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2008年10月 3日 (金)

幸福と不幸を分ける「私自身」(1)

幸福と不幸を分ける「私自身」(1)
岸見一郎
(MOKU、2004年3月号、MOKU出版)
【インタビューに基づいて構成された記事です】

幸福も不幸も自分の主観が決めている

 「幸福とは何か」それを語ることは非常に難しいことです。それでも、「どちらへ向かっていけば幸福になれそうだ」という方向性を示すことはできます。多くの人は幸福を目指しながら、現実にはそれとは逆の方向へ進んでいるように見えます。
 幸福というのは、ある特定の「場所」のことではありません。どこかに身を置けば幸せになれるという居場所はどこにもないのです。強いていうなら「今ここ」です。今自分がいるこの場所でしか幸福になれません。
 「今ここ」だからといって、じっとしていて幸福になれるというものでもありません。「癒し系」などという言葉が流行り、自分では何もしなくても癒されるという錯覚に陥りがちですが、幸福になるためには、比喩的にいうならば、「歩き出さ」なければなりません。といっても、どこかへ行くのではなく、「今ここ」で、「自分が変わっていく」ということです。他人が変わることでも社会のシステムを変えることでもなく、自分の心のあり方が変わること、それが幸福になるためには必要なのです。
 「病気でない」が必ずしも「健康である」と同じでないように、「不幸ではない」ことが「幸福である」ことではありません。もしも、変わることで自分は「幸福である」状態になれるのではないだろうかと考えている人がいれば、そこに私はカウンセラーとしてかかわることができます。今、自分がいるところの先に「何か」があると思えれば、その人は歩き始めることができます。その手伝いをするのが私の役目です。
 人は誰でも幸福になりたいと願っていながら、なかなか幸福になれないのは、幸福になるための手段の選択を誤っていることが多いからです。一流大学を出ればいい人生が送れると思っていた、けれどもそうではなかった。お金持ちと結婚すれば幸せになれると思っていた、けれどもそうではなかった。それは、手段の選択を誤ったからです。幸福になるための手段は人それぞれ違うのです。
 また、幸福のイメージを持つための技術を知らないために幸福になれない場合も少なくありません。育児に関しては決して「悪い母親」がいるのではなく、「母親と子ども」という対人関係を築く技術を知らないだけです。
 「現実」をどう捉えるかということ一つとっても間違いを起こしがちで、そのために幸福を達成する手段の選択を誤ることがあります。
 井戸水の温度は年間を通じておよそ一八度と変化がありません。夏に触れるとひんやりとしていて、冬には暖かく感じます。これをどう捉えるか。客観的な一八度いう温度が現実なのだと考えがちですが、自分自身が感じる「夏は冷たく、冬は暖かい」こそが現実なのです。十年前の五百円と現在の五百円、どちらも五百円であることに変わりはありませんが、十年前の方が五百円の高かった。これが現実です。私より背の低い人から見れば、私は「大きい人」であり、私より背の高い人から見れば私は「小さい人」になる。つまり、客観的にどうあるかよりも主観的にどうなのかが「自分にとっての」現実であるということです。
 同じように、幸福に関しても人それぞれ、どう意味づけるかにかかわってきます。環境や状況の違いにはかかわらない「客観的な幸福」、誰にでも共通する幸福の指標、そのようなものはありえないのです。「こうすれば幸福になれる」といわれているようなこと、例えば、よい大学に入る、大きな会社に就職する、結婚する、子どもができる、そういったことを追い求めながら決して幸福ではないことは幸福で花子とは多くのところで見られることです。口では「幸せになりたい」といいながら、そうならない方向に多くの人が向かっているのではないかと私がいうのは、そういう理由からです。
 アルフレッド・アドラーは「ライフスタイル」という言葉を使っていますが、多くの人は、社会や人生や自分についての意味づけである「ライフスタイル」を早くから決めてしまっていて、それが不自由であるにもかかわらず、今の自分のあり方とは違う「ライフスタイル」を選ぶことには躊躇してしまい、何とかしなければと思いながら、その「ライフスタイル」から抜けられないでいるのだといっています。不幸に帰結するような「ライフスタイル」に終始してしまっているというのです。なぜ躊躇するのかというと、突然幸福になってしまうと、それまで必要のなかったかかわりや責任といった、様々なことが発生してくるからです。案外、人間は不幸でいたいのかもかもしれません。
 そんなことを考えると、幸福も不幸も、自分が決めるものだということができますし、人生が複雑なのではなく、自分が人生を複雑にしているともいえるのです。そして、その複雑に絡まった糸をほぐすのが私の仕事なのですが、意外と簡単なことでほぐれていくものでもあります。
「幸福と不幸を分ける「私自身」(2)」に続く)

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