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2009年6月の記事

2009年6月30日 (火)

声をかけられなかった

 今日は父を連れて病院を受診。予約してあっても、採血などの検査があるので早く行かなければならないし、父は病院に行くといったらもう待ちきれないのである。家にいても、病院で待っていても同じということにして、予定していた時間より早く出かけた。
 よくはなっていないが、減らせることができた薬もあり、入院ということにもならずよかった。脱水状態にならないようにという注意を受ける。昼間は父といるのでお茶などを飲むように勧めることができるが、夜は飲んでいない。入院した時に水分制限が課せられたことをいつまでも父は覚えていており、その記憶はリセットできない。今日も「水は飲んでいいのですか?」と驚いた表情で主治医にたずねていた。
 採血を待っている時に、聞いたことがある名前を耳にした。35年ほど前に教えを受けた先生の名前だった。その頃はおそらくは30歳くらいではなかったかと思う。不幸にして二年も教えてもらったのにその先生の教えてる教科が好きになれなかった。当時の先生の話し方まで覚えている。その時の面影と今の姿が一致するまでにはしばらく時間がかかったが、人間違いではない、と確信した。
 やがて父の名前が呼ばれた。先生の横に並んで採血をする形になった。父の名前を聞いて、表情がわずかに、しかし、たしかに動いた。そして、最初に父の、次に僕の顔を眺める視線を感じた。名字がめずらしいからか、ふいに古い記憶を呼び覚ましたのかもしれない。しかし、結局、はっきりとは思い出されなかったように見えた。声をかけるべきだったのだろうな、と後で思ったが、車椅子に父を乗せて検査をいくつも受けるという状況では緊張していて、気持ちに余裕がなかった。それでも、声をかけられないわけではなかっただろうに。それを思いとどまらせる何かがあった。
 本を読んだり、原稿を書くことは、今の僕には少しも苦痛ではない。

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2009年6月29日 (月)

もう何でもできる

 父が前に住んでいた家から持ってきた洗濯機があるのだが大きすぎて設置することができず、長らくそのままにしていたのだが、やっと今日僕が今住んでいるマンションで使うべく運んだ。父の家で毎日選択しているが、乾燥機はないので、これからの季節は持ち帰って洗濯、乾燥した上で運ぶことになるかもしれない。
 今、書こうとしたのはそのことではなく、なぜ父はこんなに大きな洗濯機を買ったのかということである。もはや判断力を失っていたかもしれない父は近所の電気屋のいうがままに高価なものを次々に買わされた。独居だったので、一々吟味することはできなかった。老人を食い物にする業者がいるわけである。
 父がいつか濡らしてしまったパジャマをさして「洗濯する」というので、それは違うだろう、といったら、「洗濯してください」というので二人で笑ってしまった。父は今は、掃除も洗濯も買い物も料理も何もできない。それでも、私は自分では何でもできると思っている、といって驚かせた。誇り高い父にとって、できないことはつらいのだろう。
 二週間ほど続けて父は体調が悪く、その間、日に何度も父の下の世話をした(父は幸か不幸かそのことを覚えていないわけだが)おかげで、もう何でもできる、と思った。それに伴って、この頃は少し気持ちに余裕ができたのか、僕は父のことでイライラすることは少なくなり、父も笑うことが増えてきた。

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止めないし

praying for rain ...

 少し雨が降り、この数日を思うとしのぎやすいが、天気予報がいうように昼から雷雨になるのかどうか。義父が昨日屋根を直しにきてくれた。びわの枝が屋根をこすり、瓦が三枚落ちてしまい、そのため雨漏りがするからである。明日から雨が降るというから、今日のうちに、と義父はいう。僕の父よりずっと年上で、父に「年に負けたらあかん」という元気な人ではあるが、炎天下、屋根に登るというので心配でならなかった。もっともこれが初めてのことではない。父が戻ってきたこの家は長く住んでいなかったが週末毎に義父母がきて風を通し、修理をし、いつでも住めるようにしてもらっていた。
 吉村昭の『死顔』が文庫になったことを知り(新潮文庫)、読んでみた。この作家については何も知らなかったのだが、去年の今頃、肺癌で亡くなった弟について書かれた『冷たい夏、熱い夏』(新潮文庫)をはじめ、何冊か読んでみた。ちょうど僕が心筋梗塞で倒れ退院してしばらくして亡くなった。病院では毎日訃報ばかり読んでいた。何歳でどんな病気でなくなったかということに関心があった。遺作となった『死顔』は、延命を拒んで亡くなった著者の死生観が如実に反映されている。
 昼食後、コーヒーを入れる。お湯を沸かしていることを知らなかった父は寝てくる、というので、残念だな、コーヒーを入れようと思ってたんだが、止めないし、といったら大きな声で笑う。

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2009年6月28日 (日)

理由は要らない

 昨夜は8時頃に寝てしまい、おかげで夜が長いことを実感することができた。常は父のところで思うように仕事ができないので、続きを帰ってからすると寝るのが遅くなってしまうのだが。
 自転車のタイヤに空気が入らなくなってしまい、このところ自転車に乗らずに歩いて父のところにきて帰っていたが、さすがに日中こう暑いと昼間に用事ができて出ていく時に影一つない田んぼの中に通った道を歩くのは危険なので修理を依頼した。電話をすると自転車を取りにきてもらえるので助かった。気をつけていたつもりなのだが、空気があまり入っていない状態で乗っていたので、タイヤの中のチューブが傷だらけになっていたようだ。前の籠に毎日重い荷物(本)を載せるのが問題なのかもしれない。
 学生たちはダイエットの方法をしばしば講義の時に質問するが、僕はといえば、体重が増えることはない。食欲が落ちているというようなことはないのだが。

 目下、金曜日に講義のために出かけている。ヘルパーさんがこられるまでに二時間ほど父は一人でいなければならないが、同じように他の日も過ごせないわけではないはずなのにそうすることができないことにはわけがある。
 要は、仕事があるという理由は、親を一人にすることを正当化するために必要なのである。
 親との関係がうまくいかないと感じること、親を前にするとイライラする、怒ってしまうということも、親から離れることを正当化する感情であろう。親のところへ行くと思うと気が滅入るというのも同じである。そのようなイライラ、怒り、憂鬱などの感情が起こるので、親のところへ行けないというのではない。反対に、親のところへ行きたくないという目的が先にあって、その目的を達成するために、これらの感情を創り出していると考える方が事態をよりよく理解できるように思う。
 どうすればいいのか(もちろん、ここでは離れていることが少しの時間であれば可能な状態に親がいるということを前提とした話である)。親から離れているために、理由は持ち出さなければいい。
 つまり、怒りなどを感じなくても、ただ離れる。仕事を理由にしなくても、ただ離れるということである。
 父がこちらに帰ってからまだ間もない頃に、母の介護を十年続けた絵本作家の言葉を落合恵子が引いているのが目に止まり『母に歌う子守歌』朝日文庫、pp.76-7、日記に引用したことを思い出した。
 「あの夜、わたしは駅前の喫茶店でコーヒーを飲んだの」
 母親は待っている。でも、このまま帰りたくない、と思った。
 「でも、あの夜のわたしはどうしてもコーヒーを一杯ゆっくり飲んでから、帰りたかったの。どうしてもどうしてもそうしたかったの。あのまま家に直行するのはいやだったの。……まだ帰りたくないという、わたしの気持ちが通じたのかしら、娘をこんなにも疲れさせてはいけないと思ったのかしら、母は翌朝早くに亡くなった…」
 落合はこう語る彼女に「そんなにご自分を責めないで」としかいえなかったという。
 コーヒーを飲み家に直行しなかった翌朝に亡くなられたので、この時のことが強くこの絵本作家の印象に残っているのだろう。先に書いたことと関連していうと、親から離れる時には理由はいらないし、ここでいわれているように家に直行しないでコーヒーを飲むことに特別の思い入れをする必要はないと今は考えている。
 コーヒーを飲んでから帰ったことと翌朝亡くなられたことには因果関係はない。昔、母が死んだ時、病院に寝泊まりしていた。後、こんなことが一週間続いたら、僕の身体がもたないと思った矢先に母は死んだ。そのことで長く自分を責めたが、今はそんなふうに思う必要はまったくないと思えるようになった。

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2009年6月27日 (土)

安心

fancies flittering through my mind ...

 今日は聖カタリナ高校で講義。朝いつものように父のところに行って、食事の用意をし、服薬を確認した後出かける。もっとも時間に余裕があるので、ポータブルトイレの掃除をしたりもする。いつもと服が違うので、父はどこか出かけるのか、とたずねる。「11時にヘルパーさんがこられます、1時に帰ります」というメモを必ず置いておく。これを見たら父は安心する。
 東京の息子から電話。大学院進学が決まった。これでまた帰ってこられなくなった。残念だがしかたない。

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2009年6月25日 (木)

看護学生が実習に

seeing eye to eye ...

 まったく思ってもいなかったことだが、去年教えていた学生が訪問看護の実習で、看護師さんと同行してやってきた。父がこちらに帰ってきたのは去年の11月で、僕が教えていたのは4月から7月までだったから、その時はこんなふうになるとは思っていなかった。僕は例年4年生(看護専攻科)の学生に講義をしているが、その後会うことはないので、学生が頑張っている姿を見ることができて嬉しかった。あそこは家族がうるさいといわれても困るので、おとなしくしていよう、と思っていたが、看護師さんを交えて介護について思うことをあれこれ話してしまった。こりずにまたきてください。
 さすがに父もこのところの暑さはこたえるようでつらそうにしている。こちらに父が帰ってきたのは11月なので、夏をまだ経験していない。父が冷房を拒むので、僕としては家の中に身の置き所がない。もちろん、それでは仕事も何もできないので、父が寝に行った間はクーラーをかけるのだが。
 とにかくくよくよ考えず、仕事に精出すこと。これしかない。

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2009年6月24日 (水)

雨雲も青空も

panta rhei/all things flow

 先に載せた虹の写真を撮った40秒後に撮影。雨雲が消え、青空も見えた。三枚目は撮れなかった。この後すぐに消えてしまったからである。
 ハイビスカスの花が今朝も咲いた。おとつい一度に三つも咲き、昨日は一つも咲かなかった。父が水をやる。目を覚まして起きてくる度に、大きな黄色い花に驚いていた。日のよく当たる廊下に置き、水をやるといいらしい。明日はどの蕾が花を咲かせるかという話をしていたら、父の病気のことを忘れていたことに気がついた。
 この頃夜中に何度も目が覚める。いつもだったら夜が明けている時間なのに強い雨が降って暗かった。

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2009年6月23日 (火)

蚊帳に泣く

 ヘルパーさんに父を任せて用事を済ませるために一時間ほど出かけた。扇風機がかかっていたのでヘルパーさんに尋ねたら、掃除をしている間に父が自分でつけたそうだ。ヘルパーさんが帰られ、父は寝に行こうとしたが、その時、自分の方に向いていた扇風機を僕の方に向けてくれた。何でもないことのように思えるかもしれないが、父の病気はこんなふうに他者を気遣うことを難しくしていて、他者と共有する世界に生きて居ないように見えることがあっていつも心を痛めてきたので、これをもって病気の回復を意味しないことはいうまでもないが、少なくとも今日は(あるいは今は)父の調子がいいことがわかって驚いた。日に日にできなくなることが増えてくるが、症状の進行が緩やかであってほしい。
 司馬遼太郎の『坂の上の雲』に正岡子規が登場することを知って、読み始めたことは前に書いたが、秋山真之がアメリカに行った時に、次のような俳句を「日本」に載せた。
 君を送りて思ふことあり蚊帳に泣く
 病に倒れ、まだ三十なのに人生がすぼまる一方だと思った子規は、秋山のはなやかさと我が身を引き比べて、蚊帳に泣いたのだろう、その気持ちはわかるように思う。在外研究にドイツに行く友人のことを思った。僕にはチャンスはないし、病気は日本から出ることもおそらくは許さないだろう。

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2009年6月22日 (月)

momentary encounter

 「では明日また8時にきます」
 「お願いします」
というのが、父の家から帰る時交わす言葉である。
 外に出たら雨が降っていて傘を差そうか差すまいか迷いながら、少し歩いたところで東の空を仰いだら虹が架かっていた。

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まだ/もう

the revival

 朝、強い雨が降っていたので、父の家が雨漏りしていないか心配で急いで父の家に行ったが、なんとか無事だった。床が濡れることよりも、雨漏りに気づいた父が混乱していないかが心配だった。父は、既に着替えをすませて、居間にいた。
 今朝は訪問看護。服薬のことで指示を仰ぐ。次回、訪問看護実習に学生を同行してもいいかという打診。まだ決まっていないが、去年、教えた学生なので楽しみである。
 先週の金曜来、本が一冊見あたらず、父のところから持って帰るのを忘れたのだろうと思っていたが、父のところにもなく、帰ってから書斎をさがしたがやはりなく途方に暮れていたが、出校している学校に忘れていることを学生に教えてもらった。おかげで今夜は本を探さなくてもよくなった。
 父はまだ三時か、と起きてきて、またすぐ寝にいったが、僕は今日はもう三時か、と感じる。朝から、二冊の本を交互に読んでいるが、原稿はあまり進んでいない。
 土曜に持ってきたハイビスカスの花が三つ咲いた。父は「ここは日があまり当たらなくて、花はめったに咲かない」という。いつか、どこかでの話をしている。大丈夫、ここは日当たりがよく、次々と咲くから。
 今年は紫陽花の写真をよく撮っている。

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2009年6月21日 (日)

読書会

You look beautiful in white...

 昨日撮った花。紫露草の一種だと思うが、「紫」ではないから別の名前があるのかもしれない。一日花。
 今日は読書会。父がこちらに帰ってくる前から開いている。たくさんの人がこられるのでとまどうが、僕と二人の時と違って、おやつが出てくるのでご機嫌ではある。こちらに帰ってきた11月にこんな話を父とした。
「それは一体どんな本を読んでるんだ?」
「哲学…かな」(今はプラトンの『饗宴』)
「ではわしが出てもわからんかもしれんな」
 父も参加するつもりなのだ、と驚いたものだが、この頃から思うと衰えははなはだしい。

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2009年6月20日 (土)

忘れていることは

 今日は妹がきてくれて父の介護を代わってくれた。家に帰って横になったらあっという間に寝てしまった。30分くらいなのだが、横になるとこんなに楽なのだ、と思った。妹が見てくれていた間、父は穏やかだったようでよかった。朝も昼も夜もよく眠れるのは不安がないからだ、と話していた、と聞いた。
 ひどい息切れがする以外は体調は少し落ち着いてきた。少しの所作で起き上がれないほど苦しくなる。それなのに、朝行くと、カーテンと窓を開け、洗濯物を取り込んでいた。
 木曜の夜、講演、金曜の朝講義と続き、少し疲れたが、充実した日々を送ることができた。もっとも、そのために父には無理を強いなければならないのが問題なのだが。夕方起きてきた父が僕を見て、今日は仕事に行くといってなかったかとたずねるので驚いたが、僕の仕事のことを気にかけてくれていることはわかる。外での仕事はもとよりいつも締切に追われているので、余裕を持って父に関われないことがあって、週に何度もきてもらっている看護、介護のスタッフのきめこまやかなケアにいつも驚く。
 「いや忘れていることは思い出さなくてもいいのだ」と3月に退院してしばらくした時に父がいっていたことを思い出した。忘れたことは父にとっては今生きていくためには必要ではないということだろうが、覚えていてほしいと思うことはある。だからといって思い出させるわけにはいかない。
 久しぶりにカメラを持って散歩したが、思うような写真を撮れたかこれから見ようと思っている。

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2009年6月18日 (木)

肩の力を抜いて

 保育所の講演から帰宅して一息ついたところ。雨が降り出したが、タイミングよく傘を使わずに到着。質疑応答を中心に話したが、あっという間に時間が過ぎた気がする。 
 朝から何度も今日は仕事に行くのか、と父がたずねる。5時に出かけるのだったら夕食を早めにしようというので、常よりかなり早い時間に食べた。そこからが問題で、なかなか出かけるといい出せなかった。あわただしく着替えさせ、横になるところまで見届けてからしか出るわけにいかないのである。昼間なら後でまた行くことができるのだが。
 講演では、怒りの感情をめぐっての質問が出た。怒りは子どもとの関係を悪くする。そのため子どもを援助することが難しくなる。叱って、子どもとの関係を遠くしておいてから、子どもの援助をすることはできない。
 いろいろ話したが、子どもの仲間になることについて話を詳しくした。今思い返せば無邪気といっていいほど子どもを信頼していた、死んだ母のことを思い出した。
 平日の夜、講演にこられる親はどの方も真面目で育児に熱心である。できればもう少し肩の力を抜いて、子どもが、この親を頼っていては大変だと思って自立できるような育児をされたらいいのに、と思ったが、僕も子どもが小さかった頃はいろいろな意味で余裕がなかったのは本当である。
 明日は講義。いささかハードなのだが、常とは違う日があると力がわいてくる。
 『ふたたびのゆりかご』(多賀洋子、講談社)読了。若くしてアルツハイマーを発症した夫の介護の大変さは想像を絶する。介護認定までに長くかかっていることに驚く。父の場合ももっと早くできることがあったのだろうと思う。本人はもとよりまわりも加齢に伴う物忘れだろう、と重要な兆候を見逃すことはありうることはよくわかる。

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2009年6月17日 (水)

楽しみな講演

 今日は父はようやく落ち着いた。身体の方はつらいようで、8時半に横になってくるというので、9時にお風呂(訪問入浴)に入ることになっているといったのに、それには答えなかった。入浴中、半分、眠っているように見えた。
 父が寝ている間に今日は少し書斎の整理をした。この家は僕が生まれ育った家である。10年前にマンションに引っ越してから必要な本を移したが、なおたくさん本が残っている。父のところに昼間毎日くるのであれば、荒れ放題の書斎(書庫というべきか)も整理できていれば便利だろう、と思ったのである。明らかに二度と読まない本をしまうところから始めたい。
 今日は朝からプラトンの『饗宴』を読む。これで三日目。哲学を学ぶつもりで入ったのに、くる日もくる日も辞書を引いてばかりの生活を長年続けたので、しばらく離れていたが、思っていたよりも読めて嬉しい。シモーヌ・ヴェイユのように「ギリシア語は簡単な言語だ」などとはいえないけれど。
 明日の夜は保育所で講演。二回目なので、講演なしでいきなり質疑応答にしてほしいという希望が出ているようだ。どうするかはいってから考えたい。前回は質問が途切れなかった。翌朝は講義。体力が続きますように。

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庭の花火

firework in the garden

 先週来父が不調で心配。少しの所作に息切れがし、すわっているのも大儀で、食後程なく横になってくるという。食事の時間に起きてこないということはない。おかゆを炊いたり、うどんにしてみたり、あれこれ工夫はするのだが、思うような回復が見られない。
 寝ている時間は長いが、目を離せない。庭に咲いていたフェイジョアの写真を何枚か撮った。去年、初めて庭に咲いているのを見つけた。
 月曜来、妻が出張で不在。昼間のことを話す人がいないと苦しい。娘と父のことを話すわけにもいかない。
 司馬遼太郎の『坂の上の雲』一冊目を読む。過日、随筆を読んだばかりの正岡子規が登場することを知らなかった。もっぱら正岡子規への関心で読んでいる。

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2009年6月15日 (月)

少し余裕

 新しい一週間。先週は木曜から大変で、まだ余波は続いているが、力はみなぎっているようにも思う。しっかりしなくては、と思っているだけかもしれないが。先週は長く使わなかったギリシア語の辞書を出してきて、プラトンのテキストを読み始めた。気持ちの上での余裕があることのサインといえるかもしれない。
 荻野アンナの『働くアンナの一人っ子介護』(グラフ社)という本を書店で見つけて読む。ハウツー本ではなく、94歳の父親、85愛の母親の数奇な人生の物語はおもしろいと思った(介護の話よりも長いかもしれない)。小さな楽しみを確保して乗り切る、自分のための時間を確保するという助言はそのとおりだと思う。ただ、僕が知りたかったのは、大学で教えている著者が、仕事と介護をどのように両立しているかはよくわからなかった。例えば、講義の準備とか研究は、すきま時間を利用することだけでは難しいと思ったのである。しかしこれは特殊な関心というべきものなので、一般的にはこの問題にあまり触れていないことは問題にはならないだろう。
 朝、訪問看護ステーションから電話。月曜と木曜日が訪問看護の日だが、朝、電話があって、訪問の時間が決まる。大体午前中の早い時間なのだが、父は少し前のように看護師さんを待つことなく寝てしまった。久しぶりにかけてこられた看護師さんが「お変わりありませんか」といわれるので「あります」と答えた。たずねたいことがたくさんある。

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2009年6月13日 (土)

精神の均衡

 朝、行くと、父は思い詰めた顔で今日は病院に行くという。朝食も要らない、横になるというので心配したが、ほどなく、もうよくなった、医者に行くのはやめだ、と起きてきた。無論、父の意向にかかわらず、木曜来不調が続いているので医院に行って薬を処方してもらう。
 月に一度のヴァイツゼッカー研究会に参加。毎回、強い刺激を受ける。午前中、父のことで忙しく、疲れを引きずったまま参加することになったのは残念。
 精神の均衡を保つためには仕事をするしかない。仕事を思うようにできないことが一番のストレスである。

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2009年6月12日 (金)

目下、唯一の

two suns cannot shine in one sphere...

 朝、父の家のカーテンが開いているのが見え、たちまち不安になった。閉まっていても心配なのだが。行くとまだ寝ていたが、よく見たら既に着替えた後だった。まだ今朝も体調は悪く、食事の後、30分も経たないうちに横になると寝室に入っていった。起きてもいないから、といったが、覚えていないだろうから、メモを机に残しておいた。11時にはヘルパーさんがこられることになっていることも。
 今日は聖カタリナ高校で講義。講義の間、父の話もしたのに、父の心配を少しもしなかったことに帰ってから気づいた。学生の反応がよく、目下、週に一度、唯一の楽しみといっていいくらいである。
 心配ばかりしていたら、一晩で白髪が一気に増えた。
 帰りに夕日の写真を撮った。

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2009年6月11日 (木)

介護との両立

 今日は父の調子が悪く、訪問看護の日で本当によかったと思った。看護師さんが帰られた後も問題は解決せず。夕方、横になるという父を残して帰宅したが心配。朝から一度もコンピュータを開けなかった。
 僕の方も少し疲れていて、狭いソファに足を折り曲げ横になったらあっという間に寝てしまった。すぐに父が起きてくる気配で起きることになるのだが。夢の中で初めて会った人と話をしていた。また声をかけてください。僕は一人では外に出られないのですけど、車椅子に父を乗せて歩いていることもありますから、と話していた。この頃、立て続けにカウンセリングを断っている。講演もいくつか引き受けたが、実のところ、父のことがあってかなり難しい。
昨日の夜、夕食を作りながら。テレビニュースで介護と仕事の両立をテーマとした特集を見ていた。年収が半分になり、毎月の介護費が二十二万円になるという妻の介護をする男性のケースが紹介されていて驚く。働かなければ、あるいはむしろ、働きたいと思う気持ちはわかる。男性が介護しているケースばかりが紹介されていたようだったが、女性が介護をする場合も同じである。介護のために仕事を辞めなければならなかった人も多い。会社に介護を支援するシステムがなければどうしようもない。僕のように所属するところがなければ事態はさらに厳しい。

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2009年6月10日 (水)

幸福な夢を

looking into the hydrangea ...

 たしかに梅雨に入ったという天気になった。父は今日もほとんど起きてこなかったが、起きてくる度に、降りしきる雨に目を奪われていた。しばらくすわっているが、疲れるようですぐに寝てしまう。3月の初めに退院した時くらいに戻ったように見える。まだ次回の診察日はずいぶん先だが即入院ということにならないか、心配である。父の部屋から時々寝言が聞こえる。僕に向かっていわれたのかと思ってどきどきする。あまり幸福な夢を見ていない。
 父の家の前にある紫陽花。少し小振りになった時に傘をさしながら撮るのは難しい。
 自転車は今日も父の家に。最近、またiPodで音楽やニュースを聴くようになった。自転車に乗って聴くのは危険だろう。おかげで歩くことが苦にならない。

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2009年6月 9日 (火)

父の激昂

the rainy season will begin soon ...

 父の家の前の田んぼで田植えが始まった。蛙が一斉に鳴き出す。
 父のところで一日を過ごすとほとんど歩くことがないので、昨日自転車を置いて帰った。歩くと15分くらいなのだが、食材や本などの荷物が多く、朝、後悔。
 朝、何事もなく一日を始められてほっとしていたが、昼食時につまづく。どんなにしんどいといっていても食事の時間になると父は起きてくる。12時にはまだ10分ほど早かった。後、10分と時間を気にしながら仕事をしていたら、父が食事にしようという。まだ12時になってない。少し待って、といったところ、それを聞いて父が激昂した。「お前というやつはなんと細かいことをいうのだ。12時じゃないか。わかった。もういい。何もしなくていい。放っておいてくれ」。もちろん、放っておくはずもないが、強い調子でいうことに驚き、台所に立つことになった。こんなことなら、父を待たせなければよかったと今日二度目の後悔。父にはいえないが、昼間、父のところに常駐していても、僕にも仕事があるのだから、いわば「ながら」介護しかできない。これは立場的にそういうのであって、実際には、危険なことがないか不断に注意しているので、その意味では「ながら」どころではない。父を置いて用事を済ませるために外出している時でも、意識が離れない。「ながら」でもその意味では手抜きはでいないし、もう一つの「ながら」の仕事でも当然介護しているのでということは、例えば、仕事の締切を守れないことの理由にはならないし、仕事の質を落としていい理由にももちろんならない。感情をあらわにされると困惑してしまうが、昔の父のようだと妙な感慨がないわけではない。
 父のところに紫露草があった。

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2009年6月 8日 (月)

いや、意味がある

poison-stopper

 父はこの頃はちょっとした所作でもひどい息切れがし、昼間も横になって(寝て)いることが多いが、自分で食事もするので、まずは穏やかな日が続いているが、それでも日々いろいろと問題がある。朝、声をかけた時に一度で返事をしないとついにこの日がきたか、と思ってしまう。熟睡していただけだった、とすぐにわかるのだが。ああよかったと思ったところで、その気持ちを保持して一日を過ごせればいいのだが、夜の間にいろいろなことが起こっていて、平静ではいられなくなる。
 昼の間食事以外の時間、少しも起きてこないので、父にこういってみた。
 「昼間起きてこないから、僕がいる意味がない。明日から食事の時だけきて帰ってもいい?」
 父は言下に答えた。
 「いや、意味はある」
 「どんな意味があるというの?」
 「お前がいてくれるから私は安心して寝られるのだ」
 少し斜に構えて聞けば、僕の生活はどうなるというのだ、とか、父は寝られても、僕はその間疲れても寝られないではないか、といってみたくなるが、こんなやりとりになるとは思っていなかったので驚いた。また明日も朝(当然)行くだろう。遅くまで仕事をしているので、朝、百回くらい行かなくてもいい理由を考えている。考えてもどうにもなることではないが。

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2009年6月 7日 (日)

看病の真意

 父は今日も力なく食事をとるとすぐに寝にいってしまう。もう今日は予定はないな、とたずねるので「ない」といったが、義父と義母が訪ねてきた。直前までしんどいといっていたのに、調子いいですよ、とにこにこしていうので驚く。昼から夕方まで妻に代わってもらう。今週も書店に行って、山ほど本を買う。

 正岡子規の『仰臥漫録』(岩波文庫)を読む。これは公刊は意図されてない草紙状に綴じた大判の土佐半紙に書かれいる。結核と脊椎カリエスで仰向けにしかなれず寝返りも打てない状態で、日々の記録(三食の献立など)、随想、歌、絵などが記されている。病者としての子規の語る本音は、目下、父の介護をしている僕に向けられたものであるかのように思える。母親と妹がつきっきりで子規の介護をしていたが、律という妹に対する言葉が厳しく驚く。妹は義務的に病人を介抱するが、同情的に病人を慰めることはない。団子が食べたいといえば、同情がある者ならばすぐに買ってくるだろうが妹はそんなことはしない。同情ということを説いても、同情のない者に同情がわかるはずもない、等々。こんなことをいわれたら、かなわないと思うのだが、次の日には子規はこんなふうに書いている。
 「もし一日にても彼なくば一家の車はその運転をとめると同時に余は殆んど生きて居られざるなり 故に余は自分の病気が如何ように募るとも厭わずただ彼に病なきことを祈れり 彼あり余の病は如何ともすべし もし彼病まんか彼も余も一家もにつちもさつちも行かぬこととなるなり 故に余は常に彼に病あらんよりは余に死あらんことを望めり」(p.63)
 律がいなければ家族はほとんど生きていけない。だから自分の病気がどうなっても律が病気にならないことを祈った、という。妹がいなければ私の病気がどうなるかわからないから妹を大切にしようといっているのではない。自分の病気よりも妹の身を案じているのである。
 しかし、子規の心は揺れる。苦痛がつのると自分の思うとおりにならないので絶えずかんしゃくを起こし、人を叱る。だから、家人が怖れて近づかない、とも書いている。「一人として看病の真意を解する者なし」。病者は孤独である。介護者の立場からは反論してみたくはなる。
 「家人屋外にあるを大声にして呼べど応へず ために癇癪起こりやけ腹になりて牛乳餅菓子などを貪り腹はりて苦し」(p.76)
 家人が屋外で低い声で話す声が病牀に聞こえるのなら、病牀にて大声で呼ぶ声が聞こえぬはずはない、と子規はいうのだが、「やけ腹」になる子規に思わず笑ってしまいそうではあるが、病者としての経験からいうと、理不尽にも聞こえるけれども、不断に痛みに苦しんだ子規の気持ちもわからないわけではない。病気なのだから、仕事のことも何もかもわすれてゆっくり休んだらいいと健康者はいうけれど、苦痛や不安の中にあってはゆっくりもしていられない。

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2009年6月 6日 (土)

勉強は誰のためにするのか?

 勉強は誰のためにするのかとたずねられて、親のためと答える子どもはないでしょう。勉強は他の誰かが代わりにできるわけではありません。勉強をしないことによって成績が下がることがあっても、それによって起こる結末は、子ども自身に降りかかり、その責任は、子ども自身が引き受けるしかありません。勉強が子どもの課題であるというのは、こういう意味です。
 子どもの課題であれば、親は原則的には子どもの課題に介入することはできません。親は子どもがあまり勉強をしていないように見える時に、当然のように「勉強しなさい」というような声をかけるのですが(しかもその言葉には怒りの感情が伴っています)、親がそういった時、子どもの反応が概してよくないのは、自分の課題にいわば土足で踏み込まれたというふうに感じるからです。しかも、親が声をかけるのは、勉強していない時であって、子ども自身も勉強しなくていいとは思っていないでしょうから、痛いところを突かれた子どもは、親に反発します。
 こうして、勉強の問題は、知らないことを学ぶことに喜びを感じ、やがては勉強することによって社会の役に立つという本来的な面から離れてしまい、親子の闘いにすりかわってしまいます。親に強いられて勉強していい成績を取ったことが、親に負けた、と考えて、勉強を放棄する子どもすらいます。
 私自身は子どもに勉強しなさいといったことはありませんが、あまり勉強しているように見えない時に、親として何かできることはないのか、と問われることがあります。できることはあります。勉強は今見たように子どもの課題なので、親が介入することは基本的にはできませんが、もしも子どもが親の声に耳を傾けることに同意するのであれば、勉強について話し合うことはできます。しかし、そのためには、まず勉強について話をしたい、と親が子どもにいい、話をしてもいいという子どもの合意が必要です。子どもが話したくはないといえば、残念ながら話はそこで終わりです。またいつでも相談にのるからその時は話してね、というふうにいうことはできます。
 実際、親子が膝を交えて勉強について話ができればいいのですが、大人が「このままだとどうなると思う?」といういい方をすると、子どもがそれを皮肉や威嚇と取ることはあります。子どもが素直に受け止めるためには、日頃の親子関係のあり方が問題になってきます。
 まず、子どもと親は知識や経験の点では違いはあっても人間としては対等だということをしっかり親が理解していることが必要です。「上から目線」を子どもは嫌います。勉強について子どもと話すために取る手続きが煩瑣であるとか、なぜ子どもにこんな物言いをしなければいけないのか、と思った人は要注意です。この親は本気で自分の人生について考えてくれているのだということが子どもに伝わる気迫は要りますが、熱血の精神主義は無効です。必要なのは、この親なら自分の課題である勉強について相談してみようと思えるような親になることです。そのためには、勉強以外の面で子どもとの良好な関係が築かれている必要があります。どうすればいいか。話は続きます。

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2009年6月 5日 (金)

紫陽花

you look more beautiful in rain ...

 午前中講義。たった1時間半の講義なのに疲れてしまって、父のところに戻ってから少し寝てしまった。寝るといってもちゃんと横になって寝られるわけではな、ソファで無理な姿勢で仮眠をしたということなのだが。雨漏りがする音(本当に漏れていた)を聞いていたら眠くなってしまった。父が起きてきて、今日はどこかへ出かけるのか、とたずねる。もちろん、朝一度父のところに行って、出かけることをいっておいたのだが。寝ている時に戸を開けたままにしておいたので、父が外に出かけてしまったような気がしたのに、身体が動かなかった。実際には父は寝ていた。
 この紫陽花は父の家で撮った。これを父が自分の目で見るためには玄関まで出ていかなければならないが、このところ弱っていて歩けないかもしれない。ちょっと5分ほど歩いてくる、といって慌てさせた父が本当に歩けなくなるかもしれないと思うと、外に出て行くことを心配していたほうがまだよかったとも思ってしまう。写真を見せて、外に行こうと思ってもらおうか。

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縁があれば

chaotic field ...

 このところかかりきりだった原稿を書き終える。今は40分で読めるというような本が売れるのかもしれないが、きっちりと書くと(原稿用紙で)300枚は書くことになる。今夜は5日締切の雑誌原稿があるが、講義もあるので、帰ってから仕上げることになりそうだ。短い原稿の方がはるかに難しい。3枚だと書き始めたら終わり。
 平出隆の『遊歩のグラフィスム』(岩波書店)を読み進む。前にたしかに一度書店で手にしたのに、その時は本棚に戻してしまった。この詩人とは縁があったわけだが、ニアミスしている作家も多いだろう。
 今日は講義。まだ準備が終わっていない。

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2009年6月 3日 (水)

忽ち暖かい風が

 右目がひどく充血している。ワーファリンという血管内で血液が固まることを防ぐ薬を服用していることが関係があるのかわからないのだが、二日経っても治る気配がない。仕事を父のところから持ち帰るのだが、夕食がすむと思うように進まない。
 夏目漱石のエッセイを最近読んでいる。修善寺の大患の後に書かれた『思い出す事など』を読む。自分自身の病気の体験を重ねると、病気の前に読んだ時よりも漱石の心持ちがわかるように思う。ことに漱石が吐血した後経験した(それを経験といっていいのか疑問だといっているが)「死」についての記述はよくわかる。胸が苦しくなって枕の上の頭を右に傾けようとした次の瞬間、赤い血を金盥の底に見た。この間の三十分の死は「時間から云っても、空間から云っても経験の記憶として全く余にとって存在しなかった」。
 病気の人のことを知って多くの人が見舞いにやってきた。漱石はいう。
 「世の人は皆自分より親切なものだと思った。住み悪いとのみ観じた世界に忽ち暖かな風が吹いた」
 「余は病に生き還ると共に、心に生き還った。余は病に謝した。又余のためにこれ程の手間と時間と親切とを惜しまざる人々に謝した。そうして願わくば善良な人間になりたいと考えた。そうしてこの幸福な考えをわれに打ち壊す者を、永久の敵とすべく心に誓った」
 同じ思いである。
 堀江敏幸の『本の音』(晶文社)で、『フランス名詩選』(岩波文庫)のことを知って手に入れた。14世紀から20世紀半ばまで60人の詩人の詩が収めてある。しかも、知らなかったのだが、対訳になっていて原文も読める。自分の力を棚に上げて、詩を翻訳で読んでもね、と思い込んでいたのである。アンソロジーなのできままに本を開けて、気に入った詩句を読める。ちょっとした生きる喜び。

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2009年6月 1日 (月)

どんなご縁で

evening poppy field

 朝行くと、父はよく眠れた、と満ち足りて表情でいうので安堵。昨日は朝起きたようで、カーテンが開けてあったり、洗濯物がたたんであった。もっともシャツを二枚たたんだところで、息切れがひどくなったのだろう、後はそのままにして寝てしまったようだ。
 耕治人の『一条の光/天井から降る哀しい音』(講談社文芸文庫)を読む。50年連れ添った妻が認知症になる。失禁した妻の身体を拭く夫を見て妻は呟く。
 「どんなご縁で、あなたにこんなことを」(「どんなご縁で」)
 夜中の三時に妻がご飯の支度ができた、と夫を起こす。テーブルには中味のない皿が一杯あらんでいる。火の不始末で火事を出しそうになったことがあったので火をおこすのは夫の役目になっているのに見れば焜炉の口が真っ赤になっていた。夫は、いきなり妻を殴る。
 「あたし親からも殴れたことはないわ」
妻は顔色を変え、震える声でいう。原稿のために夜更かしをするのを知っていた妻が自分を慰めるためにご馳走をこしらえたに違いないことに思い立った夫は、妻の前に跪きたくなった(「天井から降る哀しい音」)。
 父のことを思い、身につまされる。
 帰り、いつもより早く父に解放してもらった。夕日に照らされたポピーが輝いていた。

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