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2008年11月30日 (日)

奇跡が起こらなくても

healing flower ...

 今日は昼から代わってもらえたので、3時頃自宅に帰った。本当はその間にしようと思っていたことがあったのだが、帰って横になったらあっという間もなく深い眠りについてしまった。執拗に鳴り響く電話にも申し訳ないが出ず、それでもアラームの音で少し目が覚めた後、新聞代を集金にきた人があって起きることができた。眠りによってというのもどうかと思うが少し英気を養うことができた。
 父と一緒にいると、小川洋子『博士の愛した数式』やソン・イェジンが出ている『頭の中の消しゴム』のことを思い出す。どちらも記憶の喪失が扱われている。後者の映画では何の奇跡も起こらない。かといって救いがないわけではない。
 朝行くと父は既に食事を済ませていた。パンを一枚焼いて食べるだけなのだが、前日冷蔵庫に一枚しか残ってなかったので、もしも夜中に空腹で食べていたら朝のパンがないはずだと思って急いでいったが、夜は食べなかったことがわかった。その後、風呂から上がってきた父は僕を見て「おはよう」と機嫌良く声をかけてくれる。数時間前から僕がきていること、きた時に当然挨拶したことは忘れてしまっているようだった。しかし、『博士の愛した数式』に出てくる数学者も一日で記憶がリセットされ、それはたしかに生活に支障をきたすけれども、そのような時でも私という意識は継続している。
 その意味で昔と父は少しも変わらない。変わったとすれば、些細なことでいえば食事をゆっくりとるようになったこと。昔のことはよく覚えている。父がゆっくり食事をするようになったことを指摘すると、「昔は食べるのが速すぎるといわれた」という。母がいつもいっていた。「で、どう答えていたか覚えてる?」「いや」「戦争中は速く食べないといけなかったからその時の癖で…」「ああ、そんなことをいってたと思う」「そして、次の〔母の〕言葉はいつも決まっていた。戦争が終わって何年も経つというのに」そしてもっと大きな変化は食事の終わりに「おいしかった。ありがとう」と必ずいうこと。もう四半世紀も前に母が亡くなって父と二人暮らしになった時、最初は外食ばかりしていたが、「誰かがつくらなあかん」という父の言葉を受けて、料理を学び始めたのもこの家でのことだった。カレーライスをカレー粉から炒めて作ったら「もう作るなよ」と父がいったという話は本にも書き、講演でもよく話す。このことを覚えているかはわからないが父との共有経験は連綿として少なくとも僕の中では残っている。
 「お前のしているカウンセリングというのを受けたい」といいだしたのはいつのことだったろう。月に一度は京都駅で待ち合わせて食事をし、コーヒーを飲みながら長く話した。父とカウンセリングをしたら、こちらから出向かないといけないし、カウンセリング料をもらうわけにはいかず、食事をした後は支払いもしないといけない。いいのか、という父に、働いているし、といった。その後、僕が病気になって父との「カウンセリング」は途絶えてしまっていた。今はその分を取り戻したい。取り返しがつかないのかもしれないが。

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コメント

 このお花実際は小さい花なのでしょうが、とても力強く生き生きとしていて魅力的でなんだか大きく見えます。

 読んでいて不思議に思ったのでお聞きするのですが、ときどき親子であって話をする、というのは人によっては普通にあることだとは思いますが、それを[カウンセリング]と言われている場合とはどこがどう違うのでしょう?

 親子で駅で待ち合わせして、一緒に食事したりお茶したり話をしたり、そういうのをしたことがないのでいいな~と思いました。今は電車に乗って・・・は難しいかもですが、暖かくなったら(まだ、これからまず寒くなるんですけれど^^;)ピクニックスタイルのランチとかそちらは近くにいいところがいっぱいありそうですね~。私の母は多忙なのですが、今週末我家に遊びに来てくれることになりました。今からとても楽しみです。

投稿: mari | 2008年12月 1日 (月) 11時30分

 父が愚痴をいい、僕がそれをただ聞いたり、それはひどい!というような反応をして聞けば、父は気が晴れるかもしれませんが、それでは何の問題の解決にもなりません。また世間話とも違って、要は、僕がことさらに父とのカウンセリングというのは問題の解決に向けて父と共に考えていくからです。
 暖かくなればピクニックスタイルのランチも楽しそうですが、今はぎりぎりのところでふんばっているという感じでそんなことをする余裕がありません。

投稿: 岸見一郎 | 2008年12月 1日 (月) 20時14分

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