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2009年4月の記事

2009年4月30日 (木)

一日一生

encounter after sunset...

 父の家からの帰り、去年よりも早く咲き出した雛罌粟を見つけた(ヒナゲシ、虞美人草)。
 何事もなく一日を終えることができると嬉しい。細かいことをいえばいろいろあるのだが。朝行った時に寝ていることが続いた。おお、もうこんな時間か、起きる、という。夜はどう過ごしているのかはわからないが、朝、行った時、父が息をしていたら、よかった、と思う。

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2009年4月29日 (水)

夢はよく見る、と

shower of tears ...

 朝、9時に訪問入浴。介護も看護も連休だからといって休みはならない。きてくださるスタッフの方々に感謝したい。訪問入浴は三人でこられる。休みを取る人があれば、その日だけ代役の人がこられる。その時、微妙にいつもとは仕事の息が違う。今日、代役できた人は友人が役所で働いている街からきたといわれたので、何度か行ったことのあるその街の話を少しした。昨日、今度介護の仕事に就くことになったと電話をしてきた人があったのを思い出し、資格のことについても教えてもらった。
 引き続き校正を続けている。これでよし、と思って脱稿したはずなのに校正刷りで読み返すと、誤字、脱字もさることながら、書き換えたくなってしまう。
 昨日、誰も帰ってこないので先に夕食を作って一人で食べている時に、うつ病のことがテレビの番組で取り上げられていた。喪失体験という言葉が使われていたと思うが、ある女優さんが脳梗塞で倒れた夫の介護をするために仕事を辞めたことが病気の引き金になったということだった。過日、母親の介護に疲れて自らの命を絶った人のことを思う。どちらの人の気持ちもわかるように思う。介護はゴールが見えない、とよくいわれる。本当は見えているのだが、それがいつのことか見えないという意味である。そして、<それ>が何を意味するかわかっている僕は、そのことを思ったことで自分を責めてしまう。外には思うように行けないが、あるいは行けないからこそ、父の前で意地で仕事をしているようなところがある。
 「夢はよく見るのだ」と朝行った時に父がいう。
 「戦争中の夢だった。私は八歳年上の兄がいて、もう今はいないのだが、戦争に行っていて、休みに帰ってくると、軍隊にはひどいいじめがあるという話を聞かされた。そこで、まだ私は戦争に行く年ではなかったのだが、一年でも早く軍隊に入ろうと思った」
 隣の部屋で仕事をしていると大きな声で寝言をいうのが聞こえてくる。叱られたような気になってしばらく胸の鼓動が収まらない。楽しい夢を見てほしい。
 昨日、ヘルパーさんに父を任せて買い物に行ったら雨が降り出した。スーパーから出ようとしたら、たくさんの人が空を見上げていた。「なに、すぐに止みますよ」という人がいた。たしかにほどなく雨は止み、青空が出てきたが、完全に止むまで待てず、雨の中に飛び出した人は多かった。そのタイミングが同じだった人が多く、おかしかった。帰ると、父が、雨に濡れなかったか、と声をかけてくれた。

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2009年4月28日 (火)

目に見えると

live in clover...

 書き下ろしの校正刷が届く。しばらく集中的に校正に取り組まなければならない。ならない、と書いたが、ワクワクしている。続いて翻訳の校正も届くだろう。学生の頃はコンピュータがなく手書きで論文を書いていたが、あの頃は仕事の成果が原稿用紙やノート、あるいはカードとして目に見えていたが、今は大方の仕事をディスプレイ上で処理するので、校正刷を見るまでは仕事をしたという実感が持ちにくい。若い人向けの本を書いた。
 月曜は父のところに訪問看護にこられる。いつも9時前に何時の訪問になるか電話が入る。声で誰がこられるかわかるようになってきた。たくさんの人にきてもらえありがたい。

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2009年4月26日 (日)

いつまでも

as time goes by ...

 冷たい雨の降る寒い日になった。寒いから横になってくる(必ず、寝るのだが)、と父は食事を終えるとすぐに寝室に入ってしまう。昨日は昼間一睡もしなかったから疲れたのかもしれないと思う一方で、この不順な気候で風邪でも引かないか心配である。父が寝ている間に仕事。
 夕方外に出たら、思いがけず虹を見ることができた。一瞬のことだったのでうまく写真に撮れなかったのだが、新緑の山と重なって不思議な写真にはなった。父がこちらに帰ってまだ入院する前虹を父と見たことがあった。「きれいやなあ」といつまでも空を見上げていた父を思い出す。またあの時のように元気になる日がくるのだろうか。

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2009年4月25日 (土)

一人でかかえこむ

lovable wild flowers again ...

 雨の一日。冬のように気温が低いわけではないのに、体感としては寒く、暖房を入れなければならなかった。
 介護を一人でかかえこむことになるのにはどうしてなのか、と最近よく考える。父よりももっと大変なケースがあるではないか、と思ってしまう。昼間は目が届いても、夜は一人でいるではないか、とか、寝たきりではないとか食事も自分では作れないが用意したら食べられるではないか。そう思うと、これくらいで根を上げてはいけないと思ってしまう。しかし、実際には、介護認定の度合いに関わりなく、どの人の場合も大変なのである。
 もっと他の人に助けを求めたらいいではないか、と誰もがいい、本当にそのとおりであり、それができたらいいと思っても、現実に、他の人が代われないことはある。そんな時、やっぱり自分しかいない、と思うとかかえこむことになるのではないか。意地介護という言葉を使っている人があった。
 長年連れ添ったパートナーの介護と親の介護では違うように思う。親を大切に思って親と関わってきたという場合と、解決すべき問題を残したまま介護を余儀なくされるという場合も違うように思う。何もかもこれまでのことはなかったことにするしかないのだろうが、子どもの立場ではそんなに簡単なことではない。
 6月に妻が出張で三日家にいないということを知った。二年前冠動脈バイパス手術を受けたのは5月でその時も同じ時期に出張で不安だったが、今年の方が不安である。

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2009年4月24日 (金)

大挙して

you need a fur coat no longer ...

 今日は父をおいてカタリナ高校へ出講。およそ三時間半留守をし、その間、一時間半ヘルパーさんにきてもらうという段取りで先週から外での仕事ができるようになった。
 去年教えた5年生の学生が講師控室(他には誰もいないのだが)に大挙してきてくれて驚く。例年は、4年生の4月から7月までしか教えず、その後は廊下などで顔を合わすことがあるくらいである。卒業式の案内が届くと、無事に卒業することを知り、安堵するのだが。
 去年より痩せたのではないか、と心配してくれた学生がいた。最近、体脂肪率をはかれる体重計に乗ると、痩せすぎの表示が出る。バイパス手術時に胸骨を止めたワイヤが飛び出てきそうだ。心労…だろうか。
 講義は今年も反応はすこぶるよい。

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2009年4月23日 (木)

遠い未来

azaleas fix the attention of my father ...

 躑躅が咲き出した。父はずっと眺めている。ふいに立ち上がるのでどうしたのか、たずねたら、花を取ってこようと思う、という。部屋の窓から見ていたら、すぐそこにあって簡単に手が届くように見えるが、父には取れない。それにそもそも躑躅が咲いているところまで歩けない。翻意を促したら、それなら寝てくる、と機嫌を損ねたようだ。そういえば去年、こちらに戻ってきた時、柿の実がなっているのを見て、あの時は歩けたので、僕がいなかった時に取りにいったのだが、転倒したのだった。通りかかる車が何台か停まり、助けて起こしてもらったという。
 今日も父は熱心に新聞を読んでいた。古いのでいいから持ってきてほしいという。返すから、というのだが、もちろん、そんな必要はない。
 講演依頼がくるようになった。父のことがあって、条件によっては引き受けられないかもしれないと思うと緊張する。今は秋の講演依頼が多いが、遠い未来のことのように思う。メールにすぐ返事ができなくて、妻の帰りを待って引き受けても大丈夫かたずねなければならない。できるものなら父を連れて行きたいくらいである。昔、預かってもらう人がなくて娘を講義に連れて行った時のように。

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2009年4月22日 (水)

サボテンのように

chaotic composition of colors ...

 父の家の近くに咲く菜の花と芝桜が満開。この春は父と何度か見に出かけた。
 このところ少し元気がない様子で、外に行きたいといわない。昼、寝てばかりでは夜寝られないのではないか、というと、夜は夜でちゃんと寝ているという。実際、今日朝行ったら、よく眠っていた。調子がよく大きなトラブルはなく無事夕方帰ることができたが、夕食を作って娘と食べ終わったら疲れてしまった。
 新聞を持って行ったら、これはどうしたと父がたずねるので、家で取っているのを持ってきた、昨日のだけど、といったら、面白い、といってそれから3時間ほど飽くことなく読み続けた。
 統合失調症の人とのつきあい方について中井久夫がこんなことを書いている(『精神科医がものを書くとき』ちくま学芸文庫)。サボテンを育てるのと似ているという。水をやり過ぎといけないし放っておくと枯れる。目を離せない。じっと見ていて少し水をやったり、日向に出したり、あまり手を出さないでそっと見て最小限の気配りをする。そうしているといつか思いがけない時に思いがけない花を咲かせる時もある。父ともこんなふうでいいのかもしれないと思った。もともと若い頃一緒に住んでいた時もそんなに話を親密にした覚えはなかったのだ。僕が病気になる前に少し話をするようになった。一月に一度京都駅近辺で会っていた。お前のやっているカウンセリングというのを受けたい、といいだしたという話は何度か書いた。僕はこの三年間自分のことばかりが気になって父に注意を十分向けられなかった。病気になっていなかったら、父は違ったふうになっていたかもしれない、とよく思うが、今はそう考えてもしかたがないとたびたび思い直す。

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2009年4月21日 (火)

心が穏やかに

the brook whispers ...

 雨模様の日だったが、小雨の中自転車で出かける。荷物が多いので、歩くのは大変なのでありがたい。夜はこの頃あまり仕事ができないので、以前のようにあまり多くの本を持ち帰ることはしなくなった。
 ヘルパーさんがこられるのがわかっていたからか昼食後すわったまま寝てしまった。父がどう見ていたかはわからない。ドアホンの音に気づかなかった。部屋に入ってこられたヘルパーさんの声で目を覚ます。父の介護のためにきてくださる人と少しでも話をすると心が穏やかになる。父の表情も柔らかくなる。昔も今も父と二人だと緊迫する。父が元気だった頃は、父とは決して二人きりにならないようにしたものだが、今はそういうわけにはいかない。緊迫すると感じているのは僕だけだ。たぶん。
 近年、レンゲをあまり見ない。子どもの頃は少しもめずらしくはなかったのに。日曜日にあてもなくカメラを持って歩いていたらわずかながら咲いていた。アユモドキの調査をしている人と話した。子どもの頃、父と毎日釣りをした川は今は禁漁区になっている。朝は4時過ぎに、夕方ももう何も見えなくなるまで釣りをした。夏は毎日そんなふうに過ごしたので、8月31日は宿題が少しもできていなくて困った。一夏分の日記など書けるわけはない。

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2009年4月20日 (月)

自分自身の死に方で死ぬ

orange gem ...

 月曜と木曜は訪問看護の日だが、今日、初めてこられた看護師さんとふと病気になって三年という話をした。後で思い返したら、どうやら父が心筋梗塞で入院したと解されたようだ。「それで今も循環器内科の診察を?」「はい」この後、この看護師さんは父の記録とその中にあった血液のデータを見直されていたからである。年齢的にいえば、誤解されてもしかたがないとは思った。もしも三年前に死んでいたら、父はどうなっていたのだろう、と思うことがある。僕が介護できてよかった、というべきなのだろう。
 家の前にある建物の内装工事に犬を連れてくる人があるようで、昼間ずっと鳴いていてかなわない。父は自分からは僕に話しかけることはほとんどないが、犬の鳴き声は気になるようだ。「さっきから犬の鳴き声がするのだが、お前も聞こえるか」とたずねる。
 人は生きてきたように死ぬ…『死の海を泳いで スーザン・ソンタグ最期の日々』(デイヴィッド・リーフ、岩波書店)を読む。強い生への意志。二度の癌を克服したソンタグ。しかし、ソンタグはいう。「今回だけは自分が特別だとは感じられない」。
 ソンタグ自身の闘病の様子もさることながら、息子のリーフがもらす罪悪感についての記述は、四十九歳で逝った母を看取った時のことを思い出させ、読後打ちのめされたような気持ちになった。
 リーフはいう。
 「理にかなった考え方をすれば、死んだ人に対してやってやれなかったことに罪の意識を抱くことは避けられない感情である」(p.93)
 その感情なしに生きていくには、「その人の望むことすべてに文字通り従うしかないだろう」(p.93)。たしかにそうかもしれない。そうすれば、私は本人の意向とは違って、こうすべきだと思っていたということも可能だろう。
 母が脳梗塞で倒れた時には、父と二人で最初救急車で入院した病院から、別の病院に移ることを決めた。その時は母の意識はしっかりしていたのだから、なぜその時、母の考えを聞かなかったのか、と今も思う。転院後は急激に悪化し、結局、最期の二ヶ月意識が戻ることはなかった。その間に医師から提案された手術を受けるか受けないかという決断は、もはや母に相談するわけにはいかなかった。本人の考えを聞かなかったら、どんなことでも、その決断の責任がふりかかってくるのである。
 「母には、自分自身の死に方で死ぬ権利があったのである」(p.96)。
 自分で選べたのであれば…今、父の近くにいて、同じ思いである。すべてのことを父に代わって判断しなければならない。最善の判断ができるという自信はない。

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2009年4月19日 (日)

あれから三年

a lady ... elusive

 朝、足がつって目が覚めた。ちょうど三年前の今日、早朝に心筋梗塞で入院したのだった。一月で退院したが、なお冠動脈に狭窄箇所を残し、なおも死の恐怖から脱することができなかった。翌年、バイパス手術を受けた。あれからもう三年。こうして振り返るとあっという間の気もするが、十年くらい経ったようにも感じる。

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2009年4月18日 (土)

今日だけは

lovable wildflowers...

 今日は、毎月一回開いている読書会の日。父がこちらに帰ってくる前から始めている。父が帰ってくることになってどうなるかと思ったが、父の快諾もあり、その後も存続している。読書会の日であることをいうと、そわそわする。たくさんの人が集まるからである。こんな服でいいか、髪の毛が…と気にする。「私はここにいてもいいのか」とたずねる。もちろん。僕と二人の時は間食はしないが(僕が出さないという意味だが)、今日だけはあれこれと食べるものが目の前に並ぶことも楽しみなのだろう。
 写真は(間違ってなければ)ノヂシャ。小さな白い花が目を引いた。

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2009年4月17日 (金)

sweet dreams!

sweet dreams!

 今日は父がまだ日が暮れる前に寝てしまったので、帰り道、自転車を止めて思いがけない贈り物のような時を過ごした。

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夢の中

 今日からカタリナ高校の看護専攻科での講義をする。例年、七月に全講義が終了するのだが、今年は休みをはさんで九月にも講義があり、試験はその後にある。
 三年前は心筋梗塞で、二年前はバイパス手術のために、長く休講にし、集中講義の形で補った。去年はようやく何事もなく講義ができたが、今年は父を残して講義に行くことになり、そのために行っている間の1時間半、ヘルパーさんに入ってもらわなければならない。後顧の憂いなく、という言葉を思い出したが、去年父が帰ってからいつも心配ばかりしている。
 ともあれ(とここからは帰宅後に書いている)講義ができるのは嬉しい。最後に近大姫路大学で講義をしたのは一月だったから久しぶりである。
 学生が制服を着ていることに驚く(私服でもいいようなのだが)。初回でまだ手探りなので、何ともいえないが、興味は持ってもらえたかと思う。学生が娘と同い年なので、この話をしたら娘ならどう受け止めるだろうか、と時折頭に浮かぶ。
 娘は今春から大学生になり、毎日(文字通り)張り切って通学している。夕食の時に二人になることが多いので、その時にいろいろと相談に乗る。
 父はヘルパーさんがこられた時には寝ていたらしい。帰宅が昼をまわるので昼食の世話と服薬をお願いできるのはありがたい。特急に乗って帰ったら、一時前に帰ることができた。ヘルパーさんは十二時半に帰られた後すぐに横になった寝たようだ。これなら今日のような形で問題なく外出(僕自身の受診のための外出)することができるかもしれないという感触を得ることができたが、現状を維持できれば、という話ではある。一人で食事をしていたら、父が起きてきて「おかえり」といってくれた。僕はやはり疲れてしまって、いつものよくない咳が止まらなくて父に話しかけられずにいたら、またすぐに寝に行ってしまった。僕が出かけてからヘルパーさんがこられるまでの一時間の間にどれくらい寝たかわからない。あまり寝ていないのかもしれない。

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2009年4月16日 (木)

近距離でも難しい

rotation of seasons ...

 今朝、原稿を送ることができた。三月の始めに父が退院して以来、父の家で二冊の本を書き上げたことになる。今度のはアドラーの翻訳で、今のところ『性格論』という仮題で呼んでいる。最初に本を出版した頃は、編集者とメールのやりとりができないことがあって(メールは使ってないという人が多かった)、フロッピーディスクにデータを保存して郵送していたが、今はクリックしたら、たちまちに送信できる。本一冊分のデータ量はわずかである。今朝、送ったのは228K。これだけなのに長い時間がかかってしまった。
 朝、父がふいに「講義に行くといってたな。その日ヘルパーさんがこられるといったけどいつのことだった?」とたずねる。最近はこんなふうに前にいったことを覚えていることが稀なので驚く。僕が講義に行くことは父の記憶の濾過器に残ったようだ。
 二日前の朝日新聞に遠距離介護は可能かという記事があったが、ケースによって違うので一概に論じることはできないだろうと思った。朝昼晩(朝、夕は30分、昼は1時間半)ヘルパーさんにきてもらい、週に二日の訪問介護などのサービスを利用し、介護費は月四万に抑えているというケースでも、そもそも介護認定がどれくらいなのか記事にはなく、低ければ離れていても介護することを可能にするだけのサービスを受けることはできないのである。父の場合は、食事の世話、服薬管理が必要だが、僕以外は外での仕事があって動けない(僕もあるのだが…)。近所の人に声をかけてもらうということも記事にはあったが、父が独居しているこの場所は近所がない。今朝、ふと講義に出かけている間、電話をして様子をたずねたらいい、と思いついたが、父は電話が使えないのだった。緊急時にボタンを押して知らせるというシステムもあるようだが、入院中ナースコールを使えなかった父が緊急時にボタンを押せるとは思えない。去年、十一月にこちらに戻ってきた時には電話をしていた。もっともその時も僕のところには一度もかかってこなかったのだが。

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父の笑い

 この数日、大きな仕事の追い込みで、父と一緒にいても気も漫ろで父には申し訳なかった。もちろん、食事の用意と服薬管理は欠かすことはないのだが。昼間は暑いくらいなのに、朝晩が冷える日が続き、父は少し体調を崩したように見える。熱がないので風邪ではないと思うのだが、部屋に寝に行く回数と時間が長いと心配で、部屋をのぞいたりしたものだった。
 父がふいに大きな声で笑う。考え事をしている時は、本当に驚くのだが、何がそんなに面白いのだろう、と思ってたずねてみた。
 「鳥が二羽追いかけっこをしてるんだ。でもどうしても追いつかない。その様子がほほえましかった」
 アドラーは笑いは人と人を結びつける情動だといっているが、こんな話をしている瞬間は、目下の事態が予断を許さないものであっても、先のことを考えることから起こる憂いから解放される。
 毎日父の家にたくさんの本を持って行く。また持ち帰っても家では疲れて本を開けることもできないほどの時もあるのだが、結局、大抵の本は持ち帰る。今の原稿を編集者に送れたら、少しの間だけでも、仕事絡みではない本を読んでゆっくりできたら、と思うのだが、貧乏性の僕にはそんなことはできないのだろう。

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2009年4月14日 (火)

泰然自若

a fairy of sakura ...

 久しぶりの雨になった。荷物が多いので少し雨が降っていたが、今日も自転車でやってきた。携帯電話を持ってくるのを忘れたが、もう取りに帰れない。
 昨日は父は元気なく、日中も横になっている(寝ているということだが)ことが多かった。今朝も食事の後、ほどなく寒いといって寝てしまった。看護師さんにたずねようと思っていたのだが、何をたずねたいのか忘れてしまった、と父はいうのだが、また横になっている時に調子がよくなかったのかもしれない。訪問看護は24時間体制で、夜も連絡がつくようになっているが、僕がいなければ利用できない。父は今では電話ができない。正確にいえば、電話をする必要を感じない。入院している時に、一度、公衆電話が院内にあればそこまで連れて行ってほしいといったがその時は外へ行ける状態ではなかった。今は父には外の世界がないようだ。日々泰然自若として過ごしている。携帯電話を忘れてパニックになっていることが恥ずかしく思える。
 今年の春は暖かくて、蝶が桜に止まる光景を見かけた。蝶も戸惑っているのか、なかなか止まろうとしない。

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2009年4月13日 (月)

親は何ができるか

 もう何年も、もっぱら中学校受験をする子どもの親を対象として短いエッセイを書いているのですが、親が子どもの代わりに受験できませんし、どんなふうに子どもを援助できるかを考えるのは簡単ではありません。受験に限らず、ふだんの勉強も子ども自身が勉強しようという気になるのを待つしかないように思います。しかし、親ができることはありませんではそこで話が終わってしまいますから、ここから話を始めるのは難しく思います。

親は何ができるか?
 受験生も家族の一員であることは間違いありません。ですから、受験生という特権を与えられ、ただ勉強だけしていればいい、と子どもが思い、親もそれを認めているというのであれば、そのことによって問題が起こりうるということもあらかじめ知っておいてもいいかもしれません。もしも勉強しかしない子どもがいるとすれば(実際には受験を控えて勉強しなければいけないのに親が思うほど子どもが勉強しないことの方が問題かもしれませんが)それは、仕事中毒の大人や、恋愛のことばかりがいつも頭を占めている若い人が、それ以外の他のことにはまったく関心がないのと同じです。仕事ばかりしている人は、仕事が忙しいので家に帰ってまで家のことをするエネルギーも時間もないというかもしれませんが、本当のところはそうではありません。むしろ、仕事以外のことをしたくないので、仕事が忙しいことを仕事しかできないことの理由として持ち出すのです。
 子どもたちも、もしも親が受験のためにすべての時間をそれに向けられるような環境を作ると、勉強しないといけないからと、あれもこれもできないというようになるかもしれません。その上、実際には肝心の勉強もできていないということもありえます。これは困ったことではないでしょうか?
 家族の一員として協力できる子どもになることが先決である、と私は考えています。いや、今はいいのだ、と親が思い、子どもが協力することを学ばず、他の人に貢献する機会も与えられなければ、たとえ受験に成功しても、それから先の人生において子どもを待ち受けているであろう様々な―しかもおそらくは受験以上にむずかしい―課題を前にした時に、たちまち、子どもは勇気をくじかれることになってしまいます。人生における課題は協力することによってのみ解決できるからです。
 私はもちろん勉強しないでいいといっているのではありません。むしろ、家庭で受験生だからといって、特別視されるのではなく、親や他のきょうだいと良好な関係を持ち、家庭内で家族の一員として協力できるようになって初めて、勉強も進捗する、といいたいのです。なぜなら、協力することで、自分が他の人に役立てると思えた子どもだけが、自分のことを好きになり、勉強も含め、自分の課題を解決できる自信を持てるようになるからです。しかし、もしも自信を持てなければ、目下、子どもが直面する受験にも最初から挑戦しようとしなくなるかもしれません。そのようなことがないように、親としては何としても子どもの自信を育みたいところですが、そのためには叱咤激励すればいいというような簡単な話ではありません。不用意な親の言葉が、子どもの自信と勇気を容易にくじいてしまうのです。そうならないために、具体的に子どもにどんなふうに声をかけていけばいいかを学ぶ必要があります。それを学ぶことは、子どもに勉強できる環境を整えることと同じくらい、あるいは、それ以上に大切なことといえます。
 今の年齢の子どもはまだまだ親の援助が必要です。しかし、その援助が有効であるためには、つまり子どもが親の援助を拒むようなことにならないためには、一体、親は何ができるかを考えていきましょう。

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2009年4月12日 (日)

外を少し歩いてこようと

taking a occasional rest from work ...

 いい天気の日が続く。今日は風が吹くと桜の花びらが散っていく様子を父と長く眺めていた。今日も少し歩く。昨日、調子が悪かったので少しだけにしておく。昨日はヴァイツゼッカーの研究会があって、昼から妻に代わってもらったのが、夕方、僕に病院に電話をしてもらおうと思って起きてきたといったらしい。今日は一転調子がよかったのか、僕が寝ている間に少し席を外していた間に、なぜか起き出し外に行こうとしていた時に取り押さえた(という感じということだが)。「外を少し歩いてこようと思って」という。一人では外に出てはいけないといつもいっているのだが、体調がいいと、車椅子を使っていることも忘れてしまうのかもしれない。
 昨日は外に出られて気が晴れた。木村先生が休まれたので心配。僕が参加してもうすぐ三年になるが初めてのことである。帰る前に参加していた友人が、僕の身体のことをたずねてくれたのは嬉しかった。僕は正直によくない、と答えてしまったのだが。

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2009年4月10日 (金)

朝の祈り

morning prayer ...

 朝、父の家の前で自転車を止め、鍵を開けようとしたら、ベニシジミ(紅小灰)がいた。こんなに早く見たのはなかったかもしれない。一瞬にして飛び去ってしまった。視力はよくないのに、動体視力だけは鍛えたのか、こんな小さな蝶でも(1.5cmくらい)でも目に飛び込んでくる。朝日を浴び、天を仰ぎお祈りをしているように見える。
 午前中にまた父と桜を見に行く。車椅子はありがたい。日陰に留めて、長く外で過ごす。少しだけ父と歩いてみた。ほんの数十メートルだったが、振り返ったら車椅子から遠く離れたところまで行っていた。歩かないと本当に歩けなくなるという父はわずかな距離でも満足したように見えた。やっぱりしんどいというが、不屈の精神で歩き通そうとするので、気をつけなければいけない。入院時、輸血の承諾書にサインしたほどの貧血が完治することは期待できない。
 来週からカタリナ高校の看護専攻科に出講するので、その間にヘルパーさんにきてもらうことにした。それでも、前後1時間ほど父は一人でいることになるので心配だが、病状が落ち着いてきたので、大丈夫だろう。不在の間1時間半きてもらって食事と服薬も任せることで何とか切り抜けたい。目下、外に行かなくても仕事はいくらもあるのだが、講義ができるのはありがたい。当然、学生は僕のことを知らないわけだから、僕だけが楽しみにしているわけだが。
 今日は父はずっと写真集を見ている。明治から最近までの、今住んでいる街の写真集で、その中には父が提供した写真もある。それを見て父は、これはおじいさんだな、という。父は今いる家におじの養子として入り、母と結婚したのである。断片的ではあるが、記憶が蘇ってきているようである。

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2009年4月 9日 (木)

喉から

a crown of sakura ...

 父と一緒の時は安全に注意を払わないといけないので当然写真どころではないのだが、一瞬、父に断ってシャッターを切った。満開の桜。これから散っていくのを見ると寂しくなるが、桜に限らず、どの時期の桜も美しい。
 父の状態は三月の初めに退院した頃を思うとずいぶんとよくなっている。血液のデータ上は貧血がひどいので動くのが困難で、実際、ちょっとした所作で息切れがする。本人は自覚していないのだが。なぜよくなったか実はよくわからない、と主治医は正直にいわれるが、家族の手厚いケアの賜物だ、といいたいところである。
 身体的なこともだが、意欲が出てきたように見えるのは嬉しい。今朝は、僕が行くよりも先に起きていて、廊下に干してあった洗濯物を外していた。散歩(車椅子でということだが)に出かける時、いつもの帽子を被った後、近くにいつも置いてある双眼鏡を手にして、これがあればよく見えるだろう、という。そんな些細なことではある。
 他方、活動性が高まることによる問題もないわけではない。夕方、部屋をのぞくと、ベッドに悄然とすわっていた。声をかけたら、険しい顔をしてたずねるのだ。
 「どうして廊下に鍵がかかっているんだ」
 もう何十回と繰り返した息切れがひどいこと、階段の昇降は危険であるという説明をすることになった。
 「しかし、トイレに行きたくなったらどうするんだ」
 そのためにポータブルの便器が置いてある。父が住む家は一階にトイレがあって、父は二階に生活している。それなら一階で過ごせばいいというようなものだが、玄関は二階にある。一階といっても地下という方がわかりやすいだろう。 
 わかった、とたしかにその場では理解できるが、記憶が持続しない。夜は僕はいないので危険を回避するためには、他に方法はないのである。24時間体制で父の側にいてトイレに行くたびに階段の昇降を手伝えればいいのだろうが、現状では無理である。
 だから、と、僕は父に理解を求めるのだが、耳が不自由な父には僕の声はほとんど聞こえないので、大声を出さないといけない。大声を出すと、感情が高ぶっていけない。そして僕の心臓は喉から飛び出しそうになる。

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2009年4月 8日 (水)

父と花見

dancing butterfly ..

 今日は午前、午後、二度父と花見へ行った。昼からは遠出したので一時間も車椅子を押すことになった。天気がよかったので桜の下でお弁当を開けている人が多かった。明日は、お弁当をこようかという。家の前ならできるかもしれないが。覚えているかたずねるのはよそうと思ったが、夜、寝る前に桜の話をしたら覚えてくれていた。昼間、仕事が進まなかったので取り返そうと思ったが、夕食後疲れてしまって何も手につかない。
 射干が庭に咲いていた。こんな早くに咲いているとは思わなかった。中国語では胡蝶花という。この花を知って3度目の春。

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桜に溶け込む

The bird greeted us...

 最近ヒヨドリが姿を見せないと思っていたら、桜の吸蜜に忙しかったようだ。比較的大きな鳥だが、桜の花びらに隠れ、鳴き声がしてもどこにいるかすぐにはわからない。今日も父と出かけられたらいいのだが。自力では歩くことが困難なのに歩いているといって困らせた父が、いざ車椅子が届くと出かけようとはいわない。

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2009年4月 7日 (火)

父と散歩

 父が大きな声で笑うのでどうしたのかとたずねたら、母親と小さな子どもを指さす。父はいつも窓から道行く人を眺めている。「あの子が、ぱたんとこけたんだ」。笑い事ではないのだろうが、泣くこともなくすぐに立ち上がったしぐさがかわいかったのだろう。
 その二人が歩いている道を、父を車椅子に乗せて駅まで歩いた。介助用の車椅子は車輪が小さく、止める時のブレーキはもちろんついているが、他に手元のハンドルに自転車と同じブレーキがついている。軽いといっても空手で歩く時よりは負荷はかかる。それに車はあまり通らない平坦な道とはいえ、安全のことに気を遣ったのか緊張してしまった。ちょうど菜の花と芝桜が咲き出してきているので喜ぶかと思っていたが、あまり心を動かされなかった。花に関心がないわけではなく、遠目からピンクや黄色の絨毯をしきつめた光景を愛でるということに慣れていないのかもしれない。途中、すれ違った女の人が連れていたプードルに相好を崩していた。ともあれ、父を置いて出かける時に感じる不安なしに外を歩けたのはよかった。父はこの出来事を一時間後には忘れてしまったのだが。

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2009年4月 6日 (月)

菜の花

Where have you been?

 父のところから帰る時自転車では知っていると菜の花が匂ってきた。父はいつもより少しだけ早く寝たので、その分早く帰ることができた。昼間は暖かかったが、日が落ちると冷え込んできた。明日、車椅子が届いたら父と外出できる。写真は朝、父が寝ている間に撮った。蜜蜂が戻ってきた。

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2009年4月 5日 (日)

月を招く

The cherry tree beckons the moon...

 歩かなかったら本当に歩けなくなると父が執拗にいうので、家の前に咲いている桜を見るべく出かけた。筋力が衰えているからではなく貧血があって歩けないということを理解してくれない。わずかな距離だったが、何度か倒れそうになった。父を支えることはできない。火曜に車椅子が届けば父と外出できるのだが。
 昼間、二時間代わってもらって街へ出た。人での多いことに驚く。大急ぎで書店で本を買った。またしばらく出かけることができない。自分の意志で仕事をするために外に出ないのと、現実に外に出られないのとでは大きな違いがある。父が、温泉に行きたいとふという。もう長い間どこにも出かけてない、と。
 帰ってきた時、ちょうど月が昇ってきた。

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2009年4月 4日 (土)

タイムスリップしたような

small and powerful ...

 今日は妻が鍋にしようという。もう4月になると、スーパーでも鍋セットは売られてなくて、野菜も固くなったが、気温は冬とはさすがに違うといっても雨の今日は体感温度は低かったので、季節外れという感じはなかった。父と三人で食べていたら、4半世紀前こうして三人で食べていた頃のことを思い出した。6月から三人での生活が始まったが、冬には父は京都から横浜に移ったので鍋を囲んだことはなかったかもしれない。あの頃は父は若く、親との同居は難しいと思った。
 来週の火曜日に車椅子とベッドが届くことになっている。父は何度かそのことをたずねた。どんなベッドがくるのか、と関心はあるようだ。病院にあったような電動式のものであることを説明し、操作は任せてほしい、といったら、お前がするなということは私はしない、という。今日は横になっている時間は長かったが、ふと過去にタイムスリップしたような気がした。

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2009年4月 3日 (金)

ここは躑躅が

 堀江敏幸の『めぐらし屋』(毎日新聞社)を読む。堀江の作品は小説よりも、エッセイとも評論とも小説ともいえない独自のスタイルで書かれたものが気に入っているのだが、大きな事件が起こるわけでもなく、ゆったりとしてテンポで進行する出来事をゆっくりと読むと少しずつ引き込まれていった。
 急死した父親が残した「めぐらし屋」と表紙に書かれたノートを手にした娘の「蕗子(ふきこ)さん」が父の過去の謎を探っていく。筋とは別に僕自身のいくつかの出来事が蘇ってきて、本を置いて僕自身の記憶を探っていくことにもなった。
 今朝、ケアマネージャーさんに父が「ここは躑躅が咲くのですよ」と話しているのを聞いた。今はまだ咲いていないので、過去の記憶がふいに蘇ったことがわかった。たしかにこれから躑躅が咲く。昔、この家に住んでいた頃、朝、目を覚ますと、部屋がピンクに染まっていて驚いたことがあったのを思い出した。父が躑躅のことを覚えていたのは嬉しい。
 『めぐらし屋』を読んでいて、僕も父のことは何も知らないことにあらためて思い当たった。過去のことを知る母もいない。父の友人からは僕が知らないことを聞けるかもしれないのだが。
 作中に出てくる百科事典の話は中学生くらいの時のことを思い出させた。今も探せばあるはずだ。毎月一冊ずつ配本され、届くと端から端まで読んだという記憶があるが、もちろん、実際にはbrouseという言葉を後に知ったが、拾い読みをしただけなのだろう。

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父の見張り

trembling sakura ...

 朝、濃い霧が出ていた。なにこんな霧は30分で晴れると父は自信たっぷりにいうが、実際、今日はわりあい早く晴れたが、父がよく知っているはずの霧は昼近くまで上がらない。
 介護認定の区分変更を申請したところ、審査を経て、要介護2になった(これまでは1)。ベッドと車椅子を借りられるのがありがたい。担当のケアマネージャーさんが居宅サービス計画書を持ってこられる。父は、車椅子は要らないと思う、と持論を展開するが、父の目下の状態では自力で外を歩くことはできない。火曜日に受診した時は、車椅子を使って病院内を移動したのだが。菜の花畑が近くにあってそれを見に行けるし、それに桜が咲き始めたから見に行こうという話をする。
 昼間、父と向き合っていると、特に話すわけではないのに、ひどく疲れることがある。昔、医院に勤務していた時、外来にこられる患者さんの他に院内にはデイサービスの患者さんがおられ、昼食をいつも一緒に取った。それはもちろん心弾む楽しいひとときだったが、この医院には休憩時間とスタッフ専用の休憩室がなかったことが長時間の激務による疲れを増幅したように思う。その頃の疲れ方と似ていることにふと思い当たった。
 ここではまた父の様子を見て、食事の世話、服薬管理、洗濯などをしながら、それ以外の時は四六時中本を開いているが、通勤電車の中での状況が再現されているようにも思う。電車に乗ると本が読めるのは、他に何もできないからである。電車に乗っているのでなければ本などうちやって外に出かけたり、横になったりするだろう。おかげでこのところ煩瑣な作業に取り組んできたが、ほぼやりとげることができた。父が(!)見張ってくれてなければとうていできなかっただろう。

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2009年4月 2日 (木)

和む空気

sakura at last ...

 寒い朝になった。桜は咲き始めたのに、山には雪が積もっていた。娘は入学式に出かけたのだが。いつもより三十分ほど早く父のところに行くと、父は熟睡していて、今は夕方か、朝か、とたずねる。よく眠れたというが、夜中に起きて居間にいた形跡があり、寒いかと思ってつけておいた電気毛布のスイッチは消してあった。不順な天候で風邪など引かなければいいのに、といつも心配になる。
 朝、訪問看護。父と二人でいると息詰まる思いをすることがあるが、看護師さんらがこられると家の空気が和む気がする。

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2009年4月 1日 (水)

日なたぼっこ

live in obscurity ...

 白いミヤマカタバミはめずらしいのかもしれない。去年も同じ時期に咲いていたのを思い出して、探してみた。日陰にひっそりと咲く花は華々しくはないが、目立たないところにあるからこそいっそう心に残った。
 昨日の受診は大きなイベントで、疲れてしまった。父と外に出ることは最近ではめったにないことなので気を遣ってしまった。車椅子を押していると、前に人がいて狭い廊下を進めなくなることがあった。僕としては急ぐこともないので待つつもりでいるのに、父が大きな声で「すいません!」というのでどぎまぎするというようなことなのだが。
 病院から帰ってほどなくするとヘルパーさんがこられたので、父を任せて薬局に薬を取りに行った。入院前と内容がすっかり変わったので、ファックスをあらかじめ送っておいたが、まだ調剤が済んでなかった。
 暖かい日で、帰ると父は縁側(今は改築したのでこのようにいうのは正確ではないが、以前はたしかに縁側だったところ)に座布団をひいてすわっていた。暖かな日射しを浴びながら、ヘルパーさんと楽しそうに話をしていた。

 亡くなった人の経験が死後も残るのかはわからないが、もしそれがすべて消える、あるいは、消えるように見える時、死者からはもはや何をなすすべもない。生者に対して自分のことを忘れないでいてほしいという切なる祈りだけが、われわれのもとに届く。故人を忘れないでいることだけが、不死を保障する。

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