« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »

2009年5月の記事

2009年5月31日 (日)

昔とは違う

rain reminded me of you ...

 土曜の夕方、ひどい雨になった。雷もなった。父は、久しぶりだという。そのうち雨漏りが同時に三箇所で始まった。屋根がずれているのだろうか。直さないといけない。私にはできないが、と父は気にかける。古い家なので雨が降るといつもこんなふうになる。父しかいない時にこんなふうになっていたらどうなっていただろうと思う。これからの季節何度も起こりうるのでなんとかしないといけないが、いなければ対処のしようもない。(父の家にある僕の)書斎(書庫)は無事だった。
 雨もいいものだとは思う。降りすぎなければ。この家は何度も台風のたびに浸水してきた。父が、この数年は浸水しない、とヘルパーさんと話しているのを聞いた。この家に戻ってきたのは去年の11月なのだが、強い印象のあることは覚えているのだろう。
 昼食は父と一緒に食べるが、朝と夕方は父の食事を用意する。時間になると必ず起きてくる。食事にしようか、と父がいうと、昔、母が死んでからしばらくの間、父と二人でこの家で暮らしていた時のことを思い出して少し心がざわざわするが、あの頃と違うのが、父が「ありがとう」というようになったことである。父らしくないなと思うこともあるが、いわれると僕の意識も変えていかないといけないと思う。
 紫陽花が咲き始めた。

| | コメント (0)

2009年5月30日 (土)

しかしいえないのだ

When the sun shines...

 毎週教えに行っている学校はいつの頃からか共学になっていて、昨日は講義をしていると、別の校舎から男子生徒の大きな声が聞こえてきて驚いたのだが、講義をしている時は基本的にはあまり意識の中に入ってこない。蝶か蛾が教室の中に紛れ込んできて学生が注意をそちらに奪われたことも少し意識の縁をかすめたが、講義を中断することはなかった。
 昨日は講義から父のところに戻った後、一度着替えるために家に戻った。この頃は食事の時間以外は長く寝るので、ゆっくりして夕食の時間に行くつもりで帰ったのに、いつ起き出すかと思うと、落ち着いて仕事ができず、ほどなく父のところへ戻った。自分の生活を守らないとこんなことはいつまでも続くはずはないといつも思う。仕事が進まないことを父のせいにはしたくないが、もしも介護をしなくてもいいならもっと仕事ができるのにという思うのはアドラーならneuroticだというのはよくわかている。
 目下、父の介護に関わる人は多い。父はいつもにこにこして、問われると昔のことを機嫌良く話しているから、それでいいようなものの、何か気になることがあった時、他の介護をしている人はどうされているのだろうと思うことがある。何があればいってほしいといつもいわれているが、学校カウンセラーに相談する生徒のような気持ちになる。子どもが保育園に行っていた頃は、ずいぶんと闘ったというのに。間に人を介さず直接いうべきだという思いもある。父は何もいわないのに(きてもらったことをそもそも覚えていない。なんで忘れるんだろう。こんなことでは甲斐がないな、と父はいう)僕だけがいらいらしたり気を遣うのはおかしいとも思う。

| | コメント (0)

2009年5月29日 (金)

今日は…

attracted by you somehow ...

 二日続きで夕食後寝てしまった。帰っても誰もいないので食事を作り、一人で食べ、その後横になったら家族が帰るまで意識をなくす。寝る時間はその分遅くなる。どちらが疲れが取れるのかはわからない。
 今朝は久しぶりに青空が見える。父は寒くてひざから毛布を離せない。これから学校に行くので、いつもと違う服を着ている僕を見て父がたずねてくれた。「今日は勉強しに行くのか?」もう学生ではない。「いや、今日は教えに行く」「どこに?」めずらしく関心をもってたずねる。常は一緒にいても、双方向の会話をめったにしなくなって(できなくなって)久しいのだが。

| | コメント (0)

2009年5月28日 (木)

ただ、いる

inner space ...

 帰ってきてから少し寝てしまった。休校だった娘の大学も再開したようで、帰っても誰もいなくて、夕食を作る気力も失せてしまう。
 父のところの洗剤がなくなりそうなので、夜、近所のスーパーに行く。お一人様二箱まで、と掲示してあったが、マスクは大量に売れ残っていた。明日に向けて置かれたばかりなのかもしれないが。国会の党首討論。誰もマスクをつけてないように見えた。
 父が寝ている間に近くに咲いているポピーの写真を撮りに行く。風が強かったが、風が止む瞬間がある。しばらくは寝ているだろうと思っていてもふいに起き出さないだろうか、と思うと、もう浮き足立ってしまい集中できない。
 昼食後、父が話しかけてくる。
 「今日は何か予定があるのか」
 「あった、というべきか」
 父の顔が曇る。朝、訪問入浴をすませていたのだ。もう驚かなくなったが、こんなふううにたずねられると、返答に窮してしまう。気持ちがいいと父が感じることはできたら覚えておいてほしいとは思う。
 父の看護、介護のためにきてくださる人たちの細やか配慮が行き届いた仕事を見るにつけ、劣等感をもってしまう。大騒ぎしているわりには昼間父のところに行っていても、ただいるというのに限りなく近い。

| | コメント (0)

2009年5月27日 (水)

確執はあったが

wild beauty ...

 宮本常一の『民俗学の旅』(講談社学芸文庫)を読んでいたら、宮本が父親のことを「わたしにとってもっとも尊敬する人物の一人」と書いていて、そんなふうに思える人があることに驚く。
 宮本がここで書いているような意味で僕は父を尊敬したことはなかったように思う。一人では暮らせなくなって戻ってくる前に父と話ができるようになったことはよかった。いろいろと確執はあったが、その時のままだったら、毎日父と過ごすことはもっと大変だっただろう、と思う。父が前に住んでいた家から持ってきた僕の本が棚に並べてある。
 
 ところで、宮本が大阪へ出ることになった時に父親からいわれた言葉の中で注目を引いたのは次の言葉である。
 「人の見のこしたものを見るようにせよ。その中にいつも大事なものがあるはずだ。あせることはない。自分のえらんだ道をしっかり歩いていくことだ」
 人のしないことをしようとあせってばかりいることに思い至る。

| | コメント (0)

2009年5月26日 (火)

すべてを失うこと

whatever happens ...

 肌寒い日になった。寒暖計の表示する温度は目安になるけれども、体感温度と常に一致するわけではない。昼間も毛布を足に巻いている父は部屋にかけてある寒暖計を見ては驚いている。不順な気候は父だけではなく、僕にも応える。
 父は食事以外は寝てばかりいた。寒いというので、エアコンを入れるから、といっても、もうすぐ看護師さんがこられるからといっても、父が寝に行くのを止めることはできない。3月に退院した頃の状態まで戻ってしまったように見える。
 そうかと思うと、昼過ぎに突如、「ちょっと5分ほど近所を歩いてくる」というので驚く。少し歩くだけで息切れがすることを忘れてしまったようだった。車椅子で外に行ってみようか、というと「それならいい」という。それでも少し歩くことにした。玄関に着くまでに(大きな家だから…)早くも歩くといったことを後悔しているようだった。すぐに帰るといいだす。いやがられても父の安全を最優先し見張ろうと思う。とはいっても基本的に独居なので自ずと限界があるのだが。

 皇帝ハドリアヌス帝に愛されたアンティノウスは、自分が皇帝にあまり愛されていないことを知っていた。彼は皇帝のために自らを犠牲にした。ハドリアヌス帝はこういう。
 「すべてを失うことを不安に思った少年は、永遠にわたしを彼にむすびつけるこの手段を見つけたのだ。もし彼がこの犠牲によってわたしを守ろうと望んだのならば、最高の不幸は彼を失うことだということを感じなかったわけだから、彼は自分があまり愛されていないと信じていたに違いない」(マルグリット・ユルスナール『ハドリアヌス帝の回想』白水社、p.216)
 精緻な心理描写は、この作品が歴史小説と呼ばれることを拒む(cf. Susan Sontag, At the Same Time, Penguine Books, p.55)。

| | コメント (2)

2009年5月24日 (日)

寝食を忘れるわけにいかない

when it stopped raining ...

 父は今日も食事の時以外は寝てばかりいた。
 「寝ているわけではないのだ。横になっているだけだ」
 「いや、僕は信じない」
 大きな声で笑う。
 食事をしないで起きていると損をしたみたいと思ってるのではないか、というと父も黙ってはいない。
 「食事するのを忘れて寝ていたら大変じゃないか」
 食事はいつも残さずおいしいといって食べるのはありがたい。食事の時間になっても起きてこなかったり(優れた体内時計があるのか)、食事を残すようになると要注意だろう。
 それにしても退院後身体の具合は上り調子でよくなっていたが、この一週間の弱りようはどうしたものか。昨日、診察を受けたばかりだが、明日も看護師さんにたずねてみたい。
 その父が寝ている間に写真を撮りに行った。行くといっても歩いて一分ほどのところなのだが。雨が上がってテントウムシが出てきた。

| | コメント (0)

2009年5月23日 (土)

ただ疲れ

healing rose ...

 父の具合を見てもらう必要があって、市内の医院を受診した。行く時はタクシーを呼んだ。車椅子を折りたたんでトランクに積んでもらう。福祉タクシーというのがあって、過日遠方の病院に行った日の朝電話をしてみたら出払っているということだった。運賃が安く、車椅子のまま乗れるのなら利用しない手はないと思ったが、事前に頼んでおかないといけないようで、緊急時は使えないことがわかった。何台あるのかたずねたらよかった。
 帰りは車椅子を押して帰った。どこもバリアフリーというわけにはいかず、段差があるところもあって、そのたびに父は身構えた。病院に行く以外はもう長く外に出ていなかったので(今週は昼間も寝ていることが多かった)、気分転換になったかと思ったが、ただ疲れさせただけかもしれない。

| | コメント (0)

2009年5月22日 (金)

深刻にならずに

 今日は聖カタリナ高校で講義。
 昨日、京都市内でインフルエンザの感染が確認されたのを受けて、昼から休校になった。休校は水曜日までなので来週も行けるだろうが、休校に伴って時間割の変更がありうるといわれた。今日は11時から1時まで訪問介護をお願いしているので出かけられるので、他の曜日だと行けない。
 よく寝た、寝てばかりだ、と3時半頃、大きな声で笑いながら父が起きてきて驚く。起き上がっているのがつらいようでまたすぐに寝てしまったが、笑い声を聞くと嬉しい。「中途半端な時間に起きてしまった」と時計を見ていう。中途半端って? 食事までまだ時間があるじゃないか。ひどいなあ、僕は食事を作るためだけにきているみたいではないか。父はまた大声で笑う。深刻にならずに父と過ごしたい。
 朝方、夢を見た。僕が歩けなくなって入院するという夢。父から電話があった。なんだ、電話できるではないか、と思っている。父が電話に出られたら、外に出られるのだが。僕が病気で入院した時、父が病院まできてくれたのは昔の話ではない。
 帰るとまた微熱。明日は甥の結婚式だが、父を置いては式に出られない。

| | コメント (0)

いつも…

 父と病院に行って疲れたのか、昨日の夜から不調。めずらしく微熱が出る。父がこちらに帰ってからは初めてである。僕が倒れたら父は食事もできないことになるので、体調管理には気をつけなければならない。
 父も今日は食事の時以外はほとんど起きてこなかった。看護師さんに「動いた時だけではなく、いつもしんどいのです」という。常は、僕の前ではしんどいといっていても、看護師さんらには大丈夫というので、さっきはしんどいといっていました、と訂正しなければならなかったが、自分でいうところを見ると、つらいのだろう。心配になって何度も父の部屋をのぞいた。

 twitterを始めました。英語で書いていますが、日本語も使えます。
 この頃、閉塞感が強く、父の家から外の世界に繋がりたいという気持ちが強いのです。

| | コメント (0)

2009年5月21日 (木)

その日になれば

argus-eyed ...

 父が今日から飲み始めた薬の効き目が顕著で朝から緊迫した。浮腫がひどいので利尿剤を服用。レントゲンで肺に水がたまってないことはわかっている。副作用のことについては特に聞いてないが、脱水、低血圧などがありうる。
 父が僕のことをわからなくなっても、動じないようにしようと思った。そのことが実際のところどんな形でわかることになるのか今は想像しにくいが、その日は遠い先のことではない。今日もよろしくお願いします。そういって一日を始めるだけのことである。
 父が寝ている間に少し外に出たのだが、よく寝ているのを見届けて出たのに、数分後に帰ったら、もう起きていた。僕がいなくなったらアラームが鳴るセンサーを持っているような気がする。親がいなくなったらすぐに目を覚ます子どものようにも思う。

| | コメント (0)

2009年5月19日 (火)

待つだけで疲れる

 今日は父と病院へ行ってきた。採血、採尿、レントゲンがあるので予約の時間よりも早い時間に行った。身体の状態は横ばい。仔細にデータを見るとよくはなっていないが。薬は明日から朝食後だけになり、一日分では6.5錠減った。服薬の管理は朝に一包化したものを飲めばいいだけなので楽になった。
 夕方、父が思い詰めたような顔をしてたずねる。
 「今度、看護師さんはいつこられる?」
 「あさってだけど、どうして?」
 「しんどいんだ。だから看護師さんにいろいろたずねようと思って」
 病院で主治医の先生には「身体の具合はいいですよ」といっていたのだが。僕は慌てて、父の様子を説明しなければならなかった。これまでも看護師さんにたずねたいことがあると父はいうのだが、看護師さんがいざこられると、忘れてしまって「調子いいですよ」と答えてしまう。
 昼間かなり暑いと僕は感じるが、父は上着を着て、毛布を足に巻いている。僕は夏はクーラーなしでは過ごせない身体になっているので、これだけ体感が違うとこの夏父とは一緒に過ごせないのではないかもしれないと思ってしまう。
 今日は思いがけずしばらくぶりで再会した人があった。いつも行かないところへふと足を向けたからだが、その日、メールがその人から届いていたのでよけいに驚いた。そのメールで日本に帰ってきていることはわかっていたのだが。
 病院に行くと疲れるというのも妙な話ではあるが、長く待つだけでも十分疲れる。父は疲れたようでいつもより早い時間に解放してくれたが、僕も疲れた。いつもとは違う環境で事故が起こらないように気を遣ったからだと思う。

| | コメント (0)

2009年5月18日 (月)

たちまち

bathed in bright sunshine ...

 朝、こられた看護師さんはマスクをされていた。病院ではめずらしくないが、訪問看護では初めてなので少し驚く。父は疲れたのか、今日は寝ている時間が長かった。看護師さんがこられたことも覚えてなかった。父はデイサービスを目下利用していないが、インフルエンザの影響で休みということになると介護の必要な人はどうしたらいいのか、現に介護施設に受け入れられない人はどうなっているのかと思う。父の場合は僕が倒れたらたちまち食事もできなくなる。インフルエンザに限らないが。
 明日は退院後二度目の受診。タクシーを使うしかないが、そのことも含め明日は疲れそうだ。入院時のことを思えば薬の量はかなり減ったが、今も特に朝食後の薬が多い。飲み忘れもさることながら、落としたりして規定の量を飲めないことがないよう、いまだに朝は緊迫する。
 父が寝ている間に近くの川まで行った。紫酢漿草がたくさん咲いていた。久しぶりに写真を撮りに出たので、草木が伸びて景観が変わっていることに驚く。

| | コメント (0)

2009年5月17日 (日)

週日の介護

fire in the garden ...

 今日は朝起きられなくて目が覚めたら8時だった。父のことを忘れて、続けて8時間ほど眠れたら気持ちいいだろう。父はまだ熟睡していて安堵した。部屋の戸を開けて声をかけても返事をしないと一瞬心が凍る。おお、もうこんな時間か、と父は深い眠りから覚める。
 夕方まで妹が代わってくれる。妹が持ってきた父が昔撮った写真を懐かしそうに見ていた。僕はいつも父といてもほとんど父と話すこともなく、父の前で仕事をし、時間になったら食事と薬を出すだけなので、写真を見て話をしたり、折り紙をしたりしてくれる妹を見ていたら、父はきっとこんなふうにいつも僕にしてほしいと思っているかもしれないとふと思う。僕のは週日の介護といえるかもしれない。父はこの頃今日は何曜日かたずねる。
 明日はまた日常に戻る。朝食の後父はたずねる。「今日は何か予定はあるか?」と。

| | コメント (2)

2009年5月16日 (土)

ありがたい

the imaginary mountain covered with white snow...

 今日は月に一度父の家で開いている読書会の日。父が去年の11月に帰ってくるまでは父はいなかったが、今は父も同じテーブルについていることがある。人が集まるのは嬉しいようで、機嫌がいい。「こんにちは」とくる人ごとにこにこして挨拶している。しばらくして横になりに寝室に行くが、しばらくして部屋から出てくる。きている人を見て部屋に戻る。髪を梳かすためである。常は父と二人なので、僕は父とあまり話さないが、今日のような日は刺激があって父にはいいことだろう。
 写真はコンロンソウ(崑崙草)。崑崙は中国古代に西方にあると想像された山で、その山に雪が降り積もっている様子に由来するという。父を一人にできないのでこの頃写真を撮りに行けなくて残念だ。三年前心筋梗塞で倒れた時、主治医に外に一歩も出られなくなっても本を書きたいといったことを今日は思い出していた。もちろん、今は遠くまでも出かけることができ、本も出版した。父の介護もできる。ありがたいことだ。

| | コメント (0)

2009年5月15日 (金)

同じ場と時を

seeing is enough ...

 今日は聖カタリナ高校で講義。父を置いて出かけることにはリスクが伴うが、人と会うことでエネルギーを充電できる。
 一緒に笑えることを嬉しく思えるのは意識の指向性が同じであることを実感しやすいからだという友人の言葉に納得する。父と一緒にいても、大抵は父は違う方を向いている。たとえ、人が集まっても父はその中になかなか入ってこられない。話しかけたりするのだが。何とか、同じ場にいたいし、同じ方向を見たいといつも思う。父が大きな声を出して笑う瞬間だけは同じ場と時を共有していることが実感できる。
 写真は九輪草。

| | コメント (2)

2009年5月14日 (木)

いつもと違う日

 4半世紀ぶりに東京のおじ(父の妹の夫)と会った。突然、京都に行くことになったが会えないかという電話があったのが、昨日の夜。僕は父を置いて出て行けないというと、ではそちらまで行くということになった。昔と同じ家ならわかるということだったが駅舎も変わり新しい道もできているので、駅まで迎えに行くことにした。迎えに行くといっても車ではない。父より高齢のおじは、この間までは毎日一万歩歩いていたが、今は五千歩、歩くようにしている、歩くのは問題ない、ということなので、歩きながら最近の出来事について話をした。
 朝、来訪予定を告げると父は驚く。おばは若くして亡くなった。その件で、おじが日帰りで京都まできて、そのことを伝えにきたことを覚えている。もっとも二人は外で会ったのであり、僕はどういう用件だったかは知らなかったのだが、帰宅後、父の様子がおかしかった。母に教えてもらったと思ったのだが、記憶ははっきりしない。父とはそのことで話さなかったのはたしかである。父はその後兄も亡くし、次は私の番だ、といっていたが、思いがけず妻を亡くし、失意の日は長く続くことになった。「こんなに長生きするとは思ってなかった」と父は最近よく話す。
 同じような日が続くの中、刺激的な日だった。

| | コメント (0)

2009年5月13日 (水)

空中戦

argus-eyed ...

 父が眠っている間にカメラを持ってそっと出かける。外は朝からもう夏の陽気で、立ちくらみがしそうである。川の土手に咲くわずかな花をめぐって、蝶が空中戦をしている。花に止まったのを見届けてそっと近づいてカメラを構えても、他の蝶が追い払いにくる。羽が闘いの激しさを物語っている。
 暑いのに父は毛布を腰から下に当てている。昔から寒がりでして、とヘルパーさんに話していたが、僕の記憶では父が寒がりではなかった。病者優先なので、暑いからといって窓を開け放つわけにもいかず困った。
 少しの所作で息切れし苦しそうに見える。僕の前ではしんどいというのに、看護師さんには大丈夫だという。

| | コメント (4)

2009年5月11日 (月)

今も心配かけてばかり

through the eyes dim with tears ...

 今日は第一日赤を受診。父が無事に一人でいられるように段取りをつけるのが大変だった。病院に行っている間に看護師さんにきてもらったので、その間は安心だったのだが。1時くらいになるかと思って、看護師さんに帰られる時に弁当をテーブルの上に出してもらっておいた。12時になったら食べてください、とメモを書いておいた。予想していたよりも早く帰ることができた。特急に乗ったからだが、12時10分前に帰ったら、弁当には手がつけられてなかった。今日は「日赤に行ったのか。どこか悪いのか」とたずねてくれた。
 LDLコレステロールの値が下がった。体重計に乗ると痩せすぎという表示が出るくらいなのに、そのこととLDLコレステロールの値はあまり関係がなく、危険なので1月からリバロを、3月からゼチーアの服用を開始した。ゼチーアは小腸からのコレステロールの吸収をブロックするという薬である。バイパス手術を二年前にしたので、そうでなければ検査入院をして冠動脈造影検査をしなければならないのに、まだ入院する話は出ていない。その間誰が父をみるのかという問題は必ず起こるだろう。
 夕方父の家から帰る時、夕日に映えたヒナゲシの前で立ち止まらないわけにいかなかった。三脚を立てて撮影している人が、こんにちは、と声をかけてこられた。

| | コメント (0)

2009年5月10日 (日)

本が集まってくる

 朝行くと父はしんどいから起きたくないというので驚く。よく眠れなかったのだろう、夜中に長く起きていた形跡があった。
 昼前に妻の両親が来訪。いずれも八十歳を三人の人生の先輩を一人で迎えるのは容易ではない。
 明日は僕の受診日。父を一人にして行くことが心配でならないが、行かないわけに行かない。この頃は父に病院に行くといっても、なぜ行くのかたずねてくれない。

 息抜きはどんなふうにしているか、とたずねる人があって考えてみたが、病気をしてからは写真を撮ることが息抜きといえるが、やはり本を読むことかもしれないと思った。もちろん、仕事関係の本ではなく、可能な限り、仕事から遠いところにある本を読むのが息抜きになる。
 この頃は昼間家にいないので、土曜か、日曜でないとamazonで本を注文しても受け取れないので、Marguerite YourcenarのSouvenirs pieux(『恭しき記憶』)を今日届くように手配していたところ、8時頃になってようやく届いた時は嬉しかった。妻がその様子を見て、それは仕事か、趣味かとたずねるので、仕事ではないとは思ったのだが、そうともいいきれない予感がないわけではない。これは、ユルスナールの自伝である。
 去年の秋、朝、大学に出講する時に京都駅構内にある書店で堀江敏幸の本を何の予備知識を持たずに手に入れた。その後、この作家の書いたものを立て続けに15冊読んだ。堀江が卒業論文にユルスナールを扱ったことを知った時はまだすぐには須賀敦子の『ユルスナールの靴』と結びつかなかったのだが、堀江の「書かれる手—マルグリット・ユルスナール論」と「幻視された横道—須賀敦子論『ユルスナールの靴』をめぐって」(いずれも『書かれる手』平凡社所収)を読み始め、須賀敦子も通り越して、とうとうユルスナールにまで到達してしまった。
 もう一つのきっかけは、父が入院していた時に手に入れた雑誌『考える人』(新潮社)をまだあまり読んでなかったのだが(特集、書かれなかった須賀敦子の本)、何気なくページをめくったら、堀江敏幸が寄稿しているのを見つけたことである(「空飛ぶスコットランド男」)。この雑誌を買った頃はまだ堀江の作品を集中的に読んでいなかったので知らなかった。僕としてはあまり強い印象が残っていなかった須賀敦子の『ユルスナールの靴』を再読し、ユルスナールの『ハドリアヌス帝の回想』(白水社)を読み始めたら、ユルスナールの自伝を読みたくなったのである。こんなふうに読む本が次々と集まってくるという感覚が好きだ。

| | コメント (2)

2009年5月 9日 (土)

いっそ過去のことは

does this young brid catch the warm?

 父がこちらに帰ってから半年が過ぎた。身体の具合を悪くして途中二ヶ月入院したことは大きな心の痛手になり、たしかに命の危険は脱したが、退院後、過去の全ての記憶をなくしてしまった。幸い、その後、少し落ち着いてきて、過去のことを少しずつ思い出し始めている。しかし、はたしてそのことが父にとって幸福なことなのかはにわかに判断できない。昨日、父と長く話していた時、こういうのだ。
 「もういっそ過去のことはすべて忘れて、一からやり直したい」
 今住んでいる家は父が結婚して四半世紀、脳梗塞で母が死に横浜に居を移すまで暮らしたところである。その頃のことは覚えてないかたずねたら覚えてないという。
 「(夢の中で)奥さんですか、とたずねる人があって、ちらっと顔を見たが、よくわからなかった」
 僕はこの家で育ったわけだが、そのことも同様覚えていない。昔のことを聞かされても、前世の話を聞くような気持ちなのだろう。
 このような問題があっても、父は昔と少しも変わらない。変わったとすれば、穏やかになり「ありがとう」とよくいう。
 今日は昼から妻に代わってもらって出かけたのだが、帰ってきたらもう夕食をすませていた。もう食べたのかとたずねたら、
 「食べたかどうか覚えていないといったらもう一度夕食を出してくれるのか」
と哄笑する。一緒にいると、大変なこともあれこれあるが、不意に訪れる幸福の瞬間である。父が笑うとほっと安堵する。
 今日はヴァイツゼッカーの研究会の日。最近は週に一度の講義と、月に一回のこの研究会がある日だけが外に行く機会である。心筋梗塞で倒れて一月に及ぶ入院の後からこの会に出るようになって三年が経った。目下、読んでいる本は、木村敏先生の言葉を借りると「文章の問題というより(ヴァイツゼッカーが)何がいいたいのかわからない」ことがあって読み進むのはいつも難航するが、「じっくり考えます。簡単に答えを出してはいけません」という先生から学ぶところは多い。論文や著書にまとまる前の思索の現場に立ち会うような興奮を覚える。
 今翻訳をしているアドラーの本がニューヨークの古書店から届いた。もう既にそれとは別のテキストで訳しているのが、手に入れたのは1931年の初版本。本の中にはこの本の所有者宛と思われる2通の葉書(1通は手書き、もう1通はタイプで打たれたもの)。筆記体は全く読めない。
 写真は父の家にやってくるヒヨドリ。身体を膨らませて日光浴をしているように見えた。まだひな鳥なのかもしれない。すぐにコンピュータに取り込んで父に見せたら喜んでくれた。

| | コメント (0)

2009年5月 7日 (木)

その時々で

full of passion ...

 連休が終わり、休みの間仕事から離れ父の介護を代わってくれた人たちも職場に戻り、僕はまた父との生活に戻る。僕にはどこにも行くところがない、と思ってしまう。もちろん、これが少しも合理的な考えではないことはわかっているのだが、多忙な仕事で父のことを忘れられる時間を持つことはできない。仕事は目が回るほど忙しいというのに。時計を何度も眺めて一心に食事の時間を待つ父の気持ちを振り切って原稿を書き進もうとするが、集中するのは難しい。
 妹がきてくれていた時は、前にも書いたが、忘れていたように見えていたことを話ので驚いた。記憶というのは消えるわけではなく出てこないというのが本当のようだ。この違いは大きい。今朝は、今日は何か予定はあるのか、と父がたずねるので、看護師さんがこられるというと、たずねたいことがあるという。左足が痒くて眠れないという。でも、この間、そのことでたずねられたら、痛くも痒くもありません、と答えたではないか、というと、機嫌を損ねてしまった。「その時々で違うのだ」。看護師さんにたずねられると父はいった。別にたいしたことはありません…なるほど、たしかに「その時々」だと感心するものの、身体の病気、生活についていうと、その時々とばかりいってられない。休みの間の父の高揚はもうどこかへ消えてしまった。看護師さんが帰られてから十分も経たないうちに「今日は何か予定があるのか」と父がたずねた時は、予想していたことでも少しばかり動揺する。

| | コメント (0)

2009年5月 5日 (火)

元気だった頃の…

I have just landed ...

 昨日、今日妹がきてくれたので、父は絶好調。常は忘れていることをたくさん思い出し、身のこなしも軽く驚く。元気だった頃の感覚を呼び覚まされたのだろう。いつまでこの状態が続くかはわからない。妹が入っているオーケストラの演奏会に興味を示す。行きたい、と頻りにいう。すぐ近くであるように思っているのだろうが、無理であることを言い聞かせなければならない。それなら連れて行ってくれ、というのだが。しかし、明日になれば、父の高揚した気分も記憶も消えてしまうのだろうか。

| | コメント (0)

2009年5月 4日 (月)

新緑の中で

deep in meditation ...

 今日は妹がきてくれた。今夜は泊まりで明日の夕方まで父を見てくれる。ありがたい。朝がいろいろな意味で大変で、朝食をすまし服薬を終えたら、もうそれでその日の介護の7割は終わるような気がするほど神経をすり減らすので、明日は朝はゆっくり眠りたい。父を妹に任せ、写真を撮りにでかけた。またすぐに日常の生活に戻るので、英気を養いたい。

| | コメント (2)

長い夜

blushing like a peony ...

 今年は牡丹は見られないとあきらめていたが、父をみるのを代わってもらってので近くの植物園に行くことができた。
 ゲラを返送する。安堵する一方で、心に大きなうろができたような気もする。それをそのまま放っておいてもいいのに、すぐに別の仕事で埋めようとしている。
 父との生活は時間が止まったかのような穏やかなものだが、世間に取り残されるような焦燥にかられる。大きな問題がなければ、食事の時間になれば父が食事にしようといい、食事を用意し、その後、薬を飲む。夕食後、ちょっと横になる、という。それをしおに、じゃあ明日またくるから、着替えようか、といって布団に入るのを確認してから帰る。こちらから帰るといってもよさそうなものだが、いつも待っている。その時間が長く感じられる。横になるという父の言葉を待ちかねているようでいやなのだが。父はそれから長い長い夜を過ごすのだ。

| | コメント (0)

2009年5月 2日 (土)

今は昔

little birds whispered in my ears ...

 新聞を見るとGW後半スタートと書いてあって、前半はもう終わったのか、と驚く。
 躑躅が満開で、父は椅子を廊下に持ち出して、飽くことなく眺める。このところしばらくこなかったヒヨドリがやってくる。夕闇が迫っていて光が足りなかったが、鳥の表情がかわいくて窓ガラス越しでシャッターを切った。
 訪問看護の関係もあって父の主治医は二人。そのうちの一人の先生に診てもらった。自動車に車椅子を乗せることができた。今日は父は嫌がらなかった。今度から往診をしましょうか、といってくださる。いえ、まだ大丈夫です、と父はいうのだが…父は若い頃、先代の先生(今も現役で診察されている)に往診にきてもらっていたことを母から聞いたことがある。僕も、僕の息子も世話になった。修士論文の口頭試問の一週間前に骨折をし、先生に診てもらったら、諦めなさい、といわれたことはよく覚えている。しかし、先生の言葉には従わず、諦めずに松葉杖をついて試問に臨んだ。
 いつも父の家の近くに車を停めている人と帰る時挨拶を交わした。父が帰ってきていまして、というと、あなたは親戚の方ですか、とたずねられるので、いえ息子です、と問うと、ではあなたがいつも半袖半ズボンの息子さんを自転車に乗せていた人なんですか、と驚かれる。それはたしかに僕の息子のことです。かれこれ20年ほど前のことなのに、当時のことを覚えている人があって驚く。

| | コメント (0)

2009年5月 1日 (金)

新緑の虹

verdurous mountain in all the colors of the rainbow ...

 4月26日の日記に書いた虹の写真。すぐに消えてしまったが、新緑に重なって不思議な色合いの山になった。
 父の家の前で電動の車椅子に乗っている人を見かけた。誰かと思ったが、近所(といっても父の家の隣は300メートルほど離れているのだが)の人で、もうかれこれ15年ほど前に大きな病気をされたが毎日リハビリに励みよくなられた。お身体の方はいかがですか、とたずねると、もうあかんわ、と笑われる。毎日欠かさずリハビリのために歩く姿をしばしば見ていたのに、声をかける機会がなく、去年、何年ぶりかで声をかけたのはその人の方だった。
 引き続き校正中。自分で書いた原稿は間違いを見落としやすい。意味を読むからである。脱字があっても補って読んでしまう。

| | コメント (2)

« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »