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2009年5月 9日 (土)

いっそ過去のことは

does this young brid catch the warm?

 父がこちらに帰ってから半年が過ぎた。身体の具合を悪くして途中二ヶ月入院したことは大きな心の痛手になり、たしかに命の危険は脱したが、退院後、過去の全ての記憶をなくしてしまった。幸い、その後、少し落ち着いてきて、過去のことを少しずつ思い出し始めている。しかし、はたしてそのことが父にとって幸福なことなのかはにわかに判断できない。昨日、父と長く話していた時、こういうのだ。
 「もういっそ過去のことはすべて忘れて、一からやり直したい」
 今住んでいる家は父が結婚して四半世紀、脳梗塞で母が死に横浜に居を移すまで暮らしたところである。その頃のことは覚えてないかたずねたら覚えてないという。
 「(夢の中で)奥さんですか、とたずねる人があって、ちらっと顔を見たが、よくわからなかった」
 僕はこの家で育ったわけだが、そのことも同様覚えていない。昔のことを聞かされても、前世の話を聞くような気持ちなのだろう。
 このような問題があっても、父は昔と少しも変わらない。変わったとすれば、穏やかになり「ありがとう」とよくいう。
 今日は昼から妻に代わってもらって出かけたのだが、帰ってきたらもう夕食をすませていた。もう食べたのかとたずねたら、
 「食べたかどうか覚えていないといったらもう一度夕食を出してくれるのか」
と哄笑する。一緒にいると、大変なこともあれこれあるが、不意に訪れる幸福の瞬間である。父が笑うとほっと安堵する。
 今日はヴァイツゼッカーの研究会の日。最近は週に一度の講義と、月に一回のこの研究会がある日だけが外に行く機会である。心筋梗塞で倒れて一月に及ぶ入院の後からこの会に出るようになって三年が経った。目下、読んでいる本は、木村敏先生の言葉を借りると「文章の問題というより(ヴァイツゼッカーが)何がいいたいのかわからない」ことがあって読み進むのはいつも難航するが、「じっくり考えます。簡単に答えを出してはいけません」という先生から学ぶところは多い。論文や著書にまとまる前の思索の現場に立ち会うような興奮を覚える。
 今翻訳をしているアドラーの本がニューヨークの古書店から届いた。もう既にそれとは別のテキストで訳しているのが、手に入れたのは1931年の初版本。本の中にはこの本の所有者宛と思われる2通の葉書(1通は手書き、もう1通はタイプで打たれたもの)。筆記体は全く読めない。
 写真は父の家にやってくるヒヨドリ。身体を膨らませて日光浴をしているように見えた。まだひな鳥なのかもしれない。すぐにコンピュータに取り込んで父に見せたら喜んでくれた。

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