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2009年4月20日 (月)

自分自身の死に方で死ぬ

orange gem ...

 月曜と木曜は訪問看護の日だが、今日、初めてこられた看護師さんとふと病気になって三年という話をした。後で思い返したら、どうやら父が心筋梗塞で入院したと解されたようだ。「それで今も循環器内科の診察を?」「はい」この後、この看護師さんは父の記録とその中にあった血液のデータを見直されていたからである。年齢的にいえば、誤解されてもしかたがないとは思った。もしも三年前に死んでいたら、父はどうなっていたのだろう、と思うことがある。僕が介護できてよかった、というべきなのだろう。
 家の前にある建物の内装工事に犬を連れてくる人があるようで、昼間ずっと鳴いていてかなわない。父は自分からは僕に話しかけることはほとんどないが、犬の鳴き声は気になるようだ。「さっきから犬の鳴き声がするのだが、お前も聞こえるか」とたずねる。
 人は生きてきたように死ぬ…『死の海を泳いで スーザン・ソンタグ最期の日々』(デイヴィッド・リーフ、岩波書店)を読む。強い生への意志。二度の癌を克服したソンタグ。しかし、ソンタグはいう。「今回だけは自分が特別だとは感じられない」。
 ソンタグ自身の闘病の様子もさることながら、息子のリーフがもらす罪悪感についての記述は、四十九歳で逝った母を看取った時のことを思い出させ、読後打ちのめされたような気持ちになった。
 リーフはいう。
 「理にかなった考え方をすれば、死んだ人に対してやってやれなかったことに罪の意識を抱くことは避けられない感情である」(p.93)
 その感情なしに生きていくには、「その人の望むことすべてに文字通り従うしかないだろう」(p.93)。たしかにそうかもしれない。そうすれば、私は本人の意向とは違って、こうすべきだと思っていたということも可能だろう。
 母が脳梗塞で倒れた時には、父と二人で最初救急車で入院した病院から、別の病院に移ることを決めた。その時は母の意識はしっかりしていたのだから、なぜその時、母の考えを聞かなかったのか、と今も思う。転院後は急激に悪化し、結局、最期の二ヶ月意識が戻ることはなかった。その間に医師から提案された手術を受けるか受けないかという決断は、もはや母に相談するわけにはいかなかった。本人の考えを聞かなかったら、どんなことでも、その決断の責任がふりかかってくるのである。
 「母には、自分自身の死に方で死ぬ権利があったのである」(p.96)。
 自分で選べたのであれば…今、父の近くにいて、同じ思いである。すべてのことを父に代わって判断しなければならない。最善の判断ができるという自信はない。

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コメント

まるで私へのメッセージのように見えます。

後見制度の保佐人を引き受け出会った方が2ヶ月で末期がんとわかりました。

日々やせ細っていく姿の中で、声をかけるとうっすら目を開け「何時まで生きられる?死にたくないの」というのです。

「ひとりにはしませんから…」と伝え握る私の手を抱きしめるようにされる。
たった数ヶ月の間、良かれと判断してきたことを重ねてきたけれど、まだ遣り残していることがたくさんあるような気がしています。

認知症ながら縁遠くなった人と会いたいのではないか。
心を残さない関わりができるだろうか、今日は少ししんどい日でした。

投稿: あいまいモコ | 2009年4月22日 (水) 21時09分

 何もできないという無力感ばかりにとらわれます。何をしても後悔するということを前提に、迷うことがあれば必ず後悔する、と予想される方を選んでみよう、と思ってみたり。心は揺れます。
 いつ死ぬかは誰にもわかりません。でも、あなたとは一緒にできるだけ長くいたい…
 父も誰かに会いたいというようなことはいわなくなりました。たずねるべきなのかもしれませんが。

投稿: 岸見一郎 | 2009年4月22日 (水) 22時02分

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