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2009年3月の記事

2009年3月31日 (火)

記憶の中にしか

 朝から病院に行くというので父のテンションは高く、予約が入っているのに、早く行けば早く診てもらえる、といってきかない。手近にあった(僕の本だが)森鴎外の小説を開け、待ち時間に読むべくポケットに入れる。
 病院で車椅子を借り、すわるように勧めると恥ずかしそうにする。入院中は毎日使っていたのだが。たずねるまでもなかったのだが、この病院に長く入院していたという話をしたら、何も覚えていなかった。もちろん、僕が毎日病院に通ったことも。そのことについて何かをいってほしいわけではないのだが、あの日々のことは父とだけ共有した経験であり、その時のことを後になって父が言及してくれたら、夢の中での出来事ではなかったと確信できるが、いわば僕の二ヶ月の歴史は僕の記憶の中にしかもはや存在しないことになる。
 とはいえ、僕が記した日記の中にはたしかにこんなことが書いてあるのだ(2009年1月7日)。大学の講義を終えて、遅い時間に父を病院に訪ねていった帰りの父の言葉である。
「お前が毎日きってくれるからそれだけでもどんなに気が楽か。あまり話すわけでもないけどな」
 父がそれを覚えていなくていい。
 採血、レントゲンとも結果は良好。もとより治癒したわけではないが、一番の問題だった貧血は改善してきている。退院した頃のことを思えば、呼吸はたしかに楽になってきている。

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2009年3月30日 (月)

目を離せない

purple bells ringing

 清々しい気持ちで一日を始めても、夕方になると疲れてくる。今日も後少しで帰れると思っていたところ、夕食の準備をしていて少し目を離した隙に父の大きな声が聞こえた。大事には至らなかったのだが。
 朝、看護師さんがこられるとそれで一日が終わったような気になってしまう。仕事を始めようと思って準備したらコンピュータの電源アダプタを忘れたことに気がついた。コンピュータを使わないと仕事にならないので、寝ている間に一度家に取りに戻った。
 僕が話しかけなかったら父からは話しかけてこないので、食事以外の時以外はほとんど話さなかった。明日は退院後初めての受診なので今日とは違って刺激的な日になるだろう。前回は受診後即入院になったのだが、今回は大丈夫だろうと思う。車椅子が間に合わなかったので、病院で借りることになるが、盗まれることがあるようで、借りる時に名前を書いて鍵を受け取らなければならない。

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できないことをできないという

 医院に勤務していた時、足を捻挫したことがあった。医院の勤務を終え、大学の講義に向かおうとしていたのだが急いでいて階段を踏み外したのである。骨折には至らなかったが、思っていた以上に痛みはひどく、全治二週間と診断された。
 私は足を捻挫した時、二週間休むことになった。最初一番困ったのがトイレに行けないことだった。トイレは階下にあるので(今、毎日きている父の家に生まれてから住んでいたのである)階段を降りる時に、どう松葉杖を使っていいかよくわからなかった。その上、激痛があったので、息子の肩を借りなければならなかった。息子は気持ちよく引き受けてくれた。中学生だったはずである。親と子どもの逆転。ありがたかったが、居心地が悪かった。
 堀江敏幸が、息子におんぶされて駅の階段を下りる女性のことを書いている(「流れを押しとどめること」『バン・マリーへの手紙』所収、岩波書店)。その女性は「ちょっと気のつよそうな、攻撃的なところがあるにもかかわらず、ぜんたいとしてはひどく優雅なのだ。庇護される側に立たざるをえないことを認識した瞬間、攻撃性が薄れて、本来の弱さがにじみ出てきたのだろうか」(p.113)
 僕の父にはその認識があるのかないのかわからない。攻撃性は抜けない。感情が全般に平板になったように感じられる今も僕には不快な表情をし、時に声を荒げる。僕が父のところにずっといることの意味がわかっているようには思えない。介護認定の調査員には、僕は日に一回はきている、という。ずっといればたしかに一回だろうが、入院していた時のことを思っていったのではないか、と思う。あの時は「日に一回」着替えを持って行き、様子を見に行っていた。
 自分でできることを他の人に頼るのは依存であり甘えだが、自分ができないことについて他の人の援助を求めることができることは、通常の意味とは違うが、自立である。反対に、できないことでも何でも自分でしようとすることを自立とはいわない。

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2009年3月28日 (土)

悪いけど

let this be the sun ...

 朝からずっと起きていた父が3時半頃、ちょっと寝てくる、と寝に行く。5時前に空を仰ぐと、今日は日没は昨日よりも相当遅いのだろうか、などとありもしないことを思うほど日は高い。それでもいつの間にか、日は山際をめざして急速に落下し始めているのに、父はまだ起きてこない。
 夕食の準備をしていたらようやく起きてきた。お腹がすくという。気温の低い日が続いているからかもしれない。入院する前に一度夕食の時、おかわり、といったことがあった。悪いけど、おかわりはないんだ、といわなければならなかった。そういえば僕もこの3年、おかわりをしていない。
 大きな問題がなかった日。何事もない日がありがたい。
 植物園の入り口に毎年この時期に見事な花を咲かせる椿。

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春虎の尾

beautiful tiger ...

 妹に代わってもらって父の家を後にして近くにある植物園に行く。寒い日だったが、前回訪ねた時と違って、花がたくさん咲いていた。写真の花が春虎の尾ということは去年始めて知った。
 時折、雨が降ったり、またすぐ日が差したり、数秒ごとに光の当たり方が違ってくることに驚く。時が経つのを忘れる。

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2009年3月27日 (金)

今日は英気を

archaic smile

 今日は妹が半日代わってくれた。おかげでその間、写真を撮りに行ったりして英気を養うことができた(写真は豆桜、去年と同じ場所に咲いていた)。一時間ほど横になって眠れたのもよかった。もっとゆっくりしてもよかったのに、急ぎの仕事に取り組むことになった。夕方、弁当を作って持って行く。今日、妹と過ごしたこと、話したことを明日も覚えていますように。父のためにいろいろと準備し、積極的に働きかけてくれる妹とは違って、僕は最小限のことしかしない。音楽もかけないし、ほとんど話しかけることもしない。父が退院した週、ひどい混乱状態にあった時は、長く話したのだが。ごはんはまだだからそれまで寝てくる、といって寝てしまう。僕は自分の仕事をしたいので、引き止めない。食事の世話、ポータブル便器の掃除、服薬管理、洗濯、後、危険なことをしないように見張ることくらいしかしていない。テーブルをふきんで拭くというようなことまで気が回っていないことに気がついた。
 今日は寒い日だったので外を歩いてくる、とはさすがにいわなかった。「いつになったら暖かくなるやろ。桜、楽しみやなあ」という。外を歩けるようになれたらいいのだが。車椅子を借りるつもりだというと、不満そうである。歩かない、と本当に歩けなくなる、と怒るが、身体の病気が父の願いを叶えるかわからない。

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2009年3月26日 (木)

北風と太陽

momentary glow of sunset ...

 これは昨日撮った写真。雨が降ったり、日が照ったり、曇ったりする寒い日だったが、夕方、窓からこんな夕日が見えた。父がすわっている席から見える眺めは、父の介護、看護にくるスタッフが一様に驚かれる。郊外の小さな駅だが、一日に何本も発着する電車が見える。田んぼの中を通る道を歩く人の姿も見える。寒い日はイソップの「北風と太陽」さながらの光景が見られる。身体を前に傾け、風に精一杯抵抗して人が歩いていると今日は寒いのだな、と父はいう。暖かい日はどの人も背中を伸ばして歩いている。家のすぐ横には椿や木蓮が咲いていて、ヒヨドリが飛んできては花の蜜を吸っているのが見える。起きてすわっている間、父はずっと外を眺めている。僕はふと退屈しないだろうかと思うのだが、入院していた時、しきりに父が使っていた「退屈」という言葉を父はたしかにいわなくなった。父にすれば、僕が一日中、本を読んだり、キーボードを叩いていることを不思議に思っているかもしれない。
 今日は父は元気なく食事以外横になっている。テンションが高い日が数日続くと、反動のように力をなくす日が続くようだ。

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2009年3月25日 (水)

この頃、指先が

I need your power ....

 寒い日が続く。朝、駅の前の通りは工事をしているのと、電車に遅れまいと殺気立っているので、遠回りして父のところへ行く。前夜帰る時に閉めたカーテンが開いているともう起きているのがわかる。そんな日は部屋の戸を開けると、父はソファにすわっている。「おはよう」と迎えてくれる。
 今日は訪問入浴。こちらに戻ってきた頃は毎日のように一人で風呂に入っていたが、退院後は入れなくなった。気持ちがいいのだろう、楽しみにしている。三人のスタッフが手際よく身体と髪を洗っている様子は何度見ても興味深い。あれこれ話しかけて邪魔をしてしまう。
 今日は父が寝ている間に一時間ほど眠ることができた。横になって眠りたい。
 「この頃、指先が不自由になってきた」
と寝る前にパジャマのボタンをかけながら父がいう。
 仕事に疲れると、堀江敏幸の本を読み、また仕事に戻るというパターンで過ごしている。小説でもエッセイでも評論でもない。『おぱらばん』(新潮文庫)『いつか王子駅で』(新潮文庫)『熊の敷石』(講談社文庫)『回送電車』(中公文庫)を読了。

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2009年3月24日 (火)

変わらないことに

go and see Momo!

 朝、マンションを出て父のところへ行こうとしたら鮮やかなピンクの花が目に入った。去年と同じ時、同じ場所に花が咲くというのは不思議である。今年は早いそうだが、桃の花の次はいよいよ桜である。
 たまに会う子どもの成長は早いという話はよく聞く。実際、僕もそう思う。親の衰えはこれの逆とは必ずしもいえないかもしれない。たまにしか父に会わない人はむしろ気づかないかもしれない。ずっと一緒にいると、昨日できたことが今日はできないということが目についてしまう。もちろん、育児の場面でのように、できたことに注目するべきだということは知っているのだが、子どもとは違って昨日できなかったことが今日できるということがないように思ってしまう。実際にはそんなことはないはずだが。昨日と変わらないことならいくらでもある。変わらないことを喜びたい。
 昼からヘルパーさんがこられる。父を任せて買い物に行く。スーパーの大型テレビの前でたくさんの人が野球中継を見て、声援を送っていた。父のところへ戻ってヘルパーさんに父の様子をたずねたら、椿にヒヨドリがくるという話をしていたという。名前を覚えてくれた。ヒヨドリを見ると、相好を崩す。

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2009年3月23日 (月)

目覚める度に

a joy to see you so happy ...

 先週は元気だった父は昨日からまた力をなくし、昼間も長い時間寝ている。朝、寒いといって横になると行って寝室へ入る。間もなく、看護師さんがこられたが、昼に起きた時にたずねると何も覚えていない。一度寝て目覚める度に父は一日老いるように見える。
 翻訳追い込み。父が寝ている間、朝から父が何度目かの眠りについた7時まで取り組む。また明日、父のところへ行くのだから、本などすべてそのまま置いてきてもよかったのに、帰ってから続きをしたくなるかもしれないと思って持って帰ってきた。それなのに結局もう頭がぼんやりして本を開く気にならない。
 堀江敏幸の作品を手に入る限り読もうと思って、仕事に疲れたら読んでいる。やっと3冊。英語なのにローレンス・ダレルの書いたものを読んだ時、歯が立たなかった時の感覚を思い出した。

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2009年3月22日 (日)

雨音を聞きながら

perpetual life ...

 雨の一日。父は雨模様の日は外を見てもつまらないのか、食事が済むとすぐに横になる。昼間、ほとんど起きてなかったのではないか、と思うほど。「まだまだ寝られる」といって笑う。雨音を聞いているうちに僕もいつのまにか深い眠りに入った。
 用事があって出かけていた妻が帰りに立ち寄った。「ただいま」というと父は嬉しそうに「おかえり」と答える。昔、しばらくの間、三人で暮らしていた頃のことを思い出した。個性の強い三人が同居すると何かとぶつかることが多かったが、今となってはその時のことは少しも問題にならない。僕だけはいつまでもあれこれ忘れられないでいるのだが。

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2009年3月21日 (土)

今と複数の過去

under the radiant sun ...

 原稿は無事送ることができた。今日はオフにしようと思ったが、仕事は山積、そういうわけにもいかない。
 朝、父のところに行くまでが気が重い。行くと、父が落ち着いていさえすれば、一日静かに過ごせるのだが。時々言葉を交わすが、父は椿にくるヒヨドリや、道行く人をじっと眺めている。鳥が枝に止まると教えてくれる。昔、父と暮らしていた頃は一体何を話していただろう。父は、僕がすることを止めるようにいうようにと母に命じるが、母は、僕がすることはすべて正しいと応じなかった。その防波堤のような母が亡くなって以来、父の批判は直接僕に向けられるようになった。
 今はもう父は何もいわない。
 父のところへ行きたくなるように、読みたい本をたくさん置くことにした。家で続きを読めないとなると、父のところへ行くしかないという状況を作った。読み終わった本が増えたので、一度、持ち帰ったが、その後はそのまま積み上げている。
 父は、今と複数の過去を自在に結びつけて生きているように見える。父の時制に過去形はない。現在形だけを使う。過去は、今、想起される限りにおいて現在である。
 看護師さんとこんな話をしていた。
 「こうしてじっとしているとね、息は楽なんです。でも、私には心不全があって、これはもう治らないので、どうしようもありませんが、動くと、〔一階にある〕トイレに行って階段を上ってくる時は息が切れます」
 父は今は階段を使うことはない。そのことを僕は知っているので、父が今のことではなく、階段を上り下りしていた過去のことをいっているのがわかるのだが、父には過去と現在の区別はない。

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2009年3月20日 (金)

父が思い出した

no boke without a thron ...

 昨日中に書き上げ送るつもりだった原稿をまだ持ち続けている。あとがきは無事書き終えた。400字詰め原稿用紙で300枚ほど。後、少し。
 今日は読書会。一日遅れだったが祝ってもらえて嬉しい。誕生日にケーキを食べるのは久しぶりの気がする。父がケーキを見て、母のことを思い出した。この数週間、父が今いる家で過ごした生活、そこで僕も共に過ごした生活を忘れてしまったことに心を痛めていた。
 「一郎はお母さんと誕生日が同じだ」

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2009年3月19日 (木)

静かに余生を

a friend from a longdistance ...

 父を見舞いにきてくれた人があった。春の花束で部屋が華やいだ。
 週の前半、元気だった父は、昨日の介護認定調査が終わってから力なく、今日は昼間食事以外の時間、起きていられなくて長い時間寝ている。ただし眠りは浅く、たびたび起きてくる。
 「どこかに行ってたんか? お前がいないと思って…」
 「いや、僕はどこにも行かない。ずっとここにいる」
 「それならよかった」
 何か夢を見ていたのかもしれない。
 心筋梗塞で倒れたのは2006年の4月だった。僕と49歳で亡くなった母は誕生日が同じなのだが、やっと母が迎えることができなかった50歳の誕生日を迎えることができてほどなく死線をさまようことになった。その日も数えて3回目の誕生日。振り返ればあっという間だが、静かに余生を送っている。

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2009年3月18日 (水)

ちょっとしたことでも

This bird never fails to visit us ...

 ひよどりが椿の木に止まると、父が必ず教えてくれる。そっと立ち上がって、カメラを向けてみた。窓越しにデジカメ(Powershot G9)で撮ってみた。コンピュータ(MacBook Air;父の家で仕事をする時、なくてはならない)に取り込んで、父に見せたら、喜んでくれた。「時間があったら、焼き増ししてくれ」という。
 今日は介護認定調査。結果いかんで介護サービスの枠、中身が大きく変わってくるので、家族としてはなかなか複雑な思いで調査に臨むことになる。おそらくは多くの人が経験していることではないかと思うのだが、普段できないことまでもできると嬉しそうに、大きな声ではきはきと話す。「まあ、いろいろですが、大体は自分でしてます…」実際には、二ヶ月に及ぶ入院の後、以前に増してできないことが増え、訪問看護、介護などを利用しても、僕がいなければ独居は不可能な状態になっている。
 「息子さんはどれくらいここにこられてますか?」
 「一日、一回はきてるかな」
 何となく父は思い違いをしているように思う。しかし朝7時半から夜7時半頃まで(日によって違う)ずっとここにいるのだから間違いではないだろう。
 「食事は?」
 「お弁当を取ってる。そうだな」
と僕に同意を求める。僕は父に目を合わせられないまま頭を振る。若い頃、父と二人で暮らしていたことがあった。あの頃の険悪な関係のままだったら、父が病気であることを知っていても、こんなちょっとしたことでも憤慨していただろう。

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2009年3月17日 (火)

馬を酔わせる

intoxicating flower

 暖かい日になった。モンキチョウが飛んでいた。アケモノアセビは頬を赤らめ、馬を酔わせる。

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縺れた糸

 この頃は疲れてしまって、昨夜は横になって今読んでいる堀江敏幸の『おぱらばん』(新潮文庫)を5行ほど読んだところで寝てしまったようだ。僕はこの作家のことを何も知らず、去年、大学に出講する時に、京都駅の新幹線の構内にある小さな本屋で偶然見かけて手にした。その時は疲れていて心が少しばかりすさんでいて少し読んだだけで長く記憶の底に沈んでいってしまったが、最近になって、『おぱらばん』を読み始めたらおもしろく、手に入る限りの作品を読んでしまいそうな勢いである。僕が知らないフランスの小説が引いてあって、読みやすくはないが、味わいながら少しずつ読み進むと、10年前に2日だけ行ったパリのことなどが懐かしく思い出される。
 父が昨日いった「忘れていることは思い出さなくてもいいのだ」という言葉のことを考えていた。過去を忘れることは怖いことだと思うのだが、今が満ち足りていれば、過去がどうだったかは関係がないということかもしれない。今が満ち足りているかはわからないが、こちらに戻ってきてからの日々を父が不安に思わず過ごしてくれているのならいいのに、と思った。時々、父と時間をかけて縺れた糸をほぐすたびに父は落ち着いてくるように思う。今日もこれができなくなったということばかり、退院後の最初の二週間は思っていたが、今週はあまり気にならなくなった。
 娘が昨夜遅くオーストラリアから帰ってきた。いつまでもテンションが高く話し続ける。帰省中の息子とも楽しそうに話していた。オーストラリアからも携帯電話で簡単に連絡がつくがそのことで先週はかえって心配の種が増えたように思っていた。父が入院中、病院からいつなんどき連絡があるかと電話を常に身につけていた時のようにである。VISAデビッドカードを使える店が少ないなどトラブルはあったが(エンボレスカードなので手動のインプリンターによるオフライン手続きができないなど)、大きな問題はなく帰ってこられてよかった。VISAデビッドカードは、通常のクレジットカードとは違って、入金してある額の範囲でしか買い物ができないので、紛失、盗難時は安心である。国内で一度もクレジットカードを使ったことがない娘には敷居が高かったようではある。

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2009年3月16日 (月)

忘れていることは

2009年3月16日月曜日
 朝、第一日赤受診。息子に父の介護を8時半に代わってもらう。これから病院に行ってくる、と父にいうと、どこに行くのか、どこか悪いのか、とたずねる。もう何十回も繰り返した説明をする。
 前回受診時に問題になったLDLコレステロール値は正常範囲におさまったが、100以下にするために既に飲んでいるリバロに加え、ゼチーアが処方された。
 訪問看護の後寝てしまった父が思い詰めた表情をして起きてきた。
 「チロはどこにいるのだ」
 チロは父が長く飼っていた犬で、こちらに戻ってきた時、一緒にやってきたのだが、父の入院中から妹のところにあずかってもらっている。退院して3週間目に入ったが、一度も犬のことを口にしないので、僕もあえていわなかったのである。
 「そうか、元気にしているのか」
 もうこちらにくることはない、といった。実際、僕の手に余るからだが、再会したら父は元気になるのかもしれないとも思う。
 父はいう。
 「どうも夢と現実がこんがらがって混乱している」
 「そうみたいだね。前のことで忘れていることもあるようだし」
 「いや忘れていることは思い出さなくてもいいのだ」
 「それでは思い出したいことがあったら話すということでいい?」
 「そういうことにしよう」
 そういう話をした上で、いくつか昔の話をすると、そんなことがあったのか、とあたかも前世の話をしているような気になる。ともあれ、少しずつ縺れた糸をほどく手伝いはできるだろう。退院して3週間目、少し落ち着いてきたように見える。

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2009年3月15日 (日)

追い込み

flowers as the witness to my life ...

 朝、息子に二時間ほど父の介護を代わってもらった。先に僕が行って後から息子がきた時は父は既に寝てしまっていたので、起きた時に息子がいるのを見たら父は驚くかもしれないと思ったのだが。明日も僕が受診のために午前中留守をする間、息子に代わってもらう。
 今日の父は退院来初めて昼から夕方まで一度も寝ないでソファにすわっていた。まるで入院の前の時のようだと思っていたら、「散歩でもしてくる」といいだすので慌てた。実際にはベッドのところまで行くのにもついていないと危ないくらいなのに。起き続けていたから夕方ベッドに行った時は、ひどく疲れていた。いや、まだ寝ない、という父にパジャマに着替えるよう促す。まだ6時ではないか、と不服そうだったが、服の着脱だけでいつもよりもひどい息切れ。いつも帰る時は不安な気持ちになる。
 原稿の一つが目下追い込み。あとがきを書いていた。五十三回目の誕生日に、と書いてみたが、その日までに脱稿し出版社に送りたいものだ。

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2009年3月14日 (土)

蟄居

 今日はいつものように父のところへ行って、昼からヴァイツゼッカーの研究会に参加した。蟄居という言葉が思い浮かぶほど、くる日もくる日も父といたので、今日は少し気が晴れた。
 帰り、父のところによる。「ただいま」といったら「おかえり」といってくれた。昼間、初めての訪問入浴。帰る時、いつも着替えてふとんに入るところまで見届けて帰るのだが「今日は風呂に入れてよかったな」というと、嬉しそうに「よかった」と笑う。入院して以来シャワーか清拭だけだったので久しぶりの入浴だった。今日は僕はいなくてベッドの側に浴槽を持ち込んでの入浴というのがどういうものなのかまだイメージが十分わかない。
 帰ると今日会ったばかりの畏友の最近出版されたばかりの訳書が届いていた。僕とは比べものにならないほどの激務の中で成し遂げれらた労作を見て、僕も頑張らねば、と思った。

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2009年3月13日 (金)

どんな時も自由で

 冷たい雨が降ったり止んだりしている。朝、荷物が多いので、小雨の中無理をして自転車できたのだが、帰りはどうなることか。おなかが減ってたまらないという父に夕食を出す。「夜中にお腹が減ってたまらなかった。そんな時はどうしたらいいんだ」とたずねる父に、今日は夕食を少し遅くしようといい、父も同意していたのだが。僕は常よりも早く暮れゆく外を眺めている父の前で、明日のヴァイツゼッカー研究会のための準備をしている。今日はその準備ともうすぐ脱稿できそうな原稿の読み直しをしていた。
 昨日の夜、息子が東京から帰ってきた。今日、卒業した高校に用事があることもあって、来週の月曜に予約が入っている僕の受診日に父を代わりに見るよう頼んでいる。娘は目下オーストラリアに行っていて静かだったが、息子が入れ替わるように帰ってきたので、夜、遅くまであれこれ話をした。
 父の確定申告を完成。僕の分は税理士さんに依頼したが、病気になって以来、執筆とわずかな講演しかしていないので当然収入が少なく、税理士さんがその後身体の具合はどうかと心配するほどである。
 いつも父のところから帰る時に思う。人はどんな時でも自由でいられる、と。父といるからといって仕事ができないわけもない。そんなことを毎日自分にいい聞かせている。

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2009年3月12日 (木)

名前を知ると

dancing flower princess

 父が寝たのを確かめてから、河原を少し歩いてみた。この花の名前を僕は知らなかったので調べてみた。ヒメオドリコソウ(姫踊り子草)という。名前を知ると、野草も違ったふうに見える。
 昼間家にいないので、サインがいる郵便物や宅急便を受け取るのが難しい。郵便局に行って二通受け取ってきた。そのうち一通は再試験のレポート。数人分のレポートがある。ワープロ原稿推奨と書いたら、全員、手書きでなく、ワープロソフトでプリントアウトしたものだった。
 父の確定申告と格闘中。僕の分は例年税理士さんに任せているので、事実上初めての確定申告になる。

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2009年3月11日 (水)

美は身近に

deep in meditation ...

 写真を撮る余裕もなく日が過ぎた。父の家の前で撮ったホトケノザ。

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私のことを忘れないで

 寝室からテレビの大きな音が聞こえてくる。父が起きたようだ。ベッドに腰掛けて、幼稚園の小さな子どもたちが出てくる番組を見ている。父がそれを見て大きな声を上げて笑う。父が笑うのを聞いたのは久しぶりのような気がする。
 ほどなく父は再び布団に潜り込む。
 「チロちゃん、寝まちょうね。寝まちょうか?」
 チロは父が飼っていた愛犬の名前である。父はいつもチロにはこんなふうに話しかけていた。そのチロは父がこの家に戻ってきた時、一緒にやってきた。2ヶ月後、父は入院した。僕は毎日病院に行って、朝夕、犬の世話に父の家に通ったが、一月ほどで根を上げてしまった。今は妹の家に預かってもらっている。そのまま入院することになるとも知らず、外来受診に出かける日の朝、父はチロにいった。
 「チロ、私のことを忘れないでいてくれよ」
 父がチロのことを忘れてしまった。帰ってから一度も名前を口にすることはなかった。
 父はチロのことを忘れたわけではなく、チロと「家」で暮らしているのかもしれない。
 石川啄木の歌をふと思い出す。
 「いのちなき砂のかなしさよ、さらさらと、握れば指のあいだより落つ」
 父の思いでの砂はいのちがある。それは目には見えなくなるが、消えたわけではない。砂時計のように、反転することができたらいいのに。

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2009年3月10日 (火)

すきとおった風

 青木新門の『納棺夫日記』(文春文庫)を読む。評判になった映画の原作ということで敬遠していたが、題名から想像していた本ではまったくなかった。死者との出会いを通して、死と、死から目を背けては生きられない生についての省察の書である。
 「今日のあらゆる分野で最も必要なことは、現場の知ではないだろうか・
 青木は正岡子規の言葉を引いている。悟りという事は如何なる場合にも平気で死ぬことではなく、「如何なる場合にも平気で生きて居る事」だ、と。
 「如何なる場合」というところが難しい。死に直面しても平気で生きることはできるか。死の不安におののく患者にとって激励は酷で、善意は悲しい。説法も言葉も要らない。手を伸ばせば届くくらいの近くで前を歩む人が最も頼りになる。
 「きれいな青空のような瞳をした、すきとおった風のような人が、側にいるだけでいい」
 父にとってそんな人でありたいと思うのに、ちょっとしたことに心がざわついてしまう。前を歩むどころではない。
 朝、父の着替えを手伝っていたら、ふとパンくずが目に止まった。夜中か朝かわからないが、空腹にかられて冷蔵庫に入れてあったパンをトーストして食べたようだ。もともと何枚あったか把握してなかったが、おそらく二枚は食べた。今朝は朝食前にボナロンという薬を飲む日だったというのに。一日延期することにした。「覚えてない」といわれると心が萎えてしまう。父を責めても始まらないというのに。
 夜の闇の中で父は何を考えているいるのだろう、と思う。

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2009年3月 9日 (月)

とても真似ることはできない

 父、退院後二週目。毎日何かしら新しいことが起こる。早く暖かくなって外に出られたらと思う。息切れがひどい。長く寝ているからだと父はいう。それもたしかにあるが、それだけではない。
 父に確定申告について毎年どうしていたのか、とたずねたら、あんなのは簡単だ、自分でしてた、と即答。今年、父に任せていいものか迷う。僕には簡単ではない。転送届けを出してあるので、手紙などは全部僕のところに届くのだが、必要な書類でないものがあるようだ。
 昼から看護師さんがこられる。どの方も丁寧に仕事をされる。僕は父を介護するなどといってもとても真似ができない。
 看護師さん、ヘルパーさん、そして僕が書く連絡ノートを作ってもらった。僕の記述はメンタルなことばかりで、だらだらと長くていけない。看護師さんらのは簡潔でよくわかる。昔、精神科の医院に勤めていた時も、よくカルテの記載が長すぎると注意を受けた。医師のも十分長かったのだが。同じ人を診察しカウンセリングをするのだから、互いが書いたものを短時間で目を通さなければならないので、長いとたしかに困るのである。あの頃はボールペンのインクがすぐになくなった。
 娘が今日からオーストラリアに行った。夕食を作ってくれていたので、父の家からの帰り、買い物をしなければならない。飛行機もホテルも何もかもインターネットで手配していた。そういう時代なのだ。現地からメールも電話も携帯からできるようなので、それはそれで緊張する。

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もうどこにも行かなくても

small but powerful flower...

 父を見ていて、所属感、ここにいてもいいと思えることは大切なことだと思った。たしかに父は昔住んでいた家に戻ったのだが、四半世紀も離れていたのであり、その間、古い家であるためにあちらこちら内装に手を入れたので、父が知っていた家ではなかったので、居心地の悪い思いをずっとしていたのだろう。父がこちらにきて間もなく、父がいなかったある年に植えた月桂樹と金木犀がいつのまにか高くなってしまって、視界を遮ってしまっていたが、義父に刈ってもらったので、父がすわっているところから駅が見えるようになった。しかし、その時のことを思い出して父はいう。「刈った後は春になればきれいになるだろうが、私はすぐにここから出ていくのに、なぜそんなことをするかわからなかった」。何度も話し合ったので、「ここは私の家なのだな。もうどこにも行かなくてもいいのだな」と納得してくれた。退院して一週間。毎日いろいろなことがあって辛かった。

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2009年3月 8日 (日)

何もしていないのに

protectection against cold...

 父は今日は落ち着いたようだ。こんなふうにあっという間に一日が過ぎる、何もしていないのに、と夕食の後、父は笑う。平穏に一日を終えられるのはありがたい。
 失われたように見えるジグソーパズルのピースはなくなったわけではない。並べてみたいと僕が思うのは、父の中で世界が再構築されたら、そこで僕が再生されると思うからだろう。
 しかし、父と毎日どう過ごすかは過去には制約されない。
 娘が来週オーストラリアに行く。ツアーではなく、すべての手配をインターネットで自分でしている。
 16日は僕の受診日だが、父親を置いていけるのか、と思っていたところ、息子が東京から帰ってきてくれることになった。いい結果が出ればいいのだが。

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2009年3月 7日 (土)

濾過器

my father's favorite flower

 今日は訪ねてくる人はなく、静かな一日になった。父は食事の後長くはすわってられず、横になってくる、と寝室に戻る。取り残された僕は帰ることもできず仕事を始めたが、集中できない。前夜遅くまで起きていたので、頭がぼんやりしていた。ここは横になることができない。ソファに横になれないことはないが、窮屈この上ない。それでもしばらく眠ったのだろう。父が起きてきた音で目が覚めた。昨日の話が功を奏したのか、自分の家であることを納得したように見えたが、ここでお母さんと暮らしてたやろ…父は微笑むが、思い出せなかった。もちろん、僕もこの家で生まれ育ったのだが、子どもたちとの生活も父の世界にはもはや存在しない。退院後、一時的にこんなふうになって恢復するというケースはこれまで見てこられましたか、と昨日看護師さんにたずねたらそういうことはあるということだったのだが。過去を失うことは怖いことではないか、と。僕は迷っている。こんなこともあった、あんなこともあったと昔の話をすることが父にとっていいことなのかどうか。鶴見俊輔が濾過器という言葉を使っていた。大事なことだけが残るという意味である。
 写真は父が毎日飽くことなく眺めている椿。今日は冷たい雨に打たれて震えているように見えた。

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2009年3月 6日 (金)

それで安心した

my father's favorite bird ...

 父は退院してからは以前と違って食後あまり長くすわってられなくて、寝室に戻ってしまう。眠いのか、とたずねると、そうではなくて起き上がっているのがしんどいのだという。取り残されたような僕は帰るわけでもなく、仕事を始めるのだが、父と二人いるとひどい閉塞感に襲われる。用事があっても、最短の時間で帰る。2時間は寝るだろうと思っていても、ふいに起きてくることがあるからだ。
 今日もそうだった。思い詰めた表情をしていた。まあ、ここにすわって、といつものソファーにすわらせ、それから長い時間父と話をした。入院が長かったこともあって、少し混乱している。縺れた糸をほぐしていくように疑念を解いていった。
 「そうか、それで安心した。ここは私の家なのだな」
 そういって父は再び深い長い眠りについた。起きてきた時、こんなによく寝たことはなかったという。自分が今どこにいるかということは生きる時の根本である。
 百舌がよくやってくる。父はこの鳥がくるのをいつも見ている。
 昼から訪問看護。清拭と足湯をしてもらう。気持ちがよかったのか寝てしまった父親の横で看護師さんと話をする。緊迫した僕の心が緩んだ。

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2009年3月 4日 (水)

春の夢

colors of spring ...

 父の家で僕がすわっている場所からは夕日が沈もうとしているのが見える。去年の暮れ頃と比べるとずいぶんと西の方に日が落ちていく。父の部屋から音がしたのでのぞいたら、目を覚ましていた。夕食はもうきたか、とたずねる。いや、まだ。そうだろうな…そういってまた寝てしまった。もう退院したのだよ…

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心の底からの喜び

beauty in chaos ...

 父が退院した日曜日は暖かな日だったが、その後寒いが続く。寒いから、と朝食を済ませた父はベッドに戻ってしまった。入院前は昼間は大抵ソファに座っていたものだが、眠る時間が増えた。その分、僕の自由度は増えるということでもあるが、買い物などわずかな用事をするために出かけ、大急ぎで戻ってくるか、用事がなければマンションの方に戻るのも面倒でこちらで仕事をしている。考えるまでもなく、食事と薬のことさえなければ、夜の間父は一人でいるわけだから、食事の時だけにくるというのも一つの方法ではある。もう少し暖かくなればそんな気になるかもしれないが。
 10時から散髪。退院すると父は最初に髪の毛が伸びたから散髪したいといったので、ケアマネージャーさんにたずねてみたところ、出張(訪問というのか)散髪をしている店があることを知り、連絡したところ、すぐにきてもらえることになった。父は長い時間、神妙な面持ちでじっと髪が刈られるのを待った。丁寧に、時間をかけて散髪してもらえ嬉しそうに見えた。
 続けて、11時には看護師さんがこられる。思えば、訪問看護、介護などが始まってわずか2週間ほどで入院し、その後2ヶ月入院したのだった。その時の感覚を少しずつ呼び戻している。あの時は、と思うのは止めよう。あの時はこれもできた、あれもできた、今はこれもできない、あれもできない、と考え始めてしまうが、今の父と関わるしかできないのは明らかである。
 父が退院してから自転車に乗るようになった。長く使ってなかった娘の自転車である。計ったことはないが、父のところまで10分足らずで行ける。昨日の夜、いつもは歩くのだが、自転車で本屋まで行って、帰りに遅くまで開いているスーパーで買い物をした。寒いのだけが難点だが、スピードを出して走ると心の底から喜びがわいてくる。
 夜、帰る前に父に「おやすみ」というと「ありがとう」といってくれるのは嬉しい。思いがけないプレゼントをもらった時の喜びに似ている。

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2009年3月 3日 (火)

できることとできないこと

 とうとう雪が降り始めた。昼から降るというので少し迷ったが、着替えなどがたくさんあったので自転車で父のところまできた。おかげで父が寝ている間に買い物に行くのには便利だったのだが。
 火曜日の朝だけ、朝食前に飲む薬がある。飲んだ後は30分横になってはいけないことになっている。病院では飲んだことはないと父はいうが、プレドニンの副作用(骨粗鬆症)を予防のための薬なので飲んでいたはずである。病院ではほとんど横になっていた父を看護師さんがどうやって30分まで横にならないようにされていたのだろう、と思いながら、待つと短いとはいえない時間を待つ。
 昨日は帰ってから一日を振り返って、失敗したことが数々思い出され、気が沈んだ。それでも昼間の分を取り戻すべく仕事を始めると、落ち着いたのだが。
 目下の課題は父の安全をいかに確保するかである。物音がするので父の部屋をのぞいたら、階段を下りていこうとしていた。僕は感情的になることはないが、介護者が感情的になりうる場面の一つだろう。できないことをできないということも自立だと考えているが、何ができ何ができないかという見極めは難しい。退院したらリハビリを頑張るといっていた父だが、寒い日が続くので、外に出ようとは思えない。玄関までたどり着くまでに5分はたっぷりかかりそうである。精神主義は通用しない。

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2009年3月 2日 (月)

時間はゆっくりと

on a fine day of March ...

 今日は朝から父のところへきている。ちょうど起きたところだった。開口一番、「昨日、夜、トイレに行こうと思ったら、行けなかった」という。部屋で用を足せるようにしてあったのだが、そのまま我慢したようだ。病院でのリハビリの様子からすると、階段の昇降は介助があればできないとは思わないが、夜中に寒い廊下に出て行くことが既に危険で、万が一、転倒や転落した時に独居している父はそのまま動けなくなってしまう可能性が高いということで、階下はしばらく使わないことにしたのである。そのことは説明したが、予想どおり、これはどうも…と便器は使おうとはしない。できることとできないことの見極めは難しい。本人にしてみれば、プライドを傷つけられる思いもするのだろう。
 食事後少し話をしたが、すぐに横になると部屋に戻り、昼近くまで眠る。昼食後も同じ。病院でどんな様子だったかよくわからないが、僕が行った時でもずっと横になったままだったので、父にすれば以前と変わらないのだろうが、入院前はこんなふうではなかったと思うと、父の衰えに胸が痛む。
 本が手近にほとんどないという状況では仕事にいろいろと差し障りはあるが、必要最低限の本とコンピュータを持ち込んで朝から仕事をしている。かえっていろいろなことへと関心が向かないので、電車に乗っている時のように仕事ができるようにも思う。ここは明るくて見晴らしがいいので気に入っている。外は寒いが日が差し込んでくると暖かい。父はずっと外の景色に見入っている。
 写真は庭に咲いていた梅。父に見てほしいが、外に出ることは目下かなわない。窓の外に椿が咲いている。時折、ひよどりがやってくる。僕の気配に気づくと、椿の花を口にくわえて飛び去っていく。

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2009年3月 1日 (日)

父退院

feel spring directly ...

 父が退院して家に戻ってきた。久しぶりに服に着替え、部屋から出て行くと看護師さんが驚かれた。ナースステーションにいた何人もの看護師さんが見送ってくださった。去年の12月24日来一日だけ行かない日はあったが後は毎日通ったのでもう行かなくてもいいということはもちろん助かるわけだが、3時頃になると出かけることが習慣になってしまっていて少し寂しい気持ちがしないでもない。
 病院にいる時はわからなかったが、玄関から居間のソファにたどり着くのが大仕事だった。足腰の衰えは甚だしい。どこか持つところをさがすが、思うところにあるとは限らない。介助している分には安全だが、一人では危険この上ない。僕自身が心筋梗塞後のリハビリをした経験でわかったことだが、病院内は床はフラットなのに街の中の道はそうではない。傾いていたり、障害物がある。平坦な道は少なく、健康な時は気づかなくても、上り坂は息が切れた。作業療法士の先生とも話していたのだが、階段の昇降はリハビリでは理想的な状態で行えるけれども、トイレが階下にあり尿意を催したので下りるという場合は、間に合うかどうかと思いながらということになるので足の運びは変わってくるだろう。
 大きな家というわけではないが、病室からベッドまでの距離というのは意外に近かったのかもしれない。思いがけず家の中の移動で既にひどい息切れがし、足もおぼつかないので、階下にあるトイレを利用するなどとてもできないことがわかった。これからどうするか考えなければならない課題は多い。

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