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2009年2月の記事

2009年2月28日 (土)

明日、いよいよ退院

 今日は恒例の読書会の日。父が入院してしばらく使っていなかった部屋にたくさんの人が集ったので、家にまたいのちが宿ったような気がした。
 その後、父のところへ。常より遅い時間で、夕食もすまし、早くも寝ていたが、明日、退院! というと驚いて目を覚ます。「1日じゃないのか?」「そう、明日が1日なんだ」。今月は2月で、28日までしかないという話をした。「まだ一週間先だと思ってた。そうかあ。明日か」。嬉しそうに笑ってくれた。

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もう3年

the flower causing the first snow of the year ...

 クリスマス・ローズ。寒芍薬とか初雪起こしという和名があるということを植物園のスタッフに教えてもらった。一つたずねたら十くらい答えが返ってくる人で驚いたが、花への情熱がひしひしと伝わってきた。
 父の退院でカウントダウンが始まった感じがする。どの看護師さんも退院のことを話される。夕方行ったら横になっていて(いつものことなのだが)僕の顔を見ても寝てしまうので、無事退院できるか、少し心配してしまったが、作業療法士の先生がこられたら、頑張って廊下を歩き、階段の昇降のリハビリもした。この分では家に帰ってきても、階段を使えるかもしれないと思ったが、帰る前ではわからない。それによって今後、トイレや風呂をどうするか考えてなければならない。
 来週から外に出られないかもしれないので、今日は役所へ行って介護保険などの口座振替の手続きをしてきた。もちろん、外に出られないようでは困るので、前もそうしていたように、ヘルパーさんがこられている間に買い物をしたり用事ができればいいのだが。一時間半ではほとんど何もできないといっていいくらいだが。
 娘が高校を卒業した。ちょうど入学した年の4月に僕は病気で倒れたのだった。もうあれから三年経ったわけだ。
 人生に意味があるとすれば、人生において起こることに意味があるのではなく、それにどう立ち向かうかというところに意味がある。起こることに意味があるとすれば、それを肯定しなければならないが、どうしても肯定できないことはあるだろう。そのために後から起こったことを理屈づけるという事後論理は起こっていることの改善には力がない。今日はこんなことを考えていた。

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2009年2月26日 (木)

引き下がらなかった

It's my turn ...

 朝、久しぶりに父の家に行った。いつも田んぼの中の畦道を通って行くのだが、踏切がなくなっていた。踏切そのものは残っていたのだが、紐が渡してあったのでなんでだろうと思って通ってから振り向いたら、12日深夜からこの踏切は廃止になります、という看板が目に入った。轢かれなくてよかった。
 そういうわけで別の道を(といっても二通りしかないのだが)考えなければならない。吹きさらしの風の中を歩くのは、本当に辛かったが、いざ歩けないとなると残念だ。
 改修工事。午前中に終わるかと思っていたら、1時半までかかった。帰る時に、「階段の手すりだけが、在庫がなくてつけられませんでした」と担当者がいいだすので、「日曜日に父が帰ってきた時、一番必要なのは階段の手すりですよ。前から今日〔工事日〕だとわかっていたではないですか!」と抗議したら、ちょっと待ってください、と出て行かれ、数分後、ありました、と工事再開。そうですか、と引き下がっていたら、間に合わなかったわけである。父はきっと階段を使うだろう。転倒、転落の危険があるのは明らかなのだが。
 工事が終わるまで、仕事。これで父が帰ってきて僕の前にすわると、入院前と同じである。来週からはこんなふうにゆっくりと時間が過ぎていくのだろう。
 写真は杏。僕は名前しか知らなかった。

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2009年2月25日 (水)

君の側にいる

 先の日記を書いてからすぐに横になって、翌日の、つまり今日の1時まで寝たら熱が下がった。夕方、病院に行く。リハビリが済んだところだったようで、疲れた様子の父がベッドに横たわるそばで看護師さんと退院後のことなどについていろいろと教えてもらった。三年前に同じ病棟階で僕自身が入院していたが、その時の担当だった看護師さんとも話ができた。一日に一回しかいかないので、二ヶ月の入院の間言葉を交わしたのは数えるほどだった。
 父がいった。
 「帰ったらリハビリを頑張る。車椅子は…いらない」
 昨夜、横になっている間に『医学のたまご』(海堂尊、理論社)を読む。中学生が大学の医学部で研究するという話はどうだろうと思って読み始めたが、思いがけずおもしろかった。父親が息子にメールを送る。自分でやったことの責任は自分でとらないといけない、と。その後、一行だけメールが届いた。「何があろうとも、パパは、君の側にいる」。目下、若い人向けの本を書いているので参考になった。著者の娘(雑誌連載時は小学生)が読み、感想を聞いたという。「子どもは難しいことがわからないのではなく、不明瞭なものがわからない、ということを悟る」(『ジェネラル・ルージュの伝説』)。

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2009年2月24日 (火)

どうしよう

full bloom in advance of spring...

 写真は寒桜。一足早く春を感じた。
 今夜は気分がよくないので、何もしないで寝ます。父の退院が近づいてきたのに、風邪だったらどうしよう。

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2009年2月23日 (月)

生きるって楽しい

God in the detail...

 退院後の生活に向けて、ケアマネージャーさんらと電話で打ち合わせ。以前は必要ではなかった介護用品のことなどもたずねる。父の家は主な居住スペースが二階にあって、一階にトイレと風呂がある。リハビリで階段を上り下りする練習をしているが、一人でできるかというと難しいかもしれない。26日に階段などに手すりをつける工事をするのだが、一人の時に階段を下りるのは危険である。今日は父と退院後の生活について話し合った。
 「転倒したりして骨折しないように気をつけないといけないね」
 「それは私も気をつけている」
 「階段はしばらく無理かもしれないと思っている」
 「一階の部屋にいてもいい」
 「それは考えたのだけど、暖房がない」
 「そうか…」
 石油ファンヒーターなら用意できるが、危険なので使えない。エアコンをつければいいのだが。1階で暮らせても、玄関が2階があるので(イメージしにくいかもしれにない)、外に行くのであれば、階段を使う必要はある。
 帰ってきた時にどんな様子なのか今はまだよくわからないのだが、講義は4月に始まるので(といっても4月まですぐだが)学校に行っている間どうするかという心配はしなくていいが、来月の僕の受診日に父を残していけるのかわからない。それどころか、夜、父は一人で過ごせるのかもわからない。
 ともあれ父の退院が近づいてきたので仕事の完成に向けて頑張っている。
 次々と小説を発表している海堂尊は、読者に「生きるって楽しい!」と思ってほしいといっている。『チーム・バチスタの栄光』は計100回は推敲したという。眠れぬ夜に次々に読んでしまった。『ジェネラル・ルージュの凱旋』が秀逸だと思った。

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2009年2月22日 (日)

薄紅に

tint your spring with pink ...

 父が退院したらもうどこにも出かけることができなくなるので、思い立って京都府立植物園に行ってきた。あいにく天気は曇り、帰る頃には雨も降りだしてきたが、常とは違う花に会えてよかった。
 過日、引いた宮沢和史の歌にある島を薄紅色に染める花はこんな花ではないか、と思った。
 父の力になれるためには、僕自身が健康に留意し、無理をしないこと。
 できることとできないことを見据え、できないことについて無用な罪悪感を持たないこと。
 父は加齢と共にいろいろなことができなくなってきているが、一日一日を精一杯生き抜けることができるように、力になりたい。
 入院前は犬と散歩をしていた父だが、今はとても無理だろう。父の愛犬は目下妹の家に預かってもらっている。父が離れて暮らすのは嫌だと強くいえば話は違ってくるが、現状を変えることはないだろうと思う。車椅子を何とかしなければ。
 今日は出かけたのだが、プリントアウトした原稿に行き帰りの電車で赤を入れる。原稿は二種類。翻訳の方は、注釈書きに専念。来週までに形にしたい。

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2009年2月21日 (土)

一歩一歩

the signs of early spring ...

 父の退院がいつになるだろう、とずっと思っていたので、退院の日が決まり、ほっとした。食事もさることながら、プレドニンやドネペジルなど重要な薬の管理をすることは荷が重いが、大変だとばかり思っていたら身が持たない。今日、父のところへ行って退院の日が決まった話をしたら、「1日だったな」とたずねる。大切なことは忘れないでいてくれる。
 「夜は眠れてる?」
 「それがなあ、眠れなくて、夜中に目が覚めて、でも、朝方眠くなって、今度起きたら一体何時なのかわからなくて」
 「で、看護師さんに叱られる?」
 「そうだ」
と父は大きな声で笑った。
 金曜の夕方、リハビリに立ち会った。少し休みましょうか、と作業療法士の先生が父に車椅子にすわって休むように指示されるのだが、先生が何もいわれないので、立ち上がって歩き出す。大丈夫か、とたずねると大丈夫だ、という。患者さんたちが見守る中、一歩一歩足を踏み出していく。

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2009年2月20日 (金)

退院が決まる

you fix my attention ...

 父の退院が決まった。3月1日ということでお願いした。介護の新しいステージに入ることになる。入院前よりはるかに悪い。父は歩いて15分ほどの距離のところに住んでいるのだが、独居が可能なのかを含め、多くのことが未知数である。
 主治医は安定してきているので外来につなぐといわれるが、身体の病気以外の点ではかなり厳しい。三食の世話と服薬管理はこれまでもしてきたが、入院時はリハビリの時以外はほとんど寝たきりで、そのため、数日前褥瘡もできた。入浴も以前は一人でしていたが介助が必要だろう(病院ではシャワーのみ、必ず看護師さんの介助があった)。介護サービスをまた受けることになるが、計画を全面的に見直してもらう必要があるようだ。
 他にも(というよりも、より重要な)問題があるが、それについて考えていかなければならない。
 退院の日取りが決まったことを伝えたら、父は嬉しそうに笑った。

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2009年2月19日 (木)

雪を割り咲く花が

push your way ...

 雪割一華が咲き始めた。宮沢和史の歌を思い出す。…雪を割り咲く花が薄紅に島を染めれば…薄紅に染まらないだろうが、雪を割るというイメージがスローモーションで頭の中に繰り返し写し出される。

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2009年2月18日 (水)

あきらめることなく

survive a hard winter ...

 今日はいつもより早く父のところへ行く。昨日書いたように脳神経内科を受診するのに同行した。昔、頸動脈内膜剥離術を受けたことがあることも当然医師には伝わっていた。全身麻酔で大手術だった。今はカテーテルを使った内科処置ができるはずである。母が脳梗塞で入院した時は、外科手術はできないということで手をこまねいて見ていたという感があったが、今なら助かったかもしれないと思うことがある。今日は検査だけだったので、僕が付き添う必要はなかったかもしれないが、後日、担当医と直接話をする機会を作ってもらった。
 外来の診察室には車椅子で行ったのだが、帰り、看護師さんが迎えにこられるだろうと思っていたら、もしもそのまま帰らないで病室に戻るのなら、病室まで父を連れて帰ってほしいと、という連絡があった。そこで、迷路のような病棟を父を車椅子に乗せて歩ることになった。パジャマ姿の父は外来の待っている人たちの目を引いたようだ。
 二回エレベータに乗り、長い渡り廊下を歩く。父は車椅子なので気づかなかっただろうが、この廊下をベッドに横たわって通ると、天窓から青空が見える。僕は何度も見た。処置室まで行く時、いつも不安が膨らんだ。そんな時に看護師さんたちが話しかけてくださるのはありがたかった。
 昨日紹介した本を診察の順番がくる前に読んでいた。待つといっても、病室でなのだが、昼食を済ました父は熟睡。父は僕が行っても目を開いたり閉じたりということが多いが、今日はよく眠っているのを見て安心した。本には、親が若い頃と違って弱り、衰えたことをどう受け入れるかということから始めて、コミュニケーションの取り方についての具体的の提案が書いてある。また紹介したい。
 僕としては父の現状を受け入れることは困難ではない。『アドラーに学ぶ』に書いたが、僕のバイパス手術の時の執刀医である中島先生は80歳の御尊父の手術を自らされた。父も80歳である。こんな話にはならないが、もう一度頸動脈内膜剥離術をした方がいいと仮に提案されたら、お願いするかもしれないと考えていた。もちろん、父の手術なので、僕が決められることではないが、高齢ということを理由にあきらめることなく、できることは何でもしたい、と今は思っている。

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2009年2月17日 (火)

めぐりあわせ

difference, individuality, peculiarity ...

 もう長らく病院に通っていると、何両目の車両に乗るか、とか、駅を下りた後病院まで道のどのあたりを歩くかまで決めていて、最短の距離で父のところに行こうとしているように見える。何時の電車に乗るかまでは決めていないが、一時間に3本しかないので実のところそれほど選択肢はない。
 今日は行った時、検査に行っていて、部屋に父はいなかった。ほどなく車椅子で帰ってきたが、何の検査(頸動脈のエコー)だったかわからなかった。その後しばらくしてこられた看護師さんも把握されてなかったが、私も気になりますから、と確かめてこられた。それでようやく何の検査だったのかわかったのだが、その話の流れで、明日、神経内科を受診することがわかった。これはかねて主治医から聞いていたのだが、いつとは知らなかった。立ち会えるように何時に予約が入っているかたずねてもらったので、明日はいつもより早く病院に行くことになった。たずねたいことは山ほどある。このために、関連の本を8冊読んだ。
 かつて、How to survive your aging parentsという本を線を引き引き読み始めたことがあったが、続かなかった(Bernard H. Shulman, Raeann Berman, Surrey Books)。父の介護をする今は興味深く、切実に読めるだろう。ものごとを学ぶには時期とかめぐりあわせのようなものがあるようだ。

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2009年2月16日 (月)

春はまだ遠い

the sunshine can make you stop weeping ...

 また寒い日になって、病院から帰る頃には吹雪になっていた。家までは走れば駅からすぐだが、喫茶店に避難。昨夜も遅くまで取り組んでいた翻訳の続き。最後まで訳し終えたワープロ原稿に手を入れる。本当は直接データを修正していかないと二度手間になって大変なのだが。この数日、仕事が進み嬉しい。ある日、これでよし、と思える瞬間がやってくる。
 病院に着くと、大変なことになっていて、ナースコールをする。ナーシングステーションのすぐ前の部屋なのですぐにきてもらえたが、退院したら僕の仕事になるのだ、と思った。僕が入院していた時はよほどのことがなければナースコールをしなかったのに、ためらうことなく押してしまったことに後で思い当たる。父は、身体の調子はいいのだが、血液のデータがよくないようだという。今日のように寒い日でも、病院の中は暖かい。この季節に退院するということは、不順な気候に耐えなければならないという問題がある。春はまだ遠い。

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2009年2月15日 (日)

今年も

transient spring ...

 暖かい春の日射しに誘われて何日ぶりかで写真を撮りに出かけた。福寿草が咲いていた。去年より半月も早い。今年も見ることができたという喜び。

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2009年2月14日 (土)

生きる喜び

 今週は試験の採点などで余裕がなく気ぜわしい日を過ごしていたが、昨日、採点を終えることができ、ほっとしている。答案の枚数が多いこともあるが、点数をつけることが学生の運命を左右することになりはしないかと思うと、重圧感につぶされそうになる。
 今日はヴァイツゼッカーの研究会。先月は休みだったので、しばらくぶりの気がした。記念すべき百回目。僕が参加したのは2006年の6月からなので、レギュラーメンバーとしては一番新しい参加者といっていい。毎回、4ページほどを読むのだが、いつのまにかたくさん読み進んだ。一人だったら読めなかっただろう。
 木村敏先生に父が入院している話をしたところ、もうすぐ78歳になられると聞く。父は80歳である。
 ヘミングウェイの『移動祝祭日』を今日も読み進む。カフェで執筆に励むヘミングウェイは、創作の苦労よりも喜びが伝わってくる。書きためた作品が詰められたスーツケースがリヨン駅で盗まれるというようなこともあったのだが。
 与えられた現実を超えることを可能にする生きる喜び、生命感の高揚がほしい。

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2009年2月13日 (金)

開いたら、最後まで…

let there be light ...

 病院に出かけようとしたら雨が降り出したが、薄いコートにしたら身も心も軽くなった。自転車で行けるくらいの距離にあればいいと思うが、電車に乗るので、おかげで、父の入院来、本を読めている。本を読むということだけを考えると、もう少し遠くてもいいくらいだと勝手なことを思うこともある。乗り過ごしそうになるからである。
 父は身体の具合はいいんだ、というが、意欲がなく、言葉数が少ない。時間が経たない、退屈だ、という父に僕ができることがあるのだろうか、いやないだろう、そんなことをいつも考えながら帰る。

 前にに恩田陸の『ブラザー・サンシスター・ムーン』(河出書房新社)のことを少し書いたが、綾音が「本は表紙を開いたら、最後まで読まなければ。そういえば、私は読み始めた本を途中でやめたことが、恐らく、これまでに一度も、ない」(pp.49-50)といっていることに驚いたことを思い出した。なにしろ僕は常に複数の本を持ち歩き、机にも何冊も並べ、同時に読み、かつ、途中で読まなくなる本も多々あるからだ。途中でやめたことがないとすれば、よほど忍耐強いか、常に興味深い本に出会うという幸運に恵まれているのだろう。
 仕事もいつも同時進行で、疲れたら、別の仕事に移り、疲れたらまた別の仕事をしている。
 ヘミングウェイは、いったん書くのをやめたら翌日また書き始める時までその作品のことは考えない方がいい、といっている。仕事のことは潜在意識に受け継いでもらうというのだ(『移動祝祭日』新潮文庫、pp.24-5)。僕にはそういう潔さがないので、いつも頭の片隅(顕在意識)に仕事があるように思う。

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共通の理解

 学生の答案を読んで気づいたのだが、あることについて問題があるという内容の話をしたにもかかわらず、問題だと指摘した内容については記憶に残らず、取り上げた言葉だけが残っていて、それを学生の(僕のではなく)解釈にしたがって使っている答案が散見された。もちろん、解釈が違っていることはいいのだが、講義で聴いた、とまで書いてあると困惑する。
 人との対話でも、同じ言葉を使っていても、どこまで共通の理解に立って話せているかは絶えず吟味しないと、思いもよらぬ誤解も起こりうるだろう。
 過日、用事があって市役所に行った際、かねがね気になっていたことについて一度たずねてみようと思って、窓口をさがしてみた。応対に出た男性は僕くらいか、少し若い人だったが、僕の問いに対して「そういうことは絶対ありません」といわれるので驚く。コンピュータのトラブルでサポートに連絡した時などに「そういう〔トラブルの〕報告はない」といって、こちらの訴えが無視されそうになることがあるのと同じだと思った。現に僕はトラブルの報告をしているのだから、これは前例ではないにしても、現〔在〕例(?)である。「それでは調べてください」というと、それに対しては「調べます」という答えがあった。「長くかかりますか」「はい」…どれくらいかかりますか、と問えばよかったのだろうが、「はい」(沈黙)という対応はどうかと思った。結局、この日は時間がなかったので、出直すことにした。
 父とは今日はあまり話せなかった。

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2009年2月11日 (水)

いつのことだったか

fragrant memories ...

 退院の話が出たのに父は元気がない。リハビリを頑張らないといけないというのだが。精神面のサポートは僕の専門なのに、と思うが、何もできない。父が、お前のやっているカウンセリングというのを受けたいといったのはいつのことだっただろう、と思う。

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他者の承認はいるのか

 自分を受け入れ、自尊心を持つためには、他者から承認されることが必要だという人は多いように思います。
 そのようにいわれることは、たしかに嬉しいでしょう。そんなふうに他の人にはいいたいと思います。しかし、自分を受け入れ、好きになれるために、他者からのこのような承認が絶対必要かということになると、違うと思うのです。
 学校から帰ってから、寝たきりの曽祖母の下の世話をする小学生がいました。当然のようにそのようにしていました。私はある日その話を聞いて驚きました。小遣いをもらってもしないかもしれません。そこで、こんな話を聞いた、とそのことを私は親に話しました。すると、親はこういいました。
 「でも、あの子は勉強しません」
 たしかに親が子どもが曾祖母の世話をしていることに注目しないという親の対応は問題だと私は思います。しかし、彼はだからといって、何としても注目、承認されなければならないと思う必要はないのです。乳児は、先に泣くことでしか家族の注目を引くことができませんが、大きくなれば、家族の一員ではあっても、家族の中心でいることはできません。
 私は、注目されたい、承認されたい、と思うようになったのは、子どもの頃から受けた賞罰教育の影響である、と考えています。自分をほめる人がいなければ適切な行動をしない人があります。廊下にゴミが落ちているとします。ほめられたい人はまわりの様子を見ます。あなたなら誰がいなくてもゴミを拾いますか? ほめられたい人はほめる人がいなければ何もしません。これはおかしいでしょう?
 注目されることを行動の目的と見る人は、最初ほめられたいと思ってする行動は表面的には適切なものであっても、期待する注目が得られなければ権力争いになるということは先に見ました。
 ここで注意したいのは、他者からの注目、承認はいらないといっても、他者、あるいは、もっと広く社会との結びつきがない、あるいは、必要がない、ということではないということです。ことさら承認を求めなくても、人は他者との関係の中に生きている限り、承認されているからです。他者からのことさらの承認や、絶え間ない注目がいらないという時、これは行為の次元でのことで、他方、人は他者との関係の中に生きている限り、たとえ何をしなくても他者からの承認を受けているというのは存在の次元でのことなのです。

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2009年2月10日 (火)

手を抜けない

I wish I had a mirror to see myself ...

 去年も同じ場所で水仙を撮ったが、今年見たのは違う種類の水仙だった。花は自分の美しさを知らない。自分を映す鏡があればいいのだが。でもそれが自分だと認識できるかどうか。
 主治医から退院後の生活が可能か、とたずねられ言葉に窮してしまった。病状は落ち着いているが入院前よりも状態は悪い。以前と同様、認定の範囲で介護サービスを受けるつもりだが、食事の用意一つとっても全面的にサービスに頼れるわけではない。
 介護と家事について考えていた。介護は手を抜けない家事ではないか、と。僕は大抵家にいる関係で家事をするが、洗濯、買い物、料理くらいである。家族は皆自立しているから、たとえ僕がある日倒れて家事ができなくなったとしても、びくともしない。手を抜くこともできる。ところが乳幼児であれば、手を抜けない。今日は自分で何とかしておいて、とはいえない。介護もこれと同じである。ヘルパーさんのように床を拭くというようなことは、毎日しなくてもいいだろうが、父の場合、食事を用意しないといけない。明日の夜は仕事があるから行けないから、何か食べておいて、と父にいうことはできない。この「必ず(〜しなければならない)」という思いでいつもひどく緊迫している。
 こんなに長く病院に通うようになるとは思っていなかった、と僕自身が入院した時にリハビリのために歩いていた長い廊下を歩きながら、考えていた。もうあれから三年近くになる。どんなに頑張っても速く歩くことができず、後からくる誰にも追い抜かされたものだ。

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2009年2月 9日 (月)

退院の話が

 朝方まで答案を読んでいた。全員の分を読み終える。点数をつけるのにさらに時間がかかる。
 今日は行くと、開口一番、父が、退院に向けて考えていこう、と先生がいっていた、という。その後、主治医から、外来につなげるところまで病状が快復したという説明を受ける。まだ日が決まってないが、トンネルの出口が少し見えてきたというところ。今日は初めて病室の外へ出てリハビリ。階段の昇降もした。部屋に帰った後、ひどく疲れたようで、頬を少し紅潮させて、息を弾ませる。大丈夫か、とたずねると大丈夫だという。これまで一度もそれ以外の答えをしたことがない。作業療法士さんが、止めるつもりでも、もう一度、といって頑張って歩く。
 退院の言質が取れたので、中止になっていた自宅の改修工事(手すりをつける工事)の再開を要請した。工事そのものは一日で済むだろうが、工事業者と僕の日程を合わせる必要がある。退院に間に合えばいいのだが。
 作業療法士さんが僕に哲学が専門ですか、と問われるので、どうしてなのかたずねたら、リハビリの時に、父がいっていたということで驚く。
 父が帰ってきてから昼間ずっと父の家で仕事をしていたが、原稿書きが細切れになっていたのだろう、その頃に書いた原稿を読み返すと、重複するところが散見する。
 吉行淳之介が、三枚の原稿は一時間あれば書けるが、その一時間をつかまえるために二十四時間かかることがある、といっていることに共感してしまう。同じことを僕がいえば怠惰の口実に聞こえるかもしれないが。
 父の退院までにいよいよ急いで仕事を仕上げなければならない。

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2009年2月 8日 (日)

春よこい

a beam of hope

 引き続き、試験採点中。目を見張るような答案がある。力作揃いで嬉しい。一人一時間をかけて書いた答案なので、100時間かけて採点してもいいのだ、と思って読んでいる。
 父は、今頃の寒い時は病院にいる方がいいな、という。しかし、夜中に目が覚めては時計を見るが、30分しか経ってない、と退屈であることを訴える。退屈するくらい元気になったということかもしれないのだが、ほとんど起き上がることもなく、ずっと横になっている。
 今は病院なので何かがあっても対応してもらえるという安心感があるが、退院後は、食事の世話などのこともあるが、それ以上に、何かがあった時に適切に対処できるか自信がない。父の命の鍵を預かっているという重責感がある。そういう時のために訪問看護ステーションは24時間対応になっているわけだが。救急車を呼ぶというのもなかなか勇気のいるものである。心筋梗塞の場合、おかしいと思ったら救急車を呼ぶように、たとえ行ってから大事ではないことがわかったとしても、と新聞で呼んだことがあるが、判断は難しい。本に書いてあるような胸痛がないこともあるし、そもそも電話をかけられないこともある。
 梅が咲き出したと父にいうと顔が綻んだ。暖かい日が早くきてほしい。

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2009年2月 6日 (金)

一回り小さく

nothing to eat any more ...

 朝、試験の解答用紙が届く。大半の学生がB4の解答用紙の裏まで使っていて気迫が伝わってくる。病院から帰ってから解答を読み始めている。講義したことがどれほど理解されているかは採点の一つのポイントだが、これは学生の側のというよりは、僕の側の問題なので(教え方が適切だったかが問われるわけである)、答案を読みながら緊張してしまう。
 父は今日は昨日会ったばかりなのにわかるほど顔が浮腫んでいた。あまり話すことはなかったが、しばらく一緒に過ごした。看護師さんがベッドまわりをきれいにしてくださる。その間、父はベッドから下りて椅子に座っていたが、ベッドから少し離れた椅子まで歩くのも足取りがおぼつかない。身をかがめて立つ父は一回り小さくなったように見えた。

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2009年2月 5日 (木)

恢復

 試験が終了したという連絡が大学が入り、安堵。9時からの試験なのに、遅くまでノートを読みにくる学生がいて心配していた。明日には答案が届く。全員が通ればいいのだが。
 昨夜は気分が優れず、血圧をはかったら高く、驚いて横になった。朝、薬を飲むために一度起きたが、もう一度布団に入ったら、目が覚めたのは2時半だった。乾いた土にしみこむような眠りで、元気を回復することができた。急いで用意をして父のところへ行く。めずらしく夜眠れない、という。家にいる時もあまり父と話をしていたわけではないので、病院に行っても二言三言様子を聞いたら、話はたちまち終わってしまうが、しばらく窓から見える景色を見たりして過ごす。今日はいい天気だな。でも、風は冷たい…以前は電話したい、といったり、郵便物を持ってきてほしい、といっていたが、最近は何もいわない。
 帰りのエスカーターで実習中の看護学生さんたちと乗り合わせる。病院に付属する看護学校の学生である。僕が7月まで教えていた学生も実習にいっていることを思って、実習中ですか、と声をかけてしまった。目下、教えている心理学も生命倫理も実習経験を経た後であれば、受け取り方が違ってくるだろうといつも思う。

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2009年2月 4日 (水)

明日は試験

though the wind is still cold ...

 朝、霧が出ていなくて、いい天気だったので梅の写真を撮りに行った。遅くまで仕事をしていたので少し眠かったが、歩いているうちにそんなことも忘れた。
 明日はいよいよ生命倫理の試験がある。講義ノートを学生に公開しているので、朝から学生がアクセスしている。いわば手の内を全面公開した講義だったので、講義を欠かさず聞いた学生には、試験は難しくはないだろう。いわゆる記述式の試験なので100人を超える答案の採点には不安がある。
 父は今日はなんだかつまらなそうにしていた。入院して5週間になる。家の改修工事(手すりをつけるなど、介護保険で1割負担)は父が入院中はできないということで延期になったことは前に書いた。電話してみたが、主治医がいついつ退院といわなければ役所の許可は下りないということだった。入院前よりもずっと悪くなっている。階段の昇降ができるとは思えない。

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2009年2月 3日 (火)

力強く

 昨日は夜、夕食後、気分が悪くなって起きていられなくなった。血圧と体温を測ったが異常はなかった。むしろ、体温は低すぎるくらいだった。ともあれ、いつもより早く休み、今日も父のところへ行くまで寝たら、恢復したようだ。昨日から日に四時間していた点滴が終了した父は、今日はめずらしくベッドに腰を下ろしていた。リハビリが終わったばかりだったのかもしれない。その父が「もうあせるのは止めた」という。僕はなかなかそんなふうには思えず、動かない電車の中で走るようなことをしているのだろう。時間がくれば電車は動き出すだろうし、目的地にいつか着くだろう。
 父は「自分史」の中で、今は、家族はないが「遠き家族の写真を振り返って、それぞれが自分の生を力強く生きた時代を偲び、歴史を思う」と書いたことはここでも紹介したが、じっと毎日病院のベッドで過ごしている父は、今、他のどの時代に劣らず「力強く」生きているように思う。
 二月になって娘はもうほとんど学校に行かなくていいようで、毎日夕食を作ってくれる。ありがたい。買い物と料理を作る時間(と体力)を仕事にあてることができる。
 昨日のことだが、電車の車内放送を思わず注意がいってしまった。駆け込み乗車は危険ですのでお止めください、というのはよく聞く。車内が混み合っていますので、席に置いた鞄は棚に上げてくださいというのもある。この日の放送は初めて聞いた。電車はゴミ箱ではありません。ゴミを通路に捨てないでください…大きな声で喋らないでくださいというのもあった。今日は聞かなかったから、車掌さん自身が考えての放送だったのだろうか。

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2009年2月 2日 (月)

継続も力

baring the cold of the winter bravely ...

 昨日は、妹と時間を合わせて父のところへ行く。強く促さないと身体を起き上がらそうとしないのは、いつもと変わらない。運動不足だからというが、実際には、薬のせいで顔がむくんでいる。誰に聞いたのか、父は〔退院まで〕後二週間、と繰り返す。病院の中は暖かく多くの人の目があるが、寒い中一人で過ごす家に戻ったら父はどうなるのだろう。今後のことなどを話しながら妹と帰路についた。妹とゆっくり話しできてよかった。
 もう長く病院に通っていると、継続も力なり、と受験生のようなことを思うが、継続はともかく、そのことで何かの力になったとは思えないところがつらい。
 これからは人のために生きようと思って、病気になってからもうかれこれ三年近くになるが、我が強い僕は自分のことを最優先で考えている。
 主治医がこんなふうにいう。急に悪くはならないが、最近、調子がよくない、というふうになってくる、と。その調子がよくないというのがどんな感じなのか想像できないのだが、そうなれば、ステントを入れていくことで対処しようということだった。検査入院もまたかれこれ二年近くしていない。
 原稿追い込み。
 写真は昨日撮った山茶花。梅が咲いているのを今年初めて見た。去年より二週間ほど早い。去年の今頃は、梅の開花を待ちきれず毎日様子を見に出かけ、そのたびに花を見ることができずがっかりして帰ったが、今年はこんなに早く咲くのか、と意外な気がした。

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