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2009年7月17日 (金)

こんなになりたいと思えるか

 朝、父のところへ行くと、機嫌が悪いことが多い。父が夜中に書いたノート。最後に書いたのは5月の初めだった。明け方に胸痛がするという。看護師さんには調子がいいといっている、と指摘したので、そのことを思い出して書いておかねば、と思ったのだろうか。狭心症の既往歴があるので心配。夕食を食べずに寝た、と書いてあって驚く。よほど空腹だったのだろうか。夕食を抜かすことなど絶対ないのだから。
 父のところに昨日からPowerBook G4を置いてある。自宅ではMacBook Airを使う。こうすれば荷物が少しは軽くなる。インターネットに繋がらないコンピュータは仕事がはかどる。もっともiPhoneがあると結局同じことなのだが。
 また鷲田清一の本からなのだが、老人保健施設の看護師の言葉が引かれている(『噛み切れない想い』p.143)。自分もこんなになりたいと思えるかどうか、そこにこそ認知症看護のすべてがかかっているのではないか、と。多くの介護が自分はこんなになりたくないという本音を隠し持ちつつなされるのとは違ってということである。はたして、こんなになりたいと思えるというようなことがあるのだろうか。

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日記」カテゴリの記事

コメント

 デイサービスに一日だけいった時に、認知症でさっきやったこともすぐ忘れるけれども、とても朗らかな方のことをスタッフが「年取ったら私もあんな風になりたい。嫌なことはすぐ忘れられそうやし、毎日リセットできて羨ましい」といっていました。なので、「こんなふうになりたい」と思いながら介護をしている人はいるのかもしれません。

投稿: | 2009年7月17日 (金) 09時23分

↑今、名前が出ていないことに気づきました。すみません。これを書いたのは私です。

投稿: mari | 2009年7月17日 (金) 17時08分

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