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2008年10月26日 (日)

もうすぐ

I am reluctant to leave you ...

 週末疲れていたのか、鉾の巡行があるのは知っていたし、遠くから太鼓の音なども聞こえていたが、出かけなかった。昨夜はアドラーの訳稿をチェックしながら読んでいたら時間を経つのを忘れてしまい、遅い時間になってしまった。読みながらアドラーが今の世の中に生きていたらどんなことを語っただろうかと思う。
「ある老婦人が市街電車に乗る時に、つるりと足を滑らせ、雪の中に落ちた。彼女は立ち上がることができなかった。多くの人が忙しそうに通り過ぎたが、誰も助けようとはしなかった。ついに、ある人が、彼女のところへ行き、助け上げた。この瞬間、別の、どこかに隠れていた人が飛び出してきて、助けた人に次のようにいって挨拶した。「とうとう、立派な人が現れました。五分間、私はそこに立ち、この婦人を誰かが助けるかどうか待っていたのです。あなたが最初の人です」。ここではっきりと、いかに一種の傲慢や見せかけによって、共同体感覚が誤用されるか、そして誰かが、他の人の裁判官を買って出て賞賛と罰を分け与えるが、自分では指一本触れたりはしないということをはっきりと見ることができる」(『性格論』(仮題)から)
 夕方写真を撮りに出かける。近くのコスモス園の花にはもはや一時の勢いがなかったが、遅れて咲き出した花もあって、しばらくの間何枚か撮った。既に日が傾いていた。もうすぐ帰ってくる父のことを思った。

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コメント

花びらの幅が広くてかわいいコスモスですね。ぼけた感じが花びらの端っこにかかっていて、それで花びらが放射線状に広がって動いているように見えます。

書かれていた例を読んで、先日何かの記事ででいてたイタズラを思い出しました。封筒に新聞紙の偽札を束にしていれて、わざわざそれが何かの支払いのために用意されたお金だと思うような表書きをして落としておいてひろった人が警察に届けるとイタズラだった・・・という内容のものでした。上の話とは関係ないですが、その智恵や労力をもっといいことに使えるといいのに、と思いました。でも、それも口で言うほど簡単じゃないのかも、とも思いますが。

投稿: mari | 2008年10月26日 (日) 16時47分

 引かれたような例にあるような仕方で、人を試したり、試されたりするのが好きではありません。
 他の人がどうかよりも、まず自分について(例えば)はたして自分は共同体感覚を身についているのか吟味したいです。

投稿: 岸見一郎 | 2008年10月26日 (日) 17時24分

 ふと気づけば、人をあれこれ吟味することで自分とくらべ、それで自分はマシだ・・・とか、その逆にだめだ・・・・とかしていることがあります。なにも比べるものなく、吟味ってできるのかどうかわかりませんが、せめて、そんなことをしているときは、あ・・またしている。。。くらいには気づければとりあえずはよしとしてもいいでしょうか^^;
アドラー関係の本を読んだりして、共同体感覚はこうこうこういうものかもしれない、と思うとそれを持つために、何かをする、とか「貢献が大切」だとみききすると貢献することそのものが目的になって、人をその手段したりとかもしているような気もします。何も考えないで暮した方がいいとおもうのですが、それも難しいな~と思っているこの頃です。

投稿: mari | 2008年10月26日 (日) 20時59分

 何も考えないで暮らすことはお勧めしません。むしろ考えてほしいのです。今の本が刊行されて読まれたらきっと落ち込まれると思います。ずいぶんときついことを書いています。僕ではないですよ、アドラーが。

投稿: 岸見一郎 | 2008年10月26日 (日) 21時46分

きっと落ち込むと予言されたら、発売されても買うかどうかしばらく迷いそうです。迷っているということは買う可能性もあるということだから、書きながら苦笑してしまいました。買って読まずにコレクションしておくというのも選択肢にできますね、そういえば。平気に見えるでしょうが、結構しょっちゅう落ち込んでいます^^;先生が言っているんじゃないんですもんね、アドラーがいっているんですね。すみません、ときどき大きな誤解をしていることがあります。

今日、年齢の話しを人としていて、自分の年に改めて気づきびっくりしました。もう、人生あとどれくらい生きられるかわからないので、能天気に快楽だけを求めて暮したほうがいいのではないか、と充分そういう暮らしをしているにも関わらず、思ったりしていました。考えているうちに今より平和な気持で暮せるかどうかは、一種の賭けみたいなものかもです。すみません、なんだんか支離滅裂になりました。予言におののいてしまって・・・と、予言のせいにしておきます。

投稿: mari | 2008年10月26日 (日) 23時22分

↑にはめちゃくちゃなコメントを書いてしまって、失礼しました。

何も考えないで暮すなんてことは不可能でしょうね。
私も毎日何かしら、考えているとは思いますが、ぐるぐる頭の中で同じことが回っているだけなのかもしれません。

>>むしろ考えてほしいのです。

変な質問だとは思うのですが、なんだかわからなくなってしまったので、お伺いしてみるのですが、何を考えたら、いいのでしょうか?


投稿: mari | 2008年10月27日 (月) 14時06分

「何も考えないで暮した方がいい」と書かれたでしょう? そう思われた時の「何」です。

投稿: 岸見一郎 | 2008年10月27日 (月) 15時24分

結局またそこに戻ってくるのですね。表現が乱暴かもですが、乗りかかった船から今降りてしまったら陸地がないから、おぼれることになると思うのでどこかとりあえず何かしらの陸地につくまでは、せめて、落ち込まないで(それは難しそうなので、回復までの時間短縮で・・・)過ごしたいと思います。落ち込むことにも目的があるのかもですが、落ち込まないで学べるお勧め法はないでしょうか?

投稿: mari | 2008年10月27日 (月) 21時49分

 評価を恐れない(というより評価から自由になる)ことです。誰もmariさんを悪い母親だとはいいません。スポーツですと方法を学ばなければ上達しないでしょう? 上達しようと思うなら練習するしかありませんし、方法を学ぶのに時間がかかっても、そのことで落ち込む必要はないでしょう?

投稿: 岸見一郎 | 2008年10月27日 (月) 21時57分

 そうですね。落ち込む時間は無駄ですね。誰も私を評価したり責めたりするはずもないのに、私が一人でアップダウンしているのでしょうね~。母親であることや育児に関してだけではなく生き方とかいろんなことにこの法則を当てはめれば、いいのでしょうね。「この自分からはじめるしかない」を新しい呪文のようにしています。

投稿: mari | 2008年10月28日 (火) 17時13分

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