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2008年10月の記事

2008年10月31日 (金)

生きぬきたくても

meditative darter ...

 忙しくしていて写真を撮りにも行けてない。昨日の夜、初めて部屋の中にいるのに寒いと感じた。この写真は20日に撮ったが、写真仲間はもう蜻蛉を見かけなくなったという。この日、夏の間蓮が咲いていた池に行くと、たくさんの蜻蛉が蓮の葉や茎に止まってじっとしていた。

 「リハビリをめぐって」の中で診療報酬制度が改定され、リハビリ医療が発症から180日に制限された、社会学者の鶴見和子のことを引いて書いたが、昨夜、鶴見の『遺言 斃れてのち元まる』(藤原書店)を読んだ。この本についてはまた別に書いてみたいと思っているが、その中の「老人リハビリテーションの意味」を読み、胸が痛んだことを書いておきたい。
 鶴見は、1995年に脳出血で倒れ左半身麻痺になった。その後、十年以上、リハビリを続けてきたが、それまで月に二回受けてきたリハビリをまず一回に制限され、その後は打ち切り(自主リハビリテーション)になると宣言された。80歳以上で、大腿骨骨折の手術をした老人は、リハビリテーションをしても回復の見込みはないから、無駄というのが理由である。このエッセイには書かれた日付が記してある。月一回のリハビリテーションが終わるのが2006年6月1日だったが、5月31日に背中に痛みを覚え、起き上がれなくなった。背骨の圧迫骨折だった。
 リハビリテーションによって機能が全面的に回復することは困難である。しかし、リハビリテーションを続けることで現在残っている機能は維持できるが、維持しなければ機能は低下し、やがて寝たきりになる。老人が寝たきりになれば政府が捻出する介護費用は、リハビリテーションを減らして倹約した金額よりもかさむことになる。費用を捻出するつもりが、逆になる。鶴見はいう。
 「戦争が起これば、老人は邪魔者である。だからこれは、費用を倹約することが目的ではなく、老人は早く死ね、というのが主目標なのではないだろうか。老人を寝たきりにして、死期を早めようというのだ。したがってこの大きな目標に向かっては、この政策は合理的だといえる」(p.170)
 老いも若きも天寿をまっとうできる社会が平和な社会である。だから生き抜くことが平和につながる。
 「この老人医療改訂は、老人に対する死刑宣告のようなものだと私は考えている」(p.171)
 このエッセイには書かれた日が記されている。2006年6月15日。6月5日に先に紹介した次の歌を詠んでいる。
 政人(まつりごとびと)いざ事問わん老人(おいびと)われ生きぬく道のありやなしやと
 エッセイを書いた2日後、6月17日に発病。7月31日に亡くなっている。この間のことは内山章子による「姉・鶴見和子の病床日誌」に詳しい(『遺言』所収)。鶴見との往復書簡集の共著(多田富雄、鶴見和子『邂逅』藤原書店)がある多田富雄は「直接の原因は癌であっても、リハビリ制限が死を早めたことは間違いない」といっている。同感である。

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2008年10月30日 (木)

貢献感

flower made out of paper by hand?

 どうしてもコーヒーをの中で介護のことを書いたところコメントをたくさんいただいた。ありがとうございます。
 僕は母が病気で倒れる前ではただただ受けてばかりだったが、病床にいて初めて(少しは)自分が役立てていると思えた。母がまだ元気だった頃、僕は母に自分も習ったばかりのドイツ語やフランス語を教えたことがあった。動けなくなってから、母がドイツ語を教えてほしいといいだしたので、アルファベットから勉強し直したことがあったことは、本にも書いたし、講演などでもよく話した。洗濯をしたり、下の世話をすることは慣れない僕には大変で、またもっぱら深夜についていたので若かったとはいえ体力的にはかなりきつかった。しかし、それでも役に立てているという感覚はたしかにあった。
 僕自身も病気になった。その時、まわりの人の世話になった。できることは自分で、と思っても、寝返りをすることすら、看護師さんの手を煩わせなければならなかった。そんな時に他者の援助を受けてもいいのだと思えるためには勇気がいった。しかし、他者の援助が必要な人には、僕が母によって役に立てていると感じられたように、貢献感を持てる機会を他者に提供していると考えていいのではないだろうか、とその時も思ったし、思わなければあせりばかり感じたと思う。後にこのことは本にも書いた(『アドラーに学ぶ—生きる勇気とは何か』pp.80-1)。
 介護の大変さを少しだけ知っているので安易にいえないのは知っているが、介護、看病する側にある人は病者から得えいるものがあることを伝えてほしい。それが病者の生きる勇気になりうると思うからである。

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一番大事なのは…

 今日は近大姫路大学で生命倫理の講義。これで5回終了。全15回なのでこれで3分の1を終えたことになる。話したいことがあるので、もう後10回しか残ってない、と僕は思うが、学生の方はどう思っているかはわからない。
 鶴見和子が次のような歌を歌っている。
ナースコールひたすら押して救い待つ我が室内(へやぬち)に我遭難す
 亡くなる少し前、鶴見はいった。
 「一番大事なのは……ナースコールです」
 鶴見俊輔はいった。
 「そうだよナ。一番頼りになるのは看護師さんだよナ」
(鶴見和子『遺言』藤原書店、p.32)
 帰りに買った本の中にこんな言葉を見つけた。今度の講義で紹介したいと思った。
 咳が止まらなかったのだが、今夜はぼんやりしていたらよくなったようだ。

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2008年10月29日 (水)

また来年

stay cool ...

 今日はこれから近大姫路大学へ。
 写真はおそらく今年最後の浅葱斑。また来年も会えますように。
 父が帰ってきたら、父と毎日散歩しよう。

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2008年10月28日 (火)

どうしてもコーヒーを

go on blooming ...

 夜遅くまで講義の準備をしていた。

 森有正がある本を引いて、大切なことは、デカルトのように生きることであって、デカルトを論じ理解することではないという一文に心打たれたと書いている(『砂漠に向かって』全集2、p.430)
 今日はずっとこの言葉が頭に残っていた。僕の場合は、デカルトではなく、プラトンやアドラーの名前が代わりに入るわけだが。
 今年も増刷になった『アドラー心理学入門』のあとがきにアドラーの友人だった作家のフィリス・ボトムの言葉を引いて、アドラーが、自分が創始した心理学は理論であるばかりでなく「心の態度」である、といっていたことを伝えていることを書いた時に念頭にあった理論と実践の問題は今も考え続けている。ここでアドラーが「理論であるばかりではなく」といっていることは注意したい。理論では<ない>とはいっていない。日常的な意識のあり方と抽象的な思考をする意識のあり方は、両立不可能なところがあるとある哲学者はいっているが、哲学や心理学(少なくともアドラー心理学)は抽象的な思考をしていては学べない。現実の諸条件をすべて考慮に入れなければならないからである。一般的な人について考えても意味はないだろう。高校生の頃、夕食は何にしようと思ったとたん物理の公式が雲散霧消するといっていた先生があったが、生きることの基盤から離れた思考は意味がないだろう、と考えている。昔、野田俊作先生に井戸端会議ができる哲学者になれ、といわれたことをよく覚えている。たしかにソクラテスは井戸端会議ができる哲学者だった。

 母の介護を十年続けた絵本作家の言葉を落合恵子が引いているのが目に止まった(『母に歌う子守歌』朝日文庫、pp.76-7)。
 「あの夜、わたしは駅前の喫茶店でコーヒーを飲んだの」
 母親は待っている。でも、このまま帰りたくない、と思った。
 「でも、あの夜のわたしはどうしてもコーヒーを一杯ゆっくり飲んでから、帰りたかったの。どうしてもどうしてもそうしたかったの。あのまま家に直行するのはいやだったの。……まだ帰りたくないという、わたしの気持ちが通じたのかしら、娘をこんなにも疲れさせてはいけないと思ったのかしら、母は翌朝早くに亡くなった…」
 落合はこう語る彼女に「そんなにご自分を責めないで」としかいえなかったという。
 母が脳梗塞で入院していた時、週日は家に帰られず、病院で泊まっていた。夕方から深夜までは父や妹らが代わってくれるのでその間、病院の中にあった重症患者の家族用の部屋で寝た。まだ若かったが、次第に力がなくなってくるのは日に日にわかった。ある日、こんなことが後一週間続いたら僕の身が持たないと思った。その矢先母は死んだ。そのことで後々まで自分を責めることになった。
 もしも僕がその時の自分に声をかけられるとしたら、落合と同じようにいっただろう。

 バイパス手術退院後の日々を登録しました。

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2008年10月27日 (月)

上から目線

I can feel a change is coming ...

 前の写真の4分後。
 水曜日は講義なのでいつも月曜日からノートを準備し始める。その前からも話すことは断片的に用意しているのだが。今回の仕事は6月に講師依頼があって即答したのだが、ちょっとしたことで人生は大きく変わる。
 特定健康診査(いわゆるメタボ検診)を10月末までに受けることになっていてまだ行けてなかったが、市役所の担当の課に電話してみた。心筋梗塞のことを話し検診の必要がないことを伝えた。定期的に診察を受けているからである。送られてきたパンフレットには受けないと保険料の引き上げに繋がるというようにとれる文面があったが、受診しないからといって個人的にペナルティが課せられるわけではないことを確認した。もちろん、これは僕のケースのことなので、この検診によって心筋梗塞などのリスクが防げることができるのならばそれは望ましい。今となっては病気前になぜ手を打てなかったのかと思うが、所属する組織がなかったので健康診断を受けなかったのがいけなかった。入院の数日前に受診した内科では異常を訴えたが、心筋梗塞の可能性などまったく指摘されなかったのだが。
 大阪府の橋下知事は「口でいって聞かないと手を出さないとしようがない」というが、いい方に問題があるか(橋下氏のような、若い人がいう「上から目線」での話し方や感情的な話し方など)、あるいは、かつ、口でいっても親のいうことを聞けない関係があるので、この上、手を出すとそのことがどんな結果をもたらすかということをこの人はご存じないのだろう。叱ることは即効性があると見る人もあるだろうが、そのことに伴ういわば副作用があまりに大きい。アドラーが1930年代にいったことが、いまだに新しく聞こえるのは残念なことだ。

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一日の労苦は

each day has troubles enough of its own ...

 昼間に起こったすべてことは川へと流れ込む。われわれの苦しみも。
とこの写真の説明として書いたところ、次のように続けてくれた人があった。
 そしてわれわれは平和に眠りにつき、力を回復し、また新しいすばらしい日を迎えるのだ。
 父が帰ってくる家、そこは僕が生まれ育った家でもあるのだが、その家の近くで撮った。子どもの頃からよく父と一緒にこの川で釣りをした。日がとっぷり暮れて、何も見えなくなるまで。

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2008年10月26日 (日)

変化もよし

imitating the beauty itself ...

 一週間後に引っ越しを控えた父は寒い、寒いと繰り返しいう。新しい家はもっと寒い。これからの季節が春ならいいのだが。
 高齢で危険なので車の運転を断念することを勧める。父の車を引き取ることにした。何年ぶりかで車を運転してみた。当然のことながら、前に進むのは簡単だが、後ろに進むのは難しい。車に乗ったとたん、僕の身体は車の幅まで広がる。しかし、まだ広がったことだけがわかるだけで、どれくらい広がったがまだつかめないわけである。
 昼は家にきてくれるか、といきなりいわれ戸惑う。歩いて10分くらいだが(車に乗ればいいのか)、大学の講義もあるし(週一回だが)毎朝、コンピュータと本を持って「出勤」すればいいのだろう…この家には僕の書庫もあるからある意味で便利になるともいえないわけではないが、長年の間に主な本はマンションに運んでしまった。何事も変化はできたら避けたいが、困ったことばかり起こるはずもなく、いいことも考えたい。

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もうすぐ

I am reluctant to leave you ...

 週末疲れていたのか、鉾の巡行があるのは知っていたし、遠くから太鼓の音なども聞こえていたが、出かけなかった。昨夜はアドラーの訳稿をチェックしながら読んでいたら時間を経つのを忘れてしまい、遅い時間になってしまった。読みながらアドラーが今の世の中に生きていたらどんなことを語っただろうかと思う。
「ある老婦人が市街電車に乗る時に、つるりと足を滑らせ、雪の中に落ちた。彼女は立ち上がることができなかった。多くの人が忙しそうに通り過ぎたが、誰も助けようとはしなかった。ついに、ある人が、彼女のところへ行き、助け上げた。この瞬間、別の、どこかに隠れていた人が飛び出してきて、助けた人に次のようにいって挨拶した。「とうとう、立派な人が現れました。五分間、私はそこに立ち、この婦人を誰かが助けるかどうか待っていたのです。あなたが最初の人です」。ここではっきりと、いかに一種の傲慢や見せかけによって、共同体感覚が誤用されるか、そして誰かが、他の人の裁判官を買って出て賞賛と罰を分け与えるが、自分では指一本触れたりはしないということをはっきりと見ることができる」(『性格論』(仮題)から)
 夕方写真を撮りに出かける。近くのコスモス園の花にはもはや一時の勢いがなかったが、遅れて咲き出した花もあって、しばらくの間何枚か撮った。既に日が傾いていた。もうすぐ帰ってくる父のことを思った。

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2008年10月25日 (土)

秋祭

welcoming invisible god ...

 地元の秋祭。夕方まで降っていた雨も上がり、宵山はたくさんの人出で賑わった。子どもの頃にはよく行っていたが、その後、長らく縁がなかったが、心筋梗塞で倒れた年、病院に行くほかは大抵家にいたので、ふと思い立って鉾の巡行を見に行って以来毎年出かけている。狭い街なので、小学校や中学校の同級生らと顔を合わすこともある。
 祇園祭などとはもとより比ぶべくもないが、昔、勤務していた医院が祇園祭の鉾町にあって、祭りの頃は勤務の帰り(大抵夜遅かったが)歩くこともできないほどの人で驚いたことを思い出す。宵山やその前の日などは閑古鳥が鳴いていたが、そんな日でも、祭りとは知りませんでした、と患者さんがこられたことも今は懐かしい。

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2008年10月24日 (金)

かみあわない

 この頃は毎日夕食時娘と二人だがテレビのニュースを聞きながらよく議論をする。人間として許せない、というのが口癖で、正義感が強いことに驚く。大阪府の橋下知事が私学助成28億円削減プランを打ち出したことで高校生と議論している様子が報道されていた。
 なぜ公立に行かなかったのか、私学はあなたが選んだ、いう知事の言葉に高校生が泣き出しているのを見て嘆息。自己責任だと知事は声高にいうのだが。
 地元の神社の秋祭り。今夜は宵山だということで雨も止んだこともあってたくさんの人出で賑わった。去年も写真を撮りに出かけたが、鉾の巡行の日は体調が悪く寝ていたことを覚えている。
 博士号の学位審査の結果を待っている夢を見る。在野で生きよう、ととうの昔に決心した僕には関係のないことだった、と目が覚めてすぐに気がついた。

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2008年10月23日 (木)

heavenly blue ...

heavenly blue ...

 久しぶりの雨。晴天の秋空のもとに咲いていたソライロアサガオを思い出した。

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ノウハウを集めるのではなく

 講義を終えて控室に戻ると、冷たい雨が降り出していた。夕方までは持つかと思っていたのだが。問題は駅までのスクールバスが3時に出るのだが(それを外すと次はたしか4時半までない)、15分ほどの間に100人以上の学生の出席カードを出席表に記録することができるかだった。これまでは天気がよかったので、15分歩くことは苦ではなく、一度もバスの出る時間に間に合ったことはない。いつも手伝ってくださる先生も今日は会議でこられず、教室を出る前に男子学生が持っていたカードには女子学生の名前が書いてあったのはどうしてなんだろう、悪びれず様子もなかったから出しておいて、といわれたのだろうか、などと思い出しながら、時計をにらんで作業をしていたら、教務の人が後はこちらでしますから、とバスに乗ることを勧めてくださった。ありがたかった。半分くらいしかできてない、といったが三分の一もできてなかったかもしれない。講義は今回予定していた分を終えることができなかった。少し本題から逸れるけれども、説明しないわけにいかないことについて話し始めたら学生が熱心に聞くので、こちらも力が入ってしまった。
 帰宅後、いつものことながらひどく疲れたが、夜遅くまで眠れず、昨夜はついにこの数ヶ月取り組んできた次に出すアドラーの著作の翻訳を最後まで終えることができた。いそいでタイプしているので間違いも直さなければいけないし、ところどころ(どころではないか)難解で暫定的にしか訳せてないところもあるが、これからは毎日まとまったページを読み直せるのはありがたい。翻訳は遅読、熟読の極みだが、時間をかける分、全体の展望を見失うことは否めないからである。しかし、早く読めばわかるというものではない。先行訳は誤訳が散見し(あまりに多く)、そのために論旨が飛躍しているように見える箇所も多々あったが、それを正しアドラーを救うことができたとはいえ、なおすらすら読めない。野田先生が、この本の名前をあげて、知識やノウハウだけを集めようとする人には悪い本でも、自分の中に知恵を創り出そうとする人にはいい本であるといっていることは終始励ましになった。僕の中に知恵が創り出されたかははなはだ疑わしいのだが。

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2008年10月22日 (水)

悠々と

composed life ...

 鴨たちが悠々と生きているように見えた。時間に追われて汲々としているからだろうが。
 今日は近大姫路大学へ出講。様子がわかってきたので、肩の力が少し抜けてきたように思う。7月までの看護専攻科の講義なら近くなのでこの時間に出て講義をして11時には帰れたのだが。

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片隅の暮らし

『鶴見和子を語る―長女の社会学』(鶴見俊輔、金子兜太、佐佐木幸綱 黒田杏子編、藤原書店)

 「鶴見和子を語る」と題する鶴見俊輔、金子兜太、佐佐木幸綱、司会:黒田杏子による座談会がこの本の中心を成す。八十八歳で亡くなった社会学者鶴見和子の生涯、学問についてとりわけ弟にあたる鶴見俊輔から語られる話はどれも興味深く、教わることが多い。
 鶴見俊輔(以下、二人を区別するために名前だけを表記する)は姉、和子の人生を二つに分ける。和子は七十七歳の時、脳出血で倒れたが、その後の人生には「脱帽」だという(それまでの人生には感心しない、とも)。それまでの和子の学問は「だれが一番なのかという考えから出発する」ものだった。そこで今一番優れているとされる論文から切り貼りされ、それが学風になっていた。「それが倒れてから、その学風を使うことができなくなった。自分自身の力で考えるしかなくなった」(p.56)。「社会の片隅にいる自分個人のその実感」(ibid.)が問題になる。俊輔はしかしそれまでの学問を否定したわけではなく、それまでの全仕事を晩年発表した時、どの巻にもあとがきを自分で入れ、そこに自分が入って、今の実感からものをいうことで、「一つ一つのだるまに目を入れるように、別のものになった」(p.57)といっている。
 僕にはここでいわれる病後「片隅の暮らし」がすべての基準になった「価値の転換」ということの意味がよくわかるように思った。片隅の人生こそが、「実人生」(p.63)。最後の十年は一番病から自由になった、と俊輔は評価するのである。
 晩年、和子は再び短歌を詠む。この本には多くの歌がおさめてあって、病者としての自分を「てれずに」詠うどの歌も何度も読まないわけにいかなかった。
 もとより比ぶべくもないが、僕は社会の片隅にいるところまでは同じだが、自分自身の力で考え切れているだろうか、とあらためて思った。和子は痛み止めの薬を飲むのを控え、痛みを恵みといいつつ、痛みを忘れるために、最晩年、「ゆうゆうの里」の一室で著作集を完成させた。その生きるエネルギーに僕も「脱帽」。

関連ファイル:回生

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2008年10月21日 (火)

I miss you ...

I miss you ...

 日曜に浅葱斑が飛んでいるのを一度だけ見かけたのを最後にそれ以来どこにもいない。浅葱斑が好んで蜜を吸う藤袴も盛りを過ぎていた。越冬する蝶もいるが、次第に数は少なくなる。
鶴見和子が南方熊楠の言葉を引いて「「人の交わりにも季節あり」とはけなげなことばである」といっている(『南方熊楠 講談社学術文庫、p.138)。

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2008年10月20日 (月)

回生

I wish you could see the same sunset ...

 昼間は半袖でも過ごせるくらいの陽気でもさすがに夏とは違うので、油断していたらせっかく干した洗濯物が湿ってしまう。
 昨夜も『鶴見和子を語る 長女の社会学』(鶴見俊輔他、藤原書店)も読み継ぐ。ページの両端に晩年詠まれた短歌が載せてあって、鶴見の「健康な病人」」としての日日の思いと覚悟がひしと伝わってくる。しかもただ我が身を詠うにとどまらず、「まつりごと」への怒りが詠われていることに驚く。
政人(まつりびと)いざ事問わん老人(おいびと)われ生きぬく道のありやなしやと
老い先の短きことをこの上なき仕合わせと思う国のありよう
 この本のことは別の機会に書いてみたい。
倒れし日を我が命日と定むれば我が生(あ)れし日は回生二年
 どの歌を読んでも心に響く。今は余生ですから、というと笑われるが、この鶴見の歌の心境である。

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2008年10月19日 (日)

秋の日の

from flower to flower ...

 秋の晴れた日の陽気な雰囲気が好きだ。

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焦燥

I play the leading role today ...

 一つ一つの仕事をやりとげる力はあるのに、仕事(用事)が続くとなかなか疲れがとれない。来月父が帰ってくる。どんな生活が待っているのか、僕の人生をどう変えていくのか想像できない。母が倒れた時、大学に行くのを断念して病院で過ごした。仲間から遅れ、焦燥感も募った。学業をあきらめることができず、ギリシア語のテキストを読んでいたこともあった。いつまで続くかわからない病院を中心とする生活に次第に疲れてしまいすべてを投げ出しそうになったことへの罪悪感が今もどこかに残っている。その頃の感覚がまた蘇ってきて、父を迎えての新しい生活を嬉々として始めようという気持ちが出てこない。
 遅くまで『鶴見和子を語る 長女の社会学』(鶴見俊輔他、藤原書店)を読む。

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2008年10月18日 (土)

主張したい

 病院へ行くと予約であっても長い時間待たなければならないことがある。一番辛かったのは二年前に心筋梗塞で一月入院した後の最初の診察日長く待った時だった。こんなことができるようになるほど回復したから退院できたともいえるが、家にいたら横になっていただろう、と思った。
 ある時、怒って、看護師さんに抗議をしている人を見た。その人が、後どれくらいかかるかとたずねたら、今日は遅れているので1時くらいになりそうだ、という。
 「それがわかっているのならもっと早く教えてほしかった。それなら一度家に帰って食事をすることもできたのに」
と怒りはおさまらない。
 「別の看護師さんにたずねたんだ。そうしたら「順番ですから」といわれた」
 診察が遅れていることには患者は寛容である。そのことで看護師さんを責めようとも思わない。しかし、「順番ですから」は答えになっていないだろう。
 昨日、病院で待っていたら、看護師さんに名前を呼ばれた。「(後)四人目です」。とっくに予約時間を過ぎていたから、がっかりしたが覚悟はできた。

 多田富雄は、入院した時、「喜びというものを、完全に奪われたこの病院での生活にはとても順応できない」と思い、ルール違反を承知で、まず小型の冷蔵庫を買い、次いで、液晶テレビ、ステレオセットなどをそろえ、人間らしく暮らすために最小限必要なものをセットした、と書いている(『寡黙なる巨人』p.75)。
 僕の場合は、本とコンピュータがなければ生きていけない、と思った。生きるか死ぬかという時に、本もコンピュータもあるものか、といわれそうだが、絶対安静時は辛かった。時間まで進むのを止めたように思った。
 無論、最初は本を読むことはできなかったわけだが、心臓リハビリの過程で、いつまでも音楽を聴くことを許されないこと、また、テレビを観たり、雑誌を読むことが許されたのに、(普通の)本を読むことが許されないことは不合理である、と思った。ストレスがいけないということなのだろうが、俗悪なテレビ番組の方がよほど有害ではないか。
 そこで、ある日、とうとう我慢できなくなって、本を読めないことが僕にはストレスである、と看護師さんと交渉したところ、すぐに私の主張を医師に伝えてもらえ、医師は即座に許可をしてくれた。
 このような患者の行為は建設的であると思う。しかし、多くの人はこのようなことを思いつくこともなく、非日常的で特殊な生活を強いられる。うるさい患者だと思われるのもいやだった。
 患者サイドにおいては諦めるしかないと思ってしまいがちだが、諦めてはいけないことが多々あった。それとて、主張できるかというと難しい。ICUにいた時、大きな音で音楽が流れてきた。あの時は少しの音にも過敏で苦痛でならなかった。そこで、看護師にあの音楽は同室の患者さんがかけているものなのか、たずねた。もしそういうことなら我慢してもいいと思った。ところが、そうではないという返事を得たので、目下、音に対して非常に過敏で耐えられないということを訴えたら、ただちに音楽を止めてもらえた。
 ICUの「騒音」がどのようなものか知っている人は多いと思う。絶対安静が必要な患者にとって医療機器の発する音はこの部屋にいることが病気を悪化させるのではないかと思わせるのに十分である。これとて治療に必要だからという理由で患者からは改善を要求してはいけないのだろうか、と入院している時思った。

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2008年10月17日 (金)

πάντα ῥεῖ

πάντα ῥεῖ ...

 今日は病院へ。採血をし、心電図をとる。定期的に見てもらうことはありがたい。今よりよくなることはないのかもしれないが、今のいい状態のことをよく覚えておいて異変にいち早く気づきたい。前は自分の身体に鈍感だった。あるいは、あえて身体の変化に目をつぶろうとしていたともいえる。
 写真のタイトルは万物は流転するというヘラクレイトスの言葉。どんなにしても同じ写真は撮れない。たとえ同じ花を撮るにしても。光が違うことが一番大きいと思うが、それ以外にも風、気温、空気など様々な要因が写真をその時々違ったものにする。そして、何より違うのはこの私だ…そんなことをFlickrの方には書いた。何事も同じままであり続けない。

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新しい時間

2008年10月16日木曜日

a lingering attachiment for cosmos ...

 昨日は余力を残していたはずだったのに、今日は朝起き上がれなかった。その後、遅れを取り戻すべく頑張っている。明日は受診。予約は11時でそれほど早い時間ではないが、採血し心電図を取るので、そのための時間を見ておかなければならない。異常が見つかりませんように。
 しばらく離れていたのにいたのにコスモスのことが気になる。

 この頃、また森有正のエッセイを読み返している。日記の形になっているので急いで読む必要はまったくないが、いつまでも読み続けてしまうことがある。
 「今までは仕事がなかなか纏まらないという焦燥のような気持ちが時々起ったが、今は逆になり、仕事そのものの方が息が続かずに早く纏まるのが不安になってきた」(『城門のかたわらにて』全集2、26)
 仕事は人間が<もの>(原文はこの二文字に傍点)と直接接する場所であり、ものは人間に対する時、限りない奥行きを持つことになる。
 「それは人間の予定や計画が無に帰する場所であり、新しい時間が生まれる所である」
 この時間に没入し、予定や計画が意味を持つ時間を捨てることは勇気を要するという。この森の言葉から照らせば、日記の中にある次の言葉がよく理解できる。
 「ここからしばらくの間、講義とその準備以外は全部これ(注:翻訳)にあてて早くしてしまおう。しかしあわててはいけない。リールケの言ったように先に無限の時間があると考えて、落ち着いていなければいけない。それだけがよい質の仕事を生み出すからである」(『森有正全集』13『日記』、p.31)。
 この無限の時間は「計画でうめつくし怠惰を殺し尽くさなければなら」ない「普通の時間」ではない。おそらくは死によっても終止符を打たれない時間。

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2008年10月16日 (木)

子どもの自信をはぐくむ(2)

(『みんなおおきくなあれ!じゃんぷ』Benesse、2003年3月号)

Q1
 園で鉄棒をやっているのですが、運動が苦手な娘は「怖い」「どうせできない」と思い込んでしまい、練習をいやがっています。もう少し頑張ればできると思うのですが、どんなふうに励ませばいいのでしょうか?

 「できる」「できない」ではなく、挑戦する姿勢を認める

 娘さんが「どうせできない」と勇気を出せないのは、親や園の先生が望んでいる結果を出せないことが怖いからです。親がいくら「もう少し頑張ればできるから」といっても、本人は「もしできなかったら、自分の評価がもっと低くなる」と感じてしまい、挑戦することを回避しているのです。
 「自分が今持っている力の中で、最善を尽くすことができること」こそが本当の強さであり、それが自信につながるのだと思います。
【付記】「もう少し頑張れば」できるという可能性を残しておきたいのです。結果ができるのは怖いですから。もう少し頑張ったらできるのに、というような言葉は私ならかけません。

Q2
 「小学校入学前には書けるようになってほしい」と思い、ひらがなの練習をさせていますが、やる気を出してくれません。励まし方がわからないので、ついついイライラして「何でできないの!」と叱ってしまい、子どもはすっかり自信をなくしてしまいました。

 自発的な「やる気」が生まれるまで待つ
 親が「ひらがなが書けるようになってほしい」と思っていても、子どもは、まだ「書けるようになりたい」と実感していないのではないでしょうか。まだ、やる気になっていないうちから練習をさせられていると、子どもは勉強が嫌いになってしまうかもしれません。親の焦る気持ちもわかりますが、大人だって誰かに無理矢理やらされる課題は苦痛なものです。
 大切なのは、まず子ども自身が「ひらがなが書けるのって楽しそう」「できるようになると便利かも…」と思う自発的な気持ちです。「書けるようになりたい」という意欲が生まれるまで、待ってみてはいかがでしょうか。
【付記】 いや、待てないという人は多いのです。手遅れになるから、と。そうでしょうか。いやがる子どもにあなたのためを思っていっている、とか、今はつらくても後であの時頑張っておいてよかったと思える日がくる、というようなことをいってないでしょうか。これらは本当は、子どものためではなく、親の(子どものではなく、ということです)焦る】焦る気持ちを解消するために、子どもを強制しているように思えてなりません。
 ある指揮者の書いたエッセイを読んだことがあります。その人は高名な指揮者の子どもだったのですが、中学校三年まで音楽にまったく興味を示さず、楽譜も読めなかったのです。ところが、突然、父親のような指揮者になりたいと思って、担任の先生に芸術系の高校に進学するといいました。先生は一笑に付しました。あの学校は小さい時からピアノを弾けないといけないのだ、君は楽譜も読めないではないか、と。しかし、その言葉にめげることなく、彼は父親の援助も受けて、音楽を一から猛勉強をし、その高校に合格し、後に芸術大学の指揮科に入りました。
 何事も遅すぎるということはありません。

子どもの自信をはぐくむ(3)に続く。

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2008年10月15日 (水)

autumn darter 秋茜

autumn darter ...

 しばらく前に撮った秋茜。羽の模様をきれいに写せた。
 今日は近大姫路大学で講義。新幹線での通勤を認められたので、今朝は京都から姫路まで行って、そこから山陽電鉄で大塩まで戻った。今日はいつもと違うことをしようと思った。そうはいっても何か特別なことをしたわけではないが、姫路駅で「これは大塩に行きますか」と車掌さんにたずねた。止まるということだったので、安心して乗っていたら、この車両は大塩では止まらないので、一つ前の車両に移るといい、と教えてもらえた。たずねなかったらドアが開かなくてパニックになったかもしれない。駅を降りると常とは違ってたくさんの人出。大塩天満宮のお祭りのようだった。いい写真が撮れた、と満足した表情の一眼レフを持った人を見かけたが、祭りのことについて何も知識がなかったので撮ることができなかった。
 講義は三回目。今回はパターナリズムの問題を取り上げてみた。これとインフォームド・コンセントを対比して論じてみたが、学生に届いたか自信がない。

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こんな夢

delicate as silk ...

 今年は前期が火曜日、後期が水曜日に出講しているので、一週間がその日を中心にめぐる気がする。10月からの近大姫路大学の講義は遠方ゆえに講義そのものの準備もさることながら体調を整えることに神経を使う。おかげである意味健康的な生活が送れるともいえるのだが。学生の反応はよく、話をすること自体は楽しい。冷たい雨の中を歩くことを止め、一日講義の準備。夜、外に出たら、雲間に月が出ていた。
 心臓手術を扱ったドラマがかかっていて少し見た。僕が受けた手術は厳密にいえば心臓ではなく冠動脈の手術なのだが、心臓を止めるというところは同じで術前の不安な気持ちを思い出すことになった。拍動下での手術の可能性もあったが、執刀医の一人と話していた時に、心臓を止め人工心肺装置を使っての手術になることを知った時、やはりそうなのかという気持ちと同時に不安がどんどん膨らんだ。
 夢の中で亡くなった藤澤先生と長く話す。僕は、人は死んでまた転生する話をプラトンは書いていますが、本当にそんなことがあるのでしょうか、と先生にたずねていた。先生はこの問いににやりと笑って答えられない。そこで目が覚めた。

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2008年10月14日 (火)

before long ...

before long ...

 京都はまだ紅葉には早い。葉がもっと色づけばこの光景はどんなふうになるだろう。

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2008年10月13日 (月)

論文より標本

melted into pink ...

 今日も蝶の写真。羽がきれいに撮れて嬉しい。コスモスのピンクが反射しているのか、透けているのかよくわからない。
 植物園の園長である津軽先生と話をした。植物学の基本的な文献がドイツ語で書かれていて、僕がドイツ語を読めることを喜ばれるのだが、専門書を読めるかはわからない。華やかな植物園ではないが、野草の宝庫として遠方からたずねてくる人は多い。(入園する人の)数ではないのですねという話をしていた。論文を書くよりも、標本を作ることが重要であるという話を伺い、もう長らく休んでしまっているが、臨床の仕事をしないといけない、と思った。

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子どもの自信をはぐくむ(1)

(『みんなおおきくなあれ!じゃんぷ』Benesse、2003年3月号)
【この号の特集が「励ます・勇気づける」はぐくみたい子どもの自信」というものだったので、インタビューに基づいて、この記事をまとめたライター氏はそれを踏まえ、励ますと勇気づけるを同義語として扱っていますが、このあたりは微妙な点なので【】を使って若干の補足をしました。最初に概論があり、後にQ&Aがあります。少しずつ連載します】

はぐくみたい子どもの自信って、どんなものだろう?

 子どもにとって大切な自信って、何だろう?
 人間にとって大切な「自信」とは、自分を過大に評価することではありません。また、他人と自分を比較して優越感を持ったり、注目される存在でいたいために背伸びをしたりすることでもありません。自信とはありのままの自分を認め、自然体で生きることができる「自己肯定感」のことなのです。
【ありのままでいいのか、ということについては微妙な問題があります。『アドラーに学ぶ』の50ページから53ページまでを参照してくださると嬉しいです】
 聞き慣れない言葉ですが「自己肯定感」とは【アドラーはPersönlichkeitという言葉を使うことがあります】、できないことや他の人よりも劣っている部分があっても「自分は自分」と存在を前向きに認め【私は「前向き」という言葉は使いません】、自分を好きでいられる気持ちのことです。この気持ちがあれば、子どもは「今はできなくても、頑張ればできるようになる」と前向きな考え方ができたり、「今回は失敗したけれど、頑張れたからよかった」と、努力した自分を評価することができるようになります。さらに、こういった自己評価ができれば、勉強や運動などの練習にも、積極的に取り組むことができるようになるものです。
 逆に、自信がないと「失敗したらどうしよう」「努力してもどうせ駄目なのでは…」と悪い結果ばかり考えるようになり、チャレンジすることを恐れるようになってしまいます。

 自信をはぐくむために、親が気をつけることって?
 最近は幼児期から他人と比較されたり、結果で評価される機会が多くなったことにより、せっかく芽生えた自信を失い、小学校低学年くらいからやる気をなくしてしまっている子どもが増える傾向にあるようです。親としては気になるところですが、子どもに自信を持たせたいからといって、むやみにほめたりおだてたりしているだけで逆効果になりかねません【私だったら、ここはこうは書きません。「ほめたりおだてたりしては逆効果になります」】。確かに、親が子どもに「〜できるようになってほしい」と願望先行で、子どもの行動をコントロールするために「ほめる」ことはよくあることです。しかし、子どもが親の望む行動をとった時にほめていると、子どもは親にほめられるために行動するようになってしまいます。その結果、いつも他人の評価や顔色を気にしながら行動を選ぶようになり、自分の意志で夢や目標を持つことができなくなってしまう場合があるのです。
 また、子どもが「ほめられる」に慣れてしまうと、「ほめられない」ことを気にするあまり、失敗したりできなかったりした時に劣等感を持ってしまったり、きょうだい間の競争意識を作ってしまうこともあるので、注意したいです。

 実際に親はどんなふうに子どもにかかわればいいの?
 では、子どもの自信をはぐくむためには、親はどのようにかかわればいいのでしょうか。心がけたいのは、子どもを「励まし、勇気づけること」。【最初に書いたような事情で二つが並べられていますが、私は同義語だとは考えていません】「ほめる」ことで子どもを評価するのではなく、目標を達成できたことに対し、子どもと一緒に喜びを共有することが大切なのです。「ほめる」と「励まし、勇気づける」は似ていますが【似ていると思う人が多いでしょうが、ということです】、実はまったく違うものなのです。
 例えば、「○○くんが頑張れたから、私もうれしいな」とか「○○ができるようになって、よかったね」など、親の視線で子どもの成長を喜んでいる気持ちを伝えることが、子どもにとって最高の励ましになります。【親の視線で喜びを伝える…なかなか微妙なところです。親を喜ばすために頑張ったのではない、といわれるかもしれません。下心があると私はうれしいといういい方は非常に操作的な言葉になります】そして、子どもは「僕(私)が、自分で選んで努力したことを、一緒に喜んでくれる人がいる」と感じられることで、困難なことでもそれを克服しようと思う気持ちを持つことができるのです。【要注意】
 もうすぐ小学校。これから、子どもたちは勉強やスポーツなど、新しい課題に次々に挑戦していかなければなりません。嫌いなことや苦手なことにぶつかることもあるでしょう。しかし、どんな場面でも、子どもが自信を持って意欲的に取り組めるように、親はいつも子どもを勇気づける存在でいたいです。
「子どもの自信をはぐくむ」(2)に続く。

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2008年10月12日 (日)

習い事

living composedly ...

 このところ心配事が多く、数日よく眠れた気がせず、起きた時も眠気が残っている。昨日は研究会の準備をぎりぎりにまでしていたので朝出かけられなかったので、今日は天気もよかったので少し遠出した。いつも見るのと違う花、蝶、鳥が眩しい。
 浅葱斑が飛んできた。近くにいた男性と話す。その人は浅葱斑が蜜を吸う様子を見て「あんなふうに生きたいですね」といわれる。悠々と飛ぶ様子のことをさしてなのか、夢中に蜜を吸う様子をさしていわれたのかはわからなかった。藤袴以外の花に止まっているのを初めて見たので、この写真を撮った後見たらその人の姿はなかった。
 写真家のグループを見かける。若い男性が先生らしい。一人の女性が写真を撮った後、大きな声でその人を呼ぶ声があたりに響く。そして、三脚に据えられたカメラのファインダーにある写真をその男性に見せて質問。「先生? これでいい? マイナス?」写真を勉強するという以上、いい、とか悪いとか、ここをこうしたらいいというようなことはあるのだろうが、先生と同じ写真を撮れなくても(蓮の葉の間に鴨が泳いでいたようだ)いいのに、と思った。自分が気に入る写真が撮れたかどうか、(他の人と同じ、あるいは同じような写真ではなく)「私」の写真が撮れたかどうかを僕なら気にかけるのに、と思った。もちろん、写真に限らず、どんな習い事も先生について学ぶことは意味のあることである。最初はどんな構図にするか、どんな設定にするかなど模倣から始めることになるだろう。どうも昔から習い事が好きではなく、独学を好んできて、学ぶチャンスを逸してきた。外国語だけは別だが。

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断想2

 夢の中で、藤澤先生と長く話す。今度、駅から前の家を結ぶ新しい道を先生が歩く。歩道ではなく、車道なので、そこは…といおうとしたが、先生が微笑むのを見て、そうだ、たしかに真ん中を堂々と歩いてはいけない理由はないのだ、と思う。

 プラトンは『パイドン』に次のように書いている。
 「すべての戦争は財貨の獲得のために起こる」(66d)。
 後は大義名分である。

 森有正の言葉を思い出した。
 「灰色の陰鬱な日々に耐えることが出来なくてはならない。というのは、価値ある事が発酵し、結晶するのは、こういう単調な時間を忍耐強く辛抱することを通してなのだから」(1967年3月28日、『砂漠に向かって』全集2,p.317)
 よい作品が書けるのは、熱情や霊感によるのではない、と森は注意する。今が「灰色の陰鬱な日々」だとは思わないが。

 リルケが手紙の中でこんなことをいっている。今は春の嵐の中にあっても必ず夏はくる。
 「しかし、夏はかならずきます。あたかも目の前には永遠があるかの如く、静かにゆったり構えている忍耐強い人のところには」

 森有正が次のようにいう時、このリルケの言葉を念頭においているのかもしれない。
 「…しかしあわててはいけない。リールケの言ったように先に無限の時間があると考えて、落ち着いていなければいけない。それだけがよい質の仕事を生み出すからである」(『森有正全集』十三巻『日記』、p.31)。
 リルケの手紙の中の言葉は、芸術作品は無理にせかしたりしたらだめで、成熟するまで抱懐して生み出すことがすべてだといっている個所にある。

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2008年10月11日 (土)

これも縁

which is your scissor?

 今日はヴァイツゼッカーの研究会。昨日、いろいろと面倒なことがあって、今日は出席は無理かもしれない、と半ば諦めていたが、何とか問題は解決した。
 ヴァイツゼッカーは病気になる(こうむる)のではなく、自分で病気を作る、能動的に病気を作る、と考えている点、アドラーとよく似ているが、そこから先が違う。
 木村敏先生に突然「アドラーはどうですか?」とたずねられ、どぎまぎしてしまった。
 かつてギリシア語を共に読んでいた仲間が30年後にまた共に学んでいることをいつも不思議に思う。こういうのも縁というのだろう。
 写真はオオニガナ(大苦菜)。花(だけ)のマクロ写真を久しぶりに撮った。

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2008年10月10日 (金)

秋行方不明

the missing autumn captured ...

 一度寒くなったのにまた暑い(ですね)日が続くと身体がついていかない。
 それでも秋茜を見ると、この暑さは一時的だろうと思う。遠くに止まったので葉の間から撮ることになった。

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断想1

【potpourriというファイルがハードディスクの中にあるのを見つけました。いつかまとめるつもりで書き散らしたもののようです。続くかどうかわかりませんが「断想」という名前をつけて連載してみます】

 ある日、Essence of Romanceという大貫妙子のコンサートに行く機会がああった。「年下の人にとって人生のカッコイイ先輩」でありたいという大貫妙子は、舞台に登場した瞬間から聴衆の心を捉えた。
 歌を作る時は、自分の中にあるたくさんの引出しや、過去の自分の体験を参照すると語っていた大貫は、「突然の贈りもの」を歌った後、感極まって泣いてしまった。「少し待って。もうすぐ復活するから」という大貫を皆が待った。やがてこんな話をした。
「若い時は相手に期待してしまうけど、やがてそんなことをしなくなって…」

 不満を言わずに解決に向けて努力する。ミルトン・エリクソンがいっている。私の話が聞こえにくいという人に限って後ろのほうにすわる、と。前の方にすわればいい。

 ミルトン・エリクソンがこんなことをいっている。「私は、人は生まれたその日が死に始める日だと、心に留め置くべきだと思っています。少数の人は、死ぬことにそれほど多くの時間を費やさず人生を有効に生きているのに比べて、多くの人は死ぬことを長々とまっています」(『私の声はあなたとともに』)。エリクソンの言葉は必ずしも死に目を向けないで生きることを勧めているわけではないだろう。むしろ、死は誰も避けられぬことであり、そのことを知った上でなお、死が怖れや不安を引き起こすべきではない、人生は生きるためのものであることをいおうとしているのであろう。カウンセリングの帰り際にある人が唐突に「生きるのは苦しいですね」といわれたことがあった。生きることはたしかに苦しい。しかし、それでも、人生を楽しみたい。

 48歳で亡くなった哲学者の三木清が、悲しみを見つめた者には心の落ち着きがある、と書いている(『幼き者の為に』)。

 高校生の頃から大学院に入る頃まで毎日日記ばかり書いていた。膨大なノートが残っている。1976年9月29日付けの日記に福永武彦の小説から言葉を引いている。自己成就予言?
「凡庸な活気のない、半ば眠った生に就くよりは、明日の日に死ぬとも神秘と空想と情熱の中にこそ身を委ねるべきなのだ。夢のない生は死に等しい」(福永武彦『塔』)

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2008年10月 9日 (木)

丁寧に話そう

 前回は最後に、大人と子どもは対等であるということを指摘しました。知識と経験の点では大人と子どもは同じではありませんが、人間としては大人と子どもは対等なのであると感じられれば、子どもを叱ることもほめることもできなくなります。それでは、具体的にどう接し、どんなふうに声をかければいいか考えてみましょう。
 ロリン・マゼールという指揮者が、11歳の時に、トスカニーニに代わってNBC交響楽団の指揮をしたことがありました。彼は既に8歳の時に指揮者としてデビューしていましたが、楽員たちはまったくの子どもが指揮台に立ったことに憤慨し、あからさまに不快感や敵意を表しました。わざと音を外すということもしました。ところが彼はスコア(総譜)を完璧に記憶していましたから、ミスを指摘することができました。やがて、リハーサルが進むにつれ、彼はベテランの演奏家たちとの関係を築き上げ、演奏家たちは敬意を持つに至ったという話が伝えられています。
 子どもが生まれたその日から大人と同じだけ大きければと思うことがあります。子どもは私たちが思っている以上に豊かな才能を持っていますが、マゼールに初めて接した演奏家たちがそうであったように、その力を見極めることができず、見た目で、自分よりも劣った存在だと判断してしまうことがあります。
 そのように見ないで、子どもは大人と対等であると考えて、尊敬の念をもって接すれば、親子関係はずいぶんと違ったものになります。二つの提案をします。一つは、子どもの人格を傷つけるような言葉をいわないということです。例をあげるまでもないでしょう。これくらい大丈夫と思っても、子どもがどう受け止めるかはわかりません。ひどいいい方をしながら、一方で、前回提案したように「ありがとう」と子どもにいってみても、ほこりを舞上げながら空気清浄機を回すようなものです。このようなことをいわないだけで子どもは元気になります。
 次に言葉遣いについてですが、丁寧に話すことをお勧めします。このことは必ずしも子どもに敬語を使うということを意味しませんが、何かを子どもに頼む時にはせめて命令しないで、お願いしましょう。そのためには、「~しなさい」と命令するのではなく、疑問文か、仮定文を使って、「~してくれませんか?」とか「~してくれるとうれしい」といってみましょう。多くの場合、子どもは、その方がはるかに気持ちよくお願いを聞いてくれるでしょう。
 もっとも、そのお願いの内容が、子どもの課題であれば、賢明な子どもであればそのいい方がおかしいことをすぐに理解し、反発するはずです。ここで子どもの課題というのは、結末が最終的に子どもに降りかかるか、あるいは、そのことの最終的な責任を子どもが引き受けなければならないようなことです。例えば、勉強は子どもの課題です。勉強はこのような意味で子どもの課題なのに「勉強してくれませんか?」とか「勉強してくれたらうれしいのだけど」などといえば、たちまちお母(父)さんのために勉強しているのではないという答えが返ってくるでしょう。
 こうして、子どもから学ぶことがあるものだ、と親が思えるようになった時、親子関係は前とは違ったものになっています。
(『ぷろぽ』2008年10月号)

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living earnestly ...

living earnestly ...

 ほんの少しの間写真を撮れなかったのに長い時間が経った気がする。シジミチョウがどれだけ小さいかこの写真ならわかるだろうか。蝶たちのこの姿は印象的で、一生懸命生きているように見え、何度もカメラを向けてきた。そう見えるのは投影しているだけなのだろうが。

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2008年10月 8日 (水)

刺激的な一日

 近大姫路大学で2回目の講義。朝、書いたように今日は迷わず学校に行くことができた。前回も迷ったわけではないのだが、例えば、駅を降りてからどちらに行けばいいのかすぐにはわからなかったし、道を駅でたずねてからもこれでいいのだろうか、と思って歩いたが、今日はそういう不安はなく歩くことができた。僕の足で14分。決して僕には近いとはいえない。平地とはいえ、この暑さは耐えられないものがあった。これから寒くなるとどうなるのか、とも考えてしまった。駅から大学までのバスがあるのだが、僕が駅に降りる時間にはバスは走ってない。
 初めて看護学部の岡谷先生に会う。「学生は〔講義を〕聴きますから」という力強い言葉に心を動かされた。そしてたしかに学生は話を聞いてくれた。かなり細かく講義ノートを用意していったが、気がついたらノートを見ないで講演の時のように話せた。これはもちろん学生の協力がなければできないことである。
 帰り、隣に座った青年に話しかけられる。何を読まれたのですか、と。これは木村敏という精神科医の書いた本です、と神戸あたりからしばらく話し込んだ。彼が読むのにふさわしい本だと思ったので、東京まで帰るという彼にまだ読みかけだったが本を進呈した。

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出講/出血

 今日は近大姫路大学へ出講。前回は大学がどこにあるかもわからず、講義をする学生さんのイメージもつかめず、終始、緊張していたが、今日はもう大丈夫だろう。生命倫理について講義をするのは初めてだが、話したいことはいくらでもある、と昨日、講義の準備をしていて思った。あまり一度に多くのことを話さないように気をつけたい。
 昨夜は夕食を作っている時に、包丁で指を切ってしまった。包丁の切れがあまりよくなかったので危ない、と思った瞬間に包丁が滑り、左手の人差し指を5ミリほど切ってしまった。深い傷ではなかったが、痛みで眠気が飛んだ。血の凝固を防ぐ薬を飲んでいる。薬はたしかに効いていて血はすぐには止まらなかった。こんなことがあったからといって代わって夕食を作る人はなく、止めるわけにはいかなかった。血が止まってからも指をかばっていた。アドラーが挙げている車にはねられた犬の事例を思い出した(『生きる意味を求めて』pp.20-1)。その犬は傷が癒えてからもその場所に近づこうとしなかった。しかし、「場所」が危ないわけではない。気をつけて歩けばいいだけのことである。包丁が危険なわけでもないし、まして料理が危険なわけではないのと同じである

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2008年10月 7日 (火)

新ファイル登録のお知らせ

 長文なので、ウェブページに「アドラー心理学における諸問題(2)理論と思想の接点〜ギリシア哲学の視点から」を載せました。『アドレリアン』誌上に書いたものです。(2)という以上、(3)以下があってしかるべきですが、2001年にこの論文を書いて以来、著作、翻訳の解説などの中で、ここに書いたことをもとに考えを発展させてきたこともあって、このテーマの論文は未完になっています。
 いつも読んで下さってありがたく思っています。

 本稿は、前稿を受けて、ジッハーの個人の目標追及という自己中心的な概念と、共同体感覚という利他的な概念との折り合いをつける試みについて、哲学、とりわけギリシア哲学の見地から考察する。

Some problems concerining Adlerian Psychology(2)-from the viewpoint of Greek philosophy

In this paper the author tried to ascertain if Lydia Sicher's trial of making a compromise between individualistic goal striving and altruistic concepts such as Gemeinschaftsgefühl is successful or not from the viewpoint of Greek philosophy. For this purpose the author, introducing the history how the atomic theory came into being, indicated the points at issue about the understanding of nature by the atomic theory. Based on this consideration it was made clear that in the case of human action declination is caused by our creative power and that science advocated by Alfred Adler must be something completely different from natural science. Adler's science, that is, individual psychology is not reductive, causal, but teleological.

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幸福と不幸を分ける「私自身」(5)

幸福と不幸を分ける「私自身」(5)
岸見一郎
(『MOKU』2004年3月号、MOKU出版)
【インタビューに基づいて構成された記事です】
幸福と不幸を分ける「私自身」(4)の続き

「目的」は「今ここ」で達成していくもの

 神経症の人は、ある「目的」があって神経症になるのだ、とアドラーは考えました。これがアドラーの「目的論」です。例えば、きょうだいの中で一人だけ不安神経症になる時、その子は親の注目を集めたいのだ、とアドラーはいいます。あるいは、何かで挫折した人は、それをする能力がないことを自他共に認めざるを得ないような症状を自分で作り出すというのです。つまり、幸福になれないと思っているから、幸福になれない理由を作り出してしまうわけです。そうなる「目的」は、各人の「創造力」によって作り出されるのであり、そうなる外的事象は「副原因」であっても「真の原因」ではない、と捉えます。
 赤面症の女子中学生がいました。彼女に「赤面症が治ったら何がしたい?」とたずねると「男の人とおつきあいがしたい」といいました。つまり、その中学生は男の人とおつきあいできるかどうか自信がないから赤面症になってしまったわけです。ですから、赤面症を本気で治す気があるかといえば、それは疑わしい。なぜなら、赤面症が治ってしまったら、「赤面症だからおつきあいできない」といういい訳ができなくなってしまうからです。もし赤面症が治っても他の症状が彼女には出てきます。男の人とおつきあいできない理由を自分で探してしまうのです。
 ですから私は彼女に「赤面症がなくなれば明るい人生が待っていると思うかもしれないけれど、それは違うよ。私はあなたの赤面症を治すことはできるけれども、一度治してしまったら、もう二度と赤面症にしてほしいといっても元にはもどせないよ」」といってあきらめてもらいました。そういった後から、彼女には一度も赤面症が現れなくなりました。私は、そうした症状、つまり彼女の「いい訳」には乗っからないようにします。そんなことよりも、彼女は男の人とつきあう自信がないのですから、自信をつけてもらうようにするのです。赤面症を必要としなくなるような「ライフスタイル」を作っていくわけです。拒食症であれ不登校であれ、そういった症状には目を向けないで、その人の「ライフスタイル」にだけ目を向けていくのです。
 ある時、その中学生がいいました。合コンでカラオケに行ったというのです。そして、自分と一緒に行った友だちのところには合コンした男の子から電話がかかってきて「つきあってほしい」といわれたけれど、自分にはかかってこなかった、そういって彼女は大きな声で笑いました。その瞬間にカウンセリングは終わりました。彼女にとっては、男性とおつきあいすることは人生の課題の最優先事項ではなくなってしまったわけです。既成の価値観から抜け出したのです。
 「目的論」のアドラー心理学に対して、その他の心理学の多くは「決定論」を採ります。「過去にこういうことがあったからこうなった」「トラウマ(心的外傷)によってあなたは今こうである」といういい方です。しかし、そういう捉え方をしてしまうと、その原因となったところまでさかのぼってやり直すしかありません。それでは神経症の治療などありえないわけです。しかも、同じような原因があるとみんな同じような症状を表すことになってしまいますが、人間は機械的に反応するわけがありません。確かに、外からの影響を受けることもあるけれど、それをどう受け取ってどう対処するかは人それぞれ違うのです。そこが「過去の出来事に自分の幸不幸は左右されない」とするアドラーの考え方との大きな違いです。
 子どもが中学生で不登校になってしまった時、カウンセラーや精神科医から「三歳までの育て方が間違っていたのです」「小さい頃に抱きしめて育てなかったからです」といわれても、それで元気になって帰っていける人がいるでしょうか。「今ここ」にいる人をどうにかしなければならない時に、過去を持ち出すことは意味がありません。厳しいけれど、これからのあり方を変えていくことでしか救われないのです。
 仮に、ある原因が何かの影響を与えたとしても、それは「決定因」ではありません。人間は「○○だから××なんだ」「□□じゃないから△△なんだ」という論理を展開します。その方が自分にとって都合がいいからです。しかし、本来因果関係のないところにそれを作ってしまうのは、理由づけ、こじつけでしかありません。そういう理由つけ、こじつけをしてしまう自分から離れようとする治療をしていかない限り、いつまで経っても症状から抜けられないのです。
 殺人事件の現場を見てしまった生徒のカウンセリングに当たった精神科医が「きっと、これはトラウマになる」といったけれど、その生徒は、これからの人生で人とうまくやっていけないという思い込みをさせられてしまう不幸が、その一言によって始まるのです。ただ単にいある人との関係がうまくいかなかっただけのことでも、すべてトラウマのせいにされてしまうと、幸福になる道が閉ざされてしまいます。そして、自分をどんどん追い込んでいった後に何があるのか……。本来は、非常に慎重に使わなければいけない「トラウマ」「PTSD(心的外傷後ストレス障害」といった言葉を、阪神大震災以降、日本ではたやすく使いすぎているように感じます。
 アドラーのいうように、その症状を持って達成しようとする「目的」に目を向ければ、より上手にその目的を達成する方法を探すことができます。そうやって、自分が「今ここ」でできる、より善いことをやっていく方が幸福には近道だと思います。
 人間には所属欲求というものがありますから、どこにも受け入れてもらえないことが一番つらい。だから、無視されるくらいなら、せめて叱られてでも注目してほしいと思って問題行動を起こします。それを叱れば、もっと注目されたくて、ますますエスカレートします。ですから、症状に目を向けるのではなくて、適切な行動にこそ注目するべきです。どんなに問題行動を起こしていてもきちんと家に帰ってくるならば「おかえりなさい」といって迎えればいいのです。そういう目的達成の方法を使うべきです。
 私の仕事は、カウンセリングする相手をみるわけですが、その人の病的なところをみるのではなく、健康なところをみていきます。そこが病名をつけなければならないいけない精神科の医師との違いです。人間の心の闇の部分ばかり引き出して「あなたは、こうですよ」といっては、治る人も治らなくなります。明るい部分、健康な部分にその人自身が目を向けていくようにする。それが私のカウンセリングです。
 紀元前五世紀の哲学者プラトンが「お金や名誉やそういうことばかりに気を配って、魂に気遣いをしないで恥ずかしくないのか」といっています。魂に配慮する、魂の世話をするということを英語で言うと「サイコセラピー」つまり心理療法なのです。私は哲学が専門なのですが、今カウンセリングをしているからといって、それほどど遠いことをやっているわけではないと思っています。プラトンやソクラテスも、今日の時代であれば、カウンセラーであっただろうと思います。哲学も心理学も幸福とは何か、どうすれば幸福に至る道を見つけることができるか、そのために人間はどう生きればいいのか、といったことを探る学問ですから。
 私がここにカウンセリングにこられている方と話しているようなことは、かつてソクラテスがアテナイの街の道ばたで、多くの人とやりとりしていたことと同じなのかもしれないと思ったりもします。自分の著書を一冊も残していないソクラテスは、毎日、人と語り合っていたのだろうな、と思います。
 カウンセリングをしながら、自分が何かの役に立っていると思えることは嬉しいことです。これは私にとっての幸福です。
(完)

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2008年10月 6日 (月)

set me free ...

set me free ...

 今日はようやく3時くらいになって外に出た。この光景を見て思わず足を止めてしまった。

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幸福と不幸を分ける「私自身」(4)

幸福と不幸を分ける「私自身」(4)
岸見一郎
(『MOKU』2004年3月号、MOKU出版)
【インタビューに基づいて構成された記事です】
幸福と不幸を分ける「私自身」(3)の続き

普通のことを認めることが出発点

 何か特別なことをしなければ貢献できないと思っている人もいますが、それも違います。ある小学生が勉強ではほめられないと考えて、ひいおばあちゃんの下の世話をするようになりました。小学生が、です。ところが、母親に「彼はすごいですね」といっても「でも、勉強しませんもの」の一言だけ。そういう子どもは、幸福な方向どころか、逆に不幸な方向へ進んでいきます。特別によいことが認められても幸福にはなれないし、特別に悪いことが認められてもよくない。貢献とは普通のことなのですから、普通のことを認めるということが大事なのです。本人にしてみれば、決して普通では満足しないかもしれないけれど、出発点として他人が認めるべきことは「普通でいい」というところからであるべきです。そうすることによって、今の自分を受け入れることができるようになるのですから。つまり、特別なことをした時にだけ「ありがとう」ではなく、存在そのものに「ありがとう」なのです。
 カウンセリングの時に、どうしても他に預ける人がいなかったので小さな子どもを一緒に連れてこられた人がありました。そして、カウンセリングが終わった時に、カウンセリングの間、おとなしく待っていた子どもを「いい子だったね」とほめられました。このほめるという行為は、能力のあるものがそうでないものに対していう言葉です。もし、待っていた人が大人であれば、そんな言葉にならなかったはずです。本来、そこは「ありがとう」となるはずです。そうすれば、子どもは「自分がおとなしく待つことで貢献できた」と思えるのです。「ほめて育てよ」などといいますが、それでは子どもは常にほめられることを願って行動するようになってしまい、注目や感謝されなかった時に「これだけのことをやってあげたのに」と、不満を抱いてしまいます。これこそが賞罰教育の弊害です。
 一方で、こんな例があります。ある小学校の先生が廊下を歩いている時に、ゴミを拾っている子どもを見かけた。「ありがとう」といってよい場面でした。ところが、先生は考えて、その場では何もいわず放課後の学級会でこのことを話しました。
 「今日、先生は、廊下でゴミを拾ってゴミ箱に捨ててくれているあるお友達の姿を見ました。先生は、そこで『ありがとう』と声をかけようかと思いました。でも、誰も見ていないところでゴミを拾ってくれているお友達は、他にもいることに気づきました。だから、誰もいないところでもゴミを拾ってゴミを捨ててくれているみんなに『ありがとう』といいたいと思います。『どうもありがとう』」
 こういわれた子どもたちは、誰も見ていなくてもゴミを拾うことは社会の役に立つことなのだと思えるわけです。そうすれば、誰かにほめられることを目当てに動くようなことはしなくなります。賞罰教育が、大人の目のあるところではいい子になり大人の目のないところで問題を起こしてしまう人間を育ててしまうのです。
 世の中には、賞罰と競争が蔓延しています。アドラーは、「競争原理ではなく協力原理で生きなければならない」といっています。協力を知っている人は必要があれば競争しますが、競争しか知らない人は協力をしないからです。
 アドラーは「優越性の追求」といういい方もしていますが、この「優越」とは決して「競争」ではありません。イメージとしては、平面上を人が歩いているとして、ある人は先の方を急いで歩き、ある人は後ろの方をゆっくり歩いている。同一平面上であるから、人間として価値に上下ではない。これがアドラーの考える「優越」です。しかし、その平面から上にはしごを伸ばして上っていって、自分が他人よりも上に行きたければ狭いはしごの上を行く人を引きずり下ろさなければなりません。これが「競争」です。誰かがプラスで誰かがマイナスという「ゼロ・サム」原理であり、非常に非効率的なことです。
 競争がすべて悪いことではないと思いますが、それを人生の基本に据えてしまうと不幸になってしまいます。しかし、アドラーが意図しているのは、みんなと違っていてもいいということです。オーケストラのようにいろんな楽器があっていい、これが協力原理です。
 競争、競争で生きてきて、そして負けたときに自殺するくらいなら、もっと早く誰かに相談してほしいと思います。もっと弱音を吐くべきでしょう。そういうことをやってはいけないと思わされていること自体が不幸なことです。
幸福と不幸を分ける「私自身」(5)へ続く。

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2008年10月 5日 (日)

幸福と不幸を分ける「私自身」(3)

幸福と不幸を分ける「私自身」(3)
岸見一郎
(『MOKU』2004年3月号、MOKU出版)
【インタビューに基づいて構成された記事です】
幸福と不幸を分ける「私自身」(2)の続き

 私のところへカウンセリングに来られる方の多くに共通しているのは「この人は私に何をしてくれるだろうか」という考えをされていることです。そういう人は、どんなに幸福になれる状況にあっても、幸福が素通りしてしまうものです。他人は、あるいは周りの環境は、その人を幸せにしようと思って存在しているわけではありません。それにもかかわらず、「あの人は私に何もしてくれない」と思うのは自己中心に生きているからです。幸福になるための「原則」があるとすれば、「自分はこの人に何ができるだろうか」と考えることです。”get"ではなく”give"を考えている人は幸福になることができます。では、どうすることが”give”なのか。
 機械と違って自分というものは取り換えることができません。しかも、けっこう癖のあるものです。カウンセリングに来られる方に「自分が好きですか?」とたずねると、ほとんど例外なく「嫌い」といわれますが、自分をどうしたら嫌いにならずに受け入れることができるかがポイントです。自分のよい面を数え上げているだけでは好きにはなれません。
 どういう時に自分を好きになるかというと、自分が誰かの役に立っていると自覚できる時です。与える喜びを知ることで自分を好きになっていくわけです。つまり”give”とは自分が貢献していると思えることであり、「幸福になる」とは、その自分が貢献していると思えることであり、「幸福になる」とは、その自分を好きになることなのです。
 しかし、”give”は、ややもすれば押しつけにもなりがちです。それを防ぐためには「何かできることはありませんか」とたずねることです。人間は、考えれば相手のことをわかると思っていますが、何を考えているか、何を望んでいるか、言葉以外に正しく伝える方法はありません。
 中には、相手から与えられることを待っている人もいて、そこに「思いやり」という概念がからんでくると、いわなくてもわかってくれることが思いやりであり優しさだと考えたりします。しかし、自分と他人は別なのですから、いくら近い関係であってもすべてを測り知ることはできません。「口ではそういったけど、本当はこうだったんだ」といわれても、相手にそれが伝わるはずがなく、それで相手を責めるのは間違っています。それは甘えというものです。望むことははっきりと言葉で伝えなければなりません。何度もいうように、幸福は何もしないで与えられるものではないのです。「何かできることがあればいってね」ということ、「こうしてほしい」ということです。何かに傷つけられた時には、それもきちんと伝えること。そういう自分にならなければ、周りを困らせてしまうだけです。優しい人ほど相手のことを思いやりすぎてつらくなってしまう原因は、こんなところにもあるのです。
 私の友人は、そんな話を私がしていたことを思い出して、自分の子どもが学校から帰ってきた時に落ち込んでいる様子だったので、「何かできることある?」と子どもにたずねました。「どうしたの?」「何があったの?」「話してごらん」といわれる子どもはうるさく感じてしまうと思ったからです。すると、その子はいいました。「ある。放っておいて」と。この場合は、放っておくことが貢献だったのです。
 さらに知っておかなければならないのは、”give”の時に、「これだけやってあげたのに」と見返りを求めてしまうのは間違いだということです。自分の行為は自己完結しなければなりません。そうしないと、せっかくの行為も相手から反発されるだけです。感謝されることを願ってするのは貢献ではありません。
 また、貢献は自己犠牲を強いているわけではありません。自分も満足することが他の人にも貢献することでなければなりません。徹夜仕事もしなければならない。締切も守らなければならない。しかし、自分の書いた記事で多くの読者が喜んでくれる。そういう人のために徹夜をすることは苦にならない。それが貢献ということです。そして、読者の役に立っていると思える自分を好きになることが幸福を感じることでもあるのです。どんなことで役に立っているか、何が自分にとっての幸福かは人それぞれ違うわけです。
「幸福と不幸を分ける「私自身」(4)」に続く。

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あわててはいけない

just began to bloom out ...

 雨が降っているのでどうしたものか、と思いながら、朝から仕事。翻訳と講義の準備を交互に進めている。
 僕が好んで引用する森有正が次のようにいっている。ソルボンヌで講義をし、芥川龍之介のフランス語訳をしていた頃の日記である。森は日記をもっぱらフランス語で書いているが、この日は日本語で書いている。
 「ここからしばらくの間、講義とその準備以外は全部これ(注:翻訳)にあてて早くしてしまおう。しかしあわててはいけない。リールケの言ったように先に無限の時間があると考えて、落ち着いていなければいけない。それだけがよい質の仕事を生み出すからである」(1956年11月15日)
 司馬遼太郎が宮古島の老漁師から聞いたという話を紹介している。
 「若いころはね、浜から急いで舟を出すときにでも、籾の袋をポンと舟にほうりこんで櫂で漕ぎ出したものだ」(『街道をゆく』6、p.72)
 搗いた米ではなく籾であることに司馬は注意している。
 「万一、漂流して無人島に着いた場合、耕作して余命を長らえることを考えてのことだと言えまいか」
 米が実る前に命がつきるのではないかとも思うのだが、「しかしあわててはいけない」と森ならいうだろう。

 写真はミゾソバ。文字通り溝の側に咲くことから名づけられた。蕎の花にも似ているようだ。今年も見ることができたと思う時、一年がめぐったことに喜びを感じる。

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2008年10月 4日 (土)

purple gem in nature ...

purple gem in nature ...

 今日はムラサキシジミを見つけた。地味な色の蝶なので、翅を閉じている時には見つけるのは難しい。カメラを構えて翅を開くのを待った。ようやく翅を開けたところでシャッターを切った。もう少し広げてほしいと思ったが、直後にどこかへと飛び去ってしまい見えなくなった。去年は二度見た。越冬する蝶で、冬でも暖かい日なら翅を広げて日なたぼっこしているのが見られるから、また会えるかもしれない。

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幸福と不幸を分ける「私自身」(2)

幸福と不幸を分ける「私自身」(2)
岸見一郎
(『MOKU』2004年3月号、MOKU出版)
【インタビューに基づいて構成された記事です】
幸福と不幸を分ける「私自身」(1)の続き

既成概念を打ち破り「善く生きるための選択」

 「クリスマスに彼と一緒に過ごす幸せ」というような女性雑誌のタイトルをよく見かけます。しかし、クリスマスに彼と一緒に過ごせるかどうかは自分自身では決められないことです。幸福への鍵を自分ではなく他者が持っているわけです。そうした、相手に依存したものではなく、自分で決めることのできるものを私は「幸福」としてイメージしています。
 ところが、社会には自分では決められないことまで幸福の範疇に含んで、それが叶うかどうかをいっているケースが少なくありません。しかし、それは幸福ではなく「幸運」と呼ぶべきものです。旅先のホテルを予約した。行ってみたら海が見える部屋だった。これは「幸運」。決して幸福になったわけではありません。クリスマスに彼と一緒に過ごせたからといって、その人が幸福になったわけではなく、その日をその人がどう過ごしたかが幸福かどうかの分かれ目になるのです。すべての若い女性が彼と一緒にクリスマスを過ごせば、その人たちは全員幸福なのか。同じような状況にあるからといって、その人たちがすべて幸福になれるかどうかは別です。逆に、例えば、小さい頃に虐待を受けた経験のある人は全員不幸になるかといえば、そんなこともありません。
 幸福になれる状況にあるから幸福になるのでも、不幸になる状況にあるから不幸になるのでもない。また、他人から「あなたは幸福だ」といわれて幸福を感じるものでもなく、「それは不幸だ」といわれて不幸を感じるものでもないということです。
 結婚したい相手の職業がフリーターであれば、親はおそらく反対するでしょう。しかし、それでも自分が幸せになれると思えるのならばいいはずです。厳しい生活を受けいれられればいいのです。そうした厳しさは、自分から幸福を求める時には必ずつきまとうものであるとわかってさえいればいい。
 仮に、親が幸福だと考える結婚を押しつけたとします。すると、子どもは幸福になれなかったと感じた時に親のせいにすることができるので、自分で責任を引き受けなくなります。しかし、誰かがやってくれる、誰かのせいでこうなってしまった、と思った方が楽だから、私たちの社会には、そうした考えが蔓延してしまっているのです。それでは自分の幸福を自分で決めることはできません。そして、「幸福とはこういうもんだ」と誰かに与えられた価値観を自分も追い求めてしまうのです。
 テレビのドラマで、男女が結婚してハッピーエンドになると、「ああ、結婚は幸せなものだ」と思ってしまう。しかし、ドラマが描かなかった「その後」があるのです。ハッピーエンドが、実は、アンハッピー・ビギニングかもしれないわけです。幸福になるとは、そうした責任もすべて引き受ける厳しさを併せもつものなのです。
 即ち、「幸福になる」とは、「ただ生きる」ことではなく、「善く生きる」ことだといえるでしょう。幸運がやってくるのを待って生きるのは「ただ生きる」ことに他なりません。「今ここ」で、自分に与えられた状況でできることをやっ生きていこうとすることが「善く生きる」ことです。
 この「善く」とは、決して道徳的な意味ではなく、どうすれば自分にとってためになるか、ということです。自分にとって本当にためになるためにはどう生きるかを常に考えていくことです。一流大学に行くことが本当に自分のためになるのか。結婚することが本当に自分にとって自分にとってためになることか。大企業に入れば一生安泰という時代ではなくなっていることが象徴するように、「通俗」の幸福ではないものがあることはわかるはずです。三十歳までに結婚しなければならないとか、学校を卒業したら何が何でも就職しなければならないとか、子どもがいないと幸福になれないといった、「こうしなければならない」という既成概念を打ち破って、自分がどう生きるかを決めていかなければ、いつまでたっても幸福になれません。結婚という形を所有したから幸福になれるというのではなく、結婚という手段を使って、自分が家庭にいることによって幸福になるようにしていくしかないのです。
 人間はそうやって日々努力して自分が成長していくことによって幸福になるものなのです。どうなるかはわからないけれども努力して生きていこうという考え方は「何とかなる」と思って何もしない楽天主義でも、ポジティブ・シンキングでもなく、強いて言葉を選ぶなら楽観主義です。
 アウシュビッツの収容所では、こんな話が広まっていたそうです。二匹の蛙がミルク壺の上で遊んでいた。ところが二匹とも壺の中に落ちてしまった。一匹の悲観主義の蛙は、どうせ助からないと思って何もしないで、そのまま溺れてしまった。もう一匹の蛙は、どうなるかわからないけれど、とにかく自分にできることをやろうと思って足を動かしてみたり必死でもがいていた。そうしたら、いつの間にかミルクがチーズになっていた。蛙は溺れずにすんだという話しです。
 収容所からガス室に送られる前に精神的にまいって死んでしまった人も少なくありません。そういうところでも「今ここ」で自分ができることをやろうと思った人は、ガス室に送られない限り生き延びているのです。
 そういった自分で何とかしなければならない厳しさはあるけれど、どんなに極限状況に陥っても自分自身で幸福になることができるということです。要するに、何ものも支配しないけれど、何ものにも支配されない、責任もつきまとうけれども自由である、それが大事だと思うのです。既成概念を打ち破って生きていくためには、自分自身で引き受けなければならない責任も伴ってくるわけで、幸福と自由と責任はセットになっていると思っておく必要があります。
 「人生はずっと続く」という既成概念もなかなか破ることのできないものです。先日、同窓会の案内が来ました。そこには「人生の折り返し点を過ぎて……」と書いてありました。この案内状を書いた人は、誰の人生も七五年か八〇年かあると思って、その半分を過ぎてしまったと思っているわけです。しかし、本当は明日があるかどうかさえ誰にもわからない。大切なのは、「今この瞬間」に強い光を当てることです。ステージに立ってスポットライトを浴びると、客席も見えなくなりますが、そういう強い光を現在の自分に当てて、「明日はないもの」と思えるくらいの生き方を選んでいくしかないだろうと思います。そうやって、今日一日を生き切る。そうやって、「今ここ」の幸福を見つけていけば、それが一つの人生になっていくのです。
 今自分の人生がどこにあるのか、折り返し点を過ぎたくらいか、そうやって生きていくのは「終点」に達することを目的とした生き方です。しかも、効率よく終点を目指そうとしているようなものです。しかし、「善く生きる」ということはそういうことではありません。今日一日を生き切らず不完全燃焼しているから「道半ば」だと思ってしまうのです。
 人間にとって、「今」あるのは過去でも未来でもなく「今ここ」だけです。だから、人生は長さではなく生き方の質の問題です。深刻に生きる必要はありません。ただ、精一杯生きることです。
「幸福と不幸を分ける「私自身」(3)」に続く)

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2008年10月 3日 (金)

いつまでも

butterflies' paradise ...

 出講する日は週に一日なのに、遠方なので一大イベントになってしまって、他の日に(本務校はないが)本業に向けるエネルギーと時間が足りないように思えてならない。通勤の時間もいらないので(日によって違うが)大体六時半から七時くらいまでに起き出して朝食を取った後、すぐにキーボードを叩き始めているのだから時間が足りないはずはないのだが。この頃はエネルギーに満ちあふれていて、すぐに仕事に没頭してしまうと、散歩に出るのが億劫になる。リハビリの一環なのでパスすることはできないのに。夏は早く出かけないと暑くてたまらなかったから、すぐに散歩したのだが、今は急ぐことはないと思ってしまう。この頃は二時間か、三時間、アドラーの翻訳をした後、出かけている。これくらい時間をかけると少しまとまった量を訳せるので、アドラーのいっていることを考えながら歩く。前は昼からもう耐えられなくなって、近所の喫茶店に行ったり(もちろん、仕事を持ち込んで)、京都市内の書店まで行ったりしたものだが、この一月は驚くほど勤勉で、夕方買い物に出かけるまで仕事をしている。
 今朝はモンシロチョウを撮ることができた。藤袴に集まる蝶たちもやがて見ることはなくなるのだろう。

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幸福と不幸を分ける「私自身」(1)

幸福と不幸を分ける「私自身」(1)
岸見一郎
(MOKU、2004年3月号、MOKU出版)
【インタビューに基づいて構成された記事です】

幸福も不幸も自分の主観が決めている

 「幸福とは何か」それを語ることは非常に難しいことです。それでも、「どちらへ向かっていけば幸福になれそうだ」という方向性を示すことはできます。多くの人は幸福を目指しながら、現実にはそれとは逆の方向へ進んでいるように見えます。
 幸福というのは、ある特定の「場所」のことではありません。どこかに身を置けば幸せになれるという居場所はどこにもないのです。強いていうなら「今ここ」です。今自分がいるこの場所でしか幸福になれません。
 「今ここ」だからといって、じっとしていて幸福になれるというものでもありません。「癒し系」などという言葉が流行り、自分では何もしなくても癒されるという錯覚に陥りがちですが、幸福になるためには、比喩的にいうならば、「歩き出さ」なければなりません。といっても、どこかへ行くのではなく、「今ここ」で、「自分が変わっていく」ということです。他人が変わることでも社会のシステムを変えることでもなく、自分の心のあり方が変わること、それが幸福になるためには必要なのです。
 「病気でない」が必ずしも「健康である」と同じでないように、「不幸ではない」ことが「幸福である」ことではありません。もしも、変わることで自分は「幸福である」状態になれるのではないだろうかと考えている人がいれば、そこに私はカウンセラーとしてかかわることができます。今、自分がいるところの先に「何か」があると思えれば、その人は歩き始めることができます。その手伝いをするのが私の役目です。
 人は誰でも幸福になりたいと願っていながら、なかなか幸福になれないのは、幸福になるための手段の選択を誤っていることが多いからです。一流大学を出ればいい人生が送れると思っていた、けれどもそうではなかった。お金持ちと結婚すれば幸せになれると思っていた、けれどもそうではなかった。それは、手段の選択を誤ったからです。幸福になるための手段は人それぞれ違うのです。
 また、幸福のイメージを持つための技術を知らないために幸福になれない場合も少なくありません。育児に関しては決して「悪い母親」がいるのではなく、「母親と子ども」という対人関係を築く技術を知らないだけです。
 「現実」をどう捉えるかということ一つとっても間違いを起こしがちで、そのために幸福を達成する手段の選択を誤ることがあります。
 井戸水の温度は年間を通じておよそ一八度と変化がありません。夏に触れるとひんやりとしていて、冬には暖かく感じます。これをどう捉えるか。客観的な一八度いう温度が現実なのだと考えがちですが、自分自身が感じる「夏は冷たく、冬は暖かい」こそが現実なのです。十年前の五百円と現在の五百円、どちらも五百円であることに変わりはありませんが、十年前の方が五百円の高かった。これが現実です。私より背の低い人から見れば、私は「大きい人」であり、私より背の高い人から見れば私は「小さい人」になる。つまり、客観的にどうあるかよりも主観的にどうなのかが「自分にとっての」現実であるということです。
 同じように、幸福に関しても人それぞれ、どう意味づけるかにかかわってきます。環境や状況の違いにはかかわらない「客観的な幸福」、誰にでも共通する幸福の指標、そのようなものはありえないのです。「こうすれば幸福になれる」といわれているようなこと、例えば、よい大学に入る、大きな会社に就職する、結婚する、子どもができる、そういったことを追い求めながら決して幸福ではないことは幸福で花子とは多くのところで見られることです。口では「幸せになりたい」といいながら、そうならない方向に多くの人が向かっているのではないかと私がいうのは、そういう理由からです。
 アルフレッド・アドラーは「ライフスタイル」という言葉を使っていますが、多くの人は、社会や人生や自分についての意味づけである「ライフスタイル」を早くから決めてしまっていて、それが不自由であるにもかかわらず、今の自分のあり方とは違う「ライフスタイル」を選ぶことには躊躇してしまい、何とかしなければと思いながら、その「ライフスタイル」から抜けられないでいるのだといっています。不幸に帰結するような「ライフスタイル」に終始してしまっているというのです。なぜ躊躇するのかというと、突然幸福になってしまうと、それまで必要のなかったかかわりや責任といった、様々なことが発生してくるからです。案外、人間は不幸でいたいのかもかもしれません。
 そんなことを考えると、幸福も不幸も、自分が決めるものだということができますし、人生が複雑なのではなく、自分が人生を複雑にしているともいえるのです。そして、その複雑に絡まった糸をほぐすのが私の仕事なのですが、意外と簡単なことでほぐれていくものでもあります。
「幸福と不幸を分ける「私自身」(2)」に続く)

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2008年10月 2日 (木)

absolutely fascinated by you ...

I am absolutely fascinated by you ...

 今日は朝雑誌原稿の校正を終えた後、カメラを持って出かけた。浅葱斑に会える場所に行くと、先にきている人たちがあった。挨拶をしている時に、浅葱斑が飛んできた。僕が名前をいうまでもなく、その中の一人が「浅葱斑!」といわれた。僕とは違って、この蝶のことも藤袴のこともはるかによくご存じなので驚いた。

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対人関係の課題を解決する7つの手法

特集「嫌な仕事とやる気」の心理学
(PRESIDENT2003.10.13号所収、肩書きは当時のもの、直接執筆したものではなく、編集者とのインタビューが構成された。常の文体と違って「きつい」と記事を読んだ人から指摘された)


対人関係の課題を解決する7つの手法
「アドラー心理学」
つらい職場を楽しくする法

日本アドラー心理学会理事
岸見一郎=文
text by Ichiro Kishimi


 いま、企業の研修やカウンセリングの現場などでも、「アドラー心理学」が注目を集めているという。
 アドラー心理学とは、オーストリアの精神科医であるアルフレッド・アドラー(一八七〇〜一九三七)が創始し、その後継者たちが発展させた心理学の理論と治療技法の体系である。同時代に生きたフロイトやユングが心の深層に関心を持ったのに対して、アドラーは人と人との関係に関心を持ち、対人関係についての多くの研究成果を残している。
 では、どのようにすれば、職場での人間関係を円滑に進めることができるのか、また楽しく仕事に取り組むことができるのか。ここでは、事例に即して、対人関係の課題を克服するための手法をみていこう。


手法1 
「居場所」を
見つける

 ある男性が精神科の医院にカウンセラーとして勤務したものの、人手が足りず、受付もすることになった。不本意ではあったが、どうせやるならと患者の名前と症状を暗記し、電話の「もしもし」という声を聞いただけで、「何々さんですね」と言えるまでになった。
 カウンセリングでは一部の患者としか話すことができないが、受付はすべての患者と接する場所だ。患者全員の症状を把握している男性は、院長からも頼りにされ、スタッフの中でも一番の信頼を得るようになった。不満だった受付の仕事にもおもしろさを覚え、病院における自分の居場所も見い出すことができた。
       
 人間が、基本的な欲求としてもっているもののひとつに「居場所」が感じられるという所属感がある。アドラー心理学には「共同体感覚」という用語があるが、これは、自分のことだけでなく、常に他人のことも考えられ、他人は私を支え、自分も他人とのつながりの中で他人に貢献できていると思える感覚のことである。もし、いまの状況に不満を感じているのであれば、まずは共同体の中で、居場所を探す努力をしてみてはどうだろう。社員に適正な居場所を与えることは、本来は会社の仕事もある。だが、居場所がないと感じるのであれば、自分で居場所を探しだすしかない。
 また、この男性のケースのように、この仕事は自分にしかできない、ほかの誰にも取って代わることができないと思えるように全力投球をすれば、不本意な仕事に思えても、喜びを感じることができる。このときに、仕事の質は関係ない。「受付なんて」と腐っているようでは、その人は伸びていかない。
 

手法2
症状には
「目的」がある
ことに気づく

 一〇年ほど勤めているビジネスマンが、うつ傾向になった。突然、朝起きることができなくなったという。当然、会社へ行くこともできない。ひとりでは外出もできず、カウンセリングへ通うのに、妻が車で送り迎えをしていた。まだ若い人だが、かなりの貯金があり、その額からしても、真面目に勤務してきたことが伺える。もうすぐ子供も生まれるという。
       
 うつ傾向になったこのビジネスマンの「症状」には、二つの「目的」がある。ひとつは、会社へ行かなくてすむということ、もうひとつは、妻の関心をひくことができるということである。
 このように、人がある症状を呈したり、ある行動をとるときには、「原因」ではなく、「目的」を見ていくのが、アドラー心理学の特徴である。たとえば「腹が立ったから怒鳴った」(=原因論)のではなく、実は「怒鳴るために腹を立てた」(=目的論)のである。
 ところが、私たちは、大きな事件が起こると、それがトラウマ(心の傷)になって問題が起こると考えがちである。しかし、同じようなつらい経験をしたからといって、その経験をした人すべてに、将来、問題が起きるわけではない。
 実は、症状の原因を探すことにはあまり意味がない。風邪をひいたとき、内科の医者に風邪をひいた原因を見つけてもらっても、風邪が治るわけではないからである。また、子どもの頃に今の問題の原因があるといわれても、過去に戻って治療できるわけではない。
 厳しい言い方になるが、事例のビジネスマンの場合は、会社へ「行けない=cannot」ではなく、「行きたくない=will not」だけである。まずは、会社へいけない「言い訳」に病気を使っていることに気づくことが第一歩である。

手法3
本当の「課題」に
取り組む

 同期入社の二人のビジネスマンがいた。ひとりは明るく社交的なタイプで、ガールフレンドも多い。もうひとりは、どちらかというとおとなしいタイプで、親しい同僚も少なかった。おとなしい彼のほうは早い段階で、もうひとりのような華やかな路線を歩くことを諦めていたが、仕事ぶりを直属の上司に評価されていることが心の拠り所だった。
 三年ほどして、人事異動が行われた。おとなしい彼が、花形部署へ抜擢されたのである。ところが抜擢後、仕事ぶりが振るわず、不安神経症になった。
 ある症状を訴えてくる患者に質問をする方法には、ふたつのやり方がある。ひとつは「その症状が出てからできなくなったことはありますか?」、もうひとつは「その症状が治ったら何がしたいですか?」というものだ。
 さて、これらの質問に、相手はどのように答えるか。その答えから、回避しようとしている「人生の課題」がわかる。人生の課題というと壮大なもののように聞こえるが、いま直面していて、解決しなければ前に進めない問題ということである。
 このビジネスマンは、「治ったら何がしたいか?」と問われて、「同僚とうまくやっていきたい」と答えた。最初の部署にいるときには、同僚との対人関係はいまひとつでも、仕事ぶりを上司から評価されていることで自分はそれでよいと思えていた。だが、仕事のできる社員ばかりが集まる部署に異動になったために、相対的に彼の仕事ぶりに対する評価が落ちてしまい、心の拠り所を失ってしまったのである。
 さらに聞けば、「不安になるので、同僚と飲みにいけない」という。だが、同僚と飲みにいけないというのは、本当だろうか。飲みにいけない理由を症状のせいしていられる間は、幸せである。もしかしたら、問題は彼の暗い雰囲気にあるのかもしれない。
 おわかりのように、彼にとって症状」は、同僚と飲みにいけない「言い訳」に過ぎない。彼にとっての本当の「課題」は、症状を取り除くことでなく、いかに同僚とのコミュニケーションをよくするかである。

手法4
周囲に対する
「考え方のクセ」を
変える

 タクシーのドライバーの中には、客が少なかった一日を振り返り、「今日はツイてなかった」とぼやく人がいる。
 しかし、トップクラスの成績を収めるあるドライバーによると、彼らにとって本当の仕事の時間は、お客を乗せている間ではなく、空の状態で走っているときだという。どの時間にどの場所にいけばお客が拾えるかを常に考えているようでなければ、売上は伸ばせないからだ。
 
 アドラー心理学には、「ライフスタイル」という用語がある。これは、一言でいえば「考え方のクセ」のようなもので、「自己概念」(自分の自分に対する見方)、「世界観」(自分の周囲に対する見方)、「自己理想」(自分がなりたい姿)という三つの要素から成り立っている。
 さて、この考え方のクセには、健康なクセと、あまり健康でないクセがあり、
たとえば、タクシードライバーの事例で、客を乗せていない状態、つまり他人から見れば不遇の状況でも、その時期を次に備える準備の期間と考える人は、非常に健康的なライフスタイル=考え方のクセの持ち主だ。逆に、自分は運が悪いと考える人は、売上が伸ばせないことを不遇(=自己概念)や、周囲の環境(=世界観)のせいにしている。つまり、責任逃れをしているに過ぎないのである。

手法5
「夢」を活用する

 仕事一筋でやってきた女性が、三〇代後半になって結婚し、家の中に一匹の小猫が迷い込んでくる夢を見た。彼女は猫が好きだった。だが、「飼いたいけど、今は飼うわけにはいかないのよ」と言うと、小猫は家を出ていった。

 アドラー心理学では、その人のライフスタイル(考え方のクセ)を知るために、寝ているときに見た夢や、早期回想(子どもの頃の思い出)を語ってもらうことがある。たとえば、事例の女性の夢の場合は、彼女は子供が好きなのだが、常に仕事が忙しく、年齢的にも高齢出産になるために、精神的に子供を生む準備が整っていないことを示唆している。
 このとき、アドラー心理学では、夢の中にどんな事柄が現れてきたか(事例の場合は猫)を見るのではなく、夢の中でその人がどのように考え行動しているかを解釈するのが特徴である。単語(事柄)でなく、文法(行動)を読むといえばわかりやすいだろうか。
 また、人は起きているときも寝ているときも、同じライフスタイルで生きており、夢の中で人生のシュミレーションをしていると考えるのも特徴である。たとえば約束の時間に遅れる夢を見るとする。そういう人はたいていは遅刻をしない。なぜなら、実際に遅れたときに、自分はどうするのかまで考えがいっていることが多いからだ。そう考えれば、たとえ試験に失敗したり遅刻したりする夢でも、失敗を未然に防ぐためのシュミレーションとして活用することができるだろう。
 実際、夢の中で、遅刻してでも現場に駆けつけようと努力する人は、現実のライフスタイルでも非常に建設的で前向きなはずである。逆に、ネガティブなライフスタイルをもつ人は、遅刻した夢を見たときに「やっぱりダメだ」とあきらめてしまうことがかもしれない。また、そういう人は、こういう夢を見たから遅刻したと、夢を言い訳に利用しがちである。
 
手法6
「現在」を楽しむ

 ある個人酒店の店主には、夢がある。勤めていた会社をやめて、親の商売の跡を継いだが、いずれは趣味の釣具店を開きたいと思っているのだ。だが、彼の口から出るのは、親の老後を見なくてはならないというグチばかりである。

 まず、この店主のグチには「目的」がある。もうおわかりと思うが、グチをいうのをやめたとき、その人は決断をしなくてはならない。つまり、この店主には、釣具店を開く勇気がないのである。
 ギリシャ神話に、シシュポスという登場人物がいる。シシュポスはゼウスの怒りをかい、山から転がり落ちる岩を永遠に運び続けなくてはならないという永劫の罰を受けた。このように何の意味もない仕事を繰り返しやらされたら、人間はすぐに精神に変調をきたす。つまり、一日の大部分の時間を費やしているのは仕事なのだから、仕事そのものが生きる目的にならなくては、つらいだけだ。
 だが、もし「Are you doing what you really want to do ?(本当にやりたいことをやっていますか?)」と聞かれたときに、「No」と答える人は、趣味に生き甲斐を見出し、仕事は趣味を楽しむための手段と割り切るのも手である。ただし、その際、肝心なのは、趣味を真剣に楽しむことだ。いつも、「there and then(あのとき、そこに)」ではなく、「here and now(いま、ここに)」いたい。
 カウンセリングの現場で、早期回想を語ってもらうとき、自分は運の悪い人生を送っていると感じていた人の早期回想が、同じ体験について話しているにもかかわらず、それまでとは違う楽しい記憶として蘇ってくることがある。考え方のクセが変わったことで、その人の過去の捉え方が変わったからだ。実は、現在を楽しむことで、人は「過去」をも変えることができるのである。 

手法7
人生の
「主役」は誰かを
意識する

 あるビジネスマンは、まだ入社二年目にもかかわらず、仕事が退屈でたまらない。難関の国立大学を卒業し、超優良企業といわれるメーカに就職したが、通勤時に、満員電車の窓に映る自分の顔を眺めていると、「定年までこの生活が続くのか」という気持ちに襲われるという。

 最近、自殺未遂をした大学生に理由を聞いたところ、「これから四〇年も同じ生活を続けるのが嫌だった」という記事を読んだ。二〇歳そこそこで、一生マンネリの状態が続くと考えているのには驚くが、しかし、一流大学を出て一流会社に入れば幸福な人生が待っているというモデルなど、とっくに崩壊している。事例のビジネスマンも、マンネリに陥っているヒマなどないはずだ。実は、マンネリに陥るのは、ぬるま湯に浸かっているだけの現状認識が甘い人間である。
 言い方を変えれば、マンネリ感を覚えのは、厳しい現実を認識する勇気がないために、人生全体にぼんやりとした光しか当てていないともいえる。そのために、遠い先まで見えるような気がして、マンネリを感じるのである。そんなときは、いま現在の自分の姿に、もっと強い光をあててみてはどうだろうか。
 舞台で強烈なスポットライトを浴びている俳優には、ライトが眩しすぎるために、客席が見えない。いまは人生のリハーサルではない。本番なのである。しかも、この舞台の主役はほかならぬ、あなた----。幸福の鍵を握っているのは、あなた自身なのだ。

●きしみ・いちろう 一九五六年、京都生まれ。八七年、京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。専門の哲学に並行して八九年よりアドラー心理学を研究。著書に『アドラー心理学入門』他、アドラー関係の訳書多数。

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アドラー心理学の諸問題(1)

アドラー心理学の諸問題(1)
理論と思想の接点〜リディア・ジッハーの思想を手がかりにして
岸見一郎(京都)

Some problems concerning Adlerian psychology (1)
How the theory and the thought relate to each other - with Lydia
Sicher's contribution as a clue to the question

Though Adler tried to make it clear how the striving for the goal
which could be ego-centric in some cases and the social interest
relate to each other the relation between these two apects of
Adlerian psychology, that is, the theory and the thought is not
necessarily clear. In this paper the author introducing the basic idea
of Lydia Sicher, who is said to have been absolutely loyal to the
teaching of Adler, clarified the possibility that the personal goal
striving could contribute to the whole. In forthcoming papers the author
is to ascertain if Sicher's trial is successful from the view point of
philosophy.

「ジッハーは熱狂的なアドレリアンだった。アドラーより慎重だった。自分自身にも他の人にも非常に厳格だった。100パーセントアドレリアンでないことは何であれ認めようとはしなかった」(Danica
Deutsch) (1)

1. はじめに

 アドラーは第一次世界大戦に軍医として従軍した。兵役期間中の休暇の間、カフェに集まった仲間たちにアドラーは、皆が驚き困惑したことに、突如として共同体感覚を世界が今何よりも必要としているものである、と話し始めた(2)。
 アドラーは昔のアドラーではなかった。この語はドイツ語では倫理的な、ほとんど宗教的な意味を持っていた。アドラーと意見を異にする一人の仲間は後に次のように語っている。
「突然のこの宣教師がいうような共同体感覚という考えに我々はどう対処することができたであろう?
医師という仕事につくものは何よりも科学を優先しなければならない。アドラーは科学者としてこのことを知っていたはずであり、このような宗教的な科学を非専門家の間で広めると主張するのであれば、専門家としての我々が彼を支持できないということを知っているべきだった」(3)
 そして多くの仲間がアドラーのもとを去っていった。
 このエピソードが示すように、アドラー心理学はその全体が科学ではなく、そこには一つの価値判断を含んでおり、科学的というよりは、哲学的、あるいは倫理的といえる部分を理論のうちに内在させている(4)。これら価値の領域である思想の部分を理論とは区別しなければならないが、筆者の長年の関心は理論的な側面と思想的な側面の接点を見極めることにある。
 本稿においては、アドラーとウィーンにおいて活動を共にしたリディア・ジッハー(Lydia Sicher, 1890-1962)(5)の思想を手がかりに、目標追求と価値の問題を考察したい。

2. 問題の所在

 アドラーは1933年に発表した「優越性の追求と共同体感覚の起源について」(6)という論文の中で、優越性の追求には正しい方向と誤った方向がある、と論じている。誤った方向での優越性の追求とはどのようなものか? アドラーは以下のものをあげる(7)。

1)他人を支配すること
2)他人に依存すること
3)人生の課題を解決しようとしないこと

 他人を支配するという意味での優越性の追求は初期のアドラーが、ニーチェに倣って「力への意志」といっていたもの、後の表現では「力の追求」に相当する。
 人生の課題を解決しようとしないのは、失敗しないためである。そもそも最初から課題に挑戦しようとしないこともあり、これではまったく前に進むこともできない (8)。
 このような優越性の追求について共同体感覚 (9)に反した(gegen)優越性の追求という表現がされている( 10)。
 他方、正しい方向の、即ち、共同体感覚を伴った(mit)優越性の追求は、上の(1)〜(3)の反対を考えればいい。

1)他人を支配しない
2)他人に依存しない(自立する)
3)人生の課題を解決する(課題に取り組む)

 ここで注意すべきことは、アンスバッハーが指摘するように(11)、共同体感覚は利己的な目標追求に拮抗することになる第二の動因、利他的な動因として考えられてはならないということである。むしろ、アドラーは共同体感覚を優越性追求に方向性を与えるものとして考えている。そしてそのようなものとして、共同体感覚は規範的な理想である、と考える(12)。
 野田は、アドラーは目標追求という自己中心的な概念と、共同体感覚という利他的な概念の折り合いをつけるために一生悩んだが(13)、その試みに成功していない、という( 14)。

3. 目標追求

 アドラーは人生は目標に向けての動きであり( 15)、「生きることは進化すること」(16)であり、人が追求するべき目標は、永遠の姿の下の(sub
spece aeternitatis)人類全体( 17)の完成に導かれるような方向にあるのでなければならない( 18)、という。
 アドラーが優越性の追求、あるいは、上述の論文において並んで用いられている完全さの追求という言葉を使ったときに、ジッハーも指摘するように(pp.43-3)、「上」「下」がイメージとして喚起されることを否定できない(19)。
 ジッハーは、この進化の動きは、「上」ではなく「前」に向かっての動きである、と考える。『創世記』に出てくるヤコブの階段の話(第28章)を引き合いに出して、天使が最上の段にいてあわれなヤコブは下の方にいるというように考えることはない、という(p.43, 50, passim)。この階段は狭いので二人が同時に同じ段にいることはできない。上の段に登ろうとすれば、そこにいる人を押しのけなければならない。
 そうではないのだ、とジッハーはいう。我々は同じ平面を歩いているのであり、ここには優劣はない。人は皆それぞれの出発点、目標を持って前へ進んでいく。自分で望むように、あるいはできるだけ早く、あるいはゆっくり進んでいくのである。優劣ではなく、ただ先に行く人と後を行く人がいるだけで、しかし、その皆が協力して全体として進化して行くのである。ジッハーも全体としての人が進む道筋を「進化」という言葉を使って表現している。進化をめざして人は「前」へ進むのであって、「上」へ進むわけではないのである。広い道を並んで歩いているので、別に誰が先に行こうと、後を歩こうとかまわない。前を歩む人もいれば、後ろを歩む人もいるが、両者は優劣の関係にあるわけではない(20)。

4. ジッハーの共同体感覚

 アドラーは先に見たように、優越性の追求には正しい方向と、そうでない方向のものがあると考えたが、ジッハーは「前」へ歩むことを基本に据え、それから外れる動きを、逸脱、後退と呼んでいる。「前」へ進むのは、ノーマルな精神的健康の方向である(p.43)。
 たとえ、後退することで他の人から自分を切り離そうとしても、それでも、そこから退却しなければならない何か、即ち、誰か他の人が存在するがゆえに他の人と結びついているのである(p.55)。
 ジッハーは、アリストテレスの「人は社会的な動物である」という言葉を引き合いに出し、人は他の人と結びついており自分の行うことは全体とのかかわりの中にあって、他の人と相互協力関係(interdependence)(21)にある(p.7)。人は世界から切り離しては存在することはできず、どんな形であれ影響を与えないわけにはいかない。たとえてみれば、池に小石を投げ入れると、その時できた波紋はやがて消えてしまって見えなくなっても影響を及ぼしつづける(p.11)。人はこのような意味で「全体の一部」であるから、自分の幸福だけでなく、全体の幸福のことを考えなければならない(p.7)。
 ジッハーは以上の意味で人が全体の中で自分が生きていて、全体に影響を与えていること、相互協力関係にあること、全体の一部であることに気づいていることを共同体感覚、ジッハー自身によればsocial consciousness、あるいは、social awarenessの定義としている(p.6, p.16-7など)(22)。ジッハーはこの意味での共同体感覚が、人がどこへ向かうかという方向性を与える、と考える。
 このような共同体感覚を持った人は、協力し貢献する(p.31, 36,54)。他人に依存することなく、自分の力で課題を解決する(pp.49-51)、と考えられている (23)。
 このうち、協力について、ジッハーは人は生まれつきの協力の感覚を持っている、と考えている(p.16)。もっともこの感覚は発達させなければならないのであるが(p.55)。個人心理学は「人は最初から進んでこの協力の道を歩む、と仮定する」(assume, ibid.)という一方で、次のようにも説明する。
 即ち、ダーウィンのいう競争を前提とした適者生存という考え方は、人生の第一法則である協力に反している(pp.28-9,31-2)、と(24)。実はダーウィン自身も気づいていたように(25)、動物は単独でいるよりも群れでいるほうがはるかに生き延びることができるのである。人は協力的であることも非協力的であることもできるが、協力することは生まれつきの可能性であり、さらに、事実(a matter of fact,
p.36)であり、非協力は本性的にも生物学的にも可能なものではない、とまでジッハーはいっている(p.31)。競争はありふれたことではあるが正常ではなく(usual
but not not normal, p.176)、競争の最たるものである戦争は人間の本性ではない(p.43)。
 そうすると協力的、非協力的のいずれのあり方もとることはできるが、非協力はすべて逸脱であることになり、このように考えることで、ジッハーは目標追求の方向性は恣意的に決められるものではなく、自ずと一つの方向、即ち、進化の方向へと向かわざるを得ない、と考えているのである(26)。

5. 目標追求と共同体感覚

 ところで、人は<進化>するのであるから、本来的ではない進化からの逸脱、後退という動きの他に、「前」への動きであっても、何らかの意味での逸脱がなければ、変化はないことになってしまう。

5-1.協力と適応性

 ジッハーも注意するように、「協力」は誤解されてきた(p.33)。人は人間社会の一員であるから、現にある社会が人が協力しなければならない唯一の社会である、というふうに。このような既存の社会にこそ人は適応しなければならないというふうにいわれるが、アドラー自身もいっているように適応を勧めているのではない。アドラー心理学は決して社会適応の心理学ではない。社会制度が個人のためにあるのであって、その逆ではない。たしかに、個人が救済されるためには、共同体感覚を持たなければならないが、そのことはプロクルステスがしたように、個人をいわば社会というベッドに寝かせることを意味していない、といっている(27)。共同体感覚を考える時に、現にある社会のことが想定されているのではないということについては既に見たとおりである (28)。
 ジッハーはconformityとadaptabilityという言葉を区別する。同じようにする(conform)ことだけが重要であるなら、人間社会は、蟻や蜂の社会と何ら変わりない。蟻や蜂の社会は何も変化しておらず、即ち、進化しないのにたいして、人間の社会は大いに変化してきているのである。アドラーがいっているように、変わりつつある状況に適応する(adapt)ことが重要である(29)。状況の変化に適切に対処できる能力がこそであり、ジッハーはこれを適応性(adaptability)と呼んでいる(p.52)。
 ジッハーによれば、人間は、基本的な欲求を満たすということだけが問題になる存在的面(existential plane)だけでなく、本質的面(essential plane)に生きている(pp.39-40)。「基本的な欲求を満たすこととは別に、人間であると感じ、人間になるために何かそれ以上のものが必要である」(p.40)。ただ生きるのではなく、人生の本質なもののために生きなければならない(30)。
 人間には「創造力」(creative power)(31)があるので、単なる生存のレベルを超えて、人生を価値のあるもの、目的のあるもにする(p.65)。創造力を使って何か新しいものを作りだし、適応し、状況をよりよきものにする。進化はこのようにしてのみ起こるのである(p.53)。

5-2.総合目標と個人目標

 このように、皆が同じことをすることが期待されているわけではないのである。行動の目標は常に個人によって創造される。いかなる状況においても、人は自由意志で主体的に決断するのである。
 先に見たように、人はそれぞれの出発点と目標を持っている。ジッハーは究極的な目標を、総合的目標(overall goal)、各人が自分で決める目標を個人的な、あるいは具体化された目標(personal or concretized goal)と呼ぶ。総合的目標は、力、美、完全、神というようなもので、いずれも理想であるので必ずしも達成されることはない。これにたいして、例えば力を目標にする人はボクサーになりたいと願うかもしれない。その場合、ボクサーになりたいという目標を個人的、あるいは、具体化された目標という(p.113)。
 ジッハーは次のような、ある人との話を紹介している。その人は非常にいいことをした、といった。しかし、突然、話を中断してこういった。
「私がそれをしたのはこの人たちを助けたかったからなのかどうかわからない。おそらく私がそれをしたのはそうすることが私には気分がよかったからであり、自分のことをいい奴だと人から思ってほしかったからだ」
 ジッハーはこれにたいして、この人の考えは間違ってないと思った、といっている(p.17)。
 このような利己的な動機でなされた行為ですら、ジッハーは善しとしている。「聖人」(saint)になることが期待されているわけではないのである(p.7, 9)。何もしないこともしていることである。何も悪いことをしていなければ、起こっていることに責任はないと考えるのは間違いである。ただ、自分が全体の一部であるということを意識すれば、他の人を援助することになるように状況が要求する行動をすることが当然のことになるであろう(p.17)。全体の幸福を念頭において行為するのでなければ、破壊的ではないにしても、あまり建設的なものにはならないだろう。どんな行為のあり方であっても(たとえ、利己的な動機でなされたものであれ)、何らかの形で他者に影響を及ぼさないわけにはいかないだろうが、より建設的な行為のあり方もある、とジッハーは考えているわけである。
 それどころか、「誰もどんなことであれ他の人のために(for)することはない」(p.20)とジッハーはいう。共同体感覚は、しばしば誤解されるように、誰かのために何かをするということとは何も関係がない(p.17, 20, 202)。自分のためにするのである。自分のために働くのであって上司のために働くのではない。自分のために働くのは生計を立てるためである。全体と共に(with)働くが、自分のために働くのである。人はどんな状況であれその中にあって、他の人と共に、そして自分のために、自分が置かれている状況が機能するために働くのであり、そのために自分がどんな貢献をすることができるかを考えなければならないのである。
 筆者が『アドラー心理学入門』(32)の中で紹介した次のようなエピソードを思い出す。共同体感覚や協力についてアドラーが話したとき、アドラーは次のような質問を受けた。
「他の人は誰も私に関心を示さないではないか」
アドラーは単純明快に答えた。
「誰かが始めなければならない。私の助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく」

6. 本稿のまとめ

 最初に見たように、アドラーは目標追求という自己中心的な概念と、共同体感覚という利他的な概念の折り合いをつけようとしたが、本論文においてはジッハーがこの試みに成功しているか否かを明らかにするために、まず本稿においては、ジッハーの思想を明らかにすることを試みた。
 まず、ジッハーは個人の目標追求の方向性を考察するが、その際、この目標追求の方向性は恣意的に決められるのではなく、協力関係を前提として進化の方向へと向かわざるを得ない、と考えたことを明らかにした。
 次に、個人的な目標追求が全体にどのように貢献しうるとジッハーが考えているかを明らかにした。
 次稿においては、はたしてこれらの試みが成功しているのかを、目的論についての哲学の見地からの考察を通して明らかにしたい。

注釈

1) Sicher, L.: The Collected Works of Lydia Sicher: Adlerian
Perspective
. Edited by Adelte Davidson, Fort Bragg, Ca: QED Press,
1991, p.456. 本稿において以下Sicherのこの論文集から引用が多いので、ここからの引用の場合は、本文中に著者名、著作名なしにページ数のみ記すことにする。なお、この論文集については註4)を参照。
2) Bottome, P.: Alfred Adler: Portrait from Life. New York: Vanguard,
1957, p.120.
3) Bottome, ibid., p.123.
4) 岸見一郎:実践とは何か−「知る」ことと「行う」こと−.アドレリアン12(1), 1998, p.1.
5) リディア・ジッハーは1890年にウィーンに生まれる。第一ウィーン人文女子ギムナジウムを卒業後(1910年)、1916年にウィーン大学から医学博士号を、後に動物学の博士号も授与されている。1915年、夫とともに軍医として第一次世界大戦に参戦している。
 アドラーの著作に関心を持ったのは17歳のときで、その後1919年にアドラーに会って、自分の患者について相談をしている。当時、ジッハーはフロイトの精神分析に関心を持っていたが、フロイトはどのようにして人が苦境に陥るかを語ることはできるが、そこから抜け出す方法を教えないのにたいして、アドラーは問題から自分を解放するために取り得る方法を教えた、とその違いを強調している(pp.13-4)。
 ジッハーは、アドラーが所長を務めていたウィーンのフランツ−ヨセフ神経症外来診療所で働いた。アドラーが1929年にロングアイランド医科大学の教授職に就くためにアメリカに行ったときに、ジッハーが診療所の所長に任命された。ドライカースは次のようにいっている(p.461)。
「アドラーが〔アメリカへ〕去るときにウィーンの診療所を任せることができた人は他にもいたが、アドラーが実際に委ねたのはジッハーだった。それほどまでにアドラーはジッハーに信を置いていた」
 9年後にヒットラーによって閉鎖されるまでジッハーはこの診療所で個人心理学によって数多くの患者を治療した。ウィーンを去ったジッハーはその後イギリス、オランダ、ラトビア、リトアニア、ポーランドで講義、講演を行った。イギリスで交通事故に遭ったジッハーはそこで一年の闘病生活を送った後で1939年にアメリカに渡る。以後、アメリカアドラー心理学会の会長をはじめとする要職に就き、1941年にはロサンゼルスアドラー心理学研究所を設立している。
 ジッハーはアドラー心理学についてまとまった書物は残さなかったが、ダビッドソン(Adele Davidson)が1991年に編集出版した論文集であるThe Collected Works of Lydia Sicher:An Adlerian Perspective(QED Press)によってジッハーの思想をまとまった形で知ることができる。
6) Adler, A.: Über den Ursprung des Streben nach Überlegenheit und
des Gemeinschaftsgefühls, Internationale Zeitschrift für Individualpsychologie, 11. Jharg.1933(本稿においてはAlfred Adler Psychotherapie und Erziehung Band III, Fischer Taschenbuch Verlag, Fankfurt am Main, 1983から引用する).
7) Adler, ibid., S.24-5.
8) 岸見一郎: アドラー心理学入門. KKベストセラーズ、1999, p.153註.
9) Mitmenschlichkeitが原語。「仲間」であること(fellowmenship, Solidarität)。この言葉はアドラーにおいて「共同体感覚」という言葉とほぼ同義で使われる。
10) Adler, ibid., S.31.
11) Ansbacher, H.L. and Ansbacher, R.R. in Alfred Adler Superiority and Social Interest, Ed. by Ansbacher, H.L. and Ansbacher, R.R., W.W.Norton & Company, New York, 1979, pp.29-30, 41.
12) Adler, ibid., S.26.
13) 野田俊作: 負のアドラー アドラー心理学の誤用と悪用.アドラーギルド、1999, p.38.
14) 野田、前傾書、p.41.
15) Adler, ibid., S.30.
16) Adler, ibid., S.22.
17) したがって、ここでは既存の社会ではなく、理想の社会が念頭に置かれている。共同体感覚という場合の「共同体」は「到達できない理想」であって、既存の社会ではない(Adler, Individualpsychologie in der Schule, Fischer Taschenbuch Verlag,
Fankfurt am Main, S.20)。
18) Adler, Über den Ursprung des Streben nach Überlegenheit und des
Gemeinschaftsgefühls
, S.31.
19) Streben nach Vollkommenheit(完全さの追求)に並んで用いられるStreben nach oben(上に向かっての追求)というような表現(Adler, ibid., S.22)。
20) 岸見、前傾書、pp.90-2.
21) 相互依存関係と訳すと「共依存」のようにとられかねないのでこの訳語を採用した。
22) このようなことを感覚(gefühl, feeling)としてとらえているのではなく、認識しなければならないのである。
23) アドラーの考える共同体感覚を伴った優越性の追求の条件に対応する。
24) 人生の第二法則は貢献である(p.36)。
25) アルフレッド・アドラー(岸見一郎訳):子どもの教育.一光社、1998, p.111.
26) アドラーも「万人の万人にたいする闘い」は一つの世界観であるが、普遍妥当的なものではない、と指摘している(Individualpsychologie in der Schule, S.89)。これはホッブス(Hobbes, 1588-1679)が『リヴァイアサン』の中で用いた言葉としてよく知られている(bellum omnium contra omnes)。人間は自己保存欲を持っており、他者を圧倒しながら、自分の権利と幸福を求めようとする。これをホッブスは、「自然状態」と呼ぶ。
 また、水泳を学ぶのに難儀する子どもについて、そのような子どもは、人生は闘いである、と見ており、このような闘いの中では、「上」であるか、「槌になるか、鉄床になるか」が重要である、即ち、槌でなければ、鉄床であるしかないので、鉄床にはなりたくない、というケースを出している。競争の中で人は「上」にいることを目指すということである(Adler, ibid., S.98)。
27) アドラー:子どもの教育、p.39.
プロクルステスについては同書、p.11.註11、アドラー(岸見一郎訳、野田俊作監訳):個人心理学講義、一光社、1995, p.259. 解説註29を参照。
28) 註17)参照。
29) アドラー:個人心理学講義、p.258.
30) ソクラテスの次の言葉を想起する。「大切にしなければならないのは、ただ生きることではなくて、善く生きるということなのだ」(プラトン、Crito, 48b, 田中美知太郎訳)。
31) アドラー:個人心理学講義、pp.13-4.
32) 岸見、前傾書、p.115.

(『アドレリアン』第14巻第2号、2000年所収)

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2008年10月 1日 (水)

今日は姫路へ

a glorious fall day ...

 近大姫路大学に出講。ネットで調べるともっと早く着けるはずなのに、朝、9時に出たのに(初日なので早めに出かけた)、大学に着いたら12時だった。この写真は駅から大学までの途上で撮った。
 神戸を出てしばらくしてふと窓の外を見たら、海が見えた。前にすわっていた若い男性はすぐに携帯電話を取りだして海の写真を撮った。次回から、窓側にすわろう。写真には写せなかったが、心は空と海の青で染まった。もう長く近所を歩くだけで遠出することはほとんどなかったので、講義の前であるということさえ忘れたら、旅行しているような気持ちになり、心が晴れた。以前、奈良女子大学に出講していた時、窓外の景色を見ていたら(奈良に近づくと平城京跡や若草山が見えてくる)、ふと旅をしている気持ちになったことを思い出した。
 教室には100人を超える学生が待っていた。講義をする頃には既に疲れてしまっていたのと、初対面の学生の前で緊張し、あまり思うように話せなかった。帰りも同じだけ(当然のことながら)かかったが、倒れるほど疲れるかと思っていたがそれほどではないので、次回からはエネルギーの配分を工夫したい。駅から大学までのシャトルバスに行きも帰りも乗らなかったが(だから写真を撮れたのだが)、次は乗りたい。

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