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2008年12月 4日 (木)

個別の肌触り

autumnal reflection ...

 今日は近大姫路大学で講義。その講義で紹介したのだが、柳田邦男氏は、以前は3人称的視点で脳死を人の死と認めてもいいのでは、と考えていたが、自死をはかった息子さんが、意識が戻らず11日の脳死状態の後亡くなった時、こんなふうに考えた。
 「でも、11日間、私が語りかけ、息子も何かを語りかけてくる目前の「脳死」は、まったく違う。存在感の大きさに圧倒されました。その時、命や死は、個別の肌ざわりのある「人称性」を持つ、と確信しました。それが、被害者本人やその家族の「心」を大切にする「2・5人称」の視点につながるのです」(「聞く」6,息子の死で知ったこと、朝日新聞、2008年12月1日朝刊)
 介護について何も知らなかったが父のことがあって関連の本を読み出している。議論のための議論しても意味はない。目下大学で講じている生命倫理学で扱われるテーマは柳田のいう「2・5人称」の視点でしか考えられない。切実でありながら、冷静さを失わないというのは難しい。
 朝、父のところに行ってから出かけた。夕方まで父を一人にするのは不安でならない。何度も携帯電話に連絡が入ってないか確かめた。もっとも何かが仮にあってもすぐに帰るわけにはいかないのだが。買い物をしてから夕方寄ったらいつもより遅い時間の食事になった。父は暖房の効いた暖かい部屋で待ってくれていた。
 明日(木曜)はずっと父のところにいられるように、夜、スーパーに寄って父と家の夕食の買い物をした。二世帯分の夕食を考えるのは難しい。しかし夜のうちに買い物をするというのはいい考えだと思った。
 写真は青鷺。紅葉した山の色が川に映えるのが不思議。山と川はかなり離れているはずなのに。

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コメント

 岸見さんの写真の中の鷺を見るといつも、鷺にも人格があるように感じます。鳥格(?)ありますよね?

投稿: フィン・カ・ビヒア | 2008年12月 4日 (木) 16時37分

社会福祉協会の配食サービスやヘルパーさんの利用もできますよ。母が一人暮らしをしていた時、自分で食事が作れなくなり約1ヶ月お世話になりました。
それでも独居が難しくなり我が家で同居となったわけですが。
柳田邦夫さんの息子さんのことを書かれたその本を以前、読みました。犠牲(サクリファイス)ですね。

>朝、父のところに行ってから出かけた。夕方まで>父を一人にするのは不安でならない。
そのお気持ちとてもとてもよくわかります。
義母が、以前、私と一緒の時、手をつないで歩いていましたが、転び、顔を打撲と擦り傷。
それ以来、家の中でも転びはしないかととても気になります。義母は、迷子と転倒が怖くて、一歩も一人では家から出ませんが。特に迷子の不安が大きいようです。
義母は、歩くとすぐきついと言います。
5分も歩けない・・・

投稿: かすみ草 | 2008年12月 4日 (木) 21時25分

フィン・カ・ビヒアさん
 僕も鳥格を感じます。

投稿: 岸見一郎 | 2008年12月 5日 (金) 20時35分

かすみ草さん
 父は今は杖なしで歩きますが、転倒には気をつけています。手を繋いで歩きませんが。犬の散歩をするとよく外に出ますので、一日に何度もついていくことになります。

投稿: 岸見一郎 | 2008年12月 5日 (金) 20時37分

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