« 前から知っていると思って | トップページ | 僕が頑張れば、とも »

2009年1月20日 (火)

最初の一歩

 明日は近大姫路大学での生命倫理の講義。14回目。明日の分を含めて後二回しかない。話残していることが多々あるので、今日は一生懸命ノートを書いたら常よりもずいぶん長くなってしまった。おそらく90分では話しきれないだろう。
 疲れてしまって、もうこれは最終講義に回そうと思って、まだきちんとまとめられていないのだが、これまで話してきたことを振り返って(あるいは日頃、書いたり話したりしていることを振り返って)生きる勇気を持つには飛躍がいる、とつくづく思う。長所を指摘したり、貢献に注目するなどして、いわば外堀を埋めることはできるけれども、当の本人が、人生の課題に向かおうとしなければ何も起こらない。人と関わること(対人関係を築くこと)は人生の大きな課題だが、それを回避したい人は、何としても他者の中に問題を見出し、それを人との関わりが困難であることの理由にしようとする。同様に、自分についても、他者との関係が始まることがないように、あるいは、終止符を打つために、自分の問題、短所などを容易に見つけるだろうからである。最初の一歩が踏み出せれば、後はたやすくはないけれども、動き出すことができる。そうでない人はいつまでも動かない。最初の一歩を踏み出せる援助ができるかどうかがカウンセラーの力量が試されるのだが、僕にはいつも難しく感じられる。
 父は今日はあまり元気になかった。一週間ぶりにまた点滴が再開された。何の点滴かを看護師さんにたずねたが、毎日行っていても、前日からあったことを線として理解することは困難である。明日は大学の帰りによるといったら、無理するなよ、と父はいうのだが、行かなければ様子がわからないので気になってしかたないだろう。母の命日であることを父に覚えているかたずねようかと思ったが止めた。それをいったからどうというわけでもないと思ってしまったからなのだが。こちらに帰ってきて三ヶ月。そのうち一月は病院にいる。父が結婚してずっと過ごした家に四半世紀ぶりに戻ったことを、思い出が一杯つまった家で過ごせていいですねという人もあるけれども、父にしてみれば妻を亡くした家でもあるのだ。

|

« 前から知っていると思って | トップページ | 僕が頑張れば、とも »

日記」カテゴリの記事

コメント

 以前は生きるのに勇気がいるなんて思ったこともなかったですが、最近はそう思います。勇気を持ち続けるには貢献感を持ったりして自分に自分で充電し続けないとすぐくじけてしまいそうだと思うのですが、貢献感は「感」だから自分がどんどん自由に感じていいものでしょうか?どうも私はすぐそれくらいでは貢献とは言わない、とどこかからチェックが入りそうで名実ともにリッパな貢献じゃないと、と思ってしまうのですけれど、ささいなことでも自己満足にちかいようなのでも自画自賛でどんどん取り入れちゃってもいいものでしょうか~。

投稿: mari | 2009年1月22日 (木) 23時52分

 自己満足でいいとは思わないのですが、名実ともに立派な貢献というようなことをいえば、講義の中でもよく話したのですが、身動きが取れない病者は貢献できないことになってしまいます。

投稿: 岸見一郎 | 2009年1月23日 (金) 00時00分

それもそうですね。名実ともに立派な、と思っているというのと矛盾しますが、人はどんなときでも反面教師になることも含めてほかの人の役に立っているとも思います。そう思ったら、今度は誰でもみんなどんな時でも貢献しているから、いつでも貢献感はもっていいような気もします。が、そうではないときもあるのでしょうか。貢献の反対は破壊でしょうか?そうだとしたら、破壊的ではない限り貢献感をもってもいい最低ラインかな?という気にもなってきました。人と自分と同じ尺度で貢献に注目してもいいですよね?

投稿: mari | 2009年1月23日 (金) 00時24分

 誰もが貢献感を持てたら、僕の仕事はなくなるといっていいくらいです。貢献の反対は破壊ではありません。ずいぶんと極端にお考えになりますね。自分が人に役立てていると思えないからといって、その人、あるいは、その人がすることが破壊的ではありません。

投稿: 岸見一郎 | 2009年1月23日 (金) 00時33分

 すみません、どんどん話をややこしくしてしまって自分でも何がわかって、何がわからないと思っているのか収拾がつかなくなっていました。頭の中を仕切りなおして、今は、「貢献というとすごく特別なことをすることだと思っていたけれどそうではなくても、自分ができることをやればそれでいいのかな~、そして「お役に立てている」と思えばそれが「貢献感」だし、逆に人はいろんな場面でいろんな形で私のお役に立ってくれているし、そんなときはその都度そう伝えればいい、そういうお互い様の話なのかな~」という風にすごく特別の事ではなくて、もっと普通の話なのかも?と思い直しています。

投稿: mari | 2009年1月23日 (金) 14時29分

 ゆっくり考えましょう。貢献という言葉はおおげさかもしれません。「お役に立てている」というのも少し僕の考えとはずれるかもしれません。

投稿: 岸見一郎 | 2009年1月23日 (金) 23時33分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 前から知っていると思って | トップページ | 僕が頑張れば、とも »