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2009年1月14日 (水)

病む人の心の支え

blooming secretly ...

 今日は近大姫路大学で講義。あまりに遠いので、最初の頃は15回も通うことが大変なことに思えたが(実際、大変だったが)、講義が終わることが残念に思える。試験を作らないといけない。100人を超える学生の答案を見るのは久しぶり。当然、いわゆる記述式の問題。いつまでに成績を出さないといけないか、たずねるのを今日は失念してしまった。
 今日は講義の中で次のフランスの外科医アンブロワズ・パレのものとされる言葉を紹介した。
To cure sometimes
To relieve often
To comfort always 
 日野原はこれを次のように敷衍して説明している。
「癒すことはときどきしかできなくても、和らげることはしばしばできる。しかし、病む人の心の支えとなることは、医師にも看護師にも、いつもできることではないか。それを私たちはやっているのか、そのための時間を患者に与えているのか。ではどう慰めるのか」(日野原重明『死をどう生きたか』中公新書、p.11)
 To comfort ...常に、といっていいのか。日野原は「いつもできることではないか」「それを私たちはやっているのか」という。日野原は必ずしも「できる」といっているわけではない。時間がないという理由をあげる人もあるだろうが、それは医療サイドの問題で患者にはそんな理由は通用しない。
 「どう」(how)慰める(comfort)かが問題である、と日野原はいう。その方法については本講義で学んできたことなのである(といってみたが、今の時点で、学生は思い当たるだろうか)。
 講義の後そのまま病院へ。常より遅い時間に着くと、父が「疲れているだろうに悪いな」といってくれる。主治医から話があるようなことを看護師さんがいわれたが違った。新しい話はなし。ただ、点滴の針が抜いてあった。快方に向かっていればいいのだが。食欲もまた出てきたようで、肺炎も治まった様子でお茶を飲んだり、食事をする時に起き上がる所作は軽やかに見えた。
 写真は山茶花。雪月花という種類のようだ。

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