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2009年6月 1日 (月)

どんなご縁で

evening poppy field

 朝行くと、父はよく眠れた、と満ち足りて表情でいうので安堵。昨日は朝起きたようで、カーテンが開けてあったり、洗濯物がたたんであった。もっともシャツを二枚たたんだところで、息切れがひどくなったのだろう、後はそのままにして寝てしまったようだ。
 耕治人の『一条の光/天井から降る哀しい音』(講談社文芸文庫)を読む。50年連れ添った妻が認知症になる。失禁した妻の身体を拭く夫を見て妻は呟く。
 「どんなご縁で、あなたにこんなことを」(「どんなご縁で」)
 夜中の三時に妻がご飯の支度ができた、と夫を起こす。テーブルには中味のない皿が一杯あらんでいる。火の不始末で火事を出しそうになったことがあったので火をおこすのは夫の役目になっているのに見れば焜炉の口が真っ赤になっていた。夫は、いきなり妻を殴る。
 「あたし親からも殴れたことはないわ」
妻は顔色を変え、震える声でいう。原稿のために夜更かしをするのを知っていた妻が自分を慰めるためにご馳走をこしらえたに違いないことに思い立った夫は、妻の前に跪きたくなった(「天井から降る哀しい音」)。
 父のことを思い、身につまされる。
 帰り、いつもより早く父に解放してもらった。夕日に照らされたポピーが輝いていた。

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コメント

 今、樋口了一という歌手が歌う 『手紙 愛する子供たちへ』という曲が話題になっています。
老いていく親が私がボケても理解してほしい、見守っていてほしい、私があなた達を無償の愛で育てたように

という内容です、身につまされる思いと、それは無理です、という思いが交錯します。
私の母が今の状態になる前に、こうしたらもっと過ごしやすいよ、こっちの方がいいと思うけれど、といくら下から提案しても「大丈夫大丈夫、そんなことしても変わりゃしないから」と却下し続けておいて今さら頼られてもと思ってしまいます。
今、そのときの提案どおりの状態にするには必ず私が付き添わなければなりません。元気なうちに母自身でやっておいてくれればお互いこんな思いはしなくてすんだのにと思うと、悔しいやら情けないやらです。
子どもを育てる時は、どんなに辛くても可愛い寝顔を見ると癒されたものですが、シワだらけのボーッとした寝顔をみていると疲れがドッと押し寄せます。同じ話を何度もすることを許してほしいと歌われても、いつも同じ人の悪口を聞かされると希望も安らぎもわいてこないし、失った時間を思うと悲しくなります。老人達って悪口しか話題がなくなるみたいです。他の感情は忘れてしまっても一番原始的な感情、怒りが最後まで消えないのでしょうね。
そういう私も老人の愚痴話のようで、歳をとったものだと思います。美しいものを見て、聴いて美しい言葉を発するように一層の努力をしないと、先行くこの人の背中は他でもない私の後ろ姿だと思うこの頃です。

投稿: ちばちゃん | 2009年6月 5日 (金) 20時44分

 その歌が話題になっていることは新聞で読んだことがありますが聞いたことはありません。父の場合はここに歌われているようなことをいうことを思いつく前に病にとりつかれてしまいました。かってに昔のことを忘れるなよ、といってみたくなることはありますが、今から始めるしかないと思っています。僕にはよく怒りをぶつけていましたが、最近は穏やかになってきたように見えます。意欲が全般的に低下しているということでもありますが。
 今読んでいる平出隆という詩人の本に父親のことが書いてありました。106歳の正月までは飲め、最後の数ヶ月は入院して亡くなられました。
 「ベッドでは赤子のようにつやつやとしていて、東京の私の猫の安否を尋ねながら寝入る姿には、美しいとも思えるときがあった」(『遊歩のグラフィスム』)

投稿: 岸見一郎 | 2009年6月 6日 (土) 00時04分

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