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2009年5月26日 (火)

すべてを失うこと

whatever happens ...

 肌寒い日になった。寒暖計の表示する温度は目安になるけれども、体感温度と常に一致するわけではない。昼間も毛布を足に巻いている父は部屋にかけてある寒暖計を見ては驚いている。不順な気候は父だけではなく、僕にも応える。
 父は食事以外は寝てばかりいた。寒いというので、エアコンを入れるから、といっても、もうすぐ看護師さんがこられるからといっても、父が寝に行くのを止めることはできない。3月に退院した頃の状態まで戻ってしまったように見える。
 そうかと思うと、昼過ぎに突如、「ちょっと5分ほど近所を歩いてくる」というので驚く。少し歩くだけで息切れがすることを忘れてしまったようだった。車椅子で外に行ってみようか、というと「それならいい」という。それでも少し歩くことにした。玄関に着くまでに(大きな家だから…)早くも歩くといったことを後悔しているようだった。すぐに帰るといいだす。いやがられても父の安全を最優先し見張ろうと思う。とはいっても基本的に独居なので自ずと限界があるのだが。

 皇帝ハドリアヌス帝に愛されたアンティノウスは、自分が皇帝にあまり愛されていないことを知っていた。彼は皇帝のために自らを犠牲にした。ハドリアヌス帝はこういう。
 「すべてを失うことを不安に思った少年は、永遠にわたしを彼にむすびつけるこの手段を見つけたのだ。もし彼がこの犠牲によってわたしを守ろうと望んだのならば、最高の不幸は彼を失うことだということを感じなかったわけだから、彼は自分があまり愛されていないと信じていたに違いない」(マルグリット・ユルスナール『ハドリアヌス帝の回想』白水社、p.216)
 精緻な心理描写は、この作品が歴史小説と呼ばれることを拒む(cf. Susan Sontag, At the Same Time, Penguine Books, p.55)。

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コメント

ごぶさたしました。母が先日、左眼の糖尿病性網膜症のため手術入院しました。目玉に針で穴を開けて出血のあるトロトロの組織を吸出し、生理食塩水かガスを入れるという聞くだけで恐ろしげなその手術を半年前に右目で経験済みのくせに、まるではじめて聞いたように他の入院患者さんから聞いた話を私にするので驚きました。
私が「この前入院したとき『「麻酔針を刺したときはさすがに痛くて、痛い、痛い!と叫んだよ』と話していたじゃん」と言うと
「そうだったっけ?今回で3回目の入院だけど、前の2回の入院がどうして入院したのか忘れてるんだよね、外来で目のレーザー治療をしたことは覚えてるんだけど、そんな痛いことしたっけかなぁ?」と答えるので呆れて言葉が出ませんでした。
今回の手術も無事終了しました。もちろん本人は痛い思いをしたわけですが、一回目のことを忘れてしまったことはある意味幸せな事かもしれません。
母もお父様と同じように自宅では、ぽかぽか陽気で半袖で十分の日でも何枚も重ね着をしてズボン下をはき、冬用の靴下を履いているので、見ているこちらが頭クラクラしてきます。内蔵機能が衰えて血の巡りが悪いので低体温気味なのでしょう。もちろん脳の血も巡っていないので、本当に寒いのか温度センサーが機能していないだけなのかは不明ですが。
母がそういう状態にあることに心が切なくなる時と、無性に腹立たしくなる時の落差に自分自身驚くことが多くなりました。

投稿: ちばちゃん | 2009年5月27日 (水) 22時59分

 父は年末来二ヶ月入院しましたが、入院していたことを覚えていなくて驚いたことがあります。もちろん、入院中に受けた検査のことも、僕が毎日見舞いに通ったことも。あれもこれも覚えていないと知ると、悲しくなります。「知らん」ではなく「そうか(そんなことがあったのか、という意味」とせめていってほしいと思うことはあります。

投稿: 岸見一郎 | 2009年5月28日 (木) 11時56分

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