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2009年1月12日 (月)

「いま」「これから」

2009年1月12日月曜日
frosty flowers...

 父は熱が下がり、「今日は本当に気分がいい」という。
 「この間、夜の長さが気にならないといっただろう。ところが、その日の晩、寝られなくてな。心理的なものかもしれないが」
と笑う。 
 お前の電話番号を教えてくれ、というので、どういうことかたずねたら、退院が決まったら電話をしないといけないからだ、と。そんな急に退院は決まらないから、といったが、気持ちはもう退院に向いているわけだ。肺炎なったのは入院後のことであり、それが治ったとしても(熱が下がったからといって治ったわけではないだろう)ようやく入院時に戻ったといっていいくらいなので、まだ退院までは長いだろう。

 『黄落』(佐江衆一)の圧巻は、夫の母親が亡くなった後、葬儀の際、その母親を介護した妻へのお礼を会葬者への挨拶の中で言及しなかったことを妻が夫に責める場面である。夫は妻が葬儀の時不機嫌な態度だったことを気分のいいものではなかった、となじる。そのことのわけを理解した夫は、人前だから身近な女房のことをいうのを遠慮した、その気持ちがわからないのか、という。なぜ遠慮することがあるの、俺の口からいうより、他の人が触れるのが自然だったと思ったのだ。そういう夫に妻はいう。「あなたにいってほしかったわ」(p.259)
 読後、重苦しい気持ちをいつまでも引きずっている。
 病院への電車の中で酒井雄哉師の『一日一生』(朝日新書)を読む。大事なのはこれまで何をしてきたかではなく「いま」、そして「これから」。
 「いつだって、「いま」何をしているのか、「これから」何をするかが大切なんだよ」(p.186)

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