« またいつか会える | トップページ | この話につきる »

2009年1月26日 (月)

いいえ、まだです

in the twilight ...

 今日は、父が帰ってきて以来初めて、それ以前と同じような日を過ごすことができた。もちろん、いつものように父のところには行ったのだが、そのように思えたのは、今日は仕事を一番にすることができたことと、父については入院して以来ずっとそうなのだが、父の愛犬のいわば命を預かる必要がなくなったことが大きい。父の食事は三食用意しなければならなかったし(今は入院しているのでその必要がない)、父の飼っている犬の食事も管理しなければならなかった。僕の都合で今日はなしというわけにはいかず、睡眠不足で眠気を残しながら、ぼんやりとして重い身体を引きずるようにして、深い霧の中、寒さに身を縮ませて毎朝父の家へと続く川の土手を歩いたが、贅沢なことをいってはいけない、勤めに出ている人は毎日こんな苦労をしているではないか、と自分にいい聞かせてみても、つらいものがあった。なぜ、つらいかは説明するのは簡単ではないけれど。今日は三ヶ月ぶりでこの義務から解放され、病院からの帰り、父の家に父の犬の世話をしに行く必要がなかったが、大切な仕事をキャンセルした、あるいは、仕事があるのを失念した気持ちになった。

 城山三郎の『どうせ、あちらへは手ぶらで行く』(新潮社)を読む。死後見つかった9冊の手帳。書くためには途方もない集中力が必要だが、老いによる衰えが作家の集中力を阻む。
 恩田陸の『ブラザー・サンシスター・ムーン』(河出書房新社)。作中の言葉を使うと、「繋がっているけど繋がっていない人たちの話」ということになるだろうか。繋がっていない(ように見えるけれど)繋がっている人たちの話という方が正確かもしれない。大学で出会った三人の物語がそれぞれの始点から紡がれる。作者の分身ともいえる主人公の一人の言葉が印象的である。綾音はバイト先で客の一人に学部と専攻をたずねられた。文学部で日本文学…「じゃあ、将来はあれだ、作家さんだ。やっぱり、書いているんでしょ?」。この問いに彼女は「思わず反射的に」答えた。「いいえ、まだです」。そう答えた本人が自分の言葉に驚くことになる。「書く人は放っておいても書く」「(書かない人は)そもそも書かない人だったのである」

|

« またいつか会える | トップページ | この話につきる »

Flickr」カテゴリの記事

日記」カテゴリの記事

読書」カテゴリの記事

コメント

 やさしいさざ波が穏やかな時間を表しているようです。
 逆光のとらえた水辺の草たちの色が美しいですね。

投稿: フィン・カ・ビヒア | 2009年1月27日 (火) 19時30分

 この川で見る逆光の夕日の写真をもう何枚も撮りました。刻々と様相を変えるのを見るのは至福です。

投稿: 岸見一郎 | 2009年1月28日 (水) 21時35分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« またいつか会える | トップページ | この話につきる »