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2009年3月30日 (月)

できないことをできないという

 医院に勤務していた時、足を捻挫したことがあった。医院の勤務を終え、大学の講義に向かおうとしていたのだが急いでいて階段を踏み外したのである。骨折には至らなかったが、思っていた以上に痛みはひどく、全治二週間と診断された。
 私は足を捻挫した時、二週間休むことになった。最初一番困ったのがトイレに行けないことだった。トイレは階下にあるので(今、毎日きている父の家に生まれてから住んでいたのである)階段を降りる時に、どう松葉杖を使っていいかよくわからなかった。その上、激痛があったので、息子の肩を借りなければならなかった。息子は気持ちよく引き受けてくれた。中学生だったはずである。親と子どもの逆転。ありがたかったが、居心地が悪かった。
 堀江敏幸が、息子におんぶされて駅の階段を下りる女性のことを書いている(「流れを押しとどめること」『バン・マリーへの手紙』所収、岩波書店)。その女性は「ちょっと気のつよそうな、攻撃的なところがあるにもかかわらず、ぜんたいとしてはひどく優雅なのだ。庇護される側に立たざるをえないことを認識した瞬間、攻撃性が薄れて、本来の弱さがにじみ出てきたのだろうか」(p.113)
 僕の父にはその認識があるのかないのかわからない。攻撃性は抜けない。感情が全般に平板になったように感じられる今も僕には不快な表情をし、時に声を荒げる。僕が父のところにずっといることの意味がわかっているようには思えない。介護認定の調査員には、僕は日に一回はきている、という。ずっといればたしかに一回だろうが、入院していた時のことを思っていったのではないか、と思う。あの時は「日に一回」着替えを持って行き、様子を見に行っていた。
 自分でできることを他の人に頼るのは依存であり甘えだが、自分ができないことについて他の人の援助を求めることができることは、通常の意味とは違うが、自立である。反対に、できないことでも何でも自分でしようとすることを自立とはいわない。

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コメント

 >>庇護される側に立たざるをえないことを認識した瞬間、攻撃性が薄れて、本来の弱さがにじみ出てきたのだろうか」

父が闘病中の頃、父は母にはますます攻撃的になっていました。でも、一緒に住んでいた弟は父に叱咤激励のオンパレードのようになっていて周りで聞いているだけでもドキドキするくらいだったのですが、それでも父は弟にはすがって、小さくなっているように見えました。その強い感じと弱い感じが表裏一体のようでくるくる変わるのを私は見たくなくて戸惑っていました。攻撃的な強さは根っこに弱さがあるのかもなんですね。私は攻撃的な父を見るもいやでしたけれど、それ以上に弱さを見てしまったことに戸惑っていたのかなあ、と読んでいて思いました。

>>反対に、できないことでも何でも自分でしようとすることを自立とはいわない。

こういう状態にある人に声をかけたりするのって、すごく難しそうですね・・・プライドを傷つけず、でも、危険なこととかにならないようにわかってもらえるようになど、私だったら、頭ごなしにぎゃあぎゃあ言ってしまいそうです・・・。母がときどき自分がもっと老いたら何でも人に頼むのがかなんたちやから、憎たらしいばあさんになるかもしれないと言っているので、特に気になりました。

投稿: mari | 2009年3月31日 (火) 11時40分

 若い頃の強い親と目の前にいる弱い親とのギャップがいろいろな思いを呼び起こします。攻撃的という言葉は適切ではありませんが、感情が平板であるよりは、僕の言葉に一瞬いらだつ時、若い日の父が蘇る気がします。主張的といえばいいのか。こうしたい、ということをあまり強くいわなくなってしまったのです。「ありがとう」なんて似合わないよ、とかいってみたくなります。

投稿: 岸見一郎 | 2009年3月31日 (火) 18時13分

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