか、と思っていたけれども、帰るきっかけを失ってしまって、首をめぐらしたり、時計に何度も目にやって時を過ごしている父に見守られて、仕事をすることになった。
 ふいに父が、この家には電話がないだろう、夜中に救急車を呼ばないといけなくなったらどうするんだ、とたずねる。半年ほど前の父に戻ったように見えた。たしかに父がいうとおりで、電話がない。ただ父は忘れているのだが、電話をかけるすべを知らないのだ。
 父が新聞を大事そうに折りたたんでいるので、どうしたのか、とたずねたら、他の新聞に紛れた困るから取っておくのだ、という。見ると、通信販売の全面広告だった。「ほしいなあ、と思って」。一時の思いなので、さらりと聞き流せばいいのに、父が今置かれている状況を思うと複雑な気持ちになる。
 寒い日が続く。風は冷たく、手が凍り付きそうになる。この寒さも父のことがなければ大きな心配にはならないのだが、朝、行くと、僕の心配をよそに、電気毛布のスイッチを切って、線を元から抜いていた。なんでやろう、と父は笑うが、これからの季節、対策を考えなければならない。
 明日は雪が降るという予報が出ていた。

| | コメント (0)

2009年12月17日 (木)

答えられない問いだが

 昨日は、近大姫路大学へ出講。今年はこれで最後で次回は6日。父のことがあって、今年も年末、年始という感覚なしに過ごすことになりそうだが、仕事がつまっているのでそれもいいかもしれないと思ってみたりもする。
 大学の講義は死について。熱心に聴く学生もあってありがたい。看護学生なので、大いに関心を持ってほしいのだが。答えが出ない問いもあることだけでも伝えたい。答えが出ないから、探求する必要がないというわけではないということも。
 大学から駅までバスが出ている。玄関でバスを待っていたら、守衛さんに話しかけられた。「人は死んだらどうなるとお考えですか」と。もちろん、数分の間に話せることではないのだが、講義で話したばかりのことを要約して話した。
 父は穏やかに過ごしている。今日はあまりに寒いので、ずっと父のところで仕事をしようかと思っている。

| | コメント (0)

2009年12月15日 (火)

父と病院へ

Let there be light

 今日は父と病院へ。決してよくはなっていないのだが、悪い中で安定している。薬も代わらず、次の診察は二ヶ月後。去年は年末受診したところ、即入院が決まり、年末も年始もなかった。今年は家で父は年を越せそうである。
 夕食を出したら、お前は一緒に食べないのか、と父がいう。いつも父は一人で食べているのだが、ふと疑問に思ったのだろう。
 今日は病院で長く待たなければならず疲れてしまった。父の方が元気で、帰ってからも、夕方まで寝なかった。一人なら、本を読んだり、原稿を書いたりして、何時間でも平気で待つのだが、父から目を離せず、ずっと緊張していた。

| | コメント (0)

2009年12月14日 (月)

嵐山花灯路

Entrance to shadowland

 日曜の夜、父が寝た後、京都嵐山花灯路に行ってきた。寒かったが、思いがけず、大変な人出だった。冬の夜のライトアップは、寂しい気がする。この日は父のところと家を何度も行ったり来たりしたこともあって、1万8千歩を超えた。
 新しい眼鏡。しばらく外していたので目が疲れたが、眼鏡のおかげで、くっきりとコンピュータの画面が見えるのがありがたい。
 スマートフォンをやめて、HX003ZTというデータカードを買った。WILLCOM CORE 3Gは、知らなかったのだが、FOMAのネットワークを利用している。下り速度は最大7.2Mbpとのこと(実際には、ここまで出ないが)。これでストレス(があまり)なく、父のところで仕事ができる。Snow Leopardでも問題なく、使える(今のところ)。

| | コメント (0)

2009年12月12日 (土)

眼鏡はどこへ

2009年12月12日土曜日
 朝、起きたら、眼鏡がなくなった。すぐに出てくるだろうと、後で探せばいいと思って父のところへ出かけ、デイサービスに送り出した後、帰ってから、考えられるあらゆる場所を探したが、見つからなかった。最後に買ったのは、1996年などでもうそろそろ買い換えてもおかしくはないので(度数が合わなくなってきたのも本当である)、昼から、あきらめて新しい眼鏡を買いに出かけた。明日までは、ディスプレイに顔を近づけてキーボードを叩くことになる。
 中島梓の『転移』(朝日新聞出版)を半分ほど読む。体調不良の中、昨日は28枚、これで400枚などと書いてあると、少し疲れたくらいで休んでいてはいけないと思ってしまう。

| | コメント (4)

2009年12月11日 (金)

することがあまりない

peaceful coexistence

 木曜は朝、訪問看護。実習の学生さんが同行。昼からインフルエンザの予防注射。医師の往診時には父は寝ていても、起き上がる。幸い、父には痛みなどがあるわけではないので、安楽に終末を迎えられる援助ができれば、とこの頃よく思う。ひと頃のように、興ることも稀になり、不安を訴えることもなくなった。時折、大きな声で笑う。深刻になってもしかたがない。父が笑う声を聞くと、嬉しい。
 父のところにいてもあまりすることがなくなった。母の介護(という言葉は当時使ってなかったが)の時と似てきて、あの時も、母の病床に持ち込んだ本を読んだり、書いたりしていた。
 青鷺と白鷺が並んで立っていた。この二羽に何か交流があるのだろうか。マルクスはない、といったが、僕はあると思う。

| | コメント (0)

2009年12月 9日 (水)

何か食べようか、と

 今日は近大姫路大学へ出講した。早くも10回目。今日で病気についての話が終わり、次回から死について話す。大方の学生の興味から大きく離れる話でなければいいのだが。
 目下、水曜に行っているが、来年、入試の日が水曜日にあたり、その分を補講してほしい、という話があった。たちまち、父をどうしよう、と考えないわけにいかない。今はデイサービスに行ってもらい、夕方、ヘルパーさんに迎えてもらって食事をし、寝るところまで見届けてもらっているのだが、違う曜日に、といわれても、変更が可能なのかわからない。
 朝、行くと、父がダイニングにいて驚く。「何か食べようか、と思ったんだが」と父。この一年、自分で食事の用意をしたことがないのだが。
 僕が常とは違ってネクタイをしているのを見て、父が、今日は出かける日か、とたずねる。僕のことをたずねているので、そうだ、と答えた後、父も出かける日だといったが、しばらくすると、寝てくる、と出かける日であることを忘れてしまった。
 大学に行く前にいつものように姫路の書店に立ち寄る。『新・がん50人の勇気』(柳田邦男、文藝春秋)を手に入れる。これは文藝春秋に連載されものをまとめたもの。雑誌に出た時に大半を読んだ。ちょうど時期的には、バイパス手術の前後に重なり、考えることが多々あった。『アドラーに学ぶ』の中にも雑誌から引用した。考えが違うところもある。

| | コメント (4)

2009年12月 8日 (火)

やっぱり我が家はいい、と

 父は「昨日は帰られなかったから、久しぶりの気がする。やっぱり我が家がいい」とショートステイから帰ってきた。そうか、我が家なのだ、と思う。記録を見ると、初めての時よりも、安定していたようである。送っていった日が日曜日だったので、職員が手薄だったからだとは思うのだが、ドアホンで来所を告げたら、ほどなく看護師さんが出てきて、父を車椅子に乗せ、三階まで連れて行かれた。すぐに錠はかけられ、薄暗い建物の中は外からはわからない。どんなところなのか、様子を見ようと思ったのだが、適わなかった。父が遠いところに行ってしまった気がして、二日間、重苦しい気分が抜けなかった。
 今朝は父のところへ行かなくてよかった。明日は二度寝する、と家人に宣言していたが、結局、急ぎの仕事があったので、時間を何度も確かめながら(夕方に行くのを忘れてしまいそうなので)仕事をした。まだ(というのは、ちょうど日が変わった今のことだが)仕事は終わらない。

| | コメント (0)

2009年12月 6日 (日)

何かすることを見つけないと

camellia, my hope

 朝、父をショートステイへ送る。日曜は送迎はないので、車で送っていく。昨日、デイサービスに行ったばかりだが、昨日のことは忘れていた。
 父はデイサービスのことをこんなふうに話す。
「自分で何かすることを見つけないといけないんだ。そうしないと退屈だ。何をするわけでもなく、ぼおっとしている人がいる。居眠りしたり。あれではいけない」
 いつも家では何もしないでぼおっとして寝てばかりいるではないか、といってみたくなるが、もちろん、そんなことはいわない。でも、自分でもわかっているようで、デイサービスに行って、リハビリをしないと、歩けなくなるから、というと、本当にそうだ、と同意はする。明日、機嫌よく帰ってきてくれますように。
 一月に出版予定の本の校正を完成し、郵送。火曜日に四月に出版予定の本の草稿を編集者に送るべく、今日はずっと仕事をしているが、父のことを気にしなくていいという安心感からか、昨晩よく眠れなかったこともあって、長い時間寝てしまった。
 椿や山茶花をこれからの季節何枚も撮ることになりそうだ。

| | コメント (0)

2009年12月 5日 (土)

えてして医者は、と

swaying sun

 週末、忙しくしている。根を詰めすぎた気がする。
 金曜、予定していた父のインフルエンザの予防接種が中止になった。父は注射の覚えていて、先生が往診の時に注射することを伝えると、「えてして医者は注射が下手ものだ」と父がいうので笑ってしまった。「先生、こられたらそういったらいい」「いや、いえるものか」
 父は、あんまり行きたくない、と今日もデイサービスへ。「何かすることがあったらいいんだが。何もすることがないのだ。それなら家にいた方がましだ」というのだが、もちろん、そんなことはない。疲れて帰宅したが、明日から一泊のショートステイに行くことになっている。何と説得したらいいものか。火曜の朝まで、仕事があって父の介護どころでないというわけにいかない。
 写真は、水の中で揺れている太陽。

| | コメント (3)

2009年12月 2日 (水)

深い霧の中に

meditating duck

 今日は近大姫路大学へ出講。早くも9回目。若くて元気な看護学生たちがどれくらい病気や死の問題に関心を持ってもらえるかわからない。身体のことなど少しも意識しなかったのに、身体が痛みや不安によって人を支配する状態へと移行することを病気だとすると、どんなふうになれば回復したといえるのかという問題へとつなげるべく、今回は病気になるというのはどういうことなのかについて講義した。症状がなくなることが必ずしも回復ではないだろう。父のことを考えた。この一年で父はずいぶん衰えたが、治癒が期待できないとされる認知症者にとって回復ということがあれば、どういうことを指して回復というのだろう。アリセプトを服用しても、顕著な効果があるとは思えない。記憶障害は進み、見当識障害はいよいよひどくなってきたが、元の状態に戻るという意味でなら回復はありえないことになる。
 青空の暖かい日になったが、僕が住んでいるところは地面が濡れるほどの濃霧だった。霧を見ると父の状態を連想してしまう。霧の外に世界があることもわからずに、深い霧に閉ざされているように見える。
 夕食を作ったが娘からはいらないというメール。妻はあいかわらず帰宅が遅い。早々に食べ終え、仕事中。

| | コメント (0)

« 2009年11月 | トップページ | 2010年1月 »