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2009年1月11日 (日)

端正で足るを知る

the lady of the camellias ...

 熱が下がった父は今日はわりあい元気で抗生剤の点滴をしている間ずっと話をすることができた。入院時の混乱期を脱して少しずつ父にかかっていた霧が晴れてきているように見える。今日は今の病状について説明した。もっとも病気の原因がはっきりしているわけではないので、明解にはなりえないのだが。
 「入院していても退屈するということはない。一日が早く経つ。もう4時だろう。テレビを観なくても、横になっていると寝ているのだろうな、退屈ということはない」
 僕は入院していた時もぼんやり過ごすことはあまりなく、わずかな時間を惜しんで本を読み、書いたものだが。そうしなければ自分がばらばらになりそうな、消えていってしまいそうな気がしたからである。本を読むことを許されなかった頃は辛かった。時間が経たず、わずかに点滴の状態を示す点滅するライトだけが時間の経過を知らせた。そんな自分のことを思うので、今の父が仙人や行者のように見えてくる。
 プラトンの『国家』にケパロスという老人が、
 「端正で足るを知る人でありさえすれば、老年はそれほど苦になるものではない。しかし、もしもそうでなければ、ソクラテスよ、そういう人にとっては、老年であろうが青春であろうが、人生はつらいものになる」
といっていることをよく思い出す。
 「お前のことを看護師さんがよく話している。仕事もあるのに毎日よくくる、と。ありがたいと思っている」
 僕はたまたま病気でほとんどの仕事を辞めたので時間が自由にできるだけのことなのだが、病院が近いこともあって(電車に乗って40分ほど)毎日行けてよかったと思う。時々、気持ちが揺れることはあるのだが、一日も早い退院を願って頑張りたい。もちろん、僕が病院に行けるのは家族の協力があってのことである。
 佐江衆一の『黄落』(新潮文庫)を読了。11月から父の介護を始めた今読むとどのページに書いてあることも我が身に引きつけて読まないわけにいかない。

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