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2008年12月 9日 (火)

無名性の中に

沢木耕太郎『無名』(幻冬舎文庫)

 沢木耕太郎の新刊『旅する力 深夜特急エピソード』(新潮社)を読んでいたら、その中に父親のことが言及されていた。俳人であったことに興味を持った。たまたま妹から時期を同じくして、89歳の時、脳出血で倒れた父の「無名」の人生を語った『無名』のことを知り読み始めたら、ちょうど今毎日父の介護をしていることもあって一気に読んだ。
 「父は何事も成さなかった。世俗的な成功とは無縁だったし、中年を過ぎる頃まで定職というものを持ったことすらなかった。ただ本を読み、酒を吞むだけの一生だったと言えないこともない。無名の人の無名の人生。だが、その無名性の中にどれほど確かなものがあったろう……」(p.59)
 58歳の時近所の人に勧められ俳句を始めたが、65歳でふつりと詠むのを止めた。ところが近年再開し、雑誌に掲載されていることを知る。沢木は父親が詠んだ俳句を本にまとめるべく、自分の知らない父の人生が語られている俳句を集め読むことを通じて父親の人生の軌跡を辿ることになる。
 沢木は、病床の父親のそばにいた時、自分がひどく疲れていることに気づいたと書いている。何もしないでただベッドの脇で椅子にすわっているだけなのに、原稿書きなどで徹夜した時よりも遙かに疲れるという。「深くて重い、鈍痛のような疲労」(p.50)。それはただ待つということからくる疲労感であり、何を待つのかわからず、ただ待つことができないことからくる疲労感である。
 沢木は、朝がくるのを、時が過ぎていくことをただ待つといっているが、ただ時を待っているのではなかったのを知っていたかもしれない。
 「私の思いは複雑だった」(p.125)
 父はこのままただ死を待つことになるのか。なんとか生かしたい。しかし人には死すべき時というのがあるだろう。「漠たるものではあったが」今が父の死すべき時なのではないかという思いがあった。そう思ったのは沢木なのである。
 沢木の父親との関係を読むと、僕自身の父との関係と重ねてしまう。沢木は父親に向かって激しい言葉をぶつけた記憶はなく、ただの一度の反抗をしたことがなかっただろう、という(p.218)。この点は僕とよく似ているが、沢木が幼い頃から父を守らなくてはならない人と感じていたといっているのは驚きであり、そんなふうに思ったことは一度もなかった。
 北杜夫が父親の斎藤茂吉についてこんなふうにいっていることを思い出した。
 「子供の頃ひたすら怕(こわ)く煙たい存在だった父は、だしぬけに尊敬する別個の歌人に変貌したのである。私は打って変わって父を尊敬するようになり、高校時代それを模した稚拙な歌を歌ったものだ」(『青年茂吉』)
 次第に茂吉にさす老いの影を北は見逃さない。茂吉は散歩の折りはいつも手帳を持ち歩いた。そこに短歌を書きつけるのである。北はその手帳をこっそりと盗み読み、父がまだ旺盛な創作欲があることを知って安堵したり、逆に拙い歌を見つけては父の衰えに失望する。
 父の手帳を盗み読む北と、句集を編もうとする沢木の姿はダブるのだが、僕には北が茂吉に抱いたような尊敬の念も父に持ってきたとは思わない。
 沢木の本を読んで、父の人生について僕は何も知らないことに思い当たる。父が「自分史」の中にこんなことを書いているのを読み驚いた。
 「振り返れば、輝かしい時代、いつもそばには家族がいた。今は、家族はなく、子どもたちも独立して幸せに暮らしている。ふと気がつく、愛犬「チロ」がいつもそばにいる。遠き家族の写真を振り返って、それぞれが自分の生を力強く生きた時代を偲び、歴史を思う」
 とりわけ「それぞれが自分の性を力強く生きた」という言葉。そんな時代のことを知りたくて、父との生涯二度目の二人暮らしの中で折に触れて父のこれまでのことをたずねている。

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