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2008年10月 5日 (日)

幸福と不幸を分ける「私自身」(3)

幸福と不幸を分ける「私自身」(3)
岸見一郎
(『MOKU』2004年3月号、MOKU出版)
【インタビューに基づいて構成された記事です】
幸福と不幸を分ける「私自身」(2)の続き

 私のところへカウンセリングに来られる方の多くに共通しているのは「この人は私に何をしてくれるだろうか」という考えをされていることです。そういう人は、どんなに幸福になれる状況にあっても、幸福が素通りしてしまうものです。他人は、あるいは周りの環境は、その人を幸せにしようと思って存在しているわけではありません。それにもかかわらず、「あの人は私に何もしてくれない」と思うのは自己中心に生きているからです。幸福になるための「原則」があるとすれば、「自分はこの人に何ができるだろうか」と考えることです。”get"ではなく”give"を考えている人は幸福になることができます。では、どうすることが”give”なのか。
 機械と違って自分というものは取り換えることができません。しかも、けっこう癖のあるものです。カウンセリングに来られる方に「自分が好きですか?」とたずねると、ほとんど例外なく「嫌い」といわれますが、自分をどうしたら嫌いにならずに受け入れることができるかがポイントです。自分のよい面を数え上げているだけでは好きにはなれません。
 どういう時に自分を好きになるかというと、自分が誰かの役に立っていると自覚できる時です。与える喜びを知ることで自分を好きになっていくわけです。つまり”give”とは自分が貢献していると思えることであり、「幸福になる」とは、その自分が貢献していると思えることであり、「幸福になる」とは、その自分を好きになることなのです。
 しかし、”give”は、ややもすれば押しつけにもなりがちです。それを防ぐためには「何かできることはありませんか」とたずねることです。人間は、考えれば相手のことをわかると思っていますが、何を考えているか、何を望んでいるか、言葉以外に正しく伝える方法はありません。
 中には、相手から与えられることを待っている人もいて、そこに「思いやり」という概念がからんでくると、いわなくてもわかってくれることが思いやりであり優しさだと考えたりします。しかし、自分と他人は別なのですから、いくら近い関係であってもすべてを測り知ることはできません。「口ではそういったけど、本当はこうだったんだ」といわれても、相手にそれが伝わるはずがなく、それで相手を責めるのは間違っています。それは甘えというものです。望むことははっきりと言葉で伝えなければなりません。何度もいうように、幸福は何もしないで与えられるものではないのです。「何かできることがあればいってね」ということ、「こうしてほしい」ということです。何かに傷つけられた時には、それもきちんと伝えること。そういう自分にならなければ、周りを困らせてしまうだけです。優しい人ほど相手のことを思いやりすぎてつらくなってしまう原因は、こんなところにもあるのです。
 私の友人は、そんな話を私がしていたことを思い出して、自分の子どもが学校から帰ってきた時に落ち込んでいる様子だったので、「何かできることある?」と子どもにたずねました。「どうしたの?」「何があったの?」「話してごらん」といわれる子どもはうるさく感じてしまうと思ったからです。すると、その子はいいました。「ある。放っておいて」と。この場合は、放っておくことが貢献だったのです。
 さらに知っておかなければならないのは、”give”の時に、「これだけやってあげたのに」と見返りを求めてしまうのは間違いだということです。自分の行為は自己完結しなければなりません。そうしないと、せっかくの行為も相手から反発されるだけです。感謝されることを願ってするのは貢献ではありません。
 また、貢献は自己犠牲を強いているわけではありません。自分も満足することが他の人にも貢献することでなければなりません。徹夜仕事もしなければならない。締切も守らなければならない。しかし、自分の書いた記事で多くの読者が喜んでくれる。そういう人のために徹夜をすることは苦にならない。それが貢献ということです。そして、読者の役に立っていると思える自分を好きになることが幸福を感じることでもあるのです。どんなことで役に立っているか、何が自分にとっての幸福かは人それぞれ違うわけです。
「幸福と不幸を分ける「私自身」(4)」に続く。

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