« 安心 | トップページ | 止めないし »

2009年6月28日 (日)

理由は要らない

 昨夜は8時頃に寝てしまい、おかげで夜が長いことを実感することができた。常は父のところで思うように仕事ができないので、続きを帰ってからすると寝るのが遅くなってしまうのだが。
 自転車のタイヤに空気が入らなくなってしまい、このところ自転車に乗らずに歩いて父のところにきて帰っていたが、さすがに日中こう暑いと昼間に用事ができて出ていく時に影一つない田んぼの中に通った道を歩くのは危険なので修理を依頼した。電話をすると自転車を取りにきてもらえるので助かった。気をつけていたつもりなのだが、空気があまり入っていない状態で乗っていたので、タイヤの中のチューブが傷だらけになっていたようだ。前の籠に毎日重い荷物(本)を載せるのが問題なのかもしれない。
 学生たちはダイエットの方法をしばしば講義の時に質問するが、僕はといえば、体重が増えることはない。食欲が落ちているというようなことはないのだが。

 目下、金曜日に講義のために出かけている。ヘルパーさんがこられるまでに二時間ほど父は一人でいなければならないが、同じように他の日も過ごせないわけではないはずなのにそうすることができないことにはわけがある。
 要は、仕事があるという理由は、親を一人にすることを正当化するために必要なのである。
 親との関係がうまくいかないと感じること、親を前にするとイライラする、怒ってしまうということも、親から離れることを正当化する感情であろう。親のところへ行くと思うと気が滅入るというのも同じである。そのようなイライラ、怒り、憂鬱などの感情が起こるので、親のところへ行けないというのではない。反対に、親のところへ行きたくないという目的が先にあって、その目的を達成するために、これらの感情を創り出していると考える方が事態をよりよく理解できるように思う。
 どうすればいいのか(もちろん、ここでは離れていることが少しの時間であれば可能な状態に親がいるということを前提とした話である)。親から離れているために、理由は持ち出さなければいい。
 つまり、怒りなどを感じなくても、ただ離れる。仕事を理由にしなくても、ただ離れるということである。
 父がこちらに帰ってからまだ間もない頃に、母の介護を十年続けた絵本作家の言葉を落合恵子が引いているのが目に止まり『母に歌う子守歌』朝日文庫、pp.76-7、日記に引用したことを思い出した。
 「あの夜、わたしは駅前の喫茶店でコーヒーを飲んだの」
 母親は待っている。でも、このまま帰りたくない、と思った。
 「でも、あの夜のわたしはどうしてもコーヒーを一杯ゆっくり飲んでから、帰りたかったの。どうしてもどうしてもそうしたかったの。あのまま家に直行するのはいやだったの。……まだ帰りたくないという、わたしの気持ちが通じたのかしら、娘をこんなにも疲れさせてはいけないと思ったのかしら、母は翌朝早くに亡くなった…」
 落合はこう語る彼女に「そんなにご自分を責めないで」としかいえなかったという。
 コーヒーを飲み家に直行しなかった翌朝に亡くなられたので、この時のことが強くこの絵本作家の印象に残っているのだろう。先に書いたことと関連していうと、親から離れる時には理由はいらないし、ここでいわれているように家に直行しないでコーヒーを飲むことに特別の思い入れをする必要はないと今は考えている。
 コーヒーを飲んでから帰ったことと翌朝亡くなられたことには因果関係はない。昔、母が死んだ時、病院に寝泊まりしていた。後、こんなことが一週間続いたら、僕の身体がもたないと思った矢先に母は死んだ。そのことで長く自分を責めたが、今はそんなふうに思う必要はまったくないと思えるようになった。

|

« 安心 | トップページ | 止めないし »

エッセイ」カテゴリの記事

日記」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 安心 | トップページ | 止めないし »