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2008年10月18日 (土)

主張したい

 病院へ行くと予約であっても長い時間待たなければならないことがある。一番辛かったのは二年前に心筋梗塞で一月入院した後の最初の診察日長く待った時だった。こんなことができるようになるほど回復したから退院できたともいえるが、家にいたら横になっていただろう、と思った。
 ある時、怒って、看護師さんに抗議をしている人を見た。その人が、後どれくらいかかるかとたずねたら、今日は遅れているので1時くらいになりそうだ、という。
 「それがわかっているのならもっと早く教えてほしかった。それなら一度家に帰って食事をすることもできたのに」
と怒りはおさまらない。
 「別の看護師さんにたずねたんだ。そうしたら「順番ですから」といわれた」
 診察が遅れていることには患者は寛容である。そのことで看護師さんを責めようとも思わない。しかし、「順番ですから」は答えになっていないだろう。
 昨日、病院で待っていたら、看護師さんに名前を呼ばれた。「(後)四人目です」。とっくに予約時間を過ぎていたから、がっかりしたが覚悟はできた。

 多田富雄は、入院した時、「喜びというものを、完全に奪われたこの病院での生活にはとても順応できない」と思い、ルール違反を承知で、まず小型の冷蔵庫を買い、次いで、液晶テレビ、ステレオセットなどをそろえ、人間らしく暮らすために最小限必要なものをセットした、と書いている(『寡黙なる巨人』p.75)。
 僕の場合は、本とコンピュータがなければ生きていけない、と思った。生きるか死ぬかという時に、本もコンピュータもあるものか、といわれそうだが、絶対安静時は辛かった。時間まで進むのを止めたように思った。
 無論、最初は本を読むことはできなかったわけだが、心臓リハビリの過程で、いつまでも音楽を聴くことを許されないこと、また、テレビを観たり、雑誌を読むことが許されたのに、(普通の)本を読むことが許されないことは不合理である、と思った。ストレスがいけないということなのだろうが、俗悪なテレビ番組の方がよほど有害ではないか。
 そこで、ある日、とうとう我慢できなくなって、本を読めないことが僕にはストレスである、と看護師さんと交渉したところ、すぐに私の主張を医師に伝えてもらえ、医師は即座に許可をしてくれた。
 このような患者の行為は建設的であると思う。しかし、多くの人はこのようなことを思いつくこともなく、非日常的で特殊な生活を強いられる。うるさい患者だと思われるのもいやだった。
 患者サイドにおいては諦めるしかないと思ってしまいがちだが、諦めてはいけないことが多々あった。それとて、主張できるかというと難しい。ICUにいた時、大きな音で音楽が流れてきた。あの時は少しの音にも過敏で苦痛でならなかった。そこで、看護師にあの音楽は同室の患者さんがかけているものなのか、たずねた。もしそういうことなら我慢してもいいと思った。ところが、そうではないという返事を得たので、目下、音に対して非常に過敏で耐えられないということを訴えたら、ただちに音楽を止めてもらえた。
 ICUの「騒音」がどのようなものか知っている人は多いと思う。絶対安静が必要な患者にとって医療機器の発する音はこの部屋にいることが病気を悪化させるのではないかと思わせるのに十分である。これとて治療に必要だからという理由で患者からは改善を要求してはいけないのだろうか、と入院している時思った。

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エッセイ」カテゴリの記事

コメント

母が糖尿病性網膜症のため目の手術をして、今日退院しました。私は仕事を持っているので、日中は病院に行けず、先生のお話を聞けず、今日は日曜日でも入院患者は診察があるとの事で主治医ではなくてもお医者さんの話を聞く予定でした。いつもは9時から9時半頃が診察なので看護士さんからも9時に来るように言われ、病室で待っていましたが10時近くになっても呼ばれません。私は腹をくくって待っていても母が「遅いねえ」とか「看護士さんがいい加減なことを言うからまったく」などと言い出すと落ち着かない気分になり、忘れ物を取りに戻るのを口実に少し病室を出ました。10分で戻ると「今診察が終わって、先生にもうすぐ娘が来ると言ったのだけれど、来てもらわなくても大丈夫ですよ、紙に書いて渡しますからと言われた」とのこと。退院手続きを済ますと看護士さんが印刷された退院後の注意点を見せてくれてこれが先生からの手紙だと言われました。結局荷物と母を運んだだけで達成感のない退院でした。母にしてみれば私に気を使って愚痴を言ったことが、私はとりとめのない母の話を聞くのが嫌で部屋を出たことが裏目に出てしまいました。看護士さんに文句を言わなくても、あと10分待てなかったことが自分のこころづもりと違う結果となり、そのことが今日の午後の私の気分が優れない原因となっています。
先日図書館で借りてきた落合恵子の「母に歌う子守唄」というエッセイ集にお母さまが初めに入院した病院では主治医とは交換日記のようにノートをつけることを依頼して病状の確認ができたと書いてありました。私も簡単なメモでいいから症状や連絡事項は紙に書いてほしいと看護士さんにお願いしましたが、連絡がうまくまわらず一度も書いたものをもらえませんでした。女性問題を追及していろいろなところに意見を言ってきた落合さんでさえ病院に抗議、改善を要求するうるさい家族になることには相当迷われたそうです。私は病院に改善を要求することよりもまず、母に直接「少し黙って待ってもらえないか」と改善要求することを練習しないといけないと痛感しました。

投稿: ちばちゃん | 2008年10月19日 (日) 18時52分

 思えば、母が入院していた時は完全看護ではなく、僕が週日は16時間もベッドサイドにいましたから、その間に行われた処置などをすべて記録し、他の家族にもノートに記録して伝えることができました。今ならそういうわけにもいかないでしょうし、母がそうであったように意識がないような状態であれば、不在の間のことはわからないですね。過日も生命倫理の講義で話していたのですが、こういうことを時間がないという理由で医療サイドが始めから無理だと患者側にいわないでほしいと思うのです。
 僕が入院していた時は、看護師さんたちは忙しくても、予定していた時間にこられないことがわかった時点で、後何分待ってほしい、といいに来られてました。これとて大変なことでしょうが。
 黙って待つというのも一つの見識でしょうが、医療側とすれば患者が不満を持たないための工夫をしてほしいと考えています。

投稿: 岸見一郎 | 2008年10月19日 (日) 19時49分

 私自身はお産でしか入院経験はありませんので、患者の立場でというより両親の入院の時の家族の立場で読ませていただいている様に思います。そういえば、病院では何かとなんとなく遠慮してしまうことが多いのはどうしてだろう?と読んでいて思いました。看護師さんの仕事というのはとても範囲が広いとおもいますが、どの程度のことなら頼んでいいのか、聞いていいのか、役割についてもわかってないのかもしれない、と思いました。もっと病棟の看護師さんのお仕事内容を知ると実際入院するような時でも今よりはスムーズに関われるかもしれない・・・と思います。こういうことも備えあれば憂いなし?になるのかどうかわかりませんが、いずれ避けられないことだと思うと気になってきました。

投稿: mari | 2008年10月20日 (月) 00時13分

mariさん
 病院によっても違うでしょうし(病院が変わるとシステムが変わるのでとまどってしまいます)、患者、家族としては、そういうことはたずねるしかありませんし、病院側も説明する必要があるのではないでしょうか。

投稿: 岸見一郎 | 2008年10月20日 (月) 00時27分

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