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2008年10月30日 (木)

貢献感

flower made out of paper by hand?

 どうしてもコーヒーをの中で介護のことを書いたところコメントをたくさんいただいた。ありがとうございます。
 僕は母が病気で倒れる前ではただただ受けてばかりだったが、病床にいて初めて(少しは)自分が役立てていると思えた。母がまだ元気だった頃、僕は母に自分も習ったばかりのドイツ語やフランス語を教えたことがあった。動けなくなってから、母がドイツ語を教えてほしいといいだしたので、アルファベットから勉強し直したことがあったことは、本にも書いたし、講演などでもよく話した。洗濯をしたり、下の世話をすることは慣れない僕には大変で、またもっぱら深夜についていたので若かったとはいえ体力的にはかなりきつかった。しかし、それでも役に立てているという感覚はたしかにあった。
 僕自身も病気になった。その時、まわりの人の世話になった。できることは自分で、と思っても、寝返りをすることすら、看護師さんの手を煩わせなければならなかった。そんな時に他者の援助を受けてもいいのだと思えるためには勇気がいった。しかし、他者の援助が必要な人には、僕が母によって役に立てていると感じられたように、貢献感を持てる機会を他者に提供していると考えていいのではないだろうか、とその時も思ったし、思わなければあせりばかり感じたと思う。後にこのことは本にも書いた(『アドラーに学ぶ—生きる勇気とは何か』pp.80-1)。
 介護の大変さを少しだけ知っているので安易にいえないのは知っているが、介護、看病する側にある人は病者から得えいるものがあることを伝えてほしい。それが病者の生きる勇気になりうると思うからである。

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コメント

私も義母の介護を4年間しました。介護と言えるほど、大した事もしていませんが、3年間は家に通い、1年間はこちらに呼び寄せました。日が経つにつれ、疲労が蓄積し、けれど嫁としての使命感で、病院に連れて行き、汚物の始末をし、夜中の徘徊に付き合い、そういった事をしたら、それでいいと思っていました。けれど、義母が、心を求めてきた時、自分が心からこの人のことを大切に思う気持ちを、忘れていることに気がつきました。その事が苦しくて、苦しくて、どうしようもない気持ちと葛藤していました。、今となっては、多くのことを学んだと思いますが、あの時は、真っ暗なトンネルの中を、手探りでよろよろ歩いているようでした。

投稿: おりひめ | 2008年10月31日 (金) 19時47分

おりひめさん
 渦中にある時というのは見えないですね。人のことを大切に思うというのも言葉としては簡単でも難しいことです。母がまだ意識があった頃は(一月ほどでしたが)あれこれと無理なことをいうので、心穏やかでない時もよくありました。転院してやがて意識がなくなった時には、そんな時のことすら懐かしく、あの時、どうして共に過ごせる時間をもっと大切にしなかったのだろう、と思ったものです。

投稿: 岸見一郎 | 2008年10月31日 (金) 20時08分

 偶然10月中旬から「母に歌う子守唄」「同 その後」を読んだばかりだったので「どうしてもコーヒーを」のことが出ていて驚きました。今年に入って母の糖尿病や腰痛が悪化して短期の入退院のため、私が母の家に泊まりこんでいます。 退院してから母が要介護1の認定になったにもかかわらず老人給食をとることや、母がデイサービスなどを受けることを嫌い一日中家でボーっとしていることにこのまま認知症に移行するこへの恐怖心から、母のことを疎ましく思うこともありました。半年位私は月に数回各半日位しか自分の家に帰っていません。夫とは離婚していて、子ども達も仕事の都合で別の所に暮らしているので日々のことでは困ることはないのですが、入通院のたびに仕事を抜けることのわずらわしさや子ども達とメールや手紙のやり取りをするゆったりした気持ちになれないことを日記に書いたり誰かに伝える余裕も無いこと、私がいることが当たり前になってしまっている母と一緒食事をすることさえ時々無性に苦しくなるのです。差し迫って大変な状況ではないので「ちょっと、家を片付けてくる」と言って出かけてくるのですが、私はコーヒーではなく、漫画喫茶でこうして気になるブログを長時間見ています。怒りを飲酒やギャンブルにすり替えるのではではなく自分の気持ちの目的ををみつめているんだと言い聞かせていますが、ある意味のすり替えかもしれません。「年寄りなんだから今更今までと違うことをすることは必要ない」とうそぶく母に「そうやって自分を大切にしないことはとりもなおさず私という他人を大切にしないことなのだ」と叫びたくなる自分に落合恵子のように母親のことを大切に思う気持ちの欠落を補わなくてはと図書館で借りてきました。彼女のような気持ちには到底なれませんが、母に怒りをぶつけることには制御が効いています。そのおかげか母も週一回のデイサービスを週二回に増やすことに何とか同意してくれました。
 他人の援助を受けることに勇気がいる、それは母にも言えることだけれど私が母に対して「私もずっと援助を与え続けることに疲れているから、時々別の誰かに援助してもらって」と言葉に出すことに大きな勇気が必要なのだ、母は私の鏡だ。と気づいています。

投稿: ちばちゃん | 2008年11月 2日 (日) 22時41分

 父のことで介護が現実的なものになると思ったとたん、それまで目に止まることがなかった本が不思議なことに現れてきたような気がします。落合さんの本もその一冊で学ぶことが多々ありました。
 怒りをぶつけず、可能であれば、言葉できちんと思いを伝えることはたとえ一時的な感情的なぶつかりがあっても、関係を続けていくためには必要だと思います。本の最後に落合さんが書いてられましたが、「わたしひとりの時空」を持ちたいです。「あなたの「ホッ」が、あなたに介護されている方の「ホッ」に繋がるのですから」(p.214)
 批判する人は自分では何もしないと書いてられたことも印象に残っています。

投稿: 岸見一郎 | 2008年11月 2日 (日) 23時12分

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