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2008年10月20日 (月)

回生

I wish you could see the same sunset ...

 昼間は半袖でも過ごせるくらいの陽気でもさすがに夏とは違うので、油断していたらせっかく干した洗濯物が湿ってしまう。
 昨夜も『鶴見和子を語る 長女の社会学』(鶴見俊輔他、藤原書店)も読み継ぐ。ページの両端に晩年詠まれた短歌が載せてあって、鶴見の「健康な病人」」としての日日の思いと覚悟がひしと伝わってくる。しかもただ我が身を詠うにとどまらず、「まつりごと」への怒りが詠われていることに驚く。
政人(まつりびと)いざ事問わん老人(おいびと)われ生きぬく道のありやなしやと
老い先の短きことをこの上なき仕合わせと思う国のありよう
 この本のことは別の機会に書いてみたい。
倒れし日を我が命日と定むれば我が生(あ)れし日は回生二年
 どの歌を読んでも心に響く。今は余生ですから、というと笑われるが、この鶴見の歌の心境である。

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コメント

 「いまは余生」という言い方は、何度となく見聞きしますが、そういえばどこを基準に使われているのでしょうね。生まれてしまったら、後はもうず~~~~っと余生のような気もしますが、人それぞれに「基準の時」があるのかもしれないですね。私の場合は人生はいつも本番ということに最近気づいたようなもので、いまさらあわてていますけれど、人生はずっと本番であるとは思いますが余生でもある様に思います。

投稿: mari | 2008年10月21日 (火) 22時05分

 「余生」だからといって力を抜いて生きているわけではないのです。mariさんのようにとられないように、回生という言葉を使う方がいいでしょうね。

投稿: 岸見一郎 | 2008年10月21日 (火) 22時16分

「回生」の意味を知らなかったのですが、今、調べてわかりました。
>mariさんのようにとられないように、
とあるのですが、すみません、何かおかしなこと書いていますか?
>「余生」だからといって力を抜いて生きているわけではないのです。
という事は、もしかして、私が書いたことで私は先生は力を抜いてますね~と書いているって思われたのでしょうか??もしそうだとしたら、全然、そんなつもりはなかったので書き方が悪かったのだとおもいます。すみません~。

投稿: mari | 2008年10月21日 (火) 23時17分

 そう思ったわけではないのですが、本番と対比して余生という言葉を使うと、余生は本番ではないように取れるかもしれないと気づいたのでした。静かに余生を送る、というような使い方をしますが、今は静かどころではないな、とも思いました。

投稿: 岸見一郎 | 2008年10月22日 (水) 00時27分

 ずっと本番なのに、余生は字に「余るの余」があるから本番ではないように取る事がそういえばあります。「かいせいを・・・・」とか会話で使われると、はて?と思ってしまったかもですが、今は意味をおかげで知りました。

投稿: mari | 2008年10月22日 (水) 13時07分

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