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2009年10月15日 (木)

悪かったな、と

 吃音ショートコースの時の写真をもらった。写真を見ると、痩せているのがよくわかる。手術後ほどのことはないと思うのだが。問題は血管中のコレステロール量なので、見た目痩せているかどうかは関係がない。それはともかく、長時間の講義だったのに楽しんでいるのがわかるかと思う。
 今日は父と静かに過ごした。昼間少し横になって寝てしまったようだ。父が起きてきてあわてて起きあがったが間に合わなかった。「悪かったな。起こしてしまって」と父がいってくれた。もちろん、悪くなどないのだが、僕が父の世界の中に生きていることがわかってよかった。この時は、ということであるが。

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日記」カテゴリの記事

コメント

父が亡くなって10年以上経ちました。意識がはっきりしている時と、幻覚の時がありました。子ども帰りしていく様子が時の経過で分かりました。父を恨んで過ごしていましたが、父の変化から恨みは消えていきました。父は私を認めて、愛情をもってくれていたのだと、父と同居してくれた、長男から聞きました。
講義で誤解されない言い方が大切と聞いていましたが、昨日の機械的な挨拶では、人から私への挨拶の多くがまるで、コンビニで聞くことばのように聞こえました。まだ私が言う挨拶の声はどのようかなのかを聞く余裕はありません。文章も人に誤解を与えない文章を書かなければならないことを教えていただきました。文章では伝えきれないものがありますね。

投稿: テル | 2009年10月16日 (金) 03時01分

 おそらくは誰もが善意を持っているのでしょうが、それを上手に表現する術をもちあわせないところから、積年の恨みへと転化していくのでしょう。誰かが気づければ変わるのですが、相手が本当は愛情を持っていたということに気づくこと、認めることには勇気が要ります。
 文章では伝えきれないものがありますが、文章でしか伝えられないということもあります。面と向かっては素直になれないことがあります。
 親しい人にたずねてみればいいのです。今のいい方、どうだった、というふうに。僕の息子はよくコメントを求めると、いまいちやったなあ、といってくれました。

投稿: 岸見一郎 | 2009年10月16日 (金) 11時22分

 お二人のコメントを拝見して2年前に亡くなった父とのことを思い返しています。

 先生のコメントに書かれている「相手が本当は愛情を持っていたということに気づくこと、認めることには勇気が要ります。」って、どうして「勇気がいる」のでしょうか?過去を後悔することになるからですか?コメントに横からコメントしてすみませんが、よかったら教えていただけると嬉しいです。
 

投稿: mari | 2009年10月16日 (金) 21時16分

 過去のことは関係ありません。今のことでもいいのです。この人は私を悪くは思っているのではないのだと見方を変えることそれ自体についていっています。人をどう見るかはそう簡単に変えることはできないでしょう?

投稿: 岸見一郎 | 2009年10月16日 (金) 22時00分

 教えてくださってありがとうございました。

 勇気はいろんなところで必要で、人はいろんなところで勇気を使っているのですね。

投稿: mari | 2009年10月17日 (土) 00時07分

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