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2009年3月13日 (金)

どんな時も自由で

 冷たい雨が降ったり止んだりしている。朝、荷物が多いので、小雨の中無理をして自転車できたのだが、帰りはどうなることか。おなかが減ってたまらないという父に夕食を出す。「夜中にお腹が減ってたまらなかった。そんな時はどうしたらいいんだ」とたずねる父に、今日は夕食を少し遅くしようといい、父も同意していたのだが。僕は常よりも早く暮れゆく外を眺めている父の前で、明日のヴァイツゼッカー研究会のための準備をしている。今日はその準備ともうすぐ脱稿できそうな原稿の読み直しをしていた。
 昨日の夜、息子が東京から帰ってきた。今日、卒業した高校に用事があることもあって、来週の月曜に予約が入っている僕の受診日に父を代わりに見るよう頼んでいる。娘は目下オーストラリアに行っていて静かだったが、息子が入れ替わるように帰ってきたので、夜、遅くまであれこれ話をした。
 父の確定申告を完成。僕の分は税理士さんに依頼したが、病気になって以来、執筆とわずかな講演しかしていないので当然収入が少なく、税理士さんがその後身体の具合はどうかと心配するほどである。
 いつも父のところから帰る時に思う。人はどんな時でも自由でいられる、と。父といるからといって仕事ができないわけもない。そんなことを毎日自分にいい聞かせている。

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日記」カテゴリの記事

コメント

父を介護し、見送った者として、(そして、父を介護している時に先生の御本やHPやコメントへのお返事でとても助けられた者として)おことばをおかけしたくてつい出てきました。
退院直後は誰しも状況の変化にとまどうものです。本人も、周りも。でも、必ず落ち着いていく日が来るものですよね。
父のところにいるから仕事ができない、自由な時間が少ない、という気持ちになりそうになることもありましたが、そのときも、そして今振り返っても強く思うことは、父と共にいられる時間が、実は幸せな時間、今までの埋め合わせのような時間なのだ、ということです。本当はそのときには幸せなことばかりではないですし、大変なこともいろいろあるのですが、でもその大変ささえも、同じ時空間で共に生きた証なのだ、と思います。父がいなくなってしまう前に(すみません、でも必ずそういう時はやってきますよね)、そういう時間がもてていることの幸せを、どうぞ今このときにも味わってくださいませ。

投稿: なおち | 2009年3月14日 (土) 16時09分

 ありがとうございます。今までの埋め合わせの時間といわれることわかります。父とは長く関係がよくなかったのですが、お前のしているカウンセリングというのを受けたいといいだしてから、時々会って話をしていたのですが、3年前僕が病気で倒れて以来(そのことを父は覚えていませんが)自分のことに精一杯で今振り返ると、もっと父に目を向けていたらよかったとたしかに思うのです。しかし、それを悔やんでも始まりませんし、今、父と毎日いられることはよかったと思います。日ごとに弱っていくのがわかりますからいつまで穏やかな日が続くかはわからないのですが、つらいことばかりに目を向けないで父との時間を共有していきたいと思います。

投稿: 岸見一郎 | 2009年3月14日 (土) 21時25分

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