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2009年5月10日 (日)

本が集まってくる

 朝行くと父はしんどいから起きたくないというので驚く。よく眠れなかったのだろう、夜中に長く起きていた形跡があった。
 昼前に妻の両親が来訪。いずれも八十歳を三人の人生の先輩を一人で迎えるのは容易ではない。
 明日は僕の受診日。父を一人にして行くことが心配でならないが、行かないわけに行かない。この頃は父に病院に行くといっても、なぜ行くのかたずねてくれない。

 息抜きはどんなふうにしているか、とたずねる人があって考えてみたが、病気をしてからは写真を撮ることが息抜きといえるが、やはり本を読むことかもしれないと思った。もちろん、仕事関係の本ではなく、可能な限り、仕事から遠いところにある本を読むのが息抜きになる。
 この頃は昼間家にいないので、土曜か、日曜でないとamazonで本を注文しても受け取れないので、Marguerite YourcenarのSouvenirs pieux(『恭しき記憶』)を今日届くように手配していたところ、8時頃になってようやく届いた時は嬉しかった。妻がその様子を見て、それは仕事か、趣味かとたずねるので、仕事ではないとは思ったのだが、そうともいいきれない予感がないわけではない。これは、ユルスナールの自伝である。
 去年の秋、朝、大学に出講する時に京都駅構内にある書店で堀江敏幸の本を何の予備知識を持たずに手に入れた。その後、この作家の書いたものを立て続けに15冊読んだ。堀江が卒業論文にユルスナールを扱ったことを知った時はまだすぐには須賀敦子の『ユルスナールの靴』と結びつかなかったのだが、堀江の「書かれる手—マルグリット・ユルスナール論」と「幻視された横道—須賀敦子論『ユルスナールの靴』をめぐって」(いずれも『書かれる手』平凡社所収)を読み始め、須賀敦子も通り越して、とうとうユルスナールにまで到達してしまった。
 もう一つのきっかけは、父が入院していた時に手に入れた雑誌『考える人』(新潮社)をまだあまり読んでなかったのだが(特集、書かれなかった須賀敦子の本)、何気なくページをめくったら、堀江敏幸が寄稿しているのを見つけたことである(「空飛ぶスコットランド男」)。この雑誌を買った頃はまだ堀江の作品を集中的に読んでいなかったので知らなかった。僕としてはあまり強い印象が残っていなかった須賀敦子の『ユルスナールの靴』を再読し、ユルスナールの『ハドリアヌス帝の回想』(白水社)を読み始めたら、ユルスナールの自伝を読みたくなったのである。こんなふうに読む本が次々と集まってくるという感覚が好きだ。

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コメント

それは、それこそは、仕事ですね。私はそう思います。

投稿: 杉山ユウ子 | 2009年5月11日 (月) 16時08分

 付箋をつけたり、ノートを取り始めるともうあやしくなりますね。

投稿: 岸見一郎 | 2009年5月11日 (月) 22時20分

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