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2008年11月28日 (金)

経験の共有

making an early start ...

 この季節、父の家の近くに乗船場がある保津川下りは休みともなるとたくさんの人がきて賑わう。霧が立ちこめた川を渡って船が乗り場まで向かう。この船に何人乗れるのだろう、と父にいうと、30人だという。泊まっている船を指さし、あそこに書いてあるではないか、と。定員30名と書いてあった。この写真ではそんなにたくさんの人が乗れるようには見えないが。
 父が眠っている間に買い物に行くために自転車で走っていたら山に淡い虹がかかっているのが見えた。その虹に気がついた人がいて、自転車に乗せた幼い子どもに、「ほら見える? 虹」と声をかけても子どもはきょとんとしていた。「虹が出てますね」と声をかけたら微笑まれた。
 銀杏の葉が風に舞う。あの葉はどこから飛んでくるのか、と父がたずねる。昼間、ほとんどの時間、父と僕は同じテーブルに対面してすわっている。僕が仕事をしていると父も自分の部屋でテレビを観たりはせずに新聞を読んだり、さもなければ居眠りしたり、ぼんやり外を見ている。僕も疲れるとよく外を見ている。父の見た銀杏を僕も見たわけである。
 ある時を切り出せばこのように平和で穏やかだが、この一月一番長く父の傍にいた僕にはこの平穏が危うい均衡上のものでしかないこともよく知っている。

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コメント

今のお父様と一緒にいられるこの時間を、存分にたのしんで下さい。半年後、必ずしも今と同じではないかも知れませんから。先生の作られた食事を、食べられている横顔や、散歩をする後ろ姿など、全てが懐かしい思いでに変化していくと思います。この写真のように・・・

投稿: おりひめ | 2008年11月29日 (土) 23時10分

 本の中に何度か人はどんな状況でも自由でいられると書いたことがありますが、もっと進めて、どんな状況でも楽しめる、楽しんでいいのだ、と最近は思えるようになってきました。父の写真もこの頃よく撮っています。写真を撮るまでもなく僕の記憶にはあらゆる場面がインプットされるわけですが。

投稿: 岸見一郎 | 2008年11月29日 (土) 23時23分

 この写真は一瞬日本画かと思いました。それほどまでに霞がかった空気感と色合いがこの世のものとは思えぬような感じがしました。でも、船頭さんたちは現代の姿をしていて間違いなく現実を切り取った写真なのですね。
 この頃私は母と話をするのが億劫です。母は今現在の事よりも昔のことの方が現実感があるのか、戦時中の疎開していた話や私が小さかった頃の自分の話をします。私は何度も聞いたその話を想像力を駆使して「そうだったの、大変だったね」と聞くのですが、私が体験したわけでもない事には応える私にも、聞いてもらっている母にも現実感が無いのでお互いに満足感が得られません。本当は母は共にそれらを経験した自分の母(私の祖母)や兄から「お前はよくやったよ」ねぎらいの言葉をもらっていたら私に話す話し方ももっと違っていて会話も成り立つのだろうなと思います。昔の貧乏暮らしのことを話す母から自慢話を聞かされているような気になってしまうので母に対して「情緒が無い人だ」とつい思ってしまうのですが、この写真を見ていると受け取る私の方が情緒が薄らいでいるなぁと痛感しました。今日は風を感じて家まで帰ります。
 
 

投稿: ちばちゃん | 2008年12月 4日 (木) 19時35分

ちばちゃんさん
 子どもの頃祖父や父母のアルバムでこんなセピアの写真を見たことを思い出しました。「現実を切り取った」写真です。
 父の話は繰り返しが多いですが、細部が少しずつ変わるので、何度聞いても苦にはなりません。想像力ではわからないことがあります。話を聞いていたら、ジグソーパズルをしているような気になります。足りないピースがありますから、それを補うために質問もします。

投稿: 岸見一郎 | 2008年12月 5日 (金) 20時43分

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