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2008年12月18日 (木)

あの頃も

 昨日は近大姫路大学で講義。11回目。残り少なくなり、まだまだ話したいこと、話さなければならないことが多々あるのに話し尽くせるか心配になってきた。
 朝、父のところに行くと、デイサービスに行く準備をして待っていてくれた。
 講義を終え、一目散に帰ったら父はひどく疲れた様子で待っていてくれていた。今帰ったばかりだというが、3,40分は待っていたはずだ。どうだったかという感想も聞けないほど僕の方も疲れていたので、また明日ゆっくり話を聞こうと思う。お腹が減ったという。常よりは運動量が多かったのかもしれない。僕もお腹が減った、といったら、早く家に帰れ、と父はいう。そういうことをいわせるつもりはなかったのだが。量が少し多いかと思ったが、父に夕食を作った。父からは聞いてないが、記録には詳細に様子が書いてあり、また様子を見に行かれたケアマネージャーさんからも電話で報告があった。介護サービスが動き出して2週間。契約のための面接が多く、また必ずしもまだうまく機能していないこともある。早く軌道に乗ればいいのだが。
 夜、日記も書かずに(書けずに)寝たのにまだ眠い。朝からあれこれ失敗ばかりしてしまい落胆。前にも書いたが、昼間父のところでは横になれるところがない。
 父のところで食事を用意し、家に帰ってからまた夕食を作るのが大変。父のところで父の分も含めて4人分を作って、持ち帰ることも考えたが、いざそうしようと思うとそれはそれで大変だと思ってしまい、結局、この件も棚上げになってしまっている。
 四半世紀を経て帰ってきた父は好々爺になっていた。振り返れば、母が亡くなった後は折に触れてぶつかってきた。月でいえば一月に母が脳梗塞で亡くなり、同じ年の6月に結婚するまでの半年が大変だった。翌年の3月に父は仕事で横浜へ行ってしまったが、その後も会う時は二人きりであることを可能な限り避けた。誰か(子どもであってもいい)がもう一人いなければたちまち険悪な雰囲気になった。いつも僕が定職についていないことから始まった。お前のしているカウンセリングというのを受けたいといいだしたのはそんなに古いことではない(月に一度ほど会って話を聞いていたが、それも僕の病気で中断してしまった)。今は毎日父と過ごしていることを父がどう思っているかはわからない。若い頃も、父と今のように関われていたらよかったのにとこの頃よく思う。

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