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2008年12月19日 (金)

暗闇に向かって

pioneering a new walk ...

 父が日に日に弱っているように見える。今週は朝行っても鍵がかかっていて、父の愛犬は鎖に繋がれたままである。少し前までは朝一番に散歩に連れ出していたし、もう少し前は、僕が繋いでも僕が帰ると離していて、父の近くに横たわっていたものだが。
 父に代わって日に何度か犬と共に散歩に行く。老犬なので足元がおぼつかなく階段は嫌う。ところがある日かなり急な階段をおりることを促したら、一生懸命おりていった。それ以来新しい散歩コースが拓かれた。その途上で霧の深い朝撮った。遠くに白鷺が見える。

 『作家が過去を失うとき』(ジョン・ベイリー、朝日新聞社)には、哲学者であり、作家のアイリス・マードックが晩年アルツハイマーに罹患してからの生活が書いてある。
 「アルツハイマーは、ひそかに忍びよる霧のように知らぬ間に周りのすべてを消し去るまで、ほとんど気づかれない病気だ。その後、霧の外に世界が存在しているなど信じられなくなる」(p.175)
 脳の働きに強い刺激を与えるとう実験的な薬があるが、そのような薬の効き目はごく一時的であり、効いている短い間でも患者を混乱させ、恐怖すら植えつけるという。慣れ親しんでいた霧が晴れ、ふいに足元の断崖があらわになるからである。
 アイリスが書くことが困難になっていく状態を次のように語っている(p.212)。
 「暗闇に向かって船出している」
 著者である夫のベイリーは、これは内面世界を意味していたかもしれない、という。それならアイリスは恐ろしい現状をきちんと把握していたように思える。しかし、ベイリーはいう。
 「私が脳の専門家だったら、こんなふうに正気に立ち戻る一瞬があるなど信じがたいと感じるだろう」(ibid.)
 萎縮した頭頂部の脳スキャンの映像を見てしまっているベイリーは困惑する。

 今日も訪問看護。たびたびこられる看護師さんに父は気を許したのか僕にも(僕だから、か)話さないことを話すことに驚く。

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コメント

>慣れ親しんでいた霧が晴れ、ふいに足元の断崖があら
>わになるからである。

 霧が晴れてしまった状態の時には、また霧のなかに戻ってしまうかもしれないという恐れもあるのでしょうか?
 霧のなかにいる当人にとっては、霧のなかに居続けるデメリットはあるのでしょうか?そのまま霧の中に居続けるとして。

投稿: フィン・カ・ビヒア | 2008年12月19日 (金) 20時38分

 実感できないので間違っているかもしれませんが、知らなければ幸せに生きられたかもしれないのに、自分が親を殺したことを知ってしまったオイディプス王のように、霧が晴れすべてが明々白々になることが人にとって本当にいいのかはにわかに判断できないことがあります。霧の中にまた戻っていくかもしれないという恐れとは違うと思います。

投稿: 岸見一郎 | 2008年12月19日 (金) 23時03分

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