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2008年12月 7日 (日)

父の戦争

 朝行くと、一度起きたが、しんどくてまた寝ていた、という。今朝はずいぶん冷え込んで心配だった。父の部屋にいた父の愛犬が僕の姿を見て、逃げ出していった。何とか起き上がってパンを食べ、服薬。
 戦争の時の話を父から聞く。
 父は1927年生まれ、80歳である。16歳の時、海軍の予科練に志願した。三重や奈良で訓練を受けていたが、すぐに日本は戦争に負けた。
 「だから私には戦争体験はないが、軍隊体験はあるということだ」
とその頃のことを話してくれた。
 「ある日、p-51(ムスタング)による機銃掃射を受けた。10メートルくらいしか離れてなかった。 実際にはもっと離れていたかもしれないが、その時、死というものが恐ろしい、とつくづく思った。志願した時は軍隊に入ることは名誉なことで、死ぬということは考えなかった。国のためとも考えなかった。どうせ20歳になり、いずれ〔戦争に〕行かないといけないのなら早く行っとけばいい、みんなが入ってくるまでに少しでも上になってやろう、と思った。そんな単純な気持ちだった。でもその時の機銃掃射は怖いと思った。
 戦争が終わった時は、もう戦争に行かなくてよいので嬉しかった。原爆のことは知らなかった。それまで厳しい訓練に耐えてたが、命長らえられたとつくづく思った」
 結局、父は訓練を受けただけで帰ってきた。
 「軍隊では、人負けてはだめだということをたき込まれた。例えば、よく走らされたが、遅いともう一週走らされた。だから娑婆に戻ってきた時、何でもできると思った」
 「8月25日ぐらいに帰ってきた。その時は予科練の制服を着ていた。それを見て近所の人は予科練だといったが、もちろん戦争が終わっていたので、何とも思わなかった。親戚の人らがいて変だと思ったら、前の日に父が亡くなっていて、葬式の準備の最中だった。父は戦争が終わったから私が帰ってくるのを知っていた。私がいつ帰ってくるかと待っていたそうだ。栄養失調だった。母は肺浸潤で12月に亡くなった。二人ともまだ60代だった」
 何度も聞いた話もあるが、細部については今回初めて聞いたこともある。その頃のことのイメージを思い浮かべているような表情をして話してくれた。この後、戦後の話もしてくれた。
 「アルバムがあったかもしれない」と立ち上がった父はそのままトイレに行き、話は終わり、新聞を読み始めた。
 このような体験をした父はまだ10代だった。近年は、戦争を知らない政治家の発言によく怒っていた。その頃の気迫を取り戻してくれたら、と思う。
 話を聞こうと思ったのは妹に教えてもらった沢木耕太郎の『無名』(幻冬舎文庫)を読み始めたからだと思う。父のことをほとんど何もしらないことに改めて思い当たったのである。

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日記」カテゴリの記事

コメント

後から車に積んでもらった段ボール箱の中に、若い頃からのアルバムとデイケアで作ったと思われる写真集があります。そこには軍隊時代の写真がありました。おじいちゃんとおばあちゃんの写真もありました。見せてあげてください。

「無名」はもうすぐ読み終わります。「血の味」というのを昔読んだことを思い出しました。14歳の子が父親を殺す話です。「無名」の中にその話が少し出てきていました。

長いこと近くに住んでいたのに、ほとんど父の話は聞いていなかったなと思います。

投稿: ぼにぃ | 2008年12月 7日 (日) 18時52分

 よかった。それならすぐにわかります。自分史を作るんだとうちにきて写真を探し、それをスキャナーで取り込んでプリントしたことがありました。昔のことはよく覚えています。沢木耕太郎の作品は「深夜特急」と新刊の「旅する力 深夜特急ノート」しか読んでいませんが、この「無名」はよく書けていると思いました。

投稿: 岸見一郎 | 2008年12月 7日 (日) 20時02分

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