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2009年1月29日 (木)

できると思うがゆえにできる

 たしかに事実としてできないこと、達成がきわめて困難なことはある。それでも多くのことは、最初から、あるいは少し着手した後、これは自分にはできないと思うことはないだろうか。アドラーはウェルギリウスの「できると思うがゆえにできる」という言葉を引いている(『アドラーに学ぶ』p.178)。もちろん、これは精神主義の類ではない。アドラーは自分を過小評価する危険を危険を説いているのである。自分を過小評価すると「もう追いつくことはできない」と信じてしまう。そして、そのことが、生涯にわたる固定観念になってしまって、進歩しなくなることがある。しかし、実際には、追いつけないというのは本当ではない。もしも子どもや生徒が自分について過小評価していれば、そのような評価、判断が誤っていることを指摘し、固定観念になることを阻止したい。
 アドラーは「誰でも何でもなしとげることができる」といっている。アドラーは才能は遺伝ではないと考えているからである。この見解は後に批判されることになったが、今日においても、遺伝や脳などの身体的な要因による説明で、何もかもわかったように考えることが、人の勇気をくじいていることはあるように見える。
 ある時、アドラーの数学教師が一見解けそうにない問題に立ち往生したことがあった。その時、アドラーだけが答えがわかった。この成功によって、アドラーの数学への心構えはすっかり変わってしまった。
 数学が苦手なアドラーの娘、アレクサンドラが、ある時、試験を受けずに家に帰ってしまったことがあった。「どうしたんだ? 君は本当に誰もができるこんなばかばかしいことをできないと思っているのかい? やろうとしたらできるんだ」。アレクサンドラはわずかな期間で数学で一番になった。
 自分の限界についての誤った固定観念を取り去れば、それだけでただちに何でもできるようになるかといえば、もちろんそんなことはない。どんなことも、最初は難しい。自転車に乗ることも泳ぐことも。どんなに難しくても、自分が取り組んでいることは自分でやるしかなく、誰も代わってくれない。しかし、根気よく、我慢して取り組めば、最初はとてもできないと思っていたことも、しばらくすれば、うまくできるようになるというのも本当である。
 それにしても、今こうして書いていると、私自身が大学院生の頃、指導教授に、君は論文を書くのは得意でない、といわれたことがずっと引っかかっていて、その後の人生で、論文を書く時など、その言葉がいつも心から離れず、苦手意識を持ち続けたことを思い出す。
 その後、著書を書くようになり、ある時、その一冊を先生に献本したことがあった。しばらくして思いがけず先生から返事がきた。そこには「いつのまにかこれだけの文章を考え書いて蓄積していたとは驚き感心しました」と書いてあった。不思議なことに、書くことについての苦手意識はこの時からなくなった。

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