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2008年10月 8日 (水)

出講/出血

 今日は近大姫路大学へ出講。前回は大学がどこにあるかもわからず、講義をする学生さんのイメージもつかめず、終始、緊張していたが、今日はもう大丈夫だろう。生命倫理について講義をするのは初めてだが、話したいことはいくらでもある、と昨日、講義の準備をしていて思った。あまり一度に多くのことを話さないように気をつけたい。
 昨夜は夕食を作っている時に、包丁で指を切ってしまった。包丁の切れがあまりよくなかったので危ない、と思った瞬間に包丁が滑り、左手の人差し指を5ミリほど切ってしまった。深い傷ではなかったが、痛みで眠気が飛んだ。血の凝固を防ぐ薬を飲んでいる。薬はたしかに効いていて血はすぐには止まらなかった。こんなことがあったからといって代わって夕食を作る人はなく、止めるわけにはいかなかった。血が止まってからも指をかばっていた。アドラーが挙げている車にはねられた犬の事例を思い出した(『生きる意味を求めて』pp.20-1)。その犬は傷が癒えてからもその場所に近づこうとしなかった。しかし、「場所」が危ないわけではない。気をつけて歩けばいいだけのことである。包丁が危険なわけでもないし、まして料理が危険なわけではないのと同じである

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日記」カテゴリの記事

コメント

 犬だと言葉でやり取りできないから、こんなとき大変なんだろうな・・・と、言葉でコミュニケーションがとれるということはありがたいということ、そして、話ができる関係があればこそ、いろいろ話もできるんだから、関係がいいことはとてもありがたいことなんだな~と再認識しました。

 先日以来(というか、ほぼ今日ですが)私が子供たちといいコミュニケーションの仕方を心がけようとすることで、子供たちはもしかするといいコミュニケーションの仕方を知り、それを学び、今度は子供たちが人との関係の中でそれを使うようになるかもしれないんだ~!ということを発見しました。(当たり前かもですが、何故か、今まですっかりそんなことはどこかに埋もれていたようです)そうなるかどうかは、わからないけれどそうなったらいいな~とおもいます。

投稿: mari | 2008年10月 8日 (水) 13時27分

 例えば、ありがとう、と生活の中でいってみます。すると、大人はいつまで経っても抵抗を感じながらぎこちなくありがとうといっているのに、子どもは適切な場面でやすやすと心を込めてでも下心なしにありがとうといってくれるようになります。大人から悪影響も確実に受けますけどね。

投稿: 岸見一郎 | 2008年10月 8日 (水) 19時38分

 血の凝固を防ぐ薬というものがあるのですね。薬とは不思議なものですね。

投稿: フィン・カ・ビヒア | 2008年10月 8日 (水) 19時41分

 ワーファリンという薬です。もう飲まなくてもいいくらいだといわれてから既に久しいのですが、朝1錠だけですので、ありがたいことです。この薬を飲んでいるので、納豆を食べられないのが残念です。

投稿: 岸見一郎 | 2008年10月 8日 (水) 19時53分

子供が同じようなことをし始めたこと考えてみたらいくつか気づきました。私は長い間「ありがとう」といってほしくて「まだいわない」と内心、がっかりしていることが多いのですが、そうではない他のことは改めて考えてみるといつの間にか普通にやっていることがあります。いちいちすごく意識しているわけではないですが、下心とかプレッシャーみたいなのが伝わるのか、意地の張り合いみたいになるのでしょうね。親の悪影響ばかりに気を取られて、いい事も子供は選ぶんだ~ということを忘れていました。それと私は人は「やられて嫌なことはやらない」ということがあっても「うれしかったから自分もやる」という風にするという可能性をすっかり忘れていました。思い出せてよかったです。

投稿: mari | 2008年10月 8日 (水) 20時42分

 私がすればそれでいいのですし、子どもさんが(例えば今の場合は)ありがとうといわれるかは問題ではないのです。

投稿: 岸見一郎 | 2008年10月 8日 (水) 21時49分

自分のしたことが役に立ったのかどうか、必要だったのかどうか、たとえば「ありがとう」とか言われるとわかるから、いってくれるといいのに~と思うのですけれどね~。
とはいえ、嫌な時は反応があるから反応がなければ嫌ではなかった、ということだし、わからないわけでもないのですが。自分の中に自分の善悪とか良し悪しとかの基準をもっていればそれにしたがって動けばいいのでしょうね~。

投稿: mari | 2008年10月 9日 (木) 15時19分

 「ありがとう」と「いってくれるといいのに」と思うのでは、賞賛を求めること(ほめて〜)と同じですよ。「ありがとう」は私がいうことだけが問題でそこで完結し、相手がそういってくれるかどうかは問題にならないのです。

投稿: 岸見一郎 | 2008年10月 9日 (木) 18時48分

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