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2009年2月10日 (火)

手を抜けない

I wish I had a mirror to see myself ...

 去年も同じ場所で水仙を撮ったが、今年見たのは違う種類の水仙だった。花は自分の美しさを知らない。自分を映す鏡があればいいのだが。でもそれが自分だと認識できるかどうか。
 主治医から退院後の生活が可能か、とたずねられ言葉に窮してしまった。病状は落ち着いているが入院前よりも状態は悪い。以前と同様、認定の範囲で介護サービスを受けるつもりだが、食事の用意一つとっても全面的にサービスに頼れるわけではない。
 介護と家事について考えていた。介護は手を抜けない家事ではないか、と。僕は大抵家にいる関係で家事をするが、洗濯、買い物、料理くらいである。家族は皆自立しているから、たとえ僕がある日倒れて家事ができなくなったとしても、びくともしない。手を抜くこともできる。ところが乳幼児であれば、手を抜けない。今日は自分で何とかしておいて、とはいえない。介護もこれと同じである。ヘルパーさんのように床を拭くというようなことは、毎日しなくてもいいだろうが、父の場合、食事を用意しないといけない。明日の夜は仕事があるから行けないから、何か食べておいて、と父にいうことはできない。この「必ず(〜しなければならない)」という思いでいつもひどく緊迫している。
 こんなに長く病院に通うようになるとは思っていなかった、と僕自身が入院した時にリハビリのために歩いていた長い廊下を歩きながら、考えていた。もうあれから三年近くになる。どんなに頑張っても速く歩くことができず、後からくる誰にも追い抜かされたものだ。

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コメント

>>花は自分の美しさを知らない。自分を映す鏡があればいいのだが。でもそれが自分だと認識できるかどうか。

花に人間の言葉がわかるかどうかはわかりませんが、花は見た人が「きれい」とか「かわいい」とかいったり、見て嬉しそうにしたりすることが、花が自分の美しさを知ることになるのではないでしょうか?でも、全く人間の目に触れない花もあるから、それらはどうなるのかな、とも思いますけれど。そういうのは、集まってくる昆虫の人気度などから、とかかもしれません。こんどから黙って写真を撮るのではなく、声をかけてあげよう・・・と思いました。

 介護や乳幼児の世話を家事だという風に私は思ってなかったかもですが、乳幼児の世話しかしたことがないですが、「手抜き」という言葉はよく使っていたので、実際やっていたと思います。それは、自分でやってね~というよりも、いろんな便利グッズを利用したりとか、時には人に頼んだりとかでしたけれど、そういうのは「手抜き」っていうのではなくて(なんだかすごく悪いことみたいな語感があるので)ほかの言い方してもいいかなあ、と思ったりしました。

投稿: mari | 2009年2月11日 (水) 16時28分

 人目に触れずひっそり咲いている花もありますね。人に承認されない花。もちろん、人による承認の有無は花の価値には関係ありません。
 他のいい方で適当なものがあったら教えてください。

投稿: 岸見一郎 | 2009年2月11日 (水) 22時42分

 花の価値は何で決まるんでしょうか?人間も。(他の)人の承認によってきまるのではないのなら、価値がある、なしなんて花や人には関係ないような気がしますが。

 「手抜き」ではなく・・・「工夫」とか「臨機応変」ではどうでしょうか?そういえば、いろいろ私は「工夫」ということで手抜きを正当化してきましたが(哺乳瓶をクッションで固定して一人で飲めるようにしたりとか)どこまで世話に手をかけるかはキリがない部分も多いので、ある程度は「臨機応変」って「手抜き」よりもいい語感の単語を使ってもいいかなあ、とも思えてきました。キリから考えると何をしても「手抜き」になるのかもですね。。。ということは一生手抜きから逃れられない気がしてきました。

投稿: mari | 2009年2月12日 (木) 20時12分

 人にはなくても花には関係あると思います。
 合理化という言葉がふと思いましたが、違うかもしれません。子どもが小さかった時、紙おむつはだめで、必ず布おむつを用意するように保育園からいわれました。洗濯も、干すのも大変なことはご存じでしょう。手作りでないといけないといわれたものもありましました。自分ができないことを棚に上げて反発したことを覚えています。時間をかければいいというものではないでしょう。

投稿: 岸見一郎 | 2009年2月12日 (木) 20時20分

>>人にはなくても花には関係あると思います。

人による承認の有無は花の価値には関係ないけれども、価値があるかないかは人にはなくても花には関係がある。花と人とでは意味が違う、ということでしょうか。う~~ん・・・同じかと思ったんですが・・・。

>>時間をかければいいというものではないでしょう。

量と質と考えた場合、量は臨機応変とか合理化とかがあてはめられるけれど、質(込める気持ちというかソフト面)は同じようには出来ないのかもですね。量は質でカバーできても、質を量でカバーするのはあまりうまくいかないというか。気持ちって結構大事そうですね~。

投稿: mari | 2009年2月12日 (木) 21時34分

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